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「ワールドマスター」の世界を少しでも分かっていただけたらと思って、小説にしてみました。
1,
チャレンジャーの剣は一郎に、さらに東を目指すことを命じた。
ローリーは東に「白の塔」があることを一郎に伝えた。
一郎は「白の塔」までの道案内をローリーに頼んだ。
ローリーの話では、アラウアの港町から、歩いて一日半かかる距離にあるという。
時はすでに夕闇が暗闇になろうとしていた。
一郎は野営を決めた。
フィビーは、「白の塔」と聞いて、すぐに母フィルーの話を思い出した。
「白の塔は、神聖な場所です。もし、機会があればあなたを修行に出したかった」
〔行って修行ができれば、もっとイチ・ロー様のお役に立てるかもしれない〕
フィビーは密かな期待を胸の中に芽吹かせた。
そのフィビーの目に、やや落ち着きのないチェリーの姿が映った。
マルカム正規軍の野営地を離れてから、チェリーはローリーと一郎の二人に視線を送っていた。ほとんど監視していると言ってもよかった。
その動きに気づいたフィビーがチェリーに訊いた。
「チェリー、さっきからイチ・ロー様とローリーさんばかり見てますけど、なにかあるんですか?」
チェリーは脳天気な質問をするフィビーを思わず「鈍感」と怒鳴りたくなった。
フィビーの拾い集めた薪を抱える姿がいっそう平和そうに見えた。
〔悩みってものがフィビーにはないのかしら。でも、それが彼女らしさとも言えるし〕
怒鳴りたい気持ちはため息に変わった。
チェリーは自分が我慢することを身につけたのを知った。
〔以前なら、絶対、イチ・ローに問いただしてた。ローリーをどうするつもりなのか〕
チェリーの疑問はそのままローリーの疑問でもあった。
そのローリーの目の前で、一郎はフィビーとチェリーに野営の準備を伝えていた。
「フィビーは、薪を集めてくれ。チェリーは、夕食の準備を頼むよ」
「あの」
ローリーはおそるおそる一郎に声を掛けた。
振り返った一郎は、照れくさそうに、わざとらしいほどさわやかそうに、笑顔を作った。
「なんです?」
一郎の発したその言葉に、ローリーはかみ合わないものを感じた。
「イチ・ロー様、わたくしは、何をすればよろしいのでしょうか」
一郎はこれまた、けれん味たっぷりに、とぼけたように、言葉をローリーの前に置いた。
「ローリーさんは、お客様だから、何もしなくていいよ」
ローリーは生まれて始めて、自分の名前に敬称、「さん」が付けられたことに、身震いがした。それは決して嫌悪感ではなく、新鮮な思いの詰まった驚きだった。
ローリーは一郎の言葉の意味が分からなかった。
「わたしは、主人から捨てられた身です。イチ・ロー様にすくわれました以上、イチ・ロー様にすべてをおまかせする覚悟はできております」
「すくわれる」という言葉の意味が一郎の頭の中で、『救われる』ではなく、鍋のそこに沈んでいるジャガイモをおたまですくい上げる光景となって浮かんだ。
〔人間はイモじゃないのに〕
一郎は自分の思ったままを口に出した。
「ローリーさんには悪いけど、俺はそうは思ってないんだ」
ローリーは再び身震いがした。一郎の言葉は明らかにローリーを気遣う意味を含んでいた。
ローリーは半信半疑で一郎に聞き返した。
「あの、それは、どういうことでしょう?」
「ローリーさんを、その、だれかから、譲ってもらうんだとしたら、俺はそのだれかとちゃんと話をしないといけない、と思うんだ」
〔人をモノみたいにやりとりする話なんて、できればしたくないけどね〕
「しかし、わたしはすでに」
ローリーのすがりつくような視線が一郎を捕まえようとしていた。
一郎はそれを軽く手で遮った。
ローリーは口を閉じた。
反対に口を開いた一郎から、ローリーは思いもかけない言葉を聞いた。
「じゃあ、聞くけど、もし、リーアン王子がローリーさんを取り返しに来たら、俺は、どうすればいいのかな」
リーアン王子が取り返しに来る、ということをローリーは考えもしなかった。
ローリーは軽く混乱した。リーアン王子が自分のことを取り戻しに来るというなら、こんなうれしいことはない。しかし、リーアン王子がこのチャレンジャーである一郎と戦う姿も話し合う姿もローリーには想像が付かなかった。
「あのリーアン様がそのようなことをなさる方とは、とうてい思えません」
「まったく?」
「はい」
「全然?」
「はい」
一郎の口から白い歯がこぼれた。
ローリーは自分が一郎にからかわれているのではと思った。
「わたくしをからかってらっしゃるのですか」
一郎は首を横に振った。だが、笑顔は絶やさなかった。
「ローリーさんは、信じてるんだね、リーアン王子のこと」
ローリーは、はっと気づいた。一郎の笑顔が本物であることを知った。
2,
ローリーにとってそれは不思議な空間だった。
目の前の男は、自分がよく知るリーアン王子より遥かに少年っぽい、悪く言えば子供っぽい性格の持ち主に見えた。
それでも、自分の「モノ」となった少女二人に命じることは少なく、自分から動こうとしていた。
そうなると世慣れていないフィビーの動きの悪さが目立った。
たとえば、全員が釣った魚を焼いて食べているとすると、少なくなった薪を一郎は自ら歩いて取りに行こうした。その薪がフィビーの背後にあったとしても、である。
〔信じている神様が違うのかしら〕
そう思えるほど、ローリーには一郎の存在が不思議だった。
そんな一郎にチェリーが苦言を呈した。
「ちょっと、イチ・ロー」
言い方がすでに「モノ」である女のものではない、とローリーは思った。
「それぐらいあたしたちに言ってよ」
少し不満顔のチェリーと戸惑い気味の表情の一郎を比べると、ますます不思議な気持ちがしてきた。
〔立場が逆転しているみたい〕
その後に続く一郎の言葉にローリーは軽いめまいを覚えた。
「いや、二人ともおいしそうに食べてるから」
その一郎の動きが一瞬止まって、闇の中に視線を向けていたがすぐに戻って自分の席に着いた。
「どうしたの、イチ・ロー?」
「いや、なんでもない」
しかし、緊張した雰囲気が一郎からチェリーに伝わってきた。
一郎はじっとタイミングを計っているようだった。
「チェリー」
その声は小さかったが次の一郎の声は大きかった。
「後ろだ!」
チェリーの体が反応して飛び上がった。
一郎は後ろを振り向いて駆け出した。
フィビーは反応できなくてぽうっと見ていた。
一郎の声で背後の闇の中で茂みの動く音がした。
一郎はその音に向かっていった。
〔追いつけないか?〕
茂みをかき分ける音が一郎の耳から遠ざかっていくのが分かった。
その音の前にチェリーが立ちふさがった。
「怪しい奴、逃がさないわよ」
暗闇なので相手が大柄なことしか分からなかった。しかし、それで充分だった。
〔でかいほど的になりやすいのよね〕
大柄な影は、チェリーを前に一瞬ひるんだように見えた。
チェリーが構えた刹那、影は右に滑った。
「無駄よ。奥義、真空拳!」
影に向かってチェリーの奥義が炸裂した。
無数の鉄拳を浴びせられて、悲鳴のようなうめき声が湧いた。
「いてっ! ぐえっ! げっ!」
声の持ち主は男だと思った。ただ、チェリーの奥義の洗礼を受けては、カエルのような声しか出せなかった。
男の声が下がった。男の姿勢が低くなったのか、男が地面に倒れたのか。
一郎が指輪に右手をかざした。一郎の手の中にチャレンジャーの剣が現れた。
その瞬間、男の声が、一郎に謝った。
「ま、待った! 参った!」
一郎は剣を両手持ちに構えて、声のする方へ近づいた。
チェリーは挟み撃ちするように声のする方に近づいていった。
一郎の足下に何か大きな物が投げ出された。
「この通りだ。刃向かったりしない」
見ると、鞘に収まった大刀が一郎の足に当たった。
「だったら、こっちに出ておいで」
「わ、わかった」
草をかき分けるような音が近づいて、大きな影がはうように進んできた。
〔どこかで聞いたような声だな〕
一郎は男の声を聞いて、何かを思い出そうとした。
たき火の明かりに影の正体が照らし出された。
「おまえは」
一郎はその男の顔に見覚えがあった。
男はばつが悪そうに、無理矢理笑顔を作っていた。
「たしか、ギンガ」
名前が口から出たのは、チェリーの方だった。
ギンガは下手な愛想笑いで、たき火の向こうのフィビーとローリーに軽く頭を下げた。
ローリーは何かを感じて一瞬びくっと震えた。
3,
正規軍の野営地で会ったときは気がつかなかったが、ギンガは一郎の知っているプロレスラーに似ていた。体格も一郎より一回りは大きかった。
〔よく勝てたなあ〕
腕の太さを比べただけでも、ギンガの方が二倍はありそうだった。
一郎は左手の中指に光る指輪をちらりと見た。
〔チャレンジャーの剣のおかげだな〕
たき火を前にして、ギンガはあぐらをかいて座った。そのまま両手を地面に着けて頭を深く下げた。
「イチ・ローの旦那、この通りだ。このオレ様、いやいや、この、わたくしめを、男にして下され」
そう言い放つとギンガは頭を上げて、わざとらしい笑顔を向けた。
チェリーは冷ややかな視線をギンガに送り、フィビーは疑わしげにギンガの表情を見ていた。
ローリーも少しこわばった表情を見せていた。
一郎は三人の表情を見てから、言った。
「それで?」
「はい?」
ギンガは丁寧な仕草で応えた。
厳つい男が下手に出てくると妙なかわいさを醸し出してくるのでつい吹き出しそうになる。そこを一郎はこらえた。
「ギンガさんは、何がしたくて、俺たちの後を付けてきたのかな?」
「いや、その、ですから、このギンガを、そのお、お供に加えて、いただいて、イチ・ロー様の元で、修行をさせてください」
およそ一郎には想像できない台詞だった。
〔チャレンジャーの剣がなかったら、なにもできない俺に、弟子入りする気か?〕
だが、かえって一郎はギンガの意図が何となく想像できた。
そのとき一郎の脳裏に、高校の先輩の言葉が浮かんだ。
「自分の力量が自覚できれば、どんなことにも対処できる」
あまり好きではない先輩だったが、何かにつけて一郎のことを部活に勧誘するので、そのとき使った言葉が思い浮かんだのだった。
少しギンガよりは自然な感じの笑顔が一郎に生まれた。
「まあ、いいか」
一郎の口からぽろりとこぼれたような言葉が出た。
フィビー、チェリー、ローリーの三人が信じられない、といった風で一郎の方を見つめた。
「イチ・ロー」
「イチ・ロー様」
反対にギンガの顔がぱっと明るくなった。
「大丈夫さ。心配はないよ。俺とチェリーがいるんだ。おかしなことはできないよ」
その一郎の言葉に、フィビーは納得したようだった。
「でも、イチ・ロー、こいつのこと、信用していいの?」
チェリーはなにかが心の中で引っかかっているようだった。
「とりあえずはね、チェリー」
「絶対下心があって近づいてるに決まってるでしょう」
「ちょっと考えがあるんだ」
一郎は自分の考えを耳打ちした。
「え? そんなこと、いいの?」
「大丈夫さ」
チェリーが振り向いたとき、フィビーとローリーはまだ心配そうな顔をしていた。
「チェリー、イチ・ロー様は」
「今晩だけ、寝る場所を変えるんだって」
チェリーはあきらめたような表情で一郎にちょっとだけ視線を送った。
たき火を囲むようにギンガ、一郎、フィビーの順に並んだ。フィビーの奥にローリー、そのまた奥にチェリーという順に横になった。 たき火を挟んで、一郎とローリーの位置が一直線になった。見ようによっては、たき火を挟んで、男と女に別れたようにも見えた
憮然とした表情は、ギンガが一番強かった。
「なんで、あんた、いや、旦那が、オレの隣なんですか?」
一郎は誤魔化すような笑顔で言った。
「俺の側で修行するんじゃなかったのかい?」
ギンガの顔が真っ赤になった。
一郎はわざとギンガの顔を見ずに自分の寝床を作った。といっても、麻袋(のようなもの)に枯れ葉を詰めて地面の上に置くだけだが。
「じゃ、みんな、おやすみ」
一郎はさっさと横になってしまった。
ローリーは呆気にとられていた。フィビーとチェリーがいるのに、どちらも隣に置かない一郎の様子が信じられなかった。
フィビーは一郎の隣にギンガのいることが心配だった。
チェリーは一郎の中に確信に近いものがあってわざとギンガを一郎の側に置いているのだと思った。ゆえに、チェリーは心配するのをやめて、自分も寝る準備をした。
やがて、五人全員が眠りについた。
ローリーはときどき寝返りを打った。
そのローリーが誰にも聞かれないように泣いていたが、フィビーだけが気づいていた。
ギンガは二度ほど寝ぼけたように上半身を起こしてはあたりを見回し、再び眠りについた。
そして、静かな朝を迎えた。
4,
ギンガは自分が真っ先に目が覚めるものと思っていた。
実際には、ギンガが目を開けたとき、隣に一郎の姿はなかった。
「しまった」
小さな声がギンガの口からこぼれた。
ギンガはがばっと跳ね起き、ほかの三人がまだ眠っているのを確認した。確認してほっと胸をなで下ろした。
ギンガは一郎の姿を探して立ち上がった。
地面の上の新しい足跡は、一郎が寝ていた場所から水音のする方角に向かっていた。
ギンガは音を立てないように立ち上がると、一郎の足跡を追った。
ギンガは音を立てていないつもりだったが、気配はチェリーに察知されていた。
ギンガがある程度離れたところで、チェリーが起き上がった。
チェリーは静かに眠っているフィビーとローリーを見て、少しだけため息を吐いた。
一方、一郎は川に下りて、朝食用に魚を獲っていた。
一郎は前回とは違う方法で魚を獲ろうと考えた。
まず、チャレンジャーの剣を取り出し、刀身を半分水の中に浸けた。次に一郎は巻き寿司用のすのこをイメージした。ゆっくりと水を濁らせないように。
〔前は何も考えなかったからな。水が濁って苦労したよ〕
川の底でチャレンジャーの剣は縦横に細く長く広がっていった。ある程度広がったところで、先のほうが水の中から持ち上がった。丁度、すのこが斜めに浅く突き刺さったようなイメージだった。
一郎は剣から手を離した。それでも、チャレンジャーの剣は形を変えなかった。
一郎は川岸に落ちていた手ごろな長さの枯れ木を両手に持ち、川上に向かった。
チャレンジャーの剣から百メートルほど離れたところで、一郎は川の中に入るとおもむろに手に持った木で水面をばしゃばしゃとたたき始めた。
〔たしか、こうだったよな。テレビで見たとおりだと思うんだが〕
一郎は水面をたたきながら川の中をチャレンジャーの剣に向かって歩いた。
一郎に追いついたギンガは、物陰に隠れて一郎の様子を窺っていた。
〔何してるんだ、あのぼうやは?〕
一郎がチャレンジャーの剣まで二十メートルほどの距離に近づいたとき、すのこと化したチャレンジャーの剣の上で銀色の影と水しぶきが踊った。
それは、一郎に追われて行き場を失い、チャレンジャーの剣(というより網)の上に乗り上げた小魚だった。
「お、できた!」
一郎は喜色満面、水の中を走ってチャレンジャーの剣に近づいた。
それに合わせてもう一匹、小魚がチャレンジャーの剣の上に乗り上げた。
一郎はチャレンジャーの剣の上で跳ね踊る二匹の魚をつかんで、岸に放り投げた。
「チェリー!」
一郎は口に手を当てて名前を呼んだ。
「はーい」
答えたチェリーはギンガの後ろの藪の中から立ち上がった。
驚くギンガにはかまわず、チェリーは川岸に下りていった。
「朝ご飯にしよう」
「はーい」
チェリーは、腰に差してある小刀を抜くと、素早く魚を拾い上げ、魚の腹を割いた。続けて魚の腸(はらわた)を取り除く作業は、手馴れた料理人の趣きがあった。
「おーい、ギンガ」
一郎に呼ばれて、ギンガと一郎の目が合った。
〔こりゃもう、隠れても無駄だな〕
ギンガは照れ笑いを浮かべながら立ち上がった。
「へい、旦那」
「手伝ってくれ」
「へい、承知しました」
一郎の言いたいことは分かっていた。もっと川上から魚を追い立てたいのだ。
さらに川上から一郎とギンガで魚を追い込んだところ、八匹の魚が捕まった。
ローリーとフィビーが川岸にやってきたのは、一郎が火を起こそうとしているときだった。フィビーのほうはやや眠そうな目をしていた。
一郎の姿を見て、ローリーはあわてて声をかけた。
「イチ・ロー様、わたしがやります」
ローリーが駆け寄ったとき、一郎はチャレンジャーの剣を元の指輪に戻していた。
「いや、いいよ。すぐにできるから」
一郎は再びチャレンジャーの剣を取り出した。今度は、チャレンジャーの剣は中華なべのように大きく丸く形を変えた。
全員が不思議そうに見守る中、一郎は中華なべ型のチャレンジャーの剣を太陽に向けた。それから、くぼんだ側を太陽に向けつつゆっくりと地面のほうに傾けていった。
チャレンジャーの剣を凹面鏡として応用したのだが、それは一郎の想像通り、上ったばかりの太陽の光を集め、簡単に枯れ草に火をつけた。
「おお」
一同から感動の声が上がった。
フィビーはそれでやっと目が覚めた。
「イチ・ロー様、今のはチャレンジャーのお力ですか」
一郎は苦笑いを浮かべて首を振った。
「違うよ。こういう形をした鏡があればだれでもできることさ」
〔まるで理科の授業を教える小学校の先生だな〕
「さあ、朝ごはんにしよう」
しばらくして焼きあがった魚を口にしながら、ギンガが質問した。
「イチ・ローの旦那、あんな魚の獲り方、どこで覚えたんです?」
「昔、家族と一緒に旅行をして、途中にああいう獲り方で獲った魚を食べさせてくれる食堂があったんだ。簗漁(やなりょう)というらしいよ」
「ヤナ?」
「ヤナ・・・」
初めて聞く言葉を、フィビーとローリーは口の中で繰り返した。
「ほんと、イチ・ローは変なこと知ってるのよね。漁師の子供じゃないのに」
さりげなく笑顔を見せるチェリーに、一郎はどこかほっとしていた。
5.
朝食が終わりかけたときに、事件が起こった。
川上から、女性の悲鳴が聞こえてきたのだ。
一郎が真っ先に立ち上がった。ほぼ同時にチェリーが。
ギンガはローリーに視線をやってから、一郎を目で追った。
一郎はギンガの視界の中で、川上の方に走っていった。その後にチェリーが続いた。
残ったローリーは一瞬不安そうな視線でギンガの方に視線を送って、フィビーの後ろに体をずらした。
それを見たギンガは少し口の端を曲げた。苦笑いのように見えた。
「フィビー、来て!」
チェリーの呼ぶ声に、フィビーも走り出した。
残されたローリーは不安そうな顔をさらに青くして、フィビーの後を追うように走った。
ローリーの前を走るフィビーの足がゆっくりになってやがて止まった。前方にチラッとチェリーの姿が見えた。
まだ先のはずなのに、そう思ったローリーはフィビーの目が足元に向いているのを知った。
フィビーの足元で、川の流れは浅くなっており、少し速いが足をとられるほどではなかった。
その川面が、赤く染まり始めた。
川は上流で大きく左に曲がって高い崖に隠れていた。
赤い流れは、川の上流の崖で隠れたところから始まっているように見えた。
崖の陰から先に進んだチェリーが顔を出した、やや沈痛な面もちで。
崖の向こうで女性が血を流して倒れていた。
仰向けに倒れ込んだ体の胸から腹にかけて大きな傷があってそこから大量に出血があった。しかし、静かに閉じられた瞳と川の流れに揺れる長い髪の毛は女性が眠っているような印象を与えた。
最初に見つけた一郎は、その女性の体がまだ暖かいことに気づいた。息はもう止まっていたが、まだ望みはあった。
駆けつけたフィビーに一郎は救われたような気がした。
「見てくれ、フィビー」
「はい」
フィビーは女性の側にかがみ込んで、服の裾が濡れるのもかまわず、女性の額に手を置いた。まだ、暖かかった。
〔でも、・・・〕
一郎を見上げたフィビーは残念そうに唇を結んで首を横に振った。
「だめなの?」
チェリーが静かに聞いた。
「ええ」
フィビーは立ち上がって一郎の方を見た。チェリーよりも一郎の方が説明を求めているように見えた。
「この方の魂は、もう、ここにはありません。ですから、神聖魔法でも蘇生はできません。それに、この方は、死を望んでいたようです」
一郎の顔色が変わった。
「ど、どうして」
一郎の声が若干うわずっていた。
「わかりません。でも、この方の死に顔は、とても安らかです。すべての悲しみや苦しみから解き放たれたように」
そうか、と一郎の唇だけが動いた。
一郎は魂の抜け殻となった女性をじっと見つめて考え込んだ。
〔まだ、若く見えるのになあ、この人。どうしてここで人生が終わってしまったのだろう〕
一郎はもう一度女性の遺体を見直した。
服装はチェリーが着ているものと大差はなかった。ただ、肌の露出度が低くて、顔と手首、足首だけが見えていた。その見えている部分に若干青痣が残っていた。死斑のようにも見えた。
「この人を、葬ってやろう」
ローリーが駆けつけたときに、そう言った一郎の声が聞こえた。
そのとき別の気配を感じたチェリーが反対の川岸を振り返った。
「イチ・ロー、それはあの人たちの許可がいるかもしれないわ」
一郎もチェリーと同じものを見た。
川岸の森から崖を五人の男が降りてこちらに向かってきた。
6.
野太い声で「待て」とか「待て、こら」というのが男たちの第一声だった。
近づいてくる顔つきがすでに威圧的だった。
睨み付けるような、刺すというより切りつけるような視線が一郎に向けられていた。
五人の男たちの体格はバラバラだが、醸し出す雰囲気は同じだった。
"その筋の人たち"という言葉が一郎の頭の中に浮かんだ。
この異世界にも「やくざ」というか「暴力団」に分類されるような人間がいるのか、と思うと同時に嫌悪感が一郎の奥底にわき上がった。
男たちは示し合わせたように、一郎を取り囲んだ。
「こら、おい」
「誰に断わって人の『モノ』に手を出しとるんじゃ」
このセリフに一郎は苦笑した。どんな翻訳システムかは知らないが、一郎がイメージしたとおりに関西方面の方言が聞こえた。
「オイ、ニヤついてんじゃねえぞ」
ちょっと禿げかかった背の低い男が、舐めるような視線で、下から一郎を覗き込んだ。
凄みのある声に一郎は内心「びびって」いた。表面上は平静を装っていても、言葉にそれが出てしまっていた。
「この女の人は、あなたの『モノ』だったんですか?」
「そうともよ」
一郎の背後から声がかかった。振り向くと長い髪を後頭部できつく束ねた、狐顔の男が鋭い視線を送っていた。
「クルウアの港町ではちょっとは知られたキンケン様のモノさ」
「そのキンケンの旦那のモノに手を出そうなんて命知らずだな、若いの」
別の男の声が一郎に浴びせられた。
「別に、手を出そうなんて、・・・」
〔もう死んでいるのに何を莫迦なことを〕
些細なことだが、一郎の話し方に勢いの弱い部分が現れていた。それは周囲の男たちをつけあがらせることになった。
「そこの嬢ちゃんは神聖術士なんだろ」
「ええ」と一郎はあいまいな返事をした。
「だったら、勝手に生き返らせては困るなあ」
フィビーはすでに彼女を生き返らせることを断念していた。それを一郎は説明しようとしたが別の男の言葉がそれを遮った。
「他人のモノに手を出しちゃいけないって、お父さんに言われなかったのかい、坊や」
「三人目が欲しいんじゃねえの」
「二人も女を連れてりゃ、十分じゃねえかよ、兄弟」
男は言い放って軽く一郎の肩をゆすった。
7.
一郎の周囲の空気が重く感じられた。
周りを男たちに囲まれているだけではない。傍にいるフィビーもチェリーも一郎に声をかけることさえしない。
一郎は一瞬だけチェリーの姿を探したが、男の肩の向こうに少し小さくなった影が見えるだけだった。
〔俺が自力で解決しないとだめなのか〕
そのとき、男たちの雰囲気が変わった。
一郎を囲んでいた男の輪が解けた。
男たちの視線はぬっと現れた巨漢に集中した。
「ギンガ」
一郎はほっとした。助かった、と思った。
男たちはギンガに対して身構えようとした。
狐顔の男はギンガの巨体に気圧されないように語気を強くした。
「おう、でかいの。こっちは取り込み中なんだ。関係ないならあっちに行ってもらおう」
ギンガは男たちを品定めするように軽く見渡して片眉を動かした。
「何の話だ?」
ギンガは穏やかに言い放った。
「決まってる。『男』の話だ」
ギンガは少し考え込んだ。
「じゃ、俺は関係ないな」
そう言うとギンガは背を向けて歩き出した。
一郎はそのギンガの無関心な素振りに驚いた。
「な、なんだ。でかいだけの木偶の坊か。脅かしやがって」
別の男が不用意に漏らした一言にギンガが反応した。
その男との距離は5メートル以上あったはずなのに、ギンガのすうっと伸ばした長い手が男の胸座をつかんでいた。そのまま男は少し持ち上がった。ギンガの動きが素早かったのだ。
「そこの旦那がおとなしいからって、つけあがるなよ。おまえらなんぞ、一瞬で切り刻まれるのが落ちなんだからな」
ギンガの言葉に一郎は自分自身に失望した。
〔みんな、俺が強いと思っているんだ。チャレンジャーの剣を持っているから〕
同時に一郎は、自分が誰かを常に頼っているのに気づいた。
ギンガはぱっと手を離し、掴まれていた男は半歩よろめいた。
男たちの雰囲気が変わった。無言だが、ざわついたような雰囲気があった。
「と、とにかく、だ」
気を取り直して男が一郎をにらみつけた。
「この女はお前のものじゃない」
〔だからといって〕
一郎は言い返そうとして一瞬言葉を飲み込んだ。
「だからといって、そのままというのは、感心しませんわ」
遅れて駆けつけてきたローリーが口を挟んだ。
それが癇に障ったのか、男の一人がローリーに怒鳴り返した。
「『女』は黙ってろ!」
ローリーはそれでもひるまなかった。ローリーの毅然とした態度が一郎には気持ちよかった。
「別に死んだ人を蘇らせようというわけではありません。せめて葬らせてください」
ふん、と男が鼻を鳴らした。
「信用できるか。ここは『白の塔』の傍なんだぞ」
「だいたい、お前は何だ。そこの坊ちゃんの三人目か。それとも、そこの」
「デカぶつ」と言いかけて男は言い換えた。
「大きい人の女かい?」
「違う。彼女は、お客様だ」
一郎はローリーの毅然とした態度に少し勇気づけられたが、自信を持って答えるには状況が異なっていた。
男たちの雰囲気が変わった。何かを期待しているように思えた。
「じゃ、俺のモノにしてもいいわけか」
狐顔の男は目を細めながら言った。
ローリーが絶句した。
ギンガは眉をひそめた。
フィビーとチェリーは息を呑んだ。
8.
一郎は男たちと話しがかみ合わない事に苛立ちを覚え始めていた。
「お姉ちゃん、名前は?」
「それとも、誰かの許可がいるのかな?」
「ロ、ローリーです」
『モノ』というのは一種の呪文なのか、ローリーは顔をこわばらせ、動かなかった。
「よし、ローリーちゃん。お前は今日から、この、バンジャ様のモノだ」
そのバンジャという男の腕が、ローリーに向かって伸びた。
「やめろ」
一郎は思わず、バンジャの手首をつかんでひねった。
「いてて」
「なにしやがる!」
「小僧!」
周りの男たちは一斉に一郎に詰め寄った。殴りかからんばかりの勢いだが、手を出してこなかった。
一郎の手をふりほどいてバンジャは不敵な笑みを浮かべた。
「いいだろう、小僧。相手になってやるよ。勝った方がローリーちゃんを『モノ』にできるわけだ」
一郎はそれを聞いて、ローリーを振り返った。ローリーの視線に一郎ははっと胸を突かれた。
それは助けを求めるものではなく、ましてや一郎に感謝しているものでもなかった。
何かをあきらめたような、物憂げな視線が宙をさまよっていた。
〔ローリーさんを、自分のモノに、だと。そんなこと、する気も、させる気も、ない〕
一郎は決然とバンジャに向かって言い放った。
「言ったはずだ。彼女は、俺たちの大切なお客様だ。おまえなんかに、渡しはしない」
ところが、バンジャは意外な反応を見せた。
一瞬きょとんとして、にやりと笑った。
「なんだ。じゃ、俺のモノにしていいんじゃないか」
バンジャが再び手を伸ばそうとするのを、一郎は体を入れて遮った。
「やめろ。オレの言ったことが聞こえないのか」
先ほどの気弱な態度は影を潜め、一郎は毅然と言い放った。ローリーの先ほどの態度に少し救われた気分になっていた一郎は、今度はローリーを救いたいと思った。
「あん?」
だが、バンジャの態度は明らかに一郎を見下していた。
「モノにする気がないなら、引っ込んでな」
「うっ」
バンジャの右拳が、一郎のみぞおちにはまった。
一郎のひざが折れ、腰が落ちかけた。それでも、一郎は、すがりつくようにバンジャの腕を取った。
「だめだ」
振り絞った一郎の声にまだ迷いはなかった。
その手をふりほどいたバンジャは、少しいらつきながら不思議そうに一郎を見つめていた。
「おまえ、頭がおかしいんじゃねえか?」
「なに」
「女をモノにする気がないくせに、出しゃばるんじゃねえよ」
「どういうことだ」
「お前はローリーを『客人』だといった。だから俺はローリーを自分の『モノ』にする。どこか間違ってるか?」
〔ダメだ。話が通じない〕
なぜ通じないのか、自問したとき、一郎はやっと気づいた。一郎は周囲を見渡して、納得した。
〔この世界では、誰のモノでもない女性は、宣言するだけで自分のモノにできるのか〕
先ほどから沈黙を守っているチェリーやフィビーも一郎の知らないこの世界の慣習にしばられているのかもしれない。
〔そんなことが、この世界では、当たり前のように、行われているんだ〕
一郎の中で疑問に思っていたことのいくつかが氷解した。
一郎が思考を巡らせているほんのわずかな沈黙を、バンジャは承諾と判断した。
「ふん、手間かけさせやがって」
一郎の目の前でバンジャはゆっくりとローリーの方を向き、一歩踏み出した。
〔俺の方が間違っているにしても、ローリーさんは、守りたい〕
一郎は意を決して、もう一度バンジャの手を掴んだ。今度は、その手をひねって、さらに足を払った。
バランスを失ってバンジャは膝をついた。
「いてて。なにしやがる」
一郎はバンジャの手を離すと、バンジャを見下ろした。
「確かに、彼女は誰のモノでもないかもしれない。いつかは誰かのモノになるのかもしれない。だが、それは、俺ではないし、まして、お前なんかじゃない」
バンジャは立ち上がって膝の埃を払いながら、顔を紅潮させ、一郎を睨み付けた。
「話の通じねえやつだな。引っ込んでろ」
「だから、彼女を守る。その『だれか』のために」
バンジャはせせら笑った。
「へへん。そんな子供みたいな理屈、ここで通用すると思ったのか。だったら、そのだれかさんを今すぐここに連れてきな。勝負してやるから、よ!」
一郎は後に引けなかった。その気持ちが次の台詞を産んだ。
「俺が、その、『誰か』の代理だ」
そして、一郎はチェリーとフィビーの方を振り返った。
「ということで、いいだろ?」
チェリーとフィビーはお互いの顔を見合わせて、一郎の言葉の意味を探していた。
「ローリーさんがいつか巡り会う、今はここにいない『誰か』のため、ということさ」
だが、それは一笑に付された。
「てめえは、ガキか!」
「いい加減にしろ!」
男たちの笑い声に、一郎の頭の中はぐるぐると回り始めた。
こういうのを頭に血が上るというのか、と一郎は心の中で感じながら、この男たちをバラバラに切り刻むことを想像していた。
男たちの笑い声をかき消すように、森全体が震えるような笑い声が響きわたった。
9.
笑い声の主はギンガだった。
笑い声の迫力に押されたのか、気勢をそがれたのか、男たちは固まっていた。
「いいねえ」
ギンガは晴れ晴れとした笑顔を一郎に向けた。
「ここにはいない『誰か』か。それ、いいよ」
ギンガが一歩踏み出した。
それが地面を震わせたかのように、男たちがビクッと小さく震えた。
「さすがは、俺が見込んだ旦那だけのことはある」
歩きながら笑顔を一郎に送るギンガは、一変して鋭い眼光を男たちに送った。
威圧という言葉を体現するかのように、男たちはギンガを前にして後ずさりした。
やや間を置いて、男たちが凍りついた。その場の雰囲気が凍りついたようだった。
一朗が振り向いたとき、背後に白い霧が迫っているような錯覚をした。実際には白い衣をまとった一団だった。そして、それは背後からだけではなく、一朗たちを取り囲むように出現した。
背後の一団から三人の白い影が歩み出た。
白い布はよく見るとフードの着いた、頭から膝まであるマントだった。
足下は何かの蔓で編んだサンダルのようなモノを履いていた。三人とも足首がきれいだった。
〔みんな、女、か?〕
足首を見てそう思った一郎の脇を三人はすっと通り過ぎた。
三人は、一郎たちの存在は全く無視して、水辺に横たわった女性の遺体を取り囲んだ。
「お、おい」
バンジャが絞り出すような声を三人に投げかけた。
三人はそれに答えず、女性の遺体に手をかざした。
「な、なにしてるんだ」
バンジャの声は先ほどの強さがなくなっていた。
〔この人たちが誰か知っているのか〕
やがて、三人は同時にバンジャを振り返った。
「この方はもう亡くなっています。こちらで引き取らせていただきますが、よろしいですか」
「な」
バンジャが口を開きかけたとき、周囲の森全体がざわめいた。
見渡すと、周囲の白い布から出た手が、近くにあった木の枝を揺らしていた。
一郎は少し気味が悪いとは思ったが、バンジャの顔には畏怖の色がありありと浮かんでいた。
ほかの男たちも、先ほどの威勢は風に飛ばされでもしたのか、不安げに周囲を見渡していた。
「か、勝手にしろ!」
バンジャは走り出した。他の男たちも迫力の欠けた捨てぜりふを残して、走り出した。
遠ざかる男たちの姿が、森の中に消えて行くまで、一郎は見送った。その姿が見えなくなったとき一郎は、ほうっと息を吐いた。
一郎が再び三人の方を向いたとき、真ん中の一人が、マントの下から銀色の、長さ1メートルくらいの棒を出した。
両脇の二人は自分の胸に手を当てて何かを祈りはじめた。
銀色の杖が手の中で鈍く光り始め、かすかな振動と低いモーター音が伝わってきた。
光は細い筋となって遺体に何本も延びていった。それはやがて遺体全体を繭のようにやさしく包み込んだ。
〔何をしているんだ?〕
一郎は呆然と見守っていた。
フィビーも、チェリーも何のことかわからず、その場で固まっていた。
光の繭が遺体から離れ始めた。それは次第に大きさを変え、杖に引き寄せられるようにその中に吸い込まれて、消えた。
銀色の杖は、磨かれたように輝きを増していた。
遺体の両脇の二人は、遺体に両手をかざした。しかし、それだけで遺体は風船のように浮かび上がった。
ギンガやローリーが息を呑むのがわかった。
杖を持った一人が、一郎の方に向かって歩き出した。
「あ、あの、・・・」
一郎はどう声をかけていいかわからず、口ごもっていた。
その一郎を無視するかのように、杖を持った一人は一郎の脇を通り過ぎ、フィビーの前に立った。
杖を持ったまま、その人は恭しく一礼した。
「立ったままで、ご無礼致します。マルカム王国、第一皇女、フィビー姫でいらっしゃいますね?」
「はい」
フィビーは反射的に返事をしてしまった。
「私達が『白の塔』までご案内いたします」
困惑気味の表情でフィビーが一郎を振り返った。
一郎は「うん」と軽く返事をしただけだった。
フィビーは杖を持った人、おそらく女性、たぶん神聖術士、に会釈を返した。
「は、はい。よろしくお願いいたします」
白い一団に囲まれながら、一郎たちはその場を離れた。
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