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「ワールドマスター」の世界を少しでも分かっていただけたらと思って、小説にしてみました。


「ワールド マスター 2  〜 真紅のリーアン 〜」

第三章 「誘 い」

         1,

 一郎とリーアンが対峙したまま、時が止まった。
 フィビーもチェリーも息苦しいほど対峙する二人を見つめていた。
 時間が動き出したのはすぐあとだった。
「司令官!」
 参謀の一人が駆け足でやって来た。
「なんだ?」
 リーアンは何事もなかったように参謀の方に振り向いた。
 緊張の糸が切れた瞬間、フィビーとチェリーは同時に溜息をもらした。
「はあ」
「ふう」
 その場の空気を察したのか、参謀はあたりを見渡した。
「何かあったのですか?」
 参謀の質問にリーアンは笑って答えた。
「何でもない」
 リーアンはそのまま笑顔を一郎に向けた。
 きょとんとした表情で一郎は応えた。
 参謀は報告を始めた。
「海賊どもは、ほとんどが海に逃げました。追跡の船も出してはありますが、果たして奴らの船に追いつけるかどうか」
「捕虜はいるか?」
「何人かは生きて捕らえることが出来ました。さっそく尋問の方を行っています」
「よし、立ち会おう」
 リーアンは参謀を促してその場を進み出した。
 歩きながらリーアンは微かに笑みを浮かべた。
〔イチ・ローという男、結構、男らしいのだな〕
「司令官、どうかなされましたか」
 リーアンはさっと顔を引き締めた。
「何でもない」
 呆然と見送った、一郎の側にチェリーとフィビーが駆け寄った。
「イチ・ロー様」
「イチ・ロー」
 一郎ははっと我に返った。二人の不安そうな表情を察知して、視線はさっと宙を泳いだ。
「ご、ごめん」
 一郎の口から出たのは、謝りの言葉だった。
 フィビーもチェリーも一瞬きょとんとした。
「なんのことですか」
「何、謝ってるのよ」
「えっ」
 一郎はもう一度視線を二人に送ったが、二人とも不思議そうに一郎を見つめていた。
「いや、その、フィビーのお兄さんを殴るなんて、乱暴なことをして」
「違います」
 フィビーが、一瞬泣き出しそうで、うれしそうな、複雑な表情になった。フィビーが言葉に詰まると、チェリーが口を開いた。
「イチ・ロー、あなた、あの、リーアン王子を殴ったのよ」
「いや、だから、そう、その、王子を殴ったんだよ」
 チェリーの真剣な表情に一郎は戸惑った。
「違うの。リーアン王子といえば、おじいちゃんに次ぐ剣の達人だし、逆らうものには情け容赦のない姿勢で、みんなから『真紅のリーアン』と、恐れられているのよ」
〔あ、そうだった〕
 一郎は鳥肌が立ったのが判った。
 ぶるっと、一郎の体が震えた。
「なによ」
 チェリーが少しいたずらっぽく笑って、一郎を見上げた。
「今頃震えてるの? 知らずに、王子にくってかかったの?」
 一郎は首を横に振りかけて、縦に振った。
「イチ・ロー様、ありがとうございました」
 フィビーは一郎の右腕に自分の腕を絡めて、体を預けた。
 チェリーも、一郎の腕をつかむと、そっと体を寄せた。
「ありがとう、イチ・ロー」
 一郎は、照れくさそうな笑顔を空に向けた。

         2,

〔なぜだ。なぜ、「真紅のリーアン」がここまで近づいているのに気付かなかった〕
 山の中の道なき道を進む女性がいた。
 さきほどまで、一郎との戦いで海賊たちを指揮していた女性だった。
 心の中の疑問と戦いながら、陸路を本拠地に向かっていた。
 その前方が急に開けた。
 目の前には、山の木を切り倒して、広い土地ができあがっていた。
 そこをマルカム王国正規軍の軍需物資が埋め尽くし、数十人の兵士が、護衛のために巡回していた。
「いつの間に」
 思わず口をついて出た言葉はそれだった。
 軍需物資の配置を見渡して、その女性は一計を案じた。
 その十数分後、爆発が起きた。
 最初に火薬が爆発し、残っていた兵士は慌てて消火に当たった。
 次に、食用油の樽が爆発した。ほとんどの兵士が、食料への延焼を防ぐために消火活動に走り回った。
「おれたちは、いいのか?」
 リーアンのテントの前の兵士が隣の兵士に話しかけた。
「なにが」
「いや、手伝わなくていいのか?」
「仕方あるまい。司令官のテントがここにあるんだ」
 テントの影に潜んでいた女性がほくそ笑んだ。
〔やはり、リーアンのテントだったか〕
 女性の投げたナイフは、テントの前の兵士の喉に深々と突き刺さった。
「うっ」
「おい、どうした?」
 もう一人の兵士が駆け寄ったとき、その背後から、隠れていた女性が襲いかかった。
「ぐあっ」
 背後から胸に向かって剣に貫かれ、兵士はばったりと倒れた。
「ふん、大したことはないな」
 女性は、兵士の体から剣を引き抜いた。
 もう一人の喉に刺さったナイフも回収して、女性は音を立てずにテントの中に入った。
 テントの中は確かに正規軍の司令官の部屋があった。
 立派な机と、背後には国旗と軍旗が掲げてあった。奥に扉のような幕があった。
「奥は寝室か」
 女性は、負けた腹いせに何か重要な情報か、リーアンが大切にしているものを盗むつもりだった。
 ゆっくりと慎重に寝室の中に入った筈だった。
 女性の喉に冷たい金属の刃が当たった。
「動くな。死ぬわよ」
 静かな別の女性の声がした。ローリーの声だった。
〔やられた。気付かなかった〕
 女性は心の中で舌打ちをした。
 喉に当たった刃が一ミリ動いた。そこから微かな血が糸を引くように流れた。
 女性はローリーの顔を見てみたかったが、完全に後ろを取られた形になっていた。
「剣とナイフを捨てなさい」
 女性はためらわずに手にしていた剣とナイフを投げ出した。
 ナイフを放り投げて女性は口を開いた。
「そうか。おまえ、『真紅のリーアン』の女、いや、モノか」
 そして、低く含み笑いを漏らした。
「何がおかしいの?」
 少し緊張した声でローリーが聞いた。
「見事な気配の断ち方だと思ってね。日頃から家具と一緒に並んでたんだろ?」
 女性の声は明らかに蔑みの言葉を含んでいた。
「だったら、どうだと言うの?」
 ローリーの声が微かに怒気を帯びていた。
「いや、別に」
 そのとき、テントの外で兵士の声がした。
「おい、どうした!」
「やられてるぞ!」
 ローリーが声を上げた。
「こっちです!」
 その瞬間にナイフが喉から離れた。
 すかさず女性がかがんだ。
「あっ」
 ローリーが手を動かしたが、それは女性の髪を数本切り落としただけだった。
 低い体勢から女性が、ローリーのナイフを蹴り落とした。
 そのまま女性は投げ捨てた剣の側に飛び移った。しなやかで素早い訓練された動きだった。
 剣を拾った瞬間、その女性とローリーの目が合った。同時に二人は息をのんだ。
 その場が一瞬にして静まり返った。
 そこの鏡があるはずがない。しかし、目の前の女性の顔はローリーに生き写しだった。
「ローリー?」
 女性の口が微かに動いて声を出した。
「ローラー、姉さん?」
 どどっと兵士達のなだれ込む足音がした。 反射的に女性は、テントの幕を切り裂いて外に飛び出した。
「姉さん!」
 ローリーの口から、押さえきれない言葉があふれ出た。
「そこか?」
 なだれ込んできた兵士は、切り裂かれたテントから外に飛び出した。
 女性の姿はテントの外にも見えなくなっていた。

         3,

 一郎たちは、アラウアでただ一件、無事に残った宿屋にたどり着いた。
 海賊に町を襲われて、沈んだ顔の主人が店のカウンターの向こうで椅子に腰を下ろしていた。
「すいません」
 一郎が声をかけても、主人は項垂れたままだった。
「ちょっと、おじさん、返事くらいしてよ」
 チェリーが声をかけると、主人は切なそうな表情のまま顔を向けた。思わず同情してしまいそうなほど気の毒な表情だった。
「何かあったんですか」
 フィビーはその表情に釣られるように聞いた。
 フィビーの顔を見て、店主は椅子から飛び上がると、カウンター越しにフィビーに飛びついた。
 その勢いに目を見張ったのは三人ともだった。
「うおおおおっ、セリュー! 無事だったのか!」
 店の主人はフィビーの両腕をつかむと、フィビーの胸の中で声を出して泣き始めた。
「えっ、その、おじさん、違います」
 戸惑った表情のフィビーを、チェリーが助けた。
 チェリーの出した右拳が主人の頬をきれいに捉えた。
「ぐっ」
 主人は五、六歩、よろめいて頬を押さえた。
「ひどい。妻と娘をさらわれた傷心の男を殴るなんて」
 キッとチェリーが一睨みすると、主人はびくっと身体を震わせた。
 畳みかけるように、チェリーが言葉を浴びせた。
「鼻の下伸ばして、なに、言ってんのよ。このスケベ親父」
 再び、主人は暗い顔に戻った。
 一郎がチェリーと主人の間に割って入った。
「まあまあ、奥さんと娘さんがさらわれたのは本当みたいだから」
 一郎は主人に向き直って言った。
「今晩、一晩、泊めてもらえませんか」
 主人は渋々という感じで、頷いた。
 フィビーが窓の外に目をやると、ちょうど金髪の男が通り過ぎていった。
〔お兄さま、かしら〕
「それで、どんな、お嬢さんなんですか」
 一郎の穏やかな声に、フィビーは視線を戻した。
「お、お兄さん、女房と娘を取り戻してくれるのかい」
「イチ・ロー、まさか」
 チェリーと店の主人が身を乗り出して来た。
「いや、期待されても困るんですけど、ただ、何かの縁で見つかったらと思って」
「なんだ」
 少し安心した表情をチェリーが見せた。
「いや、お兄さん、ありがとう。その気持ちで十分だ」
 主人はおだやかな表情で言った。
「でも、念のために教えて。どんな女の子なんです」
 少し主人が気の毒の思えて、チェリーが優しく話しかけた。
「そうだな。赤毛で、短めの髪、…」
 次の瞬間、再び、チェリーの右拳が主人の顔面を捉えた。
「どうやったら、フィビーとまちがえられるのよ!」
 チェリーが指さしたフィビーの髪の色は黒、長さは腰まである。
 力のこもった拳に、主人は完全にのびていた。
「そりゃ、やりすぎだよ」
 一郎が注意したときは遅かった。
 乱暴な客は泊められないと、一郎たち三人は丁寧に追い出された。
「仕方ないですわね。兄に話して、野営地で、テントでも貸してもらいましょう」
 フィビーは、良い考えが浮かんだのがうれしそうに、そう提案した。

         4,

 市内に残った兵士から野営地を聞いて、一郎たちは山の中を三十分ほど歩いた。
 歩きながら、一郎が不意にチャレンジャーの剣を抜いた。
「どうしたの?」
 チェリーが少しはっとなってあたりを見渡した。
 フィビーも思わず足を止めた。振り返ると、襲われた港町のあちこちで薄く煙がたなびいていた。フィビーはすぐに視線を一郎に戻した。
「いや、なんでもないよ」
 一郎はすぐに剣を指輪の形に戻した。
「行き先を確かめたんだ」
 すかさずフィビーが聞いた。
「それで、行き先は?」
「まだ、東だ」
 一郎は再び歩きだした。
「ここからさらに東?」
「変ですわね。聞いた話では、ここから東にはもう町はないと思っていましたのに」
 フィビーの言うとおり、以前クルウアの港町で集めた情報では、このアラウアの港町から東は険しい山が続いているはずだった。
 その疑問も確かめたくて着いた野営地は、そんな思いを吹き飛ばすように騒然としていた。
 煙こそ治まったものの、あたりは焼けこげた臭いが充満していた。
 慌ただしい兵士の動きには、勝ち戦の余韻はなかった。
「どうしたんだろう」
 一郎は思わずぽつりと漏らした。
「聞いてきます」
 フィビーはそう言って、近くの兵士に話しかけた。
「あの…」
 話しかけられたのがフィビーと知って、兵士は暗く緊張した面もちを別の明るく緊張した表情に切り替えた。
「はい、なんでしょうか」
「なにがあったんですか」
「敵襲です」
 その言葉は一郎にも聞こえた。
〔敵襲? 海だけじゃなかったのか〕
「それで、被害は」
 フィビーはゆっくりと言葉を続けた。
 それに応えるように兵士も丁寧に話した。
「食料と武器庫を焼かれました。司令官のテントが襲われまして、二人、殺されました」
 さっと三人の間に緊張が走った。
「兄の」
 一瞬考え込んでから、フィビーは一郎を振り返った。
 視線があった瞬間、一郎は口を開いた。
「リーアン王子に会おう」
 一郎は兵士の前に進んだ。
「王子はどこにおられるのです?」
 兵士はリーアンのテントのある場所を指さした。
「あのテントの中です」
 指し示したテントには兵士が大勢集まっていた。
 チェリーも歩み出た。
「どうしたの、あの人だかりは?」
「なんでも海賊の一人を捕まえたとか。それも、女だとか」
 兵士の言葉に、一郎は海賊たちを指揮していた女の声を思い出した。
〔見たい。どんな女なんだ。あんな鮮やかな指揮をするのは〕
 一郎の好奇心がうずいた。
「行こう」
 言葉より先に一郎は動き出していた。
「はい」
 フィビーとチェリーの声が重なった。

         5,

 リーアンのテントのまわりは緊張と不安の眼差しが渦巻いていた。
 ある種の疑念に満ちた目を兵士たちはテントに向けていた。
 テントの入り口を守る兵士と、それに詰め寄る兵士が言い争っているのが見えた。
〔なにがあったんだ〕
 一郎は不思議に思いながら、兵士をかき分けて、テントに近づいた。
 兵士の間でざわめきが起こった。
 一郎たちが近づくのを咎める兵士はなく、一斉に視線がテントの入り口に向けられた。
 テントの入り口がひらめいて、一人の男が出てきた。一郎の知らない顔だった。
「ファンゲン参謀長ですわ」
 一郎はフィビーの声に黙ってうなずいた。
 ファンゲンは一郎より少しだけ年上のように見えるのだが、髪の毛がやや年の割に薄くなっているように思えた。
 ファンゲンの合図で、演台が用意された。
 続いて、リーアンが現れた。
 ファンゲンと比べれば、リーアンの服が鮮やかに見える。リーアンは紺色で統一された軍服をきて、赤いマントを着けていた。
〔だから、真紅のリーアンというのかな〕
 そんな一郎の思考を弾き飛ばすように、兵士の間から歓声が上がった。
「司令官閣下!」
「閣下!!」
「海賊どもを血祭りに!」
「真紅のリーアン、万歳!」
 ファンゲンが軽く肘から先の右手を挙げた。
 それまでざわついていた一郎の周囲がぴたりと止まった。
〔すごい人気というか、人望があるんだな〕
 ファンゲンが横へ体をずらして、リーアンに向かって一礼した。
 リーアンはゆっくりと演台に上がった。その視線が一郎と合った。しかし、リーアンは表情を変えなかった。
 リーアンは一歩前に歩み出た。
「勇敢なる兵士諸君、海賊どもは撃退した」
 再び歓声が湧き起こった。すかさずリーアンは軽く右手を挙げて制した。
「残念ながら、わたしの油断で、基地に敵の侵入を許してしまった。貴重な物資を損なっただけでなく、かけがえのない兵士を二名も失ったことは、大変悲しく思う」
 リーアンが一礼した瞬間、兵士の間からどよめきが起こった。まるで内から外に広がる波紋のように穏やかなどよめきだった。
 司令官であるリーアンが頭を下げることがよほど珍しかったのだろう。
 一郎にはリーアンの毅然とした態度がすごく自然に思えた。
「ただし、海賊どもの本拠地はもうわかっている。二月以内に、もう、我が国を脅かす者はいなくなる」
 リーアンのよく通る声は、周囲の森の中で反響していた。
 リーアンは言葉を区切って、兵士たちを見渡した。
「以上だ」
 演説が終わりだと知った兵士たちの間で、ささやく声がいくつか上がった。
 リーアンがゆっくりと体を翻そうとしたとき、兵士の一人が声が大きな声で質問にした。
「司令官のテントで女海賊を捕まえたんじゃないんですか?」
〔そうだ。その通り〕
 一郎はそう思って、声を上げた兵士を見た。
 体格のがっしりとした、腕の太さが目立つ、髪の短い兵士だった。
「進入した海賊は、現在も逃走中で、追跡を続けている。追跡に出した者からの報告はまだない」
〔捕まえたんじゃないのか〕
 一郎は疑問に思ったが、リーアンが言うならその通りだろうと納得しかけた。
 その時、先ほどの兵士が続けた。
「じゃ、司令官のテントにいる女は、誰なんです?」
 その言葉で、周囲の兵士たちのざわめきが起こった。

         6,

〔リーアン王子のテントにいる女性と言ったら、やっぱり、ローリーだよな〕
 質問をした兵士を別の兵士が厳しい顔で見つめ、肩をつかんでゆすった。
〔バカなことを聞くな、とでも言っているようだな〕
 だが、周囲のざわめきは一郎を不安にさせた。一郎は傍らにいるフィビーに目をやった。
〔みんなはローリーの存在を知らないのか〕
 フィビーと目があって何かを言いかけたときだった。リーアンが静かな口調で答えた。
「わたしのモノだ」
 抑揚のない淡々とした調子の言葉だった。
 兵士たちのざわめきが次第に収まっていった。
 リーアンそセリフはそこで終わらなかった。
「しかし」
 それに続く言葉に兵士が聞き入った。
 リーアンがファンゲンの方を振り返った。 リーアンの目配せで、ファンゲンが合図を送った。
 リーアンのテントの方から兵士が二人歩いてきたのが見えた。
 前方の兵士の方から、溜息ともどよめきとも付かない声が上がった。
〔なんだ。なにが起こったんだ〕
 二人の兵士が演台に上がったとき、その間に挟まれるように、ローリーが立っていた。
「えっ?」
 チェリーが思わず声を上げた。
 フィビーも息をのんだ。
 一郎には二人の雰囲気から、それが異常なことだと判った。
 二人の兵士は、ローリーを放してリーアンの脇に立たせた。それを受け取るようにリーアンがローリーの腕をつかんだ。
 ローリーは台の上で片腕をリーアンにつかまれ気恥ずかしそうにうつむいた。
 何かにじっと堪えるように、ローリーは唇を強くかんでいた。
 リーアンはローリーを一瞥しただけで、思いもかけないことを口にした。
「この女は、海賊に連なる者であることがわかった」
 兵士の間のざわめきが大きくなった。
「じゃ、スパイですか?」
 別の兵士が声を上げた。
「それは違う」
 リーアンの口調は静かだがよく通る声が一郎の耳にも届いた。
「現に我らは海賊に勝利した。その油断がこの光景を産んだのだ」
〔意外と謙虚だな〕
 一郎は不意にフィビーが気になった。
〔こういうリーアンを見るのはフィビーにとっては初めてだろうな〕
 一郎がフィビーに視線を送ると、フィビーは体を硬くしてじっとリーアンの方を見ていた。
 となりにいるチェリーからも緊張した空気が伝わってきた。
「だが、この女は不愉快だ。よって、追放する」
 思いもかけないリーアンの言葉に、ローリーは顔を上げた。信じられないといった表情だった。そして、もっと信じられないことが起こった。
 リーアンはローリーの腕を放すと、軽くその胸を押した。
 一歩ローリーがよろめいた。ローリーの二歩目は宙を踏み込んだ。
 かくんとローリーの体が折れ曲がったようだった。そのまま五、六十センチ下の地面にローリーの体は投げ出された。
 その間、ローリーの視線がじっとリーアンを捉えていたことを、フィビーは見逃さなかった。
「ひどい」
 チェリーがうわごとのように口を滑らせた。
 それを耳のどこかに留めるだけにして、一郎は事の成り行きに硬直していた。
 リーアンがローリーを突き飛ばすだけでも信じがたいことだが、次のリーアンの言葉には、一郎も自分の耳を疑った。
「ここから出ていけ。そして、好きなところへ行け」
 そして、おそろしく冷たい視線をリーアンはローリーに投げかけた。
 ローリーが何かを言いかけたように口をぱくぱくと動かした。ローリーの視線は痛々しいほどリーアンの視線と絡み合っていた。
 やがて、リーアンは見飽きたようにきびすを返した。
 演台を降りたリーアンは一度も振り返らず、素早く自分のテントの中に消えた。
 一郎は小さな劇を見たような感覚に陥った。
 わずか数分の間のドラマは、信じられない結末で、一郎の胸に棘のように突き刺さった。

         7,

 劇の終わったあとの後かたづけが、一郎たちを待っていた。
 地面に投げ出されたまま、ローリーは呆然とリーアンのテントを見つめ続けていた。
 そのローリーに手を差し出したのは、さっきの質問をした兵士だった。
 手を差し出したというのは一郎の好意的な見方だった。
 兵士はローリーの手を握ると、ほとんど無造作にそのまま引き上げた。その表情は獲物を前にした狼かハイエナのようだった。
 最初に気付いたのはチェリーだった。
「イチ・ロー! 彼女を助けて」
 チェリーの表情は必死に訴えていた。
〔チェリーなら、言う前に自分から動くはずなのに〕
 不思議に思いつつ、一郎は兵士の波をかき分けローリーに歩み寄った。
 兵士はローリーの体を引き上げると、軽々と肩の上に担ぎ上げた。まるで穀物の詰まった麻袋のように。
「おい! この女は俺がもらっていくぞ! 文句のある奴はいるか?」
 兵士はぐるりとまわりを見渡した。
「おい、ギンガ」
 別の兵士が声をかけた。
 ギンガと呼ばれた兵士は振り向いた。
「おう、なんだ。遠慮なく、お相手するぜ」
「バカ。誰がお前みたいな怪力を相手にするか」
「じゃ、なんだ?」
「仮にも司令官のお下がりだぜ。いいのか?」
「へへっ、誰のお手つきだって、気にするもんかい。それにな、捨てられたモノなら拾った者の勝ちだろ?」
〔捨てられた〕
 その言葉にローリーの体がびくんと震えた。
〔わたしは、捨てられたモノ〕
 深い絶望が、ローリーの体を浸食した。
〔捨てられた〕
 その言葉にフィビーの体も硬直した。
〔もし、わたしが、イチ・ロー様に捨てられたら〕
「だから」
 チェリーが低く唸るようにつぶやいた。
 フィビーは呪縛から解き放たれ、チェリーの方を見た。
 チェリーは何かをかみしめるように唇を震わせていた。
「男なんて信じられないのよ」
 硬いものをかみ砕くようなセリフだった。
〔人をモノのように捨てるのか〕
 最初は信じられなかった。だが、一歩一歩、ローリーを抱えた兵士に近づく度に、一郎の心の中に怒りがわき上がってきた。
「誰も文句はねえよな?」
 ギンガは周囲を見渡しながら言った。
 そのギンガの視界に一郎が入ってきた。けっこう背の高いはずの一郎の頭はギンガの首ぐらいにあった。
 ギンガは一郎を見下ろして値踏みをするように頭から下まで視線で舐めまわした。
「おや、若いの、見かけない顔だ」
「彼女をおろせ」
「おい」
 ギンガはもう一度あたりを見渡した。
「他にはいないのか?」
 まわりの兵士たちは、沈黙で答えた。
 ギンガは、にやりと笑って一郎を見下ろした。
「じゃ、相手してやるぜ、若いの」
「その前に彼女をおろせ」
「おお、そうかい」
 ギンガはゆっくりと肩からローリーを下ろした。
 下ろされたローリーは力無く体を土の上に横たえた。
「じゃ、やるかい? ぼうや」
 ギンガが身構えた。熱気がギンガの体から立ち上っていた。
 その瞬間、一郎の頭に上っていた血がさっと退いた。
〔俺は、なにをやろうとしてるんだ?〕

         8,

「どうした、若いの? 怖じ気づいたのか」
 一郎はゆっくりと頭を横に振った。その頭の中は、次にどうするか考えるので一杯だった。
 一郎は後ろにいるチェリーに替わってもらおうかとも考えた。
〔それは最後の手段にとっておこう〕
 ローリーはまだ地面に横たわったまま動こうともしなかった。
〔彼女を助けるのが先だ。この際、卑怯な手段でもやむを得ないだろう〕
 一郎は自分をやっと納得させると、ギンガに話しかけた。
「剣を構えてもらいませんか」
 一郎の真剣な表情がギンガには伝わらなかった。
 後ろにいるチェリーも首を傾げた。
〔イチ・ロー、本気で、素手であの男とやり合う気なの?〕
「おいおい、若いの、これでも人を見る目はあるつもりだぜ。剣を構えるなら、お前の方だろう」
「怪我をしますよ」
 一郎は必死に、「あるもの」をイメージした。イメージを間違えば、ギンガが重傷を負うことは目に見えていた。
 ギンガも少しとまどった。一郎の真剣な表情はなにか根拠があってのことなのだ、と半信半疑ながら納得しかけた。
「いいだろう」
 ギンガは腰の鞘から剣を抜いた。
 一郎はゆっくり左手の甲の上に右手のひらを重ねた。
「いつでもいいぜ、若いの」
 一郎は心の中で祈った、ギンガが余分な動きをしないように。
「いきます」
 一郎の手が光った。
 ギンガは一瞬それに反応しかけた。だが、一郎が魔法のたぐいを使うようには見えなかった。
 一郎の手の光を確認しようとした分、半秒ほどギンガの動きが遅れた。一郎にはそれが幸いした。
 一郎の手の中で、チャレンジャーの剣が姿を現した。
 合わせて、ギンガも一歩踏み込もうとした。その動きが全身に伝わる前に、ぴたりと止まった。
 チャレンジャーの剣の光は、一瞬でギンガの体を取り巻いた。
 光が剣に変わった。かすかに金属の冷たい感触がギンガの腕をかすめた。
 周囲の兵士たちは息をのんだ。
「な、何だ」
 ギンガは精一杯の声を出した。そして、動かせる範囲で自分の周囲を見渡した。
 チャレンジャーの剣はその刀身を伸ばし、ギンガの体を二重、三重に取り巻いていた。それも、ギンガが瞬きする間に。
 剣先はギンガの鼻先数ミリのところにまで迫っていた。ギンガが不用意に体を動かせば、剣の刃が体を傷つけるのは明白だった。
 兵士たちの間にどよめきが起こった。
「何だ、あの剣は?」
 ギンガは一郎を自分より格下の相手と思っていた。事実はその通りだが、一郎はチャレンジャーの剣を持っていた。一郎の意志で自由に形を変えるその剣は、形を変える速度も数段早くなっていた。
「くっ」
 ギンガは歯がみをして、剣を落とした。
「若いの、あんたの勝ちだ」
 悔しそうなギンガの表情に一郎は少し恥ずかしさを覚えると同時にその潔い態度にほっとした。

         9,

 一郎はチャレンジャーの剣を元の普通の剣の形に戻した。さらに剣を指輪の形に収めると、ローリーに手を差し出した。
「ローリーさん、大丈夫ですか」
 ローリーは一郎の顔を意外な思いで見上げた。
〔この人は、チャレンジャーになったはず。わたしに何の用があるのだろう〕
 ローリーは差し出された手にとまどっていた。
 フィビーが駆け寄って、手を差し出した。
「ローリーさん、立てますか?」
 ローリーは差し出された二つの手を見比べてさらにとまどった。
 だが、体を動かさなければならないことはローリーにも分かった。
〔このまま、この、イチ・ローという人に身も心も任せてしまおうか〕
 ローリーはそれでも二度、手を差し出すのをためらった。自分がリーアンに捨てられたという事実がまだ納得できなかったからだ。
 三度目に手を伸ばしたとき、ローリーはぎゅっと目をつむって一郎の手を握った。その心の片隅で、
〔ごめんなさい〕
と謝っていた。
 ふわりとローリーの体が浮いたように立ち上がった。一郎にはそう思えた。
〔軽い〕
 一郎はローリーの手を引いて歩き出した。
 そのあとに、フィビー、チェリーが続いた。
 チェリーは意識して、最後尾についた。そのチェリーの読みが当たった。
「納得、できるか!」
 ギンガは叫ぶなり、一郎の背後から襲いかかろうとした。
 一郎は悠然と振り返った。フィビーにはそう見えた。
 一郎とギンガの間に割って入ったのは、チェリーだった。
 チェリーは手の平をギンガの前でかざした。それは片手でギンガを制したようにも見えた。
 ギンガはこのときチェリーの素性を一郎と同じくらいに知らなかった。だが、一郎と違ってチェリーには明らかな熟練の気配が感じられた。
 ギンガは一瞬とまどった。目の前のチェリーは見かけは普通の女の子だった。
 ギンガは何かに突き動かされるように、チェリーに襲いかかった。
「どけ、小娘!」
 チェリーは、少し不快そうな表情を浮かべた。
「おっさん、勝負はもう、ついてるんだよ」
 ギンガの剣がチェリーに向かって振り下ろされた。
 チェリーは手をかざしたまま、静かに言い放った。
「奥義、点破撃」
 ギンガの剣がチェリーの頭上わずか数ミリと言うところで、止まった。
 同時にギンガの表情がゆがんだ。
 パンと、手と手を合わせる音がした。
 ギンガの体は剣を振り下ろしかけたまま、宙に浮いた。
 ギンガをよく知る兵士は、ギンガが飛び退いたように見えた。
 しかし、ギンガは両足で着地せず、尻餅をついた。続けて仰向けに地面に倒れた。頭の上に両手を投げ出し、剣も地面に触れると同時に投げ出していた。
 チェリーはギンガが立ち上がってくることさえ確かめなかった。振り向いて、一郎の後を歩き出した。
「おい、ギンガ、大丈夫か?」
 一郎は背後で、ギンガを気遣う兵士の声を聞いた。
 一郎の歩調が少しゆっくりになったのを見て、チェリーは少し疲れたように言った。
「大丈夫よ。気を失っただけ。別に怪我もしてないわよ」
「そうか」
 一郎は、すぐ横のローリーに視線を送った。
 ローリーは、リーアンがいるはずのテントに視線を定めていた。
「イチ・ロー様、これからどちらへ」
 フィビーの質問に一郎はやや当惑気味に答えた。
「チャレンジャーの剣は、まだ、東を指しているんだ。いったい東に何があるというんだろう」
「白の塔」
 ローリーがぽつりと言った。
「え?」
「今、なんて」
 一郎とチェリーが同時に声を発した。
「『白の塔』があると、聞いたことがあります」
「『白の塔』って、まさか」
 普段より高めの声で、フィビーが反応した。
「はい」
 ローリーはフィビーの方を向いた。
「神聖魔法の修行の場で、神聖術士を養成しているところです」
 一郎は、ローリーをどうするかより、「白の塔」という言葉に惹かれた。神秘的な響きのする言葉だと思った。
〔まるで、誘われているようだ〕


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