大艦巨砲の旅第12回



「ミンダナオ会西へ!上方・舞鶴の旅」大阪、舞鶴、京都


ACT1;ビリケン様に絶版キットの願かけて?

一応社会人に復帰したミンダナオ会長はようやく人並みに 旅行なんぞ出かけられる身分になったらしく、 昨年のエアタトゥー以来、久々の長躯侵攻作戦、が始まった。

朝、東京駅にてミンダナオ会の歩く海軍工廠こと河崎氏と待ち合わせ、 コンクリート片落下の危険も顧みず「のぞみ」へと搭乗する。 次回ミンダナオ会展示会に向けて兵力量策定会議に激論を戦わせながら、 一路新大阪へ。

一式陸攻より遅いとはいえ、流石に新幹線。びゅわーんびゅわーんと 2時間あまりで新大阪に到着。通りすがりのMGS古参会員の澤田氏と合流する。 最初の突入目標の模型屋Lはまだ開店時刻前とのことでさっさとあきらめ、 地下鉄で大国町へ向かい、中古キット屋のKへ行くがここもあいにくお休み。 1週間のうち3〜4日しか営業していないらしい。

どうもツキがないので、ここなら逃げも隠れもせんだろうという、 通天閣へと向かう。地下鉄動物園前駅から歩いて行くと突如として 天空に突き出す籠マスト!すわ、米戦艦、大阪来襲かと思いきや、 何故か「日立パソコン」とか大書きされているぞ! ちなみに通天閣の入場パンフレットはペーパーモデルになっていて なかなか粋である。 しかし東京タワーにはプラモデルがあるので負けはせんぞ!

ベタな大阪観光でビリケンさんに願かけた後、模型屋巡りを再開、 なんばの模型屋Mを経て本町の模型屋Hへ。ここはレジンキットも見やすい ディスプレイで中身を展示しており、好感が持てる。 艦船模型の品揃えもなかなかのものだ。

淀屋橋で下車して中ノ島公園の東端ヘ向かって歩いて行くと、 天神橋のたもとあたりに細い鉄塔が立っているのが見えてくる。 何あろう、これこそは旧日本海軍通報艦「最上」の前マストなんである。 さらに近づくと木々に隠された同艦の後部艦橋も見える。 このマスト、昔は国旗掲揚台として使われていたそうだが、 今では気付く人も少ないようだ。錆びも大分浮いてきているようで せめてリペイントぐらいの補修はしてもらいたいが、 財政難の大阪府では難しいのだろうか? (写真は"PORTHOLE"のページにあります。ここをクリックしてください)

「通天閣」(通天閣観光株式会社)
郵便番号556-0002
大阪市浪速区恵美須東1-18-6
電話:06-641-9555、FAX:06-641-9559
開館時間10:00-18:00(入館は16:30まで)
年中無休

我々のようなよそ者が大阪模型屋めぐりするには
「ノーマイカーフリーチケット」(\600)
が便利かも地下鉄が乗り放題。金曜日発売。

ACT2;ミンダナオ会、日本の最前線を行く!

夕闇せまる頃、一般の観光客を装い京都にて祇園祭りなんぞ見物して、 ハルゼイ艦隊の目をくらますことにも余念がない我々一行であったが、 夜半ミンダナオ会の歩くジュトランド海戦こと土岐氏とランデブーに成功。 翌日一路レイテ湾、ではなく舞鶴湾へと向かう。

JR西舞鶴駅に降り立った我々は早速レンタカーを借りてGO! (舞鶴周辺は見所が散在しているので、時間がない人はレンタカーが便利なんである。) まず向かうは海上自衛隊北吸桟橋。土日は受付で申請すれば民間人でも 見学ができ、艦艇も一部見学できる。受付を過ぎるとまず目に付くのは 護衛艦「あまつかぜ」の主錨(写真)。 言うまでも無く日本初のミサイル護衛艦である。 この艦ももはや歴史上の存在になってしまったことが痛感される。 さらに岸壁に近づくとこの日の公開艦「ちくま」を最寄に ベテラン護衛艦「たかつき」や最近つとに(?)有名になった感のある ヘリコプター護衛艦「はるな」が舫っている。 何せ舞鶴は人工衛星好きなどっかの国に一番近い、最前線の「軍港」なのだ!

対岸の日立造船舞鶴工場側では「きくづき」が定期修理中で、 ちょっと離れたところではこの前進水したばかりの「いかづち」が 艤装中であった。

「はるなの艦橋にはホントに機銃マウントがあるぞい!」
「51番砲の横になんかマーキングが描いてあるぞう!」

なんて、艦船マニアの話題はつきないのであるが、 時間も限られているので総監部のほうへ向かう。 海自舞鶴地方総監部の敷地の一角に海軍記念館があり、 ここには旧海軍や舞鶴鎮守府初代司令長官東郷平八郎元帥の遺品などが 所蔵展示されている。正面の東郷元帥の胸像は終戦時 進駐軍の所業を恐れて地中に埋められたものが戦後十数年を 経て土中より発見された、といういわくつきのもので バックを飾る軍艦旗は昭和19年9月に水上機母艦(飛行艇母艦)「秋津洲」 が沈没する直前まで掲げていた貴重なものである。 最近まで東郷元帥のフィギアの原型を製作していた澤田氏は 胸像が気になっていたようだ。

舞鶴鎮守府は明治34年に4番目の鎮守府として開庁し、 初代司令長官として東郷平八郎(当時中将)が着任した。 同36年には海軍工廠も開設されたが、軍縮のあおりを受けて 大正12年にはそれぞれ要港部、工作部に格下げされた。 一方、同14年には海軍機関学校が舞鶴に移設された。 ワシントン軍縮条約で建造中止となった「土佐」などの 戦艦に予定されていた鉄材を用いて建てられた校舎は 昭和5年に竣工し、現在は総監部として使用されている。 前述の記念館は機関学校大講堂として昭和8年に竣工したもの。 (ちなみに芝生を囲う白い柵も旧海軍の砲弾を流用したものだそうで よく見ると大きさにいくつかバリエーションがある。) 昭和11年には舞鶴海軍工廠が、同14年には舞鶴鎮守府が復活して 昭和20年の終戦に至る。

特に東舞鶴は海軍と密接な関係にあった歴史故か、 街の通りには明治時代の軍艦の名前がつけられ、今もそれが使われている。 ちなみに八島通りには模型屋さんもある。ショーケースには 艦船模型の完成品が多く、流石に舞鶴である。

海上自衛隊北吸桟橋、「海軍記念館」
最近は土日なら予約なしで見学できるようであるが 下記で問い合わせてから行くことを薦める。
海上自衛隊舞鶴地方総監部管理部総務課広報係
電話:0773-62-2250(代)内線2207

ACT3;ニッポンのポーツマス?

昼食をはさんで我々は引揚記念館へと向かう。 敗戦後各地から日本人が復員してきたが、舞鶴は昭和33年まで 引揚港として最後までその使命を果たし、66万4531人の 引揚者と1万6269柱の遺骨を受け入れたのである。 そして待てど帰らぬ夫、息子を待つ「岸壁の母」の舞台でもあった。

シベリアで強制労働に就いていた人達の食事が粗末であった ことは活字では知っていたものの、現物(の模型)を見ると これだけで生き延びていくのは本当につらかったろう、 と苦労がしのばれる。復員任務にあたった船たちの模型も 展示されている。中には日本海海戦でバルチック艦隊を発見し、 「敵艦隊ラシキ煤煙見ユ」の第一報を放った殊勲の「信濃丸」の姿もある。 太平洋戦争を生き抜き、戦後にいたるも日本の為に がんばっていたのだなあ、と感慨深いものがある。

車で3分ほどのところに「引揚桟橋」と呼ばれる木製の桟橋が 復元・保存されている。大型の復員船は沖がかりで停泊し、 通船に乗り換えた復員の人達はこの桟橋でようやく帰国の第一歩 を踏みしめることになる。今は釣り人が糸を垂らすのどかな風景である。

さらに我々は赤レンガ博物館へと向かう。ここは旧海軍舞鶴工廠の 魚雷庫だった建物で、現在はレンガの歴史や種類を学べる施設と なっている。入り口すぐのところには護衛艦「いすず」の主錨が モニュメントとして展示されている。また2階には魚雷庫当時の 情景ジオラマもり興味深い。

すぐ近くには同じく旧海軍のレンガ建築の砲銃庫を改造した 市政記念館があり、こちらには舞鶴鎮守府官舎のジオラマ や戦前の軍艦見物のための臨時列車時刻表付きのパンフレット などを見ることができる。こちらは入場無料だ。

この近辺は旧海軍のレンガ建築の倉庫が多く残っており、 ちょっと見にはヨーロッパの街並みを思わせるたたずまいが愉しめる。 澤田氏いわく「まるでポーツマスのよう」なのだ。 まあ、アングルによっては日本の掃海艇が目に入ってくるが それはそれで他の基地では見られない、面白い取り合わせである。 ちなみに舞鶴市と英国ポーツマス市と姉妹都市なんだそうな。

こうしてナントカ舞鶴観光を予定通り終了。できれば日立造船の 舞鶴館も見学したかったのだが、第1,3水曜日しか開館しない (しかも要予約)とのことで今回は断念した。同工場で戦前から 建造してきた艦船に関する資料や戦艦「陸奥」の引揚げ品の一部、 巡洋艦「八雲」の主錨などが展示されているらしい。

その日は西舞鶴駅の近くの旅館に宿泊。例によって 模型談義をつまみに日本酒を酌み交わすミンダナオ会ご一行であった。

「舞鶴引揚記念館」
郵便番号625-0133
京都府舞鶴市字平無番地引揚記念公園内
電話:0773-68-0836 FAX:0773-68-0370
開館時間:午前9時から午後5時まで(入館は午後4時半まで)
閉館日:毎週月曜日(月曜日が祝日にあたる場合はその翌々日)、 祝日の翌日、12月29日から翌年1月3日まで
入館料:一般個人300円、小学生から大学生150円、 赤レンガ博物館との共通券はそれぞれ400円、200円

舞鶴市立「赤レンガ博物館」
郵便番号625-0036
京都府舞鶴市字浜2011番
電話:0773-66-1095 FAX:0773-64-5123
開館時間:午前9時から午後5時まで(入館は午後4時半まで)
閉館日:12月29日から翌年1月3日まで
入館料:一般個人300円、小学生から大学生150円、 舞鶴引揚記念館との共通券はそれぞれ400円、200円

「市政記念館」
電話:0773-66-1096
閉館日:毎週月曜日(月曜日が祝日にあたる場合はその翌々日)、 祝日の翌日、12月29日から翌年1月3日まで

「日立造船舞鶴館」
連絡先:日立造船舞鶴工場総務課
電話:0773-62-8700
本文でも書いたように要予約で開館は第1,3水曜日のみ。 見たかったんだけどなあ。

ACT4;解き明かされる会長の過去!

旅行第3日目、西舞鶴を発ち、京都へ。 東京に戻るにはまだ時間があるので、 「梅小路蒸気機関車館」に行くことになった。いままでひたかくしに してきたが私は子供の頃、SL大好きガキンチョだったのだ。 そのころは「梅小路機関区」 というのは「行ってみたいなよそ国」の憧れの地であったのだが、 再放送の「宇宙戦艦ヤマト」を見てからはすっかり大艦巨砲主義(?) に目覚め、今日に至るのであった。そんな紆余曲折を経たものの ついに幼かりし日の夢がかなったのである!

建物は旧二条駅の駅舎を移築した明治30年代の重厚な木造建築で 中には投炭練習機やお召し列車装飾など各種資料が展示されているが、 圧巻は動態保存されている旧国鉄の蒸気機関車18両であろう。

最近は各地の地方線でSL列車が運行されているが、”三重シリンダー”C-53 や”物資節約”B-20なんかで稼動状態にあるのを見られるのは今も将来も ここだけではなかろうか。

「このボイラーの横についている板は除煙板といいましてね・・・」
「機関車の形式名の頭のシィーとかデーっちゅーのはですねぇ・・・」

25年前の錆びついた記憶を総動員してはしゃぎまくる ミンダナオ会長であった。 そう、あの頃は営業用のSLがまさに消えようとしていた時代だったしね。

ほどよくノスタルジックな気分にひたったところで京都駅に戻り、 4人で旅の無事終了を祝い、祝杯をあげる。ここで澤田氏は西へ残りの 3人は東へと帰途へつくのであった。次はモデリンピックかなあ。(完)

「梅小路蒸気機関車館」
郵便番号600-8835
京都府京都市下京区観喜寺町
電話:075-314-2996 FAX:075-314-3054
開館時間:9:30-17:00(入館は16:30まで)
閉館日:毎週月曜日(祝日及び3/25-4/7,7/21-8/31の期間は開館)、 12月29日から翌年1月3日まで
入館料:高校生以上400円、小人100円、

「大艦巨砲の旅第11回」 東京都・墨田区へ行く

「大艦巨砲の旅第10回」 イングランドへ行く

「大艦巨砲の旅第9回」 青森県・岩手県・宮城県へ行く

「大艦巨砲の旅第8回」 栃木県・那須高原へ行く

「大艦巨砲の旅第7回」 香川県・愛媛県へ行く

「大艦巨砲の旅第6回」 群馬県・伊香保へ行く

「大艦巨砲の旅第5回」 神奈川県・横須賀/猿島へ行く

「大艦巨砲の旅第4回」 青森県・青森/大湊へ行く

「大艦巨砲の旅第3回」 栃木県・那須高原へ行く

「大艦巨砲の旅第2回」 千葉・稲毛海岸(こじま)へ行く

「大艦巨砲の旅第1回」 甲府・石和(模型合宿)へ行く

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Make Home Page:1999.08.17 / Updated 1999.08.17
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