大艦巨砲の旅第9回



「みちのく動かざる乗物紀行(?)」青森県・岩手県・宮城県


ACT1;ミンダナオ会長北へ?

毎度のことながら私の旅行はひょんなことから始まる。 今回は九州にでも行こうかなあ、なんて思っていたところに 本州最北模型会の飛内氏より「小川原湖で零戦が揚がった!」 との情報があり、急遽東北方面への旅行が開始されたのである。

今回の旅行の手始めに向かったのが「岩手県高校教育会館」。 ここには旧日本海軍艦上爆撃機「彗星」の一部が 保存されているらしい。

盛岡駅から5Kmくらいのところにそれはあった。 博物館のような大きな建物ではないようだし、 ひょっとして情報はガセか?と不安が大きくなるが 中に入って、おそるおそる
「こちらに昔の飛行機の部品が保存されているとうかがったのですが・・・」
とたずねてみる。 失礼にもアポなしでお邪魔してしまったが職員の方々 は丁寧に応対してくれて、「どこからきたの?」、 「何で知ったの?」などと雑談の後、 機体の由来のパンフレットまでいただいてしまった。

いよいよ「彗星」にご対面である。 詳しい所見は別項を参照していただくとして、 この機体は金ヶ崎飛行場で8月10日の空襲により 破壊されたものを近隣の農家の方が終戦後回収保管していたもので、 1994年3月に岩手県高教組に寄贈されて今日に至っている。

それにしても後述する零戦もそうであるが 奇麗に塗装し直された復元機とは異なる迫力が感じられたように思う。 ホントに50年前そのままの「モノ」なんだものね。

「岩手県高校教育会館」
岩手県盛岡市志家町11-13
TEL 0196-24-5227
盛岡駅よりバスで「山王下」下車

ACT2;今は昔の発射管

さて、教育会館を辞して一路大湊に向かう。 そう、そこにはこの前の旅行で見学しそこねた因縁の 海上自衛隊大湊地方隊「北洋館」があるのである。 大湊地方隊については 「大艦巨砲の旅第4回」を参照していただくとして、 今回は閉館時刻前に悠々セーフである。

が、まあ自衛隊の施設だから当たり前といえば当たり前 なんだけど見学の受付用紙に名前、住所などを書く。
「勤務先ねぇ・・・」まあ一応そのとき籍を置いていた 会社を書いちゃったけど、もうそのときには退社寸前だったのでちょいと苦笑い。
(ちなみに筆者はこの原稿書いている時点で完全にプーであーる(T_T)

それはさておき、庭先の展示品に「水上発射管HO-1010改」 が新たに増えていた。 初め4連装長魚雷発射管をばらしたものかなあ、 と思ったのだが形式番号を見ると単装発射管を示しており、 恐らく「魚雷艇11号」型から解体にあたって降ろしたものであろう。 平成5年には第一魚雷艇隊が解隊となり、 平成6年の魚雷艇15号の除籍をもって魚雷艇というフネは歴史上の存在になってしまった。 最後の魚雷艇隊が所属したのが大湊地方隊であり(配置は余市防備隊だけど) 歴史上の遺産としてここ「北洋館」で保存されるのは至当といえよう。

さて館内にはどうゆうものがあるのかというと・・・。 兵器関連では戦艦「陸奥」のアーマーボルト、 93式13ミリ機銃(陸上型)、92式7.7ミリ機銃及び三脚架4型、 護衛艦「きたかみ」の時鐘、サイレンなど。 資料展示では場所柄、北方作戦関連の資料や海軍式 スキー術の資料なんかも展示されている。 明治26年に海軍払い下げのカッターにて隅田川から(!)北方領土開拓 に向かった北洋艇隊の展示なんかも興味深い。

今回はゆっくり見学させてもらったが、 館の係りの方が言うには道を渡ってすぐの「水源地公園」 というところに日本最古のアーチ式ダムがあるというので、 館を辞してそちらに向かう。 桜満開の公園を行くと煉瓦造りの小さなダムが見えてくる。 明治42年に海軍が建造したものだそうだ。 花見の季節を迎えた大湊ののどかな風景である。

「北洋館」海上自衛隊大湊地方総監部
TEL 0175-24-1640
JR大湊駅から川内方面行バス宇田バス停下車
平日:午前9時-午後4時
土曜:午前9時-午後12時・午後1時-午後3時
休日:午前10時-午後3時
変動の可能性があるので事前に問合わせてから行ったほうがいいかも。

ACT3;本州の最果てに桃源郷を見た!?

バスで田名部に行き、懐かしのとびない旅館に到着。 飛内氏に挨拶する。あいかわらずお元気のご様子。
夕食後飛内氏の工房に行くと向かいの部屋からも明かりが漏れている。 「?」と思ってそちらを覗いてみると ショーケースにならんだ貴重なおもちゃ、プラモデルの数々・・・。 これが「とびない旅館」ご自慢のおもちゃ展示場なのだ。

そしてそんなすごい場所で「本州最北模型会」の方々と座談会(?)。 安藤氏には相変わらず冴え渡る艦船模型を拝見させていただき、 会長の米谷氏には「サティアン」と呼ばれる秘密工房に案内されてしまった! 完成品といいストックといい、 それはそれはこの世のものとは思えない凄まじい光景であった・・・。 (いやあ、飛行機モデラーでなくて助かった・・・)

翌日は飛内氏、三上氏とともに、 途中で同会の昆氏と合流して引き上げられた 零戦が保管されている上北町へ向かう。

零戦の残骸に対面するや昆氏は静かに黙祷。 海自で航空機の整備をされている氏は流石に真摯な姿勢である。 単純に浮かれていた自分に反省。

飛内氏は簡易ノギス(?)を持参してあちらこちら寸法をはかり始める。 やはり21型のようであるとのこと。 私はと言えばブラシにオイルを染み込ませたもので文字が読めそうな 部分を磨いたり、絡まった漁網を外したりしていた。 写真を撮るためにプロペラをひっくり返したときにはその重たさ にびっくりした。零戦というと軽やかなイメージばかり先行してしまうが 実物は2トン余りある機械なんだ、ということを実感する瞬間であった。 (この零戦の詳細については別項を参照していただこう)

こうして生涯に一度あるかないかの貴重な体験をした私は 本州最北模型会の皆さんと再会を約して、盛岡に向かうのであった。

旅館「とびない」(本館)
青森県むつ市田名部町8-6
TEL 0175-22-4261
下北鉄道田名部駅の駅前の通り徒歩5分
日観連加盟
おもちゃ展示場見学希望の方は飛内氏に申し出てください。

ACT4;独眼竜の野望は太平洋を渡る

1613年10月28日(慶長18年9月15日)サン・ファン・バウテスタと 名づけられたその船は伊達政宗の命を受けた仙台藩士支倉常長ら 慶長使節団を乗せて太平洋横断の壮途についた。

その380年後の平成5年に復元船が建造され現在は 宮城県慶長使節船ミュージアム(通称サンファン館)に保存されている。 同船はスペイン人の指導の下、仙台藩で建造された船であるため 設計図面は残っていないが、諸寸法の記録と当時のスペイン船の 規格などから極力忠実に再現された木造船であり、 当然動力も持たず自走能力もない。 そのため今は同館の専用ドックに収容されている。

さて、旅行開始から3日め盛岡からとろとろ上って石巻を経由して渡波へ。 時間のある人は駅から歩いて行けないこともないようだが、 車で5分のところに同館はある。

まず入館すると慶長使節に関する展示コーナーである。 フムフムなるほど、と見学していると、お姉さんが
「シュミレーションシアターが始まりますのでご希望の方はこちらへ(^^)」
と案内している。と、いっても周りには私しかいない(平日だからね) ので私一人のために声を掛けてくれたのは明らかである。 ここでお誘いを断るのはあまりに申し訳ないので案内されたほうに向かう。 すると案の定、希望者は私一人・・・。それでもお姉さんは イヤな顔もせず、シアターを見るにあたっての注意などを朗らかに 語っているので、私も思いっきり愛想を浮かべて 「ハイ、ハイ」と肯き返す。そしてたった一人で映写室へ。 なんという贅沢!スクリーンの画像に合わせて床がグリングリン 動くのであるがこれが思っていた以上に激しい機動で、 確かに心臓の弱い人は止めといたほうがいい。 が、そうでない人は結構楽しめますよ、これは(^^)。

こうして慶長使節について学んだら、いよいよサン・ファン・バウテスタ に乗船である。私は2年ほど前に同船が船の科学館に来たとき見学しに 行ったので二度めの乗船となるが相変わらずの雄姿である。 各甲板にはきれいなお姉さんが待機していて適宜説明をしてくれる のがありがたい。
一応私の旅は「大艦巨砲の旅」なので
「この大砲は複製品ですか?」
なんて素人みたいな質問をかましてお姉さんと会話を試みたりするので あった。ちょっと気になったのは甲板上の木製艤装品が一部痛み始めて いたことで、海に面した立地で痛みが早いのかもしれないが、 適切なメンテナンスが望まれる。

同船の見学の後、帆船のしくみについて学べる展示が続く。 時間の関係で駆け足になってしまったがこの展示も帆船に興味を 持つ人ならば結構楽しめると思う。

「宮城県慶長使節船ミュージアム(通称サンファン館)」
財団法人慶長遣欧使節船協会
郵便番号986-2135宮城県石巻渡波字大森30-2
TEL 0225-97-3399
URL http://www.iss-net.ne.jp/~mkeichou/
開館時間09:30-16:30(8/1-31までは17:30まで)
休館日毎週火曜日、祝祭日の翌々日、12/28-1/1、1/5-1/7)

ACT5;黄金海道に艦影を見ず

なんでそんなに急いでいたかというとその日のうちに女川に 行ってみたかったからなのである。 ものの本によれば峯風型駆逐艦「汐風」が戦後宮城県女川港にて 防波堤として使われたことになっているのだが、 福島県小名浜港に保存されている同型艦「澤風」のタービンの銘板によると 「汐風」、「澤風」は小名浜の防波堤になったことになっており、 どうもこちらのほうが信憑性が高いと思われるのである。

一方、同じくものの本によれば改丁型駆逐艦「桂」(未成)の 船体が小名浜で防波堤にされたことになっているのだが上記 の銘板には「桂」に関する記述はなく、私が想像するに「桂」 こそが女川で防波堤になったのでは?という推理にあいなったのである。

駅から5分も歩けばすぐ漁港である。湾状になった港の左右両岸 から防波堤が伸びているが、どちらもどこでもよく見かける コンクリートのちゃんとした防波堤でフネには見えない。

「やっぱりここでも駆逐艦防波堤は残っていないか・・・(T-T)」 とがっくりしたものの、せめてどの辺りにあったのかぐらいは 見定めておきたかったので女川町観光協会に電話したところ、 軍艦を防波堤にしたなんて話は聞いたことがないので、 昔の女川港のことを良く知っている人に聞いてくれ、 と町の洋品店の電話番号を教えてくれた。 もう「旅の恥はかきすて!」とばかりに失礼ながら、その方に 電話してみると
「戦争中は防波堤の内側と外側で(攻撃により)沈められた 船があるが、戦後軍艦を防波堤にしたということはない。」
とのお答え。

そもそも上記の資料でも不整合が起きていることでもあるし、 本当に女川港に駆逐艦の防波堤はなかった可能性も高い。 今回の女川探索は完全に無駄足となってしまったが、 この件に関する消息をご存知の方は是非ご一報いただきたく よろしくお願いいたします。

(ちなみに戦争中沈められと船というのは昭和20年8月9日に 米機動部隊の空襲により女川港で撃沈された海防艦「天草」と 掃海艇33号のことを指しているのかもしれない。ACT1で見た 彗星はこの機動部隊迎撃の為に飛び立った機体である。 風化しつつある歴史とはいえ確かに日本本土が戦場だった時期が あったのだと実感させるつながりではある。)

ACT6;それでも鯨を食べるのだ

旅行4日め石巻から鮎川行きのバスに乗る。 途中「サン・ファン・バウテスタ」が出帆したと月浦を通過し、 支倉常長の像が見える。

約1時間半で牡鹿半島の先っぽ鮎川に着く。 バス停から周囲を見渡すと天空に「ヌッ」と突き出た船の舳先が見える。 そこが目的地「おしかホエールランド」である。 ここ鮎川は昔は捕鯨の町であった縁でこのような博物館があるのである。 まっ、一般的には金華山行きフェリーの発着場として有名のようであるが。

先ほどの船であるが第十六利丸(758トン)が陸揚げ展示してある。 写真でもわかるように船底が完全に地面の上にある状態で固定されている。 これだけの大きさの船の展示方式としては珍しいと思うし、 普通は見ることができない船の喫水線下が自由に見られるという点で面白い。 (WLモデラーにはあまり縁がないけど・・・)

同船は昭和33年に竣工したキャッチャーボートで 南氷洋などで活躍したが、昭和63年の捕鯨条約により引退、 平成元年よりこの地で保存展示されている。 この時期の船ももうあまり残されていないだろうし、 もう今後キャッチャーボートが新造される機会も ほとんどないであろうから造船史上も価値ある保存船といえよう。 ちなみに旧海軍の一等輸送艦が戦後一時期捕鯨船として 使用されていたのは有名だが、これは母船として使われたのだろう。

勿論中にも入れるが甲板より下は見学順路に入っていない。 ブリッジの装備なんかはいかにもベテラン船らしい (少々古めかしい)たたずまいである。 またキャッチャーボート特有の強いシアも自分の足で歩いてみると なかなか新鮮な感じがする。 船首の捕鯨砲座も船に装備された状態で見るとなるほどねえ、 と思われる。

博物館のほうは鯨の生態や捕鯨の歴史などの展示 が充実している。 「大艦巨砲の旅」だから一応報告しておくと、 捕鯨砲というのも大きさがいろいろあって (口径40ミリとか75ミリとか)、時代が新しいものになると 後装型の砲であったそうである。 私は全て前装砲なのかと思い込んでいたので勉強になった。

近くのみやげ屋さんでは鯨料理を食べさせてくれるところが多く、 ぜひとも鯨刺身定食を食べたかったのだが バスの時間が迫り、残念。やむなく鯨の缶詰を買っていく。

その晩は七ヶ宿町に移り住んだ前の会社の同期の高橋氏宅 にお邪魔し、奥様の手になる久しぶりの家庭料理をいただく。 ごちそうさまでした。

「おしかホエールランド」
宮城県牡鹿郡牡鹿町大字鮎川浜字南61
TEL 0225-45-3149
NTTハローダイヤル 022-265-8600
営業時間09:00-17:00、7,8月のみ18:00まで営業
(最終入館16:00、7,8月は17:00まで)
休館日12月1日から3月31日までの毎週火曜日(祝日は開館)
入館料金:大人\1,000、大・高校生\800、中学生まで\600

ACT7;遥かなる「汐風」への道

さて5日めは常磐線に乗換え、いわきからバスで漁港小名浜に向かう。 前述のように福島県小名浜港では「澤風」、「汐風」が防波堤 として使われ、少なくとも10年前くらいまでは艦首甲板の 一部が見えていたらしい。

ここも2年前に一度訪れているが港湾整備が進んだためか 結局それらしいものは発見できなかった。 前述の銘板によれば「澤風」は現在の魚市場前の防波堤に、 「汐風」は現在の第一突堤の中央部付近に固定されたとのことである。 前者ははっきり位置がわからないし、もしわかったとしても 海の真ん中では歩いていけないから、見えていたのは後者であろう。

最近神保町の古本屋で立読みした10年くらい前の「世界の艦船」誌 の投稿欄に巡視船が係留されているあたりに駆逐艦のアンカーホール が健在というようなことが書かれていた。 そういえば前回訪れたときは巡視船「いわき」が係留されている あたりは立入り禁止の表示が多くて細かく見ることができなかったなあ、 ということを思い出し、再度訪れてみる気になったのである。

懐かしの第一突堤に着いてみると、ありゃ、コレはやばい予感。 「いわきららミュウ」なるでっかい建物が建っとるぞ! 案の定以前巡視船「いわき」が係留されていた場所は遊覧船の 発着場になっており、きれいに整備されてしまっていたのである。 ここでも戦争の記憶は過去のものとなっていたことを痛感したのであった。

そうはいっても小名浜では地元海桜会、海友会の手で「澤風」 のタービン機関が記念碑として保存されている。 今回は時間がなかったので見ることができなかったが 前回小名浜に来たときに見たときには露天状態で固定されていた。 まあ、記念碑だからそうゆうものかもしれないが、 タービンエンジン草創期の産業技術史的にも貴重なものと思われるので、 できれば末永く保存できる方法をお願いしたいものである。

「澤風のタービン」
「いわきマリンタワー」のふもとの「みさき公園」にある。
ここに登ると小名浜港が一望できる。「いわきマリンタワー」は
福島県いわき市小名浜下神白字大作111
TEL 0246-54-5707
時間09:00-17:00(入場は16:30)、入場料(一般)\310(96年3月の価格)

ACT8;常磐線各駅停車

こうして4泊5日の東北縦断旅行は終わり、常磐線でとろとろ帰途につく。 今回もあちらこちらで沢山の方々にお世話になりました。 心より御礼申し上げます。

「大艦巨砲の旅第8回」 栃木県・那須高原へ行く

「大艦巨砲の旅第7回」 香川県・愛媛県へ行く

「大艦巨砲の旅第6回」 群馬県・伊香保へ行く

「大艦巨砲の旅第5回」 神奈川県・横須賀/猿島へ行く

「大艦巨砲の旅第4回」 青森県・青森/大湊へ行く

「大艦巨砲の旅第3回」 栃木県・那須高原へ行く

「大艦巨砲の旅第2回」 千葉・稲毛海岸(こじま)へ行く

「大艦巨砲の旅第1回」 甲府・石和(模型合宿)へ行く

「大艦巨砲主義者の部屋」 トップページに戻る 


Make Home Page:1998.05.14 / Updated 1998.05.14
「大艦巨砲の旅」(大艦巨砲主義者の部屋) 質問・問い合わせは、
E-Mail:kurimata@opal.famille.ne.jp