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「ワールドマスター」の世界を少しでも分かっていただけたらと思って、小説にしてみました。


「ワールド マスター 1  〜 マルカム王国編 〜」

ダウンロードできます。(ただし、一太郎Ver.6形式です。すみません)


 第四章 「海鳥亭にて」

 

         ○

 

 ロウソク1本の明かりしかない部屋に、二人の男が密談をしていた。

「ほんとうか」

「ええ、北門の手のものが確認しました」

「あの砂漠から、生きて帰ってきたのか。フィビー姫が」

「しかも、リアニの実を持っています」

「確かか、それは」

「残念ながら」

「それでは、猿人の森も無事抜けてきたのか」

 男はイスを蹴って立ち上がった。

「なぜだ。サンドボーラー、猿人、二重、三重の罠だったはずだ」

「異国の者が手を貸した、ということです」

「異国だと? まさか、セロイスのものか」

「いいえ、私の知る限り、セロイス王国が動くことはあり得ません。その男の服装は、私の全く知らないものです」

「なんということだ」

 立ち上がった男は部屋の中をうろうろと動き始めた。

「それから、さらに悪い知らせが」

「なんだと」

「リーアン王子が帰ってきます」

「馬鹿な。海賊どもの鎮圧にはまだまだ時間がかかるはずだぞ」

「だれかが王妃の病気と姫の遠征を耳に入れたようです」

「むう」

「計画の修正が必要かと思われます」

「わかった。だが、フィビーを城に入れるわけにはいかん」

「はい、そのようにいたします」

「異国の男も、何か知っていてフィビーを助けているかもしれん。邪魔にならぬように、殺せ」

「はい、かしこまりました」

 ロウソクの明かりが吹き消され、部屋の中は真っ暗になった。

 

         1,

 

 暖かい空気に満たされた部屋。一郎は体が柔らかな真綿にくるまれているような気がした。

 野菜の千切りをするような音が聞こえてきた。ぐつぐつと煮える鍋の音も。

〔ああ、また夢か〕

 そして、味噌汁のにおいが一郎の鼻をくすぐった。

〔そう言えば、味噌汁、飲みたいなあ〕

 ぱたぱたと人の歩き回る音が聞こえた。

「お父さん、新しいコショウ、どこ」

 少女の声が聞こえて、一郎は跳ね起きた。

 一郎は声のした方に顔を向けた。一瞬めまいがしたが、それはすぐに収まった。

 古びた木造の部屋にいるのが分かった。そして、木製のベッドの上にいることも。

 ずっと固い地面の上に寝ていたから、久しぶりにベッドに寝ると、体が軽くなっていた。

 ベッドの側に窓があって、日が射し込んでいた。

 窓の反対側に開けっ放しのドアがあった。

 外に厨房が見えて、声の持ち主らしいショートカットの少女が動き回っていた。

 一郎はベッドから下りようとして、ベッドの脇に置いてあるサンダルを履いた。ベッドは思ったより低く、床から二十センチぐらいしか浮いていなかった。

 立ち上がったときにまた目眩がした。

 一郎は体を支えようとドアに手を突いた。

 その音に少女が気づいた。

「あら、お客さん。おはようございます」

 少女は一郎に向かってぺこりと頭を下げた。すると、薄茶色の髪がさらりと揺れた。

 そして、少女の顔が持ち上がった。一郎よりも幼く中学生のように見えた。十二、三歳と言ったところか。

〔少し日に焼けたところが、体育系のクラブに所属しているみたいだな〕

と考えたが、一郎は、ここは自分の住んでいた世界とは違うことを思い出して、自分の考えを振り払った。

 緑色の瞳が優しく一郎に微笑みかけた。

「あ、あの」

 一郎はなにを聞くべきか、頭の中を整理しようとした。しかし、締め付けるような頭痛が、それを妨げた。

 少女は明るい表情で、一郎の体をベッドに促した。

「もう少し、横になっていてください」

 一郎はぼやけた頭の中から何とか一つだけ、言葉を取り出せた。

〔そうだ。フィビー姫は〕

 一郎が口に出すより先に、少女がささやいた。

「お連れの方なら、隣の部屋でお休みになってます。大丈夫ですよ」

 少女は、にっこりと微笑んで、一郎の額に自分の額をくっつけた。

「もう、熱はないみたいですね。すぐ食事にしますから、もうちょっと待っててください」

 小鳥がさえずるような、元気のいい声が、一郎の耳に心地よかった。

「ヴィジー、コショウ、ここに置くぞ」

 野太い声が、一郎のいる部屋を満たした。

 声のする方には、筋肉の付いた、坊主頭の、いかにも少女の父親らしい男が立っていた。男は厨房に少女がいないので振り返った。

 一郎と男の視線が一致した。

 一瞬厳しい視線に見えたが、すぐに男の視線は穏やかなものに切り替わった。

「おお、お客人、気が付いたかね」

 男が愛想良く振る舞うのを見て、一郎は男が客商売をしているのではないかと思った。

 男の言葉は一郎の推理を裏付けた。

「ようこそ、北の城門街一のわが旅館、魚料理ならマルカム王国一の『海鳥亭』へ」

 言い終えると男は豪快に「がはは」と笑った。

 一郎が釣られて笑うのを期待していたらしいが、男は一郎が戸惑っているのを見て、自己紹介を始めた。

「ワシは、この店の主人、パンコム。こっちは」

 男が手で指し示した件の少女は、もう一度

お辞儀をした。

「この店の看板娘で、一人娘のヴィジー」

「よろしくね、異国のおにいさん」

「はあ、よろしくお願いします」

 一郎もやっと何とか愛想笑いができた。

「食事の準備ができるまで、お連れのお嬢さんに顔を見せてやるといい。安心するぜ」

 パンコムはそう言うと一郎から見て左隣の部屋を指さした。

「は、はい」

 一郎は、立ち上がると、ゆっくりとした足取りで、部屋を出た。

 ドアのところで、一郎はパンコムに振り返って言った。

「僕たちはどうしてここに」

「昨日の夜、ワシが砂漠で拾ったのさ。クルウアの港町で魚を仕入れた帰りにね」

 一郎はパンコムによって助けられたということを理解した。

「あ、ありがとうございます」

 一郎はヴィジーに負けないように頭を深々と下げた。

「なに、困っているときはお互い様さ」

 パンコムの笑顔は何かを含んでいるようだったが、一郎はまだそこまで頭が働かなかった。

「おにいさん、料理ができたらお呼びしますね」

「あの、僕、一郎と言います」

「おにいさん、『イチ・ロー』って言うの」

 ヴィジーが不思議そうな顔で一郎を見つめた。

「はい」

 一郎はヴィジーの表情の意味がつかめなかった。

 ヴィジーはくすっと笑った。

「ごめんなさい。朝食の用意ができたら、お呼びしますね」

 ヴィジーは再び厨房の中に入った。

「じゃ、ワシはもう少し仕入れたものの整理をしてくるか」

 パンコムは一郎の脇を通り抜け、廊下の奥に消えていった。

 

         2,

 

 一郎は、フィビーがいる部屋のドアの前に立った。

 ドアをノックしてみたが、中から返事はなかった。

 一郎はドアの取っ手を掴んでひねろうとした。しかし、取っ手はびくともしなかった。

 少し力を入れるとドアは内側に向かって開いた。一郎は静かに中に入った。

 部屋の中は一郎の部屋と同じような作りになっていた。

 ベッドの上に、白いシーツにくるまれたフィビーが静かに横たわっていた。

 ベッド以外はなにもない部屋で、一郎は床に両膝を突いて、フィビーの顔をのぞき込んだ。

 静かな安定した呼吸と血色の良くなった顔に、一郎はひとまず安堵のため息を吐くことができた。

〔よかった〕

 一郎は床の上に腰を下ろした。

 一郎は改めて、フィビーの顔を見つめた。目を閉じていても、バランスのとれた顔立ちが気品を感じさせた。初めて会ったときは白かった顔が、日に焼けたのか、ほんのり赤く染まっていた。

 陽の光がフィビーの顔に掛かりそうになっているのを見て、一郎はカーテンを引こうと立ち上がって窓に手を伸ばした。

 カーテンを引く乾いた音が部屋を走った。

 その音に気づいたのか、フィビーが静かにゆっくりと目を開けた。

「あ、ごめんなさい」

 一郎は、思わず謝った。

「起こすつもりはなかったんです」

 フィビーは起きあがる気配を見せた。

「待って」

 一郎はそれを手で制した。

「急に起きあがると、頭が痛くなりますよ」

 フィビーは、ベッドの中でうなずくと、笑顔を見せた。

「イチ・ロー様、ここは?」

 フィビーは一度周りを見渡した。

「北の城門にある旅館ですよ」

 ぱっとフィビーの顔が明るくなった。

「北の城門に、着いたのですか」

「ええ」

 フィビーのうれしそうな顔に、一郎もうれしくなった。

「帰ってきたのですね、やっと」

「ええ」

「わたし、何日寝ていたのかしら」

「まだ、一晩しか経ってませんよ」

「じゃ、間に合ったのだわ」

「そういうことです」

 もう寝てなどいられない、じっとしていられない、と言わんばかりに勢いよくフィビーが上半身を起こした。

 一郎は素早く腰を浮かせ、手をフィビーの背後に差し入れた。

「もう、大丈夫ですわ」

 シーツをはねのけて現れたフィビーの服装は砂漠を渡ったときのままだったが、右足首に分厚く巻かれた白い包帯が加わっていた。

「これ、イチ・ロー様が」

 フィビーは包帯をさすりながら言った。

「僕じゃありません。ここの宿屋の人だと思います」

 フィビーは体の向きを変え、ベッドから下りようとした。足が思ったより早く床に着いたのに、フィビーは一瞬戸惑ったようだった。

〔フィビー姫のベッドは、もっと高いのかな〕

 妙な疑問が一郎の頭の中をよぎった。

 その時、部屋のドアがノックされると同時に、ヴィジーの声がした。

「イチ・ローさん、お嬢さん、朝食ができましたよ。食堂へどうぞ」

 フィビーは、慎重に腰を上げた。

 一郎はすかさず立ち上がってフォローに回った。

「いえ、イチ・ロー様、大丈夫ですから」

「ちゃんと歩けたら、その言葉、信用しますよ」

 フィビーは一郎の腕にすがりつくようにして立ち上がった。

 一歩踏み出したフィビーは納得したようにうなずいた。

「大丈夫です。歩けます」

 フィビーは次の一歩を右足で踏み出した。

 そして、また一歩、また一歩と、多少ぎくしゃくはするが、フィビーの歩みは確実になった。

 フィビーは、一歩歩くたびにうなずく一郎を見て、くすりと笑った。

 

         3,

 

 食堂は、フィビーの部屋の隣の隣にあった。

 寝泊まりする部屋の三倍ぐらいの広さに、四人掛けのテーブルが五つ置かれていた。

 その一つには、旅館としては多くの皿が載っていた。そこに盛りつけられた料理は、やはり海のものが目立った。

 焼き魚の香ばしいにおいが、一郎にはサンマに思えた。

〔やっとまともな食事にありつける〕

 一郎ははやる心を抑えて、フィビーのイスを引いた。

 それを見て一瞬、盛りつけをしていたヴィジーの手が一瞬止まった。フィビーも一瞬動きを止めたが、少し気恥ずかしそうにイスに腰を下ろした。

 一郎はその場の妙な空気を察した。

「え、この国じゃ、男性が女性のイスを引くという風習はないんですか」

「イチ・ローさん、変わった着物着てると思ったら、よその国の人だったんだ」

 フィビーは一郎のトレーナーの裾を引っ張った。

「イチ・ロー様」

 一郎は耳をフィビーに近づけた。

「女性のイスを引くのは、自分の母親か、それ以上年上の人にすることなのですよ」

 そうフィビーから聞かされて、一郎は自分の無知を大いに恥じた。

〔うかつなことはできないな〕

 一郎は照れた笑いを浮かべながら、「失礼しました」と短く言い席に着いた。

 席に着いた一郎は、手前に置かれた食器に違和感を覚えた。

 Yの字の形をした金属に木の柄がつけられていた。おそらくフォークの一種なのだろう。スプーンの形はどこでも共通らしかった。ナイフは、食器と言うよりペーパーナイフを思わせる形だった。

 一郎はフィビーの方を見た。

 フィビーは右手を胸に当て、目を閉じ、静かに何かを祈っているようだった。

〔郷に入っては郷に従え、ともいうが〕

 一郎はフィビーのまねをして、食事前の祈りを捧げた。

〔今度は間違っていませんように〕

 祈りの内容が、若干ズレているような気がした。

 フィビーは、お姫様らしく上品に食べ始めた。

 一郎はそこまで真似ができなかった。

〔このフォークの使い方が難しいんだよね〕

 それでも自分なりの使い方になれて来た頃、一郎たちの前に、パンコムが入ってきた。

「お客人、ヴィジーの料理はどうだい」

 パンコムは普通に喋っているようだったが、その声は食堂に響きわたるようだった。

「いやー、久しぶりにおいしいものを食べさせていただきました。満足です」

「砂漠で助けていただいただけでなく、こんな結構な料理まで、感謝いたします」

 パンコムは手近にあったイスをつかんで引き寄せると、どかっと腰を下ろした。

「さて、お客人、料理を堪能してもらったところで、重要なお話があるんだが」

 一郎は、図体に似合わず照れ笑いを浮かべるパンコムを見て、何かを忘れているような気がしてきた。

「うちはまだ店を開いて三日しか経ってない。とはいえ、客商売には違いない」

〔あ、そうだ〕

 パンコムの言おうとしたことに気づいた一郎はフィビーの方を見た。フィビーはパンコムの話を少し不思議そうに聞いていた。

「で、宿代の方なんだが」

「やどだい?」

 フィビーは初めて聞く言葉のように繰り返した。

「つまり、お勘定のことですね」

 一郎は笑顔を作って言った。

「お兄さん、その通りなんだがね」

 パンコムは、咳払いで少し言葉を切った。

「じつは、砂漠であんたらを拾ったとき、あんたらの荷物を調べさせてもらった」

 一瞬、一郎はフィビーの鞄の中身を思い浮かべてぎくっとした。

〔そういえば、現金みたいなものは入ってなかったな〕

「あんたら、1ガルズどころか、1ターノも金を持ってないようだね」

〔やっぱり〕

 一郎はこのあとでフィビーに聞いたが、1ターノは1ガルズの一万分の一のことである。

「で、おいくらになりますの」

「二ガルズ、と言いたいところだが、一ガルズ半にまけとくよ」

〔四分の三になるとは、ずいぶんいい加減だな〕

「分かりました」

 フィビーは落ち着いた口調で対応した。

「城のものにあとで届けさせますわ」

「ふふ、お嬢さん」

 意味深な笑いを浮かべ、パンコムはフィビーをにらみ返した。

「その言葉を信用するには何かが必要だとは思わないかね」

 パンコムの視線に動じることなく毅然とした態度がとれるところが、フィビーの王女たる所以だろう。

「わたしは、マルカム王国の第一王女、フィビーです。これ以上信頼できる保証が他にありますか」

「へえ、あんた、この国の王女様だったのかい」

 一郎は不思議に思った。

〔なぜ、このパンコムという男、フィビー姫の言うことを、頭から疑ってかかるのだろう〕

 フィビーの語調が強くなった。

「このようなこと、冗談では、申せませんわ」

 フィビーの怒りの要素が言葉の端に見え隠れしていた。

「ふーん」

 パンコムはフィビーの怒りの矛先を変えるように、ヴィジーに顔を向けた。

「ヴィジー、おまえさんが昨日見たものを、お嬢さんに説明してやりな」

 自分に水を向けられて、側に立っていたヴィジーはあわてた。

「は、はい」

 一呼吸おいてヴィジーは驚くべきことを話した。

「昨日、お客様たちがここに来た日なんですが、フィビー姫はお供の方を引き連れ、城門の中に入られ、城に戻られたそうです」

 フィビーはテーブルを叩いて勢いよく立ち上がった。

「それは、嘘です」

 フィビーの勢いに思わず、ヴィジーは後ずさりした。

「そういわれても、立派な行列が、城門の番兵に出迎えられて、城門の中に入っていったのは確かに見たんです。番兵さんに聞いたら、フィビー姫が砂漠から戻られた、と」

 フィビーは肩を震わせていたが、ヴィジーが言い終えると歩き出した。

「お嬢さん、どちらへ」

 パンコムはフィビーの背中に声をかけた。

「番兵を問い質します。そして、ここの代金を支払わせます」

「お嬢さん、俺が言ってほしかったのはそんなことじゃないんだ。ここを出るなら、勘定を済ませてからにしてほしいんだ」

 パンコムは、一郎とフィビーが現金を持ち合わせていないのを承知で言っていた。

 それが分かった一郎は、おもむろに口を開いた。

「何が欲しいんですか」

 一郎の言葉にフィビーは足を止めて振り向いた。

「お兄さん、話が分かるね」

 パンコムはにやりと笑った。

「俺が欲しいのは、そこのお嬢さんが首からぶら下げているものさ」

 フィビーが首からぶら下げているものというのは、あの「リアニの実」だった。普段は袋の中に入れ、服の中にしまってあるので分からないようになっていた。

「だめです」

 フィビーが強く拒絶した。

「これは、母を助ける最後の頼みの綱なのです。絶対に渡せません」

 パンコムは予想していたように頷いた。

「だろうね」

 パンコムはちらっと視線を一郎に送って、テーブルに戻した。

 その意味が一郎には何となく分かった。

「分かりました。僕の持っているもので良ければ、何でも持っていってください」

「イチ・ロー様、そんな‥‥」

と言ったフィビーの科白を、パンコムは立ち上がってその巨体で遮った。

「そうか。さすが異国から来ただけのことはある。話の分かるいい兄さんだねえ」

 思い通りに事が運んで、パンコムの顔がぱっと明るくなった。

「兄さんの、その異国の上着が欲しいんだが、いいかね」

〔上着って、このトレーナーのことか〕

 一着四千円のトレーナーと、二人分一泊の宿代と引き替えなら、それほど悪くはない。

 一郎は立ち上がって、トレーナーを脱いだ。トレーナーの下はTシャツだったので、脱いで寒いというわけではなかった。

 一郎はトレーナーをパンコムに手渡した。

「イチ・ロー様、いけません」

 それはたしなめるような口調だった。

「いいんですよ。パンコムさんは優しいから、お金を持ってきたら返してくださるんですよね」

 一郎の言葉が意外だったのか、パンコムは返答に詰まった。

「う‥‥」

 ヴィジーがプッと吹きだした。

「こらっ、ヴィジー、笑うな」

 すっかり調子を狂わされて、パンコムは渋々という感じでイチ・ローの提案をのんだ。

「ま、『優しい』なんて言われたのは初めてだ。それに免じて、金を持ってきてくれたら、この服は返してやるよ」

「でも、実際、優しいんでしょう。でなければ、砂漠で倒れている僕たちを助けて、その上、手当までしてくださったんですから」

 フィビーが驚きの表情で口に手を当てた。

「じゃ、この足の包帯は、‥‥」

「僕じゃありませんよ」

 ヴィジーが恥ずかしそうに手を挙げた。

「わたしがやりました」

 フィビーのパンコムとヴィジーを見つめる瞳の色が変わった。

「そうだったのですか」

 フィビーの表情はすっかり落ち着いたものになっていた。

「申し訳ありません。知らぬ事とはいえ、失礼なことを申しました」

 そして、フィビーは深々と頭を下げた。

「お助けいただいてありがとうございました。このご恩は一生忘れません」

「おいおい、もう、勘弁してくれよ」

「お父さん、照れ屋だから」

 その場の空気は、一転して和やかなものになった。

 

         5,

 

 一郎とフィビーは朝食を終えると、『海鳥亭』を後にした。

「お兄さん、あんた、彼女のこと信じてるのかい」

 パンコムは別れ際に一郎にそう言った。

 一郎は笑って答えた。

「信じるしかないでしょう。彼女に従ってここまで来たんですから」

「ふむ、いい度胸だ。また、困ったことがあったら、いつでも来な。今度はただで泊めてやるよ」

 言い終えると、パンコムは豪快に笑った。

〔ほんとにいいひとだな〕

 『海鳥亭』を出て、フィビーはまっすぐに城門を目指した。

 城門はマルカム王国への入り口であると同時に、他国の侵略を防ぐ防壁の意味があった。

 フィビーの話によれば、マルカム王国はその中心部を五十キロ四方の城壁で囲んでいるという。

〔昔の中国も、そんな感じだったよな〕

 城壁の囲まれた中心にフィビーの住む城があり、城を中心に城下町が栄えているという、話だった。

 城門の通過に許可証のたぐいはいらないという話だが、それはマルカム王国の住人だけの話であって、一郎のような他国から着いたものには厳しいチェックがあるらしかった。

 城門まで百メートルぐらいの距離に近づいたとき、それがはっきりと分かった。

 幅高さともに十メートルぐらいの広い門なのに、自由に通過できる人がいる一方で、長い行列ができているところがあった。

「あれが、外国人専用の出入り口というわけですか」

「ええ。でも、イチ・ロー様は大丈夫ですわ。なんといってもこのわたしと一緒なんですから」

 ヴィジーの手当が良かったのだろう。フィビーは足を引きずるようなこともなく普通に歩いていた。

 足取りが軽快になるに連れて、フィビーの顔にも自信が戻ってきた。

 一郎には、フィビーに付いていくことが元の世界へと近づいていることになるかは、まだ分からなかった。

 ただ、母親を救いたいという女の子を手伝っているという自覚だけはあった。あとは、フィビーが美人だからと言う単純な理由で動かされているような気がしていた。

〔それにしても、フィビー姫の偽物が出たというのはどういうことだ〕

 パンコムに言ったように、目の前にいる女の子こそが「フィビー姫」だと信じる以外に一郎にはすべがなかった。

〔偽物がいるなら、本物の方は偽物にとって邪魔な存在だよな〕

「フィビー姫、一つ、聞いていいですか」

「はい?」

 フィビーは足を止めた。

「その、失礼なことを聞くようですが、どうやってフィビー姫はご自分の証明をされるんですか」

「ご心配なく。番兵がわたしの顔を知らぬはずがありません」

 フィビーはきっと一郎をにらみ返した。

「イチ・ロー様、まさか」

「いえ、命にかけて、姫を信用していますが」

「『が』とは、何です」

 一郎はフィビーの迫力に圧倒された。

 返事に窮した一郎は、視線を門の方に送った。

 番兵が一郎を見つけて指さしていた。次に番兵は仲間を呼び集めた。呼び集められた番兵たちは、武器を構えて、一郎たちに向かってきた。

 雲行きの怪しさは疑いようがない。

 一郎はためらうことなく逃げることに決めた。

「フィビー姫、すみません」

 一郎は素早くフィビーの体を抱き上げると、脇道へ走り出した。

「きゃあ」

 フィビーが悲鳴を上げた。

「追えっ」

 男の声が一郎の背中に叩きつけられた。

 一郎は建物の隙間でできた小道を右へ左へ縫うように走り抜けた。

 しかし、息が続いたのはほんの三十メートルまでだった。

 一郎は、建物の角を曲がったところで、滑り込むように置いてあった樽の陰に隠れた。

「イチ・ロー様、一体」

 抗議の声を上げようとしたフィビーの口を一郎はためらわず右手で塞いだ。

「ぐ‥‥」

「お願いです。静かにして」

 一郎の真剣な瞳が刺すようにフィビーを見つめた。

「僕が間違っていたら、どんな償いでもしますから」

 一郎の視線に、フィビーの体は凍りついた。

 駆け足の音が二つか三つ、一郎の方へ近づいてきた。

 一郎は脇に立てかけてあった板をつかむとそれで体を隠した。二人分の体を隠すにはぎりぎりの大きさだった。

 一郎は板の端から外の様子をうかがった。

 兵士らしい男が背中を向けて一郎の目の前を通り過ぎていった。

 その兵士らしい男が、一郎の視界から消えたとき別の男の声が聞こえた。

「おい、いたか」

「いえ、見つかりません」

 一瞬の間があった。

「おい、そこの」

 一郎は背筋に冷たい汗が伝わるのを感じた。

「はい、わたくしですか」

 聞き覚えのある太い声が答えた。

「男と女の二人組を見なかったか」

「どのような」

「男は異国の服を着て、女は、畏れ多いことに、フィビー姫そっくりに化けておる」

〔どうやら、しっかりと手配されているようだな〕

「何をやらかしたんですか」

「フィビー姫がはるばる砂漠を越えて手に入れたリアニの実を、奪い取ったのだ」

〔おいおい、それじゃ、‥‥〕

「泥棒ですか」

 フィビーの体がぴくりと震えた。

「そうだ」

「じゃ、さっきすれ違った、二人組が‥‥」

「なに?」

「そこの角を曲がっていくのを見ましたよ」

「よし、行くぞ。見つけたら、問答無用で斬り捨てろ。王国犯だからな」

 男二人の足音がばたばたと遠ざかっていった。

 しかし、一人分の足音が一郎の方に向かってきた。

 足音は一郎が支える板の直前で止まった。男が板をノックして言った。

「異国のお兄さん、もう出てきてもいいぜ」

 板をずらして見た一郎の前にパンコムが立っていた。

「パンコムさん」

 一郎はほっと息を吐くと、すっと立ち上がった。

「そっちのお姫様も大丈夫かい」

 一郎はフィビー姫の方を見た。

 フィビーは曇った表情でうつむいてうずくまっていた。

「フィビー姫、失礼はお詫びします。でも、追っ手が戻る前に、ここを離れましょう」

 一郎が差し出した手に目もくれず、フィビーはすっと立ち上がった。

「わたしは王国犯でも、ましてや泥棒なんかじゃ、ありません」

 一介の兵士に泥棒呼ばわりされたのが、フィビーのプライドを傷つけたらしい。

「そんなこと、わかってますよ」

 一郎は笑顔でフィビーの顔をのぞき込んだ。

「初めて会ったときから、お姫様のことは、信じてますよ」

 一郎の優しい視線にフィビーは一瞬どきりとした。先ほど口を塞いだときとは正反対に暖かいものだったからだ。凍りついた体を解かすような。

「行きましょう」

 一郎に促されて、フィビーはこくりと首を縦に振った。

「お兄さん、行くって、どこへ行くんだね」

 パンコムが立ち去ろうとする一郎に声をかけた。

「どこか、隠れる場所を探します」

「そういうセリフをサラッと言うんじゃないよ、お兄さん」

 パンコムは頭をぽりぽりとかきながら言った。

「だいたい、あんたらを探して番兵たちがうろうろしてるというのに、この町から無事に出られると思ってるのかい」

「なんとかなります」

「なるわけないだろ」

 パンコムに断言されて、一郎の顔も少し曇った。

「あー、もう、まどろっこしい。要するに、うちの宿に来ればいいじゃねえか」

「ご迷惑、じゃ、ないんですか」

 一郎は遠慮がちに言った。

「まあ、賭事なんて、穴目をねらうのが楽しいじゃねえか」

「つまり、あまり信用できない、と」

「そうだな。胴元が出す賭率だと十対一ぐらいか。だが、俺の胸の中じゃ、一対一でもおかしくはないぜ」

 パンコムは賭事には慣れたような口振りだった。

 一郎は、ふと、パンコム親子がこの町に流れ着いたのはそのあたりに原因があるような気がしてきた。

「わかりました。では、もう一度だけ、ご厄介になります」

「ようし、まかせとけ」

「でも、僕は胴元じゃないから、払い戻しはできませんよ」

「そんなのは、出世払いにすればいいことだ」

 パンコムは豪快に笑い声をあげた。

 一郎もつられて笑った。

 一郎がパンコムと話しあっている間、フィビーはぼんやりと一郎を見つめていた。

〔ほんとに、不思議な人。異国の男ってみんなこうなのかしら〕

 フィビーは二の腕にさっきの一郎に掴まれた感触が残っているような気がして、触ってみた。

「フィビー姫、行きますよ」

 一郎が促した。

「はい」

 フィビーにとっても一郎は必要な存在だった。一郎の判断で、猿人の森、サンドボーラー、今の番兵たちと、危機を回避して来たのだから。

 一郎とフィビーは再び、『海鳥亭』に戻った。

 

         6,

 

 一郎たちは、『海鳥亭』で一息ついた。

 食堂で昼食を食べたあと、一郎とフィビーはこれからどうするか、パンコムと話し合った。

 しかし、のんびりしてもいられない。フィビーの話では、残り時間が少ないのも確かだった。

「今日で、わたしが国を出てから十四日が経ちました」

〔ちなみに、僕はこの世界に来て、一週間〕

 一郎は心の中でそう付け加えた。

「母の体は、あと五日、保つかどうか。遅くても、明日の日のあるうちには、城門の内側に入らなければ」

「ふーむ」とパンコムは自分の顎をさすりながら考え込んだ。

 買い物を兼ねて情報収集から、ヴィジーが戻ってきた。

「ヴィジー、どうだった」

「お父さん、だめだめ。番兵が町中を聞き回ってる。もうじきここにも来るわ」

 ヴィジーは買い足してきた香辛料の瓶を足下に置こうと屈んだ。ヴィジーの視界の中で窓の外の人影がちらりと映った。

「お父さん、外に人が」

 ヴィジーが窓を指さして、三人は一斉に窓の外を見た。

 三人と視線を合わせるより先に、人影が窓の外で動いた。

 一郎が素早く窓に駆け寄った。窓を開け外に目をやったとき、男の背中が建物の角を曲がって消えていった。

「男のようでしたが、兵士じゃなかったようです」

「お父さん、もし密告されたら」

 ヴィジーが不安そうな目でパンコムを見た。

「場所を変えよう」

 パンコムは席を立って一郎を促した。

 パンコムに案内されたのは、厨房の下にある食料貯蔵庫だった。

 パンコムの蝋燭の光に先導され、一郎とフィビーが入ったところは、立っては歩けない天井の低い地下室だった。床にはジャガイモと思われるものが入った木箱や、穀物が入っている麻の袋がきちんと置かれていた。

 周囲の壁はすべて板で打ち付けられていた。

 パンコムが壁の一枚の板をぽんと叩いた。

 すると、一枚の板が左右に回って手を差し込む余裕ができた。そこに手をかけ、手前へ引くと、数枚の板がつながって開いた。

「凝った仕掛けですね」

 一郎は思ったままを口にした。

「まあ、訳ありでね」

 パンコムはあまり詳しいことを言いたくないらしい。

 開いた壁板の中には、四畳半ぐらいの部屋があり小さいテーブルとイスも四脚置いてあった。

「座ってくれ」

 部屋にはいると天井が一郎の身長よりやや高くなった。

 一郎とフィビーはパンコムに進められるまま、イスに腰を下ろした。

 ヴィジーは入ってすぐの壁際にあるランプに火をつけた。

 部屋の中が、ぼんやりとだが、明るくなった。

「ヴィジー、上へ行って様子を見てこい」

「はい、お父さん」

 ヴィジーは、素早く外に出た。

「信じられませんわ」

 腰を下ろすなり、フィビーはうなだれるように、つぶやいた。

「王女たるこのわたしに、剣を向けるなんて。王国犯呼ばわりされるなんて」

〔あ、泣き出すかな〕

 フィビーの言葉の端が微妙に揺れだしたのに気づいて、一郎はポケットからハンカチを出そうとした。

 しかし、フィビーが顔を上げたときは、毅然とした表情に戻っていた。

「時間がありません。なんとしても、城門を突破して、リアニの実を母に届けなければ」

「さて、どうしたもんかな」

 パンコムは天井を見上げながら、言った。

「お兄さんは、何か考えがあるかね」

 フィビーの期待に満ちた視線が一郎の視線と合った。

「具体的なことは何も」

 一郎は視線をそらせるように、パンコムの方を見た。

 フィビーが少しがっかりとした表情を見せた。

「ただ」と一郎が言葉をつないだとき、パンコムとフィビーの視線がすっと一郎に集中した。

「城門の中に入るための方針というか、目標みたいなものは分かります」

「ほう、聞かせてもらおうか」

「一つは、番兵を説得してこちらが本物であることを知らせること。二つには、番兵を欺いて中にはいること。三つ目は、番兵を何らかの方法で取り除くこと。最後に番兵に知られずに壁を乗り越えること」

「いいことだ。物事の始まりが何なのか、考えるクセはつけておいた方がいい。次を考えることができるからな」

 パンコムは一郎を見てにやりと笑った。

「後は、一つ一つ考えていけばいいか。お兄さん、なかなか落ち着いてるな」

 一郎は少し照れ笑いを浮かべて、口元を引き締めた。

 一郎とパンコムは一郎が言ったとおりに一つ一つ検討していった。

 安易に結論は出せなかった。しかし、ある程度の方向性は決めることができた。

「可能性がもっとも高いのは、やはり、番兵をごまかして中へ入り込む、という手か」

 そう言い終えたところで、パンコムは押し黙った。

 しばらく沈黙が流れた。

 一郎は耳を澄ませた。かすかに聞こえたのは、ヴィジーが誰かに「こんにちは」と挨拶している声だった。

「ちょっと上の様子を見てくる」

 パンコムは席を立った。

「あの、イチ・ロー様」

 一郎とパンコムが話し合っている間、ずっと黙っていたフィビーがやっと口を開いた。

「別に策を立てなくとも、わたし一人なら、番兵も通してくれるのではないでしょうか」

「それも考えられるんですが、もし、問答無用で斬りつけられたら、どうします?」

 一郎の言うことに反論できなかったフィビーは、少し下唇をかんだ。

「でも、フィビー姫の考えはいいと思います」

 一郎は言葉を選ぼうとして、フィビーのアイデアにヒントを掴んだような気がした。

「もしものときは、フィビー姫だけでもお城に返すとか、リアニの実だけでも届けるとか」

 一郎は、視線を宙に走らせながら思いつくアイデアを口に出した

「二人一緒ではなく別々に城門の中にはいるとか、‥‥」

 ふいにフィビーが一郎のTシャツの裾を引っ張った。

「いやです」

「え」

 一郎が視線をフィビーに戻すと、フィビーは切なさと険しさのちょうど中間の微妙な表情で、一郎を見ていた。

「ここまで来て、わたくし、イチ・ロー様と別れたくありません」

 フィビーの言葉と表情に、一郎は戸惑いを隠せなかった。

〔それは、どういう意味なんだ〕

 どう反応していいか、一郎が迷っているところに、パンコムが戻ってきた。

 パンコムは、深刻な表情で告げた。

「番兵が来ない」

 その意味が一郎には分からなかった。

 フィビーも首を傾げている。

「お兄さん、この意味が分かるか」

「探すのをあきらめたか、もっと重大なことが起こったか」

 パンコムは首を振った。残念そうに。

「お兄さん、頭の中が結構、平和にできてるんだねえ」

 そう言われて一郎はむっとしながらも、他の可能性を考えてみた。

「すでに見張られている、と言うことですか」

「そうだ」

「でも、なぜ、踏み込んでこないんです。まさか、暗くなるのを待って、‥‥」

 言いかけた一郎は、思わず自分の想像に息をのんだ。

「その通り。ここを襲うつもりなんだろうよ」

「でも、踏み込んできてもよさそうなもんじゃないですか」

「それは、こちらのお姫様が本物だからさ」

 一郎はだんだんパンコムの言いたいことが飲み込めてきた。同時に、これから何が起きるのかも、容易に想像が付いた。

「下手に騒がれるよりは、‥‥」

「闇から闇に、葬ろうってことだな」

 ごくりと息をのむ音がした。フィビーの方からだ。

「お姫さん、いや、フィビー姫、ご心配なく。このパンコムにお任せください。必ず、城門の中にお連れいたします」

 今までとは態度を百八十度変え、かしこまった言葉が何となく似合わないパンコムだった。

 だが、笑っていられる状況ではなかった。

「お父さん、どうするの」

 ヴィジーが上から下りてきた。

「ちょっと、用意してくる。二時間かかるかも知れんが、あとは頼むぞ」

「日が沈むまでには、戻って来るんでしょう、お父さん」

「ああ、多分な」

 パンコムは席を立って、地下室を出た。

 あわてて、一郎が後を追った。

 残ったヴィジーは呆然としているフィビーにさらりと言った。

「お姫様、夕食は、肉になさいます? それとも、魚?」

 

         7,

 

「パンコムさん、待ってください」

 一郎は玄関付近でパンコムを呼び止めた。

「なんだい」

 振り向いたパンコムは余裕の表情だった。

「もし、パンコムさんがいない間に、襲われたら、どうすればいいんです」

 反対に一郎の方は追いつめられたような表情をしていた。

「そんな情けねえ面してると、お姫さんに嫌われちまうぜ」

 そう言われても、こんな時に呑気に笑ってなどいられない一郎だった。

「お兄さん、ここを襲うなら何人ぐらいがいいと思う」

「え、二十人ぐらい」

「そりゃ、多すぎるぜ。目立っちまう」

「十二、三人ぐらいですか」

「そんなところだろう。そのうちの二、三人はオレにくっついてくるだろう。そいつはオレが何とかする。ヴィジーが七、八人までなら何とかするだろうから、残った二、三人はお兄さんがなんとかしな」

「そんな簡単に言わないでください」

「できないって言うんなら、あんたもお姫様もここで終わりだ」

 最後にはたしなめるような口調で、パンコムは一郎に言い放った。

〔やるしかないのか〕

 覚悟を決めた一郎は大きく深呼吸した。

「いいことを教えてやろう」

 少し重くなった一郎の気持ちを、軽くするかのように、パンコムは計画を話した。

「もし、ここで連中を倒せたら、そのときが脱出、いや進入かな。その絶好の機会だ。その分、城門が手薄になるからな」

「じゃあ、ここが最大の試練になるわけですね」

「ま、そういうことだ。がんばりな、お兄さん」

 パンコムは一郎の肩をぽんと叩いた。

 パンコムが玄関を開けて出ていくとき、日がかなり傾いてきているのが分かった。

「イチ・ローさん」

 いつの間にか背後にヴィジーが立っていた。

〔この子も落ち着いてるよな〕

 一郎が見る限り、ヴィジーはこれから起こることを知らない素振りを見せていた。

「夕食、何にします? 肉とお魚、どっちがいいかしら?」

「ああ、に」

 「肉」と言いかけて、一郎は言葉を変えた。

「フィビー姫と同じにしてください」

「あら」

 ヴィジーは不思議そうに一郎を見つめた。

「偶然ね。お姫様もそう言ったわよ」

 ヴィジーは一郎の反応を待った。

 一郎の返事は素っ気なかった。

「そうですか。じゃ、ヴィジーさんにお任せします」

 一郎の頭の中は、予想される襲撃をどう切り抜けるかで一杯になっていた。

 ヴィジーは一郎の反応に少々がっかりして厨房に向かった。

「あの、ヴィジーさん?」

 一郎に呼び止められ、ヴィジーは振り向いた。

「なあに」

「さっき、パンコムさんが、もしここに刺客が来たら、七、八人はヴィジーさんに任せて、僕に二、三人、何とかしろと言われたんですが」

「あ、そう」

 それだけ短く言うと、ヴィジーは厨房の中に入った。

「イチ・ローさん、二、三人なら何とかできるの?」

 ヴィジーは、エプロンを首に掛けて、いたずらっぽく笑った。

「いや、やってみないと何とも言えないんですけど」

「わたしのことなら、ご心配なく」

 ヴィジーはまな板の上に載っていた出刃包丁を握った。

「イチ・ローさん、そのお芋、投げてもらえる?」

 一郎は足下にじゃが芋の入った木箱を見つけた。

 一郎は芋を一個つかむと、無造作にヴィジーに投げた。

 芋がヴィジーの目前に届いた瞬間、包丁が水平に動いたように見えた。

 芋は原形をとどめたまま、まな板の上にぽとりと落ちた。

「こんなもんでどうかしら」

 その芋をつかんで、ヴィジーは一郎に投げ返した。

 受け取った一郎の手の中で、芋は四つに別れた。

「あ」

 一郎は何があったのか想像するしかなかった。しかし、ヴィジーの包丁さばきは、一郎の想像を超えるものであった。

「分かりました」

 一郎はすごすごと食堂の方へ、足を運んだ。

〔やはり、僕次第というわけか〕

 一郎はイスに座ると考えた。

〔どうやって、戦うと言うんだ〕

 一郎はすっかり、頭を抱え込んでしまった。

 それでも、しばらくして一郎なりの考えはまとまったようだった。

 

         8,

 

 夕闇が赤から紫、そして深い青に変わろうとしていた。

 パンコムはまだ戻っていなかった。

 一郎はヴィジーと相談して、配置に付いた。

 フィビーは地下室に隠れている。

 一郎の傍らには、竹の筒が十本ほど並べられていた。筒はそれぞれ節ごとにに切られて、縦に細い棒が突き刺さっていた。

「ほんとにそれ、効き目あるんですか?」

 ヴィジーは竹の筒を指さしていった。

「僕の国じゃ、基本的な護身用の武器の一つなんですけど」

「ふーん」

 次第に外の闇が深くなり、静かな夜が訪れた。

 しかし、一郎もヴィジーも灯りを着けることはしなかった。

〔敵がどこから進入してくるかは、だいたい想像が付いた。どこを守るかも分かっている。敵の人数も予想できる。なら、守りきれるはずだ〕

 一郎は何度も心の中で、そうつぶやいた。

 ヴィジーは厨房の入り口に立ち、玄関と裏口、客室の窓から進入してくる敵を見張った。

 一郎はヴィジーの背後で、厨房の勝手口からの侵入者に備えた。

 そのまま、一時間が過ぎた。

〔ひょっとしたら、考え過ぎだったのかな〕

 一郎は床に座り込む姿勢を続けていて、少し疲れを感じていた。

 足を伸ばそうとしたときに、まるでネズミが柱をかじるような音が聞こえてきた。普通に暮らしていたら判らないような小さな音だった。

「来た」

 ヴィジーが小声で一郎に言った。

 一郎は竹筒をつかんで構えた。

 ヴィジーは自分の服の中に手を差し入れた。

 かすかな音は、裏口のの方から聞こえてきた。

〔鋸で戸を切ってるような音だな〕

 一郎とヴィジーの目が裏口に集まった瞬間、まさにそのとき、玄関、窓、勝手口が同時に蹴破られた。直後にそれぞれの場所から、二、三人ずつ男が飛び込んできた。

 ヴィジーは、廊下の中央に躍り出ると服の中から手を抜いた。その手に数本のナイフがきらめいた。そして、次の瞬間には投げる動作を終え、再び服の中に手を戻していた。

 勝手口から飛び込んでくる刺客に、一郎は竹筒を向け、反対側の棒を押した。

 竹筒の先端から赤い液体が勢いよく飛び出した。

「うおっ」

 その液体が目に入ったとき、刺客の男は悲鳴を上げてその場にうずくまった。

 その男を乗り越えて、次の刺客が一郎の前に飛び込んできた。男は中国風の大刀を振りかざし、一郎に斬りかかった。

「死ねっ」

 一郎に次の水鉄砲を構える余裕はなかった。

 一郎は素早く三本の竹筒の両端をつかむと、立ち上がりながら下りてくる大刀を竹筒で受けた。

 一本の竹筒がまっぷたつに割れ、中に詰めてあった赤い液体が床にこぼれた。

 大刀は残り二本の竹筒が受け止めていた。

 刺客の男はすさまじい形相で一郎を睨み付け、大刀を押し込んだ。

〔なんて、力だ〕

 一郎は押し込んでくる力に対し、力を振り絞って抵抗した。が、じりじりと押されていく一郎には為す術がなかった。

 一郎の耳に金属のぶつかり合うような音が聞こえた。

〔ヴィジーさんも手が放せる状態じゃないようだな〕

 竹筒に食い込んだ大刀の刃を赤い液体が伝って床に落ちた。

 そのとき、床下の地下倉庫のふたが開いた。

〔あれほど繰り返し出てくるなって、言ったのに〕

 フィビーが床下から飛び出してきた。

「イチ・ロー様」

 竹筒からしたたり落ちてる赤い液体を地と勘違いしたフィビーは悲鳴を上げた。

「違う。これは血じゃない」

 一郎はその瞬間、ひらめいた。

〔そうか〕

「フィビー姫、棒を押してくれ」

 一郎に言われて、フィビーは飛びつくように水鉄砲の棒を押した。

 次の瞬間、竹筒に食い込んだ大刀から、赤い液体が勢いよく吹き出した。

 液体は刺客に向かって勢いよく吹き出した。それが目に入って、刺客はもがき苦しんだ。

「う、目が」

 一郎は手近にあった棒で、その刺客の頭を右から左に水平になぎ払った。

「グ」

 その返す刀で、最初に倒した刺客にもその棒を振り下ろした。

「げっ」

 二人の刺客は床にばったりと倒れ込むとそのまま動かなくなった。

 一郎がほっとしたのもつかの間、勝手口から次の刺客が現れた。

〔しまった。水鉄砲〕

 しかし、新手の刺客は前のめりに倒れて動かなくなった。

 その後ろから現れた影に、一郎は棒を振り上げ身構えた。

「おいおい、お兄さん。早まっちゃいけない」

 その影はパンコムだった。

 

         9,

 

 一郎はほっと息を付くと、握っていた棒を投げ出した。緊張から解放されたのに、棒を握っていた手が震え始めた。

「イチ・ロー様、お怪我は」

 振り返ると、フィビーが青い顔で立っていた。

「姫のおかげで助かりました。姫は命の恩人ですね」

 少し顔がひきつっているのを自覚しつつ、一郎は笑顔を浮かべた。

「でも、これは」

 フィビーはそう言うと、一郎の右腕を取ってじっと見つめた。竹筒で作った水鉄砲からこぼれた赤い液体が、一郎の体中に着いていた。

「特製の、香辛料でできたスープです。これが目に入ると、立っていられなくなるほど目が痛くなるんですよ」

 ヴィジーが厨房に戻ってきた。

「お父さん」

「おお、そっちも終わったか、ヴィジー」

「うん、まあね」

 さりげないヴィジーの言葉に、一郎は廊下に出てみた。廊下には刺客と思われる死体が六人転がっていた。あと、客室と食堂に一人ずつ、倒れている男の姿が目に入った。

 どれも、胸または首に深々とナイフが刺さっていた。

〔その割に、血が出ていないのが不思議だ〕

 しかし、目を近づけなくても、それが致命傷であることは判った。

 一郎は振り返って、背筋に悪寒が走るのを覚えた。

 目の前の一郎より小さく見える少女は、一郎よりも戦闘、もしくは殺人の技術に長けているのだ。

〔当然、その親も〕

 一郎のパンコムとヴィジーを見る目は一変した。

「ふ、お兄さん」

 パンコムは薄く笑いを浮かべて言った。

「今が、城門を突破する機会だっていうのを忘れないでくれよ。訳はあとでいくらでも説明してやるからな」

 その視線は一郎の心を見透かしているようだった。

「お姫様も準備はいいかい。城門の中に入るぜ」

 パンコムは勝手口の外を指さした。

 一郎とフィビーは『海鳥亭』の外に出た。

 外には、野菜を山のように積んだ馬車が、置いてあった。

「あ」

 一郎はあることに気づいた。

「パンコムさん、死体はあのままでいいのかな」

「かまわんよ。一日ぐらいほっといても」

「いや、そうじゃなくて、誰かが見に来たら、ばれるんじゃないかと思って」

「大丈夫さ。そんなに人数に余裕があるんなら、昼間のうちにお兄さんたちを捕まえに来るさ」

 パンコムは馬車に歩み寄ると、馬を繋いでいた縄を柱からはずした。

「じゃ、出発するぜ」

「え、パンコムさん、どこに乗ればいいんです」

 一郎の見た目には、荷台以外に人の乗る場所はないように見えた。

〔これじゃ、乗ったら丸見えだよ〕

「イチ・ローさん、お姫様、ここですよ」

 ヴィジーは荷台の横板をこつこつと叩いて見せた。

 そして、ヴィジーは横板の下の部分を持つと、軽く手前に引いた。

 板はめくれあがり、約四十センチの隙間が現れた。

 一郎は驚きを隠せなかった。

「へえ」

「まあ」

 フィビーも一郎と同じ感想を持ったようだった。

 はじめ見たときは隙間などないように見えたのに、しっかりと人一人隠れる余裕があった。

「ちょっと狭いけど、我慢してくださいね」

〔確かに〕

 隠れる場所としては申し分ないが、横に体をずらすようにしないと入れないのは確かだった。

 中は薄く革張りがしてあって、なめらかになっていた。

〔これは入りやすそうだな〕

 一郎はフィビーを促して先に入らせた。

 仰向けに寝る格好になるので、頭を先に入れ、続けて体を入れていかなければならなかった。

 続いて一郎が入った。

「じゃ、行きますよ」

 ヴィジーはそう言うとふたを閉じた。

 一郎の周りはあっと言う間に真っ暗になった。もともと夜だったので気にはならないが、隣にいるフィビーの息づかいがはっきりと判った。

 やがて、馬車が動き出した。ごつごつした地面の感触が、背中に伝わってきた。

「いよいよですね」

 一郎はそうフィビーに話しかけた。

「はい。本当にイチ・ロー様のおかげです」

「まだ、早いですよ」

 そう言いながらも、一郎は、やっと一区切りが付いたような気がしていた。

 次に馬車が止まったとき、馬車はすでに城門を通過していた。

 あまりのあっけなさに、一郎はパンコムたちを疑いたくなった。

 一郎は馬車から降りると、その疑問をぶつけた。

「確かに、家を襲った連中を倒しただけじゃ追っ手から逃れたことにはならないさ」

 一郎は、手綱を持つパンコムの横に座り、フィビーは野菜の山を隔てて、馬車の反対側の端に、ヴィジーの横に座った。

「番兵の中にはまだ、家を襲った連中の仲間がいると見るべきだろう」

「じゃ、なぜ、無事に通過できたんですか」

「そりゃ、野菜を積んでるからさ。こういう腐りやすいものを積んでる馬車は無条件で通すことになってるのさ」

 それなら最初に言ってくれればと思ったが、パンコムが馬車の準備をしてくれたことを考えれば、一郎にはもう抗議はできなかった。

 それに城門の内側に入ったことは確かだった。

 城門を背に、一郎の目の前には星明かりに照らされた一面の麦畑が広がっていた。

 


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