重要なお知らせをしなければならなくなりました。2003年8月12日にUPした本ページ内容は、和歌山県のK様より頂いた貴重な情報と今でも疑
って止みませんが、相当数に上る方がダイレクトにお電話で、或いはメールでのお問い合せを頂戴しました。
病院名、手術名、執刀医等をお知らせして参りましたが、どなた様も必ず結果を報告しますとおっしゃって下さいました。
然し、残念ながらお知らせして下さった方は未だもって只の一人もいらっしゃいません。このまま胸張って掲載して行って良いものかどうか、複雑
な気持ちになっておりました。
情報を寄せて下さったK様には大変に申し訳ない気持ちで断ちきり難いのですが、09,3,31日をもちまして全文を削除しました。勿論の事、中には手術をお受けにならなかった方もいらっしゃいましょう。
最近になって思い出した事があります。若い頃、(25〜26歳)同世代の
若い命を救った事を。あと5分発見が遅かったら絶命していたそうです。
荒川沿いにある道は上下に分かれる場所があり、上は道路とはなっておら
ず、通行止めのチェーンがあります。下片側は坂になる為ヘッドライトの灯りは届きません。
偶然そこを通った私は薄明かりの中、(坂を下る途中)左側に何かが横たわっているのを感じ取り車をバックさせ近くに寄ると、2輪車を運転中そ
のチェーンに引っ掛かり転倒、頭部を強打した様子、救急車を要請する事を伝えたところ、「大げさになるから嫌です」。と言う彼は身動きもせず「大丈夫です、もう少し休んだら帰ります」。
ヘッドライトの灯りで吐瀉物を確認、脳内出血の疑いが濃いと判断、汚いだとか何だとか考える余裕はなく、当時マツダファミリア、プレストロータリークーペは、車幅は狭く後部座席に大人3人乗れば窮屈という車で
した。
手遅れにならぬ内と思いつつも素人が動かして大丈夫なのか、返って悪くならないだろうかと緊張、不安もありました。(当然事故の瞬間を目撃し
てないので、どの位の時間が経過したのかは判らない)。
無理矢理後部座席に押し込め近くのK外科病院に搬送、多分院長が応対してくれたものと思いますが、先生に彼を託した私は仕事の外に空手道の
自らの稽古や師範代などを努め指導やら入会手続き、会計等と忙しい日々を送っていた為にすっかり忘れていました。
ふ、と思い出したある日病院を訪ねるとまだ入院中で、すっかりと元気を取り戻し「『命の恩人に感謝する様に』。と主治医に言われましたよ」。と嬉しそうでした。良かった一命を取り留めて、私自身も嬉しくその後、
退院となった彼はお父様と一緒に拙宅にやって参りまして、「事故証明を書いてほしい。保険がおりたら改めてお礼にお伺いします」。と言ったきり2度と顔を見せる事は有りませんでした。お礼が欲しくて救助などしません、そんな気持ちは微塵も頭に浮かびませんでした。
年齢も近かったのでお友達になれれば良いかな、そんな程度のものです。
正直言えばそんな余計な事を考えている状況ではなかったのです。
必死の思いでした。その約2年後に自らが怪我をし、大腿骨骨折手術後骨髄炎に悩まされる事となる訳です。同じ骨髄炎に苦しむ方に少しでもお
役に立てればと思い書きましたが、正直心は残ります。
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また何時の日か再UP出来る日が来る事を願いつつ、長い間お読み頂いた皆様には心より厚く御礼を申し上げます。
09,03,26記
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