後遺症害骨髄炎に苦しむ

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 昭和49年9月30日埼玉県八潮市にて思いもよらぬ怪我から、救急車にて隣接している草加市の、Wという整形外科病院に搬送して頂き、下された結果は左大腿骨骨折、左腹部裂傷、左側頭部打撲で全治6ヶ月との診断でした。

解放骨折ではありませんでしたが、
※鋼線牽引をしながら腫れを引くのを待ち、翌月手術を受けるも同骨は接きの悪い所だそうで実際には入院10ヶ月、退院後も江戸川区の自宅からリハビリに6ヶ月程通院。

接合の為に固定してある金具(キュンチャ)を抜く再手術は何と
2年後でした。
                           2002,3,11初期増ページ
                          ↓ 画像  2011,2,01追加


※鋼線牽引=大腿骨は太い1本の骨で出来ており、完全に折れてしまうと骨が離れてズレが生じます。筋肉が発達している人程ズレが大きいとも聞かされました。手術前にそのズレを少しでも戻す為、ドリルで患部外側から皮膚→筋肉→骨→筋肉→皮膚を貫通させ4〜5Kg程度の重りを1週間程下げておく事をいいます。現在でも行われている処置です。
            
(以下は 2011年2月1日に追記したものです)。
画像右端にある穴は引っかけて引き出せる為にあり、骨髄の中に入れて骨が形成されるまでの期間です。良い点は臀部を少々切開すればプレートとボルトで止めるより大きく切らずに済む事。悪い点、骨から少々肉に出ている事であぐらもかけず、座ったら立つのも容易ではない。

入院中、歩行に依り金具と肉が擦れ臀部が化膿、ここを切開リパガーゼを押し込み後述するセポランを注射するのですが、痛さは半端ではありませんでした。この時、この金具は骨の中にある訳ですから、菌が伝わりこれが原因としか思えないのです。

『男は外に出れば7人の敵がいる』と云い意味こそ違えど、ストリートファイトともなれば闘う事はおろか駆け出して逃げる事すら出来ない、全くもって極めて邪魔の何物でもない存在でした。うっかり転んでしまったら大変な事になります。

 抜く手術の前日嬉しさから前祝いに一杯飲んでしまったが為、腰椎麻酔が効かず痛さに「麻酔はいつ効くのですか?」。院長先生は「もう効いている筈だけど、今何しているか判る?」。「縫われている感じです」。「これは駄目だ、局麻(局部麻酔)で抜くけど少し我慢が必要だよ」。

見えませんから良く判らなかったのですが、布に穴が空いておりその部分を縫合していた痛みと感じました。婦長さんは「昨日お酒を呑んだでしょう」。バレてしまいましたが、知っていれば呑みませんでした。(=_=)

全麻(全身麻酔)は4段階あり、どんな大酒飲みにでも効くそうです。こんな事を思い出しました。再々入院となり同室の方達に、「今日からお世話になる堀江と申しますが、と一応の挨拶をし、そろそろ時間ですから一寸行って参ります」。

後でストレッチャーで病室に戻った時、何処へ行くのだろうと考えたらしく、「まさか笑顔で手術室に行くとは思いもよらなかったですよ」。と口をあんぐり。つい最近の出来事であったかの様で、走馬燈の如く甦ります。

 これで空手界復帰も夢ではないと喜びましたが、これから苦難の道に突入する事となります。退院間もなく骨髄炎を経験し、当時知識の無かった私には今日まで長い間苦しめられる病などとは、夢にも想像出来なかったのです。現在の様にパソコンはおろか、携帯電話さえ無い時代でしたから情報収集が乏しかったのです。
                                  追記


腹部及び頭部は幸いにも軽傷で済みましたが、骨随内に侵入を許してしまった菌がちょっとした加減で増殖し、歩く事はおろか起きあがる事すら困難な程の激痛に襲われ、回を重ねる度に耐性菌の出現でしょうか、治療期間も長くなって来ている現状です。

ここで疑問が浮かんで来ますが、36年前といえど仮にも整形外科医である以上、骨髄炎は再発を繰り返す事を予測出来なかったとは考えにくく、明らかに初期治療を誤ったものであると推測します。

 手術の執刀をして下さった院長先生の優しさや感謝すべき事もあって、当時はその内に治るだろうと安易な気持ちがあったのは事実です。月日の経つのは早いもので治る事のないまま、現在までの貴重な時間はあっという間に流れ去ってしまったのです。これを書くにあたり結構勇気が要りました。

当時の病院関係者の目に、或いは耳にする事が有るかも知れないという申し訳なさです。その反面、苦しみ生きている現実を知って頂きたい、むしろそんな気持ちの方が強かったというのが本音かも知れません。

入院中欠かさず書いていた日記も長い間に紛失してしまい、詳細は曖昧な記憶を辿るしかない為、正確にお伝えする事が出来ません。大変申し訳ないのですが、ここでは省かせて頂き結果のみでお許し願いたいと存じます。

 以前は2週間〜1ヶ月くらいで治まっていたものが、覚えの有る所で平成2年と4年、6年に発症。2年の時が前ページにある返信内容のアイソトープ検査キャンセルです。6ヶ月間激痛に痛み止めと抗生剤の内服薬で治療を受け、(その当時は、K先生でした)発症すれば働く事が出来ません。

 無収入の上否が応でも検査費用や治療費は出て行くのです。おまけに寝たきりとなり、今後の人生を考えると不安は募りました。この時あまりの痛みに入院を希望したのですが、ベッドの空きがなかったのか何だか判りませんが、「最高級の痛み止めを出してあるので通院して来て」。との事でした。

【謎】通院、しかも内服抗生剤を点滴薬に替えては下さらなかった、結果6ヶ月も長引き激痛に耐えなければならない事となる。
    
K先生はその後移動なされ代わってS先生になり、入院を勧めて下さいましたが、現在の仕事の都合で通院を希望し松葉杖を使い朝・夕2回日曜・祭日も休む事なく抗生剤を点滴して下さったお陰だと思いますが、痛みは前回より楽でした。

 然し、一時的に治った様であっても再発を繰り返しては、結局1年近くかかってしまったのです。S先生は治癒後も、予防を目的として痛みがなくとも服用する様2〜3ヶ月おきに内服抗生剤を1週間分、定期的に出して下さいました。

仕事をしながらの治療では無理があるのでしょうか。その都度打つ針により血管は硬くなり、血管がコロコロ逃げて看護師さんもご苦労されておりました。

ある日数、針を刺したまま(ヘーパーロック)で済む入院を勧めてくれた事がやがて理解出来る様になりました。

 これから更に歳を重ねて行き抵抗力、免疫力が弱まった時、発病し易くならぬか大変気になるところです。手術を受けても完治の確率は極めて低く、再発の可能性は充分にあるとの事でこんな厄介な病気でも難病に指定される訳でもなく、何の認定も受けられないのです。せめて治療費一部の補助だけでも、と思うのですが。

骨髄炎と無縁の方もお読み頂いている?事と存じますが、困ったのが就職です。病気が起きる度、毎朝・夕の抗生剤の点滴に会社は笑って行ってらっしゃいと言ってくれるでしょうか、出社は点滴が終わってからで良いとか、治るまでゆっくり静養して来いよと物解りが良いでしょうか。

 仮に出社出来たとしても我慢できぬ痛みから痛み止めを服用しても、自分自身や他の人の業務に支障をきたすのは目に見えています。
故に健康を理由にして解雇されたとしても、文句は言えないところです。

例え解雇でなくとも自分自身で居づらくなり、退職せざるを得なくなると思うのです。怪我が少なからず在職中それもその業務上であったなら、多少甘える事も出来ようかとは思いますが、新規に就職活動をして来た私の場合、
履歴書に健康状態とは書けず、消極的になってしまっていたのは無理からぬ事だったのです。

 それでも生きて行くには何か職に就かなければなりません。当時双子を含め、幼い3人の子供がいました。

然し、医師からは
「爆弾を抱えて生きているという自覚を持って生活し、デスクワーク以外は絶対無理」。と宣告されておりますが、体を動かす事が好きな私には性に合わないし経験も有りません。

とにかく菌と上手く付き合って行くしかない様です。骨髄炎を恨みそして病院を、いや怪我を恨み男泣きした事も正直言って何度も有りました。

 今までにどれだけ就職のチャンスを逃してきたか計り知れません。徒手空拳をもって身を守る日本古来の武道である空手道を志し、弐段の昇段審査を受けようと考えていた矢先の事です。亡き祖父は教員、近くの神社の神主でもあり、多くの人を教育して来た事を知り分野こそ違うが人を育てるという野望に情熱を燃やし、空手界に骨を埋める覚悟で稽古、指導に励んでいたのです。

「幻制流幻和会」元江戸川支部所属。師であるT先生、I先生そして一会員にしか過ぎない私ごときをお目にかけて下さったT会長始め、諸先輩方々には深く感謝の意を表する次第です。この足では続行不可能でやむなく引退しましたが、決して挫折した訳では有りません。

 この様な理由が有っての事です。深いご理解を賜りたいと同時に、諸先生方々のご健康と益々のご活躍を心よりお祈り致しております。

私と同様骨髄炎で苦しんでおられる方や、又はこうして治したという方のお便りをお待ちしております。世間の方々に骨髄炎を知って頂き、国に理解を求めて行きたいのです。それには出来るだけ多くの方のお力を必要とします。

 今すぐという訳にはいかないと思いますが、次の世代を担う方の為にも骨髄炎患者が一丸となり、せめて難病に指定されるまで頑張って行きたいのです。また何時起きるとも解らない病気の恐怖に怯えながら生きているのです。

これ程苦しんでいる私を前にして、捻挫をした近所の二人の主婦は、ポッキリ折れちゃった方が治り が早かった、と言ったのにはもう正直唖然でした。

接骨院で手に負える程度なら良いのですが、完全に折れてしまえば先ず、整形外科で手術が必要です。

 次に待っているのがリハビリ、ギプスで固定した足は嘘の様に筋力が衰え、ベットから足が全く上がらず、歩行器に掴まって歩こうとしても足が前に出ません。まるで自分の足とは思えませんでした。

曲がらなくなった関節の矯正は大の男でも、うつぶせになったベットから悲鳴を上げ上の方へと逃げます。昔から《今日の仕事は骨が折れたよ》つまり骨が折れると治癒までが大変の例えです。

 人に感染する病気でないのがせめてもの慰めと思っております。けれど死を考えた事もある程で、想像を絶する痛みなのです。
愚か者と知り思いとどまりましたが、結局のところ度胸がなかっただけなのです。

でもこれからは前向きに生きて行かなければ、自分自身そして家族の為にも。現在治療を受けている病院は墨田区内に在り、手術を受けた病院とは無関係です。優しくそして頼りがいのあるM先生を信じ、笑顔で接してくれる主任さん初め看護師さん達について行こうと心に決めています。                2002,3,1追記                                       
 とうとう2〜3ヶ月で発症する様になってしまいました。救いは激痛はなくなったのですが、主治医(S先生からM先生に代わって久しい)曰く、だからと言って良くなっている訳ではないそうです。一旦CRP(炎症反応)値が下がり治まったかと喜びも束の間2〜3週間でぶり返し、また朝夕の点滴に泣きが入ります。

手術を受ける時は、専門の医師が複数いる病院が望ましいと思います。
とは言え、無事故を断言出来るものではありませんが。     2006,9,9追記
                               
 高気圧酸素治療が著効という医大のサイトを観て、現在の主治医であるM先生(優しくて思いやりが有るので患者から慕われています)に紹介状を書いて戴きレントゲン、MRI写真を貸して下さったので喜び勇み、土日を除き7月25日から9月5日まで毎日朝8時には家を出て通院した30回。(終盤になって発症)

痛みが出た為、医大担当医にもう少し続けたい旨を話すと整形外科を受けてからとの指示があり、週明けの月曜日はその医師がおらず、翌日が診察日との事でまた出かけ診察を受ける。その答えは「あまりだらだらやりたくないので、あと10回までにしましょう」。いかに事務的かお分かり戴けたと存じます。

 痛みがある内に高気圧酸素治療は終了です。何だこりゃ。痛みが出ているにも関わらず薬さえ出ず、整形外科を受けても何も変化はないじゃないか。

結局掛かり付けの病院へ戻って点滴治療を受けました。この年は猛暑だったと記憶しています。いったいあの40日間の通院は何だったのだろう。

 その医大でご主人の疾患を一緒に連れ添って来られた奥様に声をかけられ、事の成り行きを話すと、「草加で開業していた院長は、八潮市に家を建て後妻さんとお住まいですよ」。とお教え下さいました。

お近くにお住まいの様で良くご存じでした。先妻さんは亡くなられ看護師さんと再婚した事もお話下さいましたが、私が入院し手術を受けた頃の奥様はその看護師さんでした。八潮市とは皮肉過ぎる。              (2007,1,3追記)  
   



(以下は2009年3月7日に追記したものです。)
 ペニシリン系の抗生剤ユナシン(経口薬)同系ペントシリン(注射薬)に耐性が起き、症状が出た場合現在ではエフェム系のセファメジンを朝、夕点滴して戴いており
ますが、
この抗生剤の発売は1971年だそうです。(定かでは有りません)

私が手術を受けたのは1974年
その時に使用した注射薬はセポラン(それも短期)です。例え昔に製造されたとしても、良いものなら後世に残り現在使われていても何ら不思議ではなく、またとして残されている筈である。医師ですらそのお薬を知る人なしです。

初期にセファメジンを点滴注射してくれていたら、これほど長い間苦しまずに済んだのではなかろうか。元来骨髄は血液を造り血流の多い所と聞き及んでいます。

ところが慢性になると患部に血の流れが悪くなり(腐骨)血流が遮られて薬が届き難く、治癒を送らせてしまうのです。更に
C型肝炎のおまけまで。
肝炎は仕方ないにしても骨髄炎
これは明白なる人災です。返す返すも残念です。

医療訴訟の実例
http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20110617154856738
      
              
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