大艦巨砲の旅番外編(1)



幻の記念艦と東郷神社


東郷神社再訪す!

大艦巨砲の旅・第15回で述べたように、前回の九州旅行では突然の雷雨により、東郷神社は早々に退散することになってしまったのが心残りであったが、先日、仕事でまた九州に行く機会があり、ちょっと足を伸ばして再訪することができたのであった。

スーツ姿の怪しげな中年男性が境内をうろうろしていると、宮司さんとおぼしき老婦人が声をかけてくださった。東京から来ましたと告げると「宝物館を見ていきますか」ときかれたので、一も二もなく拝観させていただくことにした。手動式のシャッターを拝観する私自ら巻き上げさせていただいた。前回来たときはこのシャッターが閉まっていたのだが、予約が入っているとき以外は閉めてあるようだ。

1868年1月4日、日本史上初めて、汽走軍艦同士の海戦を演じた幕府軍艦「開陽」と薩摩藩軍艦「春日」。後者は二等士官の伊地知休八(後の弘一)、三等士官の東郷平八郎の乗艦であり、同艦は翌年の宮古湾海戦、函館湾海戦と新政府海軍の中核として活躍した。戊辰戦争も終わり、この二人は英国に留学することになり、より親交を深めることになった。そして伊地知弘一の娘と結婚したのが現在の宮司(先ほどの婦人)の父親であり、この神社を創建した内田正弘氏なのである。内田氏が13歳のとき(明治38年5月27日)に対馬沖で日本海海戦が戦われたが、津屋崎近辺でも砲声と砲煙がすごく、住民は不安のうちに戦況を案じていたが、間もなく号外が配られ連合艦隊が勝利を収めたことがわかり喜びに湧いたという。この時の記憶を鮮烈に心に宿した内田氏は明治45年に獣医となり、その後私財を投じて東郷元帥の顕彰事業に打ち込むことになる。

高橋三吉中将が連合艦隊司令長官だったとき(ということは昭和10年か11年と思われる)に連合艦隊が津屋崎沖に停泊したことがあり、内田氏と宮司さんが招待されたそうで、恐らく戦艦「長門」に乗艦されたのであろう。宮司さんはまだ女学校を出たばかりであったそうだが、世の中は第四艦隊事件が起きたり二・二六事件が起きたり、とキナ臭くなりつつあった時代だ。このとき、恐らく津屋崎港に1隻の旧式な軍艦が繋がれていた。元日本海軍二等海防艦「沖島」、そしてその前身はロシア海軍海防戦艦「アドミラル・アプラクシン」である。

明治38年1月16日、ネボガトフ少将に率いられた第三太平洋艦隊はリバウ軍港を出発。この中にバルト海防御用に建造された3隻の海防戦艦が編入されていた。乾舷の低い海防戦艦にとって大西洋、インド洋といった外海を航行するのは相当な苦心があったと思われるが、5月9日にロジェストウェンスキー中将率いる第二太平洋艦隊とランデブーを果たし、ここに所謂「バルチック艦隊」は一団となって日本海へ進撃を開始するのである。が、結果は既に述べたように日本海軍連合艦隊の圧勝に終わり、3姉妹艦のうち「アドミラル・ウシャーコフ」は撃沈され、「アドミラル・セニャーウィン」と「アドミラル・アプラクシン」は降伏のうえ日本海軍籍に編入され、それぞれ二等海防艦「見島」、「沖島」となったのである。両艦とも第一次世界大戦に従軍した後、大正11年には除籍された。廃艦となった「沖島」は48万円で購入され「沖ノ島」を間近に望む津屋崎港に記念艦として繋留されたのである。

数奇な運命に翻弄されたロシア生まれの海防戦艦は終の棲家を得たかに思われたが、戦雲は彼女を見逃さなかった。大陸での戦争が激化するに伴い、鉄材などの軍需物資が不足してきたため、「沖島」は物資供出の一環として昭和13年に17万円で売却され、その代金はそのまま報告292沖ノ島号(90式水上偵察機)となり、ついに地上から姿を消したのである。ロシアのサンクトペテルスブルグで建造されてから42年の歳月が流れていた。

内田氏は昭和9年に日本海海戦記念碑(写真上段)を建立した。東郷元帥死去の翌月であった。この記念碑は戦艦三笠のマストをイメージしてデザインされているそうだが、これを守護するように戦艦の砲塔をイメージしたコンクリート製のオブジェが設置されている。砲身はコンクリート製なのだが、砲尾の部分(写真中段)にはかつて伊地知弘一が艦長を勤めた防護巡洋艦「高千穂」の廃砲が使われている(昔は尾栓もあったそうだが盗まれてしまったそうである)。また昭和40年代に建てられた宝物館には東郷元帥や旧海軍の提督の遺品、遺筆などが納められている。そして前回来た時に見られなかったのが戦艦「三笠」のものと伝えられている探照灯(写真下段)だ。

基部には「グレートブリテンって書いてあるプレートが付いていたんだけど、心無い人に持って盗まれてしまって」とのこと。まったくけしからん。入館料はたった100円なのだが、それすらも払っていかない人もいるそうだ。まったくこの国の行く末や如何・・・。大艦巨砲の旅(第15回)のほうにも記述してあるけど戦艦「三笠」の砲身前端が宝物館前に鎮座しており、こちらはいつでも無料で見学可能だ。

神社から東郷公園に上っていくと、高台になって開けたところに日本海海戦記念碑が立っている。100年前の壮大なドラマを風化させじ、という使命をになって堂々とそびえている。この日は天気も快晴で素晴らしい眺望にとても気持ちがよくなった。

「東郷神社」
福岡県宗像郡津屋崎町渡 1815-1
電話:0940-52-0027(三笠会館)
JR鹿児島本線福間駅下車タクシーで15分くらい
宝物館は入場料100円

「正論」2004年12月増刊号「日本海海戦と明治人の気概」 (産経新聞社、\780)のカラー頁に津屋崎・東郷神社の宮司さんが 紹介されています。また373頁から神社の紹介もされています。 この記事の金額と上記文章の金額は一部整合していないものも ありますが、宮司さんのお話を聞き書きした自分のメモのほうを 元に書かせていただきました。

追記
平成18年6月11日に東郷神社にハセガワ社の1/350スケール戦艦「三笠」の完成品を奉納させていただきました。


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Make Home Page:2004.12.19 / Updated 2004.12.19
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