1ヶ月程のお休みを頂いた理由を公開すると言いつつ退院後、家の片づけをして 程なく骨髄炎の兆候が現れ、翌日大急ぎ掛かり付けの病院へ。 朝、夕1週間程度抗生剤の点滴で幸いにも大事に至らず、遅巻きながら公開させて 頂きます。抗生剤(ペントシリン)による耐性菌の出現によって抗生剤を替えて頂 いて(セファメジン)から肝臓に負担が掛かり、肝数値が3桁になった事から始ま ります。自覚症状は全くありませんでした。 以前採血検査によりC型肝炎と診断され、大腿骨骨折手術時の輸血が一番の原因だ と思われます。今は飲酒の習慣がなくなりましたが、お付き合いで又、寝付きが悪 い為、寝酒にウイスキーボトル(安価で大きな物を購入、換算して)1本近く毎日 呑んでいた時期もありました。 平成16年には胃癌の手術が終わった時点で、主治医ではなく一緒に手術に立ち 会った外科のK先生にプニュプニュの軟らかく良い肝臓だよと言われました。 なんだかんだ30年も肝硬変にならなかったのは不思議としか言いようがなく、 知り合いの男性2名入院歴、手術歴一切なしでも感染が認められたとの事です。 1人は(埼玉県八潮市在住)具合が悪くとても立って居られなかったそうで、直ぐ 病院へ。C型肝炎と診断されたのですが、いつ何処で感染したのか全く判らないと 言ってました。治療を受け今は完治してます。もう一人の方とは最近会う事がなく なりましたので詳細は不明です。 B型、C型を含めると推定300万人の感染者がいると報告されています。また、肝硬 変と進んで肝臓癌に至る確率は高いとも聞き及んでいます。 さて、話は3年程前に遡ります。当時胃癌の手術時の主治医M先生が私のウイルス 排除をお考えになって下さり、採血検査でウイルスの型が特定出来ず、肝臓科のト ップレベルと云われる港区内のT病院に紹介状を書いて下さいました。 家内の死亡により当時95歳になる父親を視なければならないが為、少し間は空け てしまいましたが、受診に行きました。勝手の判らない病院で診察券の入れる場所 さえ判らずでしたが、待合室(診察室の前にソファーがあって色々な科があり、多 くの患者さんがお待ちになっていました)。 いよいよ私の順番が巡って来て診察室に入る。若くてとても感じの良いS先生でし た。終始笑顔を絶やさず、その笑顔は素敵で医師としてだけでなく、女性としてと ても魅力のある方です。 「治療に入るなら2〜3週間くらいの入院が必要です」。とおっしゃいまたので、 「今すぐとはいかない(前述の父親)のです」。と言い終えると紹介状に目を通し ていたS先生は、「骨髄炎があるとフェロンを使う事によって免疫力を無くし、 骨髄炎が再燃する危険性を伴うので治療は難しいです。幸いにも肝数値(GOT,GPT)が 安定しているので月1度の検査で様子を観て行きましょう」。という事になり、 検査結果は治りやすい2aタイプである事が判明致しました。 3年程検査に通院したある日「堀江さん、どうしたのですか」。何の事か判らない 私は「はぁ?」と言うと採血結果表を私の傍に、赤鉛筆で線が引かれた肝数値の3 桁に、驚愕しました。冒頭にも書きましたが、何の症状も有りませんでしたから。 「掛かり付けの病院に強ミノ(強力ネオミノファーゲンC)(肝庇護剤)を40CC 週3回静注して貰って下さい」。然し、相当の日数かけても下がらないので、80CC に増量の指示を頂くも、週3回それでも上がり下がりが激しく、あるサイトのペー ジをプリントアウトしS先生にご覧頂くと、「この治療法は菌が入る恐れがあるの で、お勧め出来ません」。 八方塞がりかと諦め掛けた私に、「リスクは伴いますが、1ヶ月程入院し治療して みますか?」。「治療して頂けますか」。と言った私の頬に、一筋の嬉し涙がこぼ れ落ちる。副作用が多く書かれ、骨髄炎というハンデを背負っての治療。 然しながら、仕事の事が気になり心は複雑でした。 有り難いのは修理後にメール、時には伝言板に体の事をお気遣い下さいます。仕事 も出来ないほどの状況になった場合、その時にはお知らせ致します。現状は車の運 転も出来ます。極々、普通の生活をしておりますので、今後共ご指導ご鞭撻の程、 宜しくお願い申し上げます。 4月5日の午後、決められた入院日は4月7日、ここで予期していないお話が、 S先生の本拠地は川崎市高津区梶ヶ谷分院、入院先はそちらになるとの事。 本院(港区)との先入観がありましたが、S先生がいらっしゃった方が心強いとの 思いで少々離れていても良いと、決心しました。 くしくも7日は亡き妻の5年祭に当たる命日、中1日しかなく6日は最終的に遅 い時間2車両の修理ご依頼を済ませ、HPに1ヶ月程お休み頂く旨の画像を作りト ップページに貼り付け、入院の用意は夜中の2時頃迄に全て済ませたつもりでも、 病院に着いてみて忘れ物が多いのには参りました。 翌日の8日午前10時頃、フェロン投与が開始される。どんな副作用が待ち受けて いるのか、試しに解熱剤を使用せず点滴して頂いたところ9度近くの発熱、頭痛と に解熱剤を挿肛し落ち着きを取り戻す。 2日目からは点滴30分前に坐薬を使用、3日ほど9度近くの熱と頭痛その後殆ど熱 は出ず大した辛さは感じなく、口内炎等が出来た位で快適であったが4人部屋で病 人、騒がしさは仕方ないにしても昼間は寝ていて夕食後、激しく痰を切る、咳は夜 中も続きしかもこの人は看護師さん、果ては先生の指示も断る。何の為に入院して いるのか意味がない様に思う。いろいろな人がいるものだ。 3日ほど寝られなく激しい頭痛に襲われ、早朝から1時間毎に体温を測定し、書き 込まなければならなく横になれない状況から、余病が出て治療が中断されては一大 事と部屋替えを申し出る。 個室しか空きがないとの事でしたが、ここまで来て銭金に代えられるものではな いと、躊躇することなく移動をお願いした。担当のM先生は穏やかなお方で怒った 事などないのではと思わせるお顔立ちです。 毎日朝夕、時には休日にも病室まで来て下さり、聴診器で心音等、内臓の具合を触 診、気になる事を伝えると直ぐにお薬を出して下さいました。 勿論、主治医であるS先生も日曜日などでも様子を診に来て下さり、いつお休みに なっていらっしゃるのですか、との質問にいつもの笑顔です。 そして2階3号棟AチームBチームの看護師さん達にも大変お世話になり、心から 厚く御礼を申し上げます。健康第一ですが、入院する様な事があればお勧めです。 おりしも連休真っ直中、献身的は言うまでもなく可愛い人が多いですよ。 中には笑わさせてくれたジョークの得意な人もいました。退院の日もナースステー ション前で大笑いしてしまいました。 退院後T病院本院にて12日、19日に採血して頂いた結果、血液内のウイルス検出 せずとなりました。夢の様です。嬉しくて言葉になりませんでした。 ただヘモグロビンがとうとう9,7にまで落ち込み貧血状態となってしまい、お薬のレ ベトールが朝1錠夕方2錠から夕方も1錠に減量されました。ふらつき等、症状無 く食欲旺盛、至って健康そうに見える様です。 但し油断は禁物。臓器内に潜伏しているかも知れない残党どもを根こそぎ退治する には服薬、点滴は必須で中断される事なく無事終了を願うばかりです。 退院後、週3回の点滴は掛かり付けの病院です。思うに最初に行く病院が人生の明 暗を定めてしまう。 肝炎の感染力は非常に弱く、亡き妻にも感染はみられませんでした。それでも偏見 の目で見られがちです。HIVに薬害感染し、自らが名乗り出て国と製薬会社を相 手取り訴訟を起こした、川田龍平さんの勇気と行動力に頭が下がります。 追記2011,04,25 午後3時診察予約 主治医のS先生より完治のお墨付きを頂く。 帰り道、嬉し涙がこぼれる。
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