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「ワールドマスター」の世界を少しでも分かっていただけたらと思って、小説にしてみました。


「ワールド マスター 1  〜 マルカム王国編 〜」

ダウンロードできます。(ただし、一太郎Ver.6形式です。すみません)


 第十二章 「刻印を持つもの」

 

         1,

 

 一郎は全ての始まりを思い出した。

 それは一郎にとって今から三ヶ月前の十二月にさかのぼる。

 一郎は自宅で受験勉強をしているフリをして、パソコンに向かってゲームを作っていた。

 某大手出版社が主催する投稿ゲームコンテストに、作ったゲームを投稿するつもりだった。その作品が完成して、一郎は自分のノートパソコンからPHSを通してインターネットで投稿しようとしていた。

 そのとき、別のプログラムが作動した。

 画面には一郎がゲームのメインタイトルのバックに使われているCGと同じものが現れた。円の中に正七角形と対角線が描かれたものである。

 一郎は作ったプログラムを間違えて動かしてしまったのかと思った。

 だが、表示されるメッセージは一郎の知っているものではなかった。

「長い間待っていた。連絡の取れるものを」

 一郎はつい声を上げて読み上げた。

「これは、時間と空間を超えたはるか彼方から送られたメッセージである。もし、君にほんの少しの優しさと正義感と勇気があるなら、この冒険に参加して欲しい」

 そのメッセージの下に「OK」と「NO」の文字が書かれた四角いマスが二つあった。

〔どこかのホームページだろうか?〕

 一郎は画面の画像の出自を問うことなく、マウスを動かした。「OK」のマスの中に矢印を動かし、マウスのボタンを押した。

 画面が稲光のように瞬間的に強力な光を発した。それは一郎の想像を超えていた。

 画面を真っ白にして閃光や爆発を演出するのは、ゲームでよくある手法だが、一郎の周囲が全て真っ白になるとは思いも寄らなかった。

「な、なんだ?」

 一郎は眩しさを堪えて、周囲を見渡した。

 今まで自分がいた勉強部屋は白い光の中に溶け込んで判らなくなっていた。

…よく来てくれた…

 声が聞こえたわけでも、目の前に文字が現れたわけでもなかった。ただ、「よく来てくれた」という言葉が一郎の頭の中に浮かんだ。

「だ、だれだ」

 一郎は声を出してみたが、声は返ってこなかった。代わりに言葉が浮かんできた。

…君に世界を一つ救って欲しい…

「ちょ、ちょっと待て。誰かそこにいるのか」

…自己紹介が遅れて申し訳ない…

…わたしの名は京(けい)。一億の一億倍という意味だ…

…君のイメージの中で一番近いのは、「エイリアン」という単語だろう…

「ここはどこなんだ?」

…それはとても説明しにくし、君もイメージがつかみにくいだろう…

…簡単に言えば、君の所属する宇宙とは別の宇宙だ…

 宇宙という単語と共に一郎の頭の中に浮かんだのは、膨大な島宇宙が点在する宇宙全体のイメージだった。それをはるか外から眺めているCGのようなイメージでできていた。

〔たしかに想像できん〕

 一郎は周囲に視線を配ったが、白い光以外は何も見えなかった。人の気配がしないだけでなく、地面の上に立っているという感覚もなかった。

…危険はない…

…一種のゲーム、と思ってもらっても構わない…

…万一、君がこの世界の中で死んだときは、君を元の世界に戻す…

…そのかわり、この世界を救ってくれたとき、君には素晴らしいプレゼントを用意しよう…

「素晴らしいプレゼントねえ。本当に危険はないんだろうね」

…その世界の中での、感覚は全て本物だ…

…君は痛みも感じるし、血を流す…

…反対に味覚や快感も得ることができる…

「時間がかかるのは困る。一応受験生なんで」

…わかっているつもりだ…

…君がその世界の中でどれだけ過ごそうとも、スタート時点の状態にまで復元しよう…

…ある意味では、夢、ゲーム…

…だが、現実だ…

「途中で止めたくなったら」

…それは困る…

…こんな機会は滅多にないことだ…

…悪いが、君の記憶の一部は封印させてもらう…

「しょうがないか」

 周囲の白い光は次第に暗闇へと変化していった。一郎自身の意識も深い眠りに落ちるように、暗闇の中に吸い込まれていった。

 次に気付いたときは猿人の森の側だった。

 そこでフィビーに出会った。そして砂漠を越え、マルカム王国にたどり着き、チェリーと出会い、今、反乱軍と戦っている。

 

         ○

 

 チャレンジャーの剣を手に持ったとき、一郎の頭の中にある言葉が浮かんだ。

「七つの刻印を持つ者を選び、七つの宝玉を剣の柄に収めよ。さすれば、ワールドマスターを倒すこと、可能となる」

 京と名乗るエイリアンと会ったときに彼から伝えられたのか、チャレンジャーの剣が一郎の頭の中に送り込んできた言葉なのか、それは分からない。

 それでも剣を手にしたとき、一郎は心の底から力が湧いてくるような気がした。

 

         2,

 

「兄さん、大丈夫か」

 パンコムとヴィジーが一郎の側に駆け寄ってきた。

 一郎は現実に引き戻された気がした。

「ええ、ありがとうございます」

 一郎は軽く会釈をするをするとすぐに真剣な表情でパンコムに聞いた。

「どうしたら二人を助けられるんです」

 一郎は倒れているフィビーとチェリーを見ていった。

「手に持っているものをよく見ろ。柄のところから光が出ているだろう。それを傷口に当てるんだよ」

 一郎はパンコム言葉の意味を理解した。

〔そう言えば、手の火傷が治ってる〕

 一郎はフィビーに駆け寄ると、剣の柄から出ている光をフィビーに当てた。

 光が当たったところから、みるみる傷も破れた衣服も、血のあとさえ消えていった。

 完全にフィビーが元通りになったところで、一郎はチェリーの方へ駆け寄った。

 チェリーの傷跡にも同じように元通り、まるで何事もなかったかのように、治っていった。

 最初から意識のあったチェリーは、すっと痛みが退いていくのにくすぐったいような感触を覚えた。

「チェリー、大丈夫か?」

「うん」

 それだけ聞くと、一郎はフィビーの方へ戻った。

 フィビーは激痛に気を失っていたが、一郎が軽く肩を揺すると、静かに目を開けた。

 一郎はほうっと大きな息を吐いた。どかっとそのまま地面にあぐらを掻いた。

「よかった。死んじゃうのかと思った」

 そのとき、剣の柄の一部がくぼんで輝きだした。それと引き合うようにフィビーの周囲に散らばった宝石の一つが光り出した。

 一郎が不思議に思って光る宝石をつまみ上げると、その宝石は剣の柄のくぼんだ部分にぴたりと収まった。そして、言葉が頭の中に浮かんだ。

〔まずは一つ目。残りは六つ〕

 フィビーはゆっくりと体を起こした。そして、不思議そうに自分の身体を見て、傷がどこにもないのを確かめた。

 フィビーは傍らで見つめている一郎に気付いた。懐かしい気がした。昨日も出陣式では顔を合わせていた。それでも、出会った頃の服装が、また、今度も自分を救ってくれた一郎が、フィビーには懐かしい気がした。

 心に溜まった言葉が、零れるように、フィビーの口を出た。

「イチ・ロー様」

 フィビーがゆっくりと両手を一郎に伸ばそうとした。そのときだった。

「イチ・ロー!」

 一郎の背後からチェリーが抱きついた。

「ありがとう、イチ・ロー!」

 勢いよくチェリーが抱きついてきたので、一郎はそのまま横に倒れた。

 フィビーののばしかけた両手は行き場所を失って、しばらく固まった。

 そんなフィビーの視線がパンコムと合った。フィビーはなにごともなかったかのように両手を後ろへ回した。

 苦笑するパンコムは傍らのヴィジーに何事か耳打ちした。ヴィジーはただ黙って頷いた。

 チェリーはまるで小動物のようにはしゃいで一郎にすり寄った。

「イチ・ロー」

「チェリー、よせよ。みんなが見てるぞ」

 一郎はフィビーの寂しそうな視線を見つけてドキリとした。

 振り向いたチェリーは少しだけ勝ち誇ったような笑顔をフィビーに見せた。

 今度はフィビーの方がドキリとする番だった。

 チェリーは一郎の身体から離れるとゆっくりと立ち上がった。

 続けて一郎が立ち上がった。

 フィビーも立ち上がって服に付いた草をはたき落とした。

「パンコムさん、よく来て下さいました。おかげで助かりました」

 一郎はパンコムの方に歩み寄ると、手を差し出した。握手のつもりだ。

 パンコムは一郎の手を握ると、空いた手で一郎の肩を軽く叩いた。

「気にするな。お兄さんの一大事に、見物してるわけにも行かないさ。なあ、ヴィジー」

 パンコムは会話をヴィジーに振った。

 ヴィジーはどこかあらぬ方向を見つめていた。反応が遅れたヴィジーは、妙に大人っぽい声で答えた。

「え、ええ、そうね」

「ヴィジーさんも、危ないところをありがとうございました」

 一郎が一礼すると、ヴィジーは照れた表情を見せた。

「いえ、とんでもない。無事で何より、ですわ」

 フィビーもパンコムの前に歩み出ると、一礼した。

「パンコムさん、ヴィジーさん、ありがとうございました」

「いや、もう止めてくれ。お姫様も無事ならこれ以上言うことはない」

 チェリーは一郎の服の裾を引っ張った。

「この人たち、誰?」

 チェリーは小さい声でそうささやいた。

「ああ、チェリーは初めてだったな。北の城門で僕らを助けてくれた、パンコムさんとヴィジーさんだ」

 パンコムは懐から、一郎のトレーナーを取り出した。

「お兄さんにこれを返しに来たんだ」

 パンコムからトレーナーを受け取ると、一郎はパンコムとの約束を想い出した。

「え、でも、まだ、宿代は払ってませんよ」

「そう言う約束だったっけな。そのかわり一つだけ、教えて欲しいことがあるんだが」

「何でしょう」

「この服をどう使えば、サンドボーラーを倒せるような電気が起こせるんだ?」

「ああ、それは、静電気といって、乾いて気温が下がったときにこの服の材料が反応するんですよ」

 一郎はふとあることに気付いた。

「あれ、このお話って、宿でしませんでした?」

「いいや」

 パンコムは首を振った。

〔それじゃあ、どうして、サンドボーラーを倒したことを知ってるんですか〕

 一郎がそう質問しようとしたとき、ヴィジーが建物の方に視線を定めてつぶやくように言った。

「どうやら、片づいたみたいよ」

 ヴィジーの言葉とともに、建物の陰から、リーアンを先頭に正規軍の兵士が現れた。

 

         3,

 

 中庭でフィビーを見つけたリーアンは、思わず声を上げた。

「フィビー、無事か」

「はい」

 返事はするものの、フィビーは一郎の側を動こうとはしなかった。

 リーアンはフィビーの側に一郎とチェリー、それに見知らぬ男女がいることに気付いた。

 リーアンがフィビーの側に駆け寄ろうとしたときだった。

 フィルーが兵士の中から現れた。

「フィビー、イチ・ロー様、チェリー、その男から離れなさい」

 フィビーはパンコムの憮然とした表情に、慌てて訂正した。

「パンコムさん、ごめんなさい。母は何か勘違いしているようです」

 パンコムは押し黙ったままだった。ヴィジーも表情を固くして動かなくなった。

 一郎もパンコムの気分を察したつもりで、話しかけた。

「パンコムさん、待ってて下さい。王妃様の誤解を解いてきますから」

「いや」

 パンコムは静かに口を開いた。

「その必要はないよ」

 パンコムの口が不気味な笑みを浮かべた。

 同時にヴィジーも意味深な笑顔を浮かべていた。

 一郎の背中を冷たいものが走った。

〔まさか〕

「どうしたんです、パンコムさん」

 フィビーの疑うことのない声が浮いて聞こえた。

「フィビー、離れなさい。その男と女は敵です」

 再び、フィルーが呼びかけた。

 チェリーは一郎の服の裾を引っ張った。暗にフィルーの言うとおり後ろへ下がれと言っているようだった。

「王妃様のおっしゃるとおり、下がった方がいいわよ」

 それは、ヴィジーの言葉だった。しかし、声はもっと大人っぽい女性の声だった。

「まさか」

 一郎は信じられないといった表情で一歩後ろへ下がった。

「いいや。王妃様が正しいのさ」

 パンコムは言い終えるより早く、右拳を一郎に突き出した。

 一郎はそれを剣で受け止めた。一郎にしてみれば、チャレンジャーの剣のほうが勝手に動いたのだった。

 ヴィジーが呪文を唱えた。

「大地の精霊、我が身体によりて力を貸せ」

〔いけない〕

「リーアン、下がりなさい!」

 フィルーの叫び声に、リーアンは思わず後ろに飛び退いた。

「ラ・ヴィー!」

 フィルーが呪文を唱えた。

 続けて、ヴィジーが呪文を唱えた。

「ウー・コン」

 その瞬間、ヴィジーの身体が炎に包まれた。

 その炎はあっという間に四方へ広がった。

 一郎は剣を構えた。

 一郎の視界は全て炎に包まれた。

 思わず一郎は目を閉じた。

〔焼かれる〕

 だが、不思議に熱くはなかった。

 視界から炎が消えて元に戻ったと思ったとき、パンコムとヴィジーの姿は消えていた。

 あとに残ったのは、宙に浮かんだぼろ布の球体と大人の色気を持った女性だった。黒の皮でできたセパレートの水着に、黒いマントという姿がいかにもそれらしかった。

「さすがは、チャレンジャーの剣、というべきか」

 パンコムの声がぼろ布の方から聞こえた。

「それと、神聖魔法を使う王妃様もなかなかのものよ」

 女性の方の声は、ヴィジーの声によく似ていた。

 一郎の後ろには、フィビーとチェリーがいた。

 王妃の後ろには、リーアンとカンパミ王、それにいつの間にか、カンボジも加わっていた。

 しかし、それ以外は、黒く焼けこげていた。

 たくさんいた兵士も黒い人の形をした炭と化していた。

 ヴィジーが熱攻撃魔法を放つ前に、フィルーは広げられるだけの防御魔法を使った。

 一郎の方はヴィジーの攻撃に対してチャレンジャーの剣が勝手に反応したので助かった。剣はフィビーとチェリーも守ってくれたようだった。

「貴様、ワールドマスターの手の者か」

 カンパミ王が怒りの形相で、剣を抜いてひらめかせた。

「いかにも」

 ヴィジーだった女性が頷いた。

「お初にお目にかかります、カンパミ王。私は、マスターの目、すなわち、ウィズ(目を現す単語)」

 ウィズと名乗った女性は恭しく一礼した。

「同じく、マスターの耳、すなわち、コンプ(耳を表す単語)」

 それを聞いた、フィルーやリーアンたちの苦り切った表情が一郎をはっとさせた。それは次第に殺気を帯びてきていた。

「よくも、余の国で好き放題、かき回してくれたな。例え、ワールドマスターの配下だとて、容赦はせぬからそう思え」

 カンパミ王の低くくて声量のある声が、空気を震わせた。

 だが、ウィズはそれをそよ風のように受け流した。

「カンパミ王は、なにか勘違いをされていらっしゃる。この世界を支配しておられるのは、他ならぬ我らがご主人様、ワールドマスター様。マスターのご命令とあれば、我らは手となり足となり動く者」

「そのとおり。この国を生かすも滅ぼすも我らがマスターの胸の内」

「なんだと」

 リーアンが一歩前に踏み出した。

 フィルーはそれを手で制した。

「待ってくれ、パンコムさん、ヴィジー」

 一郎は剣を地面に突き立てた。両手を剣から離して、攻撃の意志がない証拠に、両手を上げた。

「僕とフィビー姫を助けてくれたのは、なぜだ。殺そうと思えばいつだってできたはずじゃないか」

 ウィズが浮かべる笑顔は悪魔的な底の知れない雰囲気があった。

「教えて上げましょうか、イチ・ロー」

 言葉の最後にくすっと小さく笑うのは、演技ではなくウィズの元からのクセのようだった。

「それは、どんな猛獣でも、赤ん坊の時は無防備だからだよ」

「それにね、イチ・ローが剣を抜く前に死んだら、チャレンジャーの剣は別の人間を持ち主に選ぶに決まってるじゃない」

 それを聞いて一郎は愕然とした。

〔全部、仕組まれたことだったのか〕

 ウィズは、カンパミ王の方に向き直った。

「さて、名君と名高いカンパミ王なら、お分かりいただけるでしょう。マスターもマルカム王国がサイレス王国と同じ末路をたどられることを危惧していらっしゃいます。チャレンジャーが生まれた国は必ず滅ぶのか、と」

「なにが言いたい」

 カンパミ王は吐き捨てるように言った。

「そこのチャレンジャーを引き渡していただければそれで結構」

 ぼろ布にくるまれた球体しかないコンプの声は地の底から響いてくる感じがした。

「この国が滅びようが栄えようが、それはどうでもいいこと」

 その一言がリーアンを刺激した。

「どうでもいいだと? 国を道ばたの石ころだとでも思っているのか」

「やはり、貴様らの言うとおりにはできんな」

 カンパミ王は、毅然として言い放った。

 カンボジが王妃に耳打ちした。

「わしと殿下で、あの布の固まりを何とかしましょう。陛下と王妃様で、女魔道士のほうをお願いします」

「イチ・ロー様は? チャレンジャーなら、あやつらに対抗できるはずでは」

「イチ・ローは、後ろにフィビー様を控えていては、迂闊には動けないでしょう。それにチャレンジャーの剣の使い方もよくはわからぬでしょう」

 フィルーは自分の読みが甘かったことを少し後悔をした。一郎と一緒なら確かに安全かもしれない。だが、それが一郎の行動を縛ることになるとは。

〔今更悔いても始まらない〕

 フィルーは気持ちを切り替えてカンパミ王に合図を送った。

 同時にカンボジもリーアンの背中を軽くたたいて合図をした。

 

        4,

 

 一郎にはまだ信じられなかった。

「教えてくれませんか」

 一郎の言葉にウィズは振り向いた。

「なあに、イチ・ロー?」

「いつから、僕のことを見張っていたんですか」

「それはもちろん、あなたがこの世界に来たときからよ」

「じゃ、マティーさんが死んだときも見ていたんですか」

「マティー?」

「フィビー姫のお付きの女性ですよ」

「ああ、あの侍女ね」

 ウィズが一郎との会話に気を取られている。その隙をつくように、カンパミ王、フィルー、リーアン、カンボジの四人は一斉に動いた。

 コンプの球体にリーアンの剣が迫った。

「くっ」

 コンプは布の中から金属の義手のようなものを出してリーアンの剣を受け止めた。

 キンと甲高い音がした

 そのリーアンの背後から、カンボジが風のように飛び出した。

 カンボジの手に持った剣が、コンプの布を深々と突き刺した。

「コンプ!」

 ウィズの声は、次の瞬間、目に見えないロープに巻き取られた。

「リ・ポエ」

 フィルーが唱えた呪文は、人間の動きを止める呪文だった。

「もらった!」

 カンパミ王の剣はウィズの首筋に迫った。

 さすがにウィズの表情が引きつった。

 キンと再び甲高い音がした。

 その剣はコンプが出した別の義手が寸前で受け止めていた。

「なに!」

 カンボジの表情が変わった。

 突き刺したと思ったカンボジの剣が、コンプの布とともに押し戻された。そして、布の内側から三本目の義手が現れた。

 剣を止められたリーアンも息を飲んだ。

 コンプの布の内側には、人の頭の大きさほどの黒い穴があいていた。

 その穴から三本の義手が伸びてそれぞれ三人の剣を支えていた。そして、さらに三本の義手が現れた。それは、小動物のような素早さで剣を持った三人に襲いかかった。

「うっ」

「おうっ」

「ぐっ」

 カンパミ王、リーアン、カンボジはそれぞれ後ろの方に、数メートルも吹き飛ばされた。

 「あなた!」と叫んだのはフィルー。

 「老師!」と叫んだのは一郎。

 「お兄さま!」と叫んだのはフィビー。

 「おじいちゃん!」と叫んだのはチェリーだった。

 治癒魔法をかけようとフィルーが動いたとき、ウィズが近づいた。

「王妃様、隙が出来ましてよ」

 振り上げたウィズの右手に光るものがあった。

〔また、熱魔法?〕

「ラ・ヴィー!」

 フィルーが作り出した防御魔法と、ウィズの熱魔法が再び衝突した。

「ディ・コン!」

 ウィズの呪文で、白い光が掌から放射された。光はフィルーの作り出した障壁とぶつかって、赤い火花を飛び散らせていた。

「やるわね、王妃様」

「『白の塔のファジー』の名を聞いたことはないの?」

「へえ、あの神聖術士の身内なの?」

「ファジーは私の妹よ」

「あら、そう。でも、妹さんほどじゃないわね」

 ウィズは呪文を唱えた。

「ラ・ディ・コン!」

 そのときウィズの掌から閃光がほとばしった。それはフィルーの障壁を破り、その体を貫いた。光は建物の外壁に当たって、外壁を破壊した。

「ぐはあっ」

 フィルーは腹を押さえてそのまま仰向けに転がった。

「お母様!」

 フィビーは駆け寄ろうとした。

 フィルーは鋭い声でそれを制した。

「来ては駄目!」

 フィビーは一郎の後ろから一歩踏み出したところで踏みとどまった。

「でも!」

 フィビーの声にフィルーは首を振った。

「イチ・ロー様の側にいなさい。そこが一番安全だから」

 フィビ−が一郎を振り返ると、一郎はチャレンジャーの剣を構えてコンプの方をにらんでいた。

 再びフィビーが視線をフィルーに戻したとき、フィルーはぐったりと横たわっていた。

「お母様!」

 フィルーは返事をしなかった。

「お父様! お兄さま!」

 カンパミ王もリーアンも地面の上に倒れたまま動かない。

「おじいちゃん!」

 チェリーの呼びかけにカンボジも答えなかった。

 そのときチャレンジャーの剣が光った。

「二人とも、後ろへ!」

 一郎の声とともに、フィビーとチェリーは一郎の後ろに隠れた。

 コンプの六本の義手が、一郎に襲いかかった。それは一郎の目前で透明な何かにぶつかった。

 バンと薄い木の板を叩くような音がした。

 義手の先端は数枚の金属の板がハサミのように組み合わされていた。ちょうどエビかカニの口を思わせるように何かを取り込もうと規則正しく動いていた。

 無機質な動きにフィビーが悲鳴を上げた。

「きゃあ!」

 だが、目に見えない壁に阻まれ、義手はむなしく空をつかむだけだった。

「コンプ、私にやらせてよ」

 ウィズはそう言うと一郎の目の前に立った。

 コンプが義手のようなものを例の黒い穴の中に引っ込めると、ウィズは一郎を見つめていった。

「このチャレンジャーの剣のバリアがどのくらい保つものか、楽しみだね」

 ウィズは呪文を唱えた。

「天空の覇者よ。その力の源の門を開き、我の前に立つ詮無き者どもに、裁きの雷を」

 ウィズは不意に一郎を指さした。

 一郎は思わずびくっと体をふるわせた。

「デル・アンジ!」

 それは耳元で巨大な太鼓をならされたような音だった。

 空から雨のように稲妻が一郎の頭上に降り注いだ。

 普段は雷を怖がらないチェリーも、この雷の連続攻撃には目と耳をふさいでしゃがみ込んだ。フィビーも同じ様にしゃがみ込んでいた。

 二人の悲鳴と雷鳴が交錯する中、一郎は身体を震わせながらチャレンジャーの剣を構えていた。

 雷鳴が止んであたりが静まり返ったとき、一郎の目の前にウィズが立っていた。

 ウィズはにっこりと笑って言った。

「次は、これね」

 ウィズは一郎を指さした。

「ネラ・ヒーク!」

 一郎の周囲に風が集まってきた。それは加速度的に量と速さを増して一郎の周囲で渦を巻いた。

 一郎たちの周囲に風の壁が出来た。一郎がふと見上げると一郎を中心とした竜巻が天高くできあがっていた。それは土埃を巻き上げ、周囲のあらゆる物を上空へ巻き上げようとしている。風の摩擦音が鼓膜を突き破りそうに鳴り響いた。

 今度はフィビーもチェリーも耳を塞ぎながらも不思議そうに周囲を見渡していた。

 二人はお互いに見合わせると、やっと一郎がバリアを張っていることに気づいた。

「イチ・ロー」

「イチ・ロー様」

「二人とも、俺の後ろを動くな」

 フィビーとチェリーはそろって返事をした。

「はい」

 風が止んで、土埃が収まった。

 一郎の前にはウィズが立っていた。少々うんざりした様子だった。

「さすがは、チャレンジャーの剣ね。これは時間がかかりそうだわ」

 ウィズはしげしげと一郎を上から下まで観察した。やがて、何かに気づいたようにウィズは左眉をぴくりと動かした。

「なるほど、ね」

 ウィズは、また笑顔に戻った。人を平気で殺しているのににこにこしていられるのが、一郎には不気味だった。

「イチ・ロー君、いつまでそこにいるのかな。もう、時間はあまりないわよ」

 まるで小さい子供を諭すような言い方だった。

 一郎はウィズの言っている意味がよく分からなかった。

〔確かに、いつまでもここでバリアの中に隠れているわけにはいかないが。『時間がない』というのは、どういうことだ〕

 チェリーの言葉が一郎にその意味を教えた。

「イチ・ロー、なんだか、息が、苦しいんだけど」

「えっ」

 一郎が振り返ると、チェリーとフィビーは苦しそうに肩で息をしていた。

 一郎自身肩で息をしていたがそれは緊張のせいだとばかり思っていた。

〔そうか〕

 一郎はウィズの言った言葉の意味を理解した。

〔バリアが完璧すぎて、空気が入れ替わらないんだ。バリアの中だけの空気じゃ、そんなに長くは保たない〕

 ウィズは一郎の表情の変化を読みとって言った。

「さて、チャレンジャー・イチ・ローは、どうするのかしら」

 ウィズはこらえていたものが押さえられなくなったように、低い笑い声を漏らした。それが高笑いに変わるのはすぐのことだった。

 そのとき、一郎の頭の中に言葉が浮かんだ。チャレンジャーの剣から伝わってくるそれは、唯一のアドバイスだった。

 しかし、その衝撃的な内容に一郎は絶句した。

 

         5,

 

 一郎はしばらく考えたあと、ウィズに話しかけた。

「ヴィジーさん、いや、ウィズ」

「なあに」

 ウィズは期待に満ちた目で、一郎の話に耳を傾けた。

「バリアを解く代わりに、条件がある」

 フィビーとチェリーは一郎の言葉に身体をびくっと震わせた。

 ウィズは余裕たっぷりに腕を組んでいた。

「拝聴しましょう」

 一郎の視線がちらりとだけ、フィビーとチェリーの間を往復した。

 フィビーは一郎の視線の意味を知って青ざめた。

「俺のことは好きにしていいから、フィビーとチェリーだけは助けてくれないか」

〔やっぱり〕

 フィビーの予想は当たったが、うれしくはなかった。

 ウィズも一郎の言うことが分かっていたようだった。

「イチ・ローなら、そう言うと思ったわ。いいわよ」

 ウィズの言葉に一郎はやっと緊張から解放された。一郎は剣を地面に突き刺すと、剣から手を離した。同時にバリアが消えて新鮮な空気が入ってきた。

 一郎は深呼吸すると、後ろを振り返って言った。

「さあ、二人とも、離れててくれ」

 だが、チェリーはどんとぶつかるように一郎の胸に飛び込んできた。

「だめよ!」

 チェリーの目から涙がこぼれていた。

「そんなの、いやよ。イチ・ローの命と引き替えに助かるなんて」

 チェリーは背中に手を回して一郎を思い切り抱きしめた。

「イチ・ローが死ぬなんて」

 一郎の胸の中でチェリーはすすり泣きを始めた。

 一郎の胸にチェリーの体温が伝わってきた。

 フィビーはつかつかと歩き出して、一郎の目の前、ウィズとの間に立って、両手を大きく広げた。

「わたしも」

 フィビーの言葉は力強かった。

「イチ・ロー様と引き替えにしてまで、命が惜しいとは思いません。死ぬなら一緒に死にましょう」

 フィビーの言葉が一郎の胸に滲みた。

〔どうしよう〕

チェリーの腕に込められた力が一郎の胸を熱くした。

〔俺はどうすればいい〕

 一郎には初めての経験だった。信じられないほど心が震えた。二人の気持ちがうれしかった。だから、なおさら、二人を死なせたくなかった。

 コンプはウィズにすべてを任せているのか静観していた。

 ウィズは芝居がかった台詞を漏らした。

「ああ、何という感動的な光景でしょう。健気で献身的な少女たち。しかし、男の宿命は少女たちを振り切ることしか残されていなかったのです」

 だが、誰もウィズに関心を持たなかった。

「あー、もう」

 ウィズは苛ついた気分を表に出した。

「さっさと決めてよ。三人死のうが一人死のうが、こっちには関係ないんだからさあ」

 その言葉にフィビーはきっとウィズをにらみ返した。

 思わずたじろいだウィズにフィビーは言葉をぶつけた。

「あなたたち、やっぱり、イチ・ロー様が怖いのね。この国の人間では歯が立たないかもしれないけど、イチ・ロー様ならあなたたちを倒せるのね」

 ウィズが明らかに動揺の表情を見せた。図星を指されたようだ。

 ウィズは開き直った。

「その通りよ。たしかにイチ・ローの持ってるチャレンジャーの剣なら、私たちを倒せるわ。でも、その代わりあなたたち二人が死んだら、イチ・ローは困るんじゃない?」

 ウィズの言葉に一郎の心が決まった。

 一郎は地面に突き立てたチャレンジャーの剣を右手に持った。

 左手でチェリーの肩を優しく掴むと、そっと引き離すように力を込めた。チェリーは涙に濡れた目で一郎を見上げた。

 一郎は優しくて力強い視線でチェリーを見つめた。その瞬間チェリーは一郎が覚悟を決めたのを知った。

 チェリーはにっこりと笑ってうなずいた。

 一郎は振り向いて、フィビーの肩に軽く手を置いた。

「フィビー姫、下がっててください」

「イチ・ロー様?」

 ウィズは少し声を震わせて言った。

「交渉決裂、ね?」

 一郎はウィズを見つめてうなずいた。

 フィビーはそれを見届けて、一郎の後ろに体を動かした。

 フィビーには一郎の後ろ姿がいつもより数倍頼もしく思えた。

 一郎は静かにウィズに向かって剣を構えた。

 そのとき、静観していたコンプが義手を一斉に一郎めがけて飛ばした。

 しかし、また目に見えない壁が義手の行く手を阻んだ。

「いいわ、コンプ。わたしに任せて」

 ウィズの言葉にコンプは義手を引っ込めた。

「炎の精霊よ。汝が持つ力のすべてですべてを焼き払え。すべてに静寂と再生を与えよ」

 ウィズは呪文を唱えて、一郎を指さした。

「エ・クス・コン!」

 一郎の周囲から火柱が立ち上った。

 バリアに守られた一郎たちには、熱は一切感じられない。同時に外の様子も炎に遮られて分からなくなった。

 炎の壁の向こうで、ウィズが一郎に言った。

「一つ、いいことを教えてあげましょうか。わたしもこっちの選択の方が正しいと思うわ。だって、一郎が死んだあと、そこのお姫様はバネコバが引き取ることになってるのよ。そっちのお嬢さんも、バネコバが高く売ってくれると思うから。ここで死ぬ方が良かったんじゃない」

 ウィズは高笑いをあげた。

「あとは、三人そろって、炎に焼き尽くされるか、息が詰まって死ぬか。どちらかしか残ってないわよ。短い時間かもしれないど、最後のお別れをしておいた方がいいわよ」

 ウィズは一郎たちを包む炎の柱を眺めながら待った。

 

         6,

 

 熱は感じないが、赤、オレンジ、黄色のいろいろな炎が、一郎たちを取り巻いていた。

 不思議な静寂が一郎の周りを包んでいた。

 一郎はゆっくりと腰を下ろした。一郎は改めて周囲の幻想的な光景を見渡した。どうやら剣を握っている間は、バリアが働いているらしかった。

 フィビーとチェリーは、一郎の言葉を待っていた。一郎が剣を再び手にとった、それが二人を勇気づけた。

 しかし、一郎は剣を持ったあと、口を閉ざしていた。四つの目が一郎に期待を込めて向けられたられた。それが一郎の心を重くしていた。

「イチ・ロー、やるんでしょう?」

 チェリーはしびれを切らしたように、切り出した。

「あたしが、あの黒い穴の、コンプとか言うやつに突っ込んでいくから。お姫様は、あのウィズとか言う魔道士をお願いします」

「でも」

 フィビーは遠慮がちに言葉を濁した。一郎がまだ何かに迷っていることを感じたからだった。

「大丈夫。あとは一郎がその剣で何とかしてくれますから。そうよね、イチ・ロー」

 チェリーは一郎の肩に手を置いて、一郎を促した。

 一郎は静かに首を横に振った。

「どうしたのよ、イチ・ロー」

「それじゃ、だめだ」

 一郎はぽつんと漏らした。

「攻撃に出たとたん、みんな、黒こげだよ」

「じゃ、どうすんのよ。このまま、息ができなくなるのを待つわけ?」

 チェリーの強い語調に、フィビーはチェリーも気づいていることを知った。

「なにか、手があるんでしょ? だから、剣を持ったんでしょう、イチ・ロー?」

 チェリーが一郎の肩を揺すった。

 一郎は力無く首を縦に振った。

「あるのね?」

「あるんですね」

 チェリーとフィビーは念を押した。

 一郎は辛そうな表情で口を開いた。

「ああ、確かにあるよ」

 ほっと安堵のため息をフィビーが漏らした。

 チェリーも安心したように、顔が明るくなった。

 二人は顔を見合わせるとニコッと微笑みを交わした。

「さすがは、イチ・ロー様ですわ」

「早く、教えて。どうすればいいの?」

 一郎は二人を見比べてから言った。

「それは、二人が、僕の所有物になることなんだ」

 言い終えた一郎は目を閉じた。フィビーとチェリーを見るのが辛かった。二人がどんな思いでこの言葉を聞いたか、想像するのさえ辛かった。

「説明してよ」

 チェリーは穏やかな口調でそう言った。

 一郎はその口調におそるおそる目を開けた。

「イチ・ローが、あたしたちの向かって、『俺のモノになれ』なんて言うなんて、よっぽどのことよ。何か、理由があるんでしょう?」

 一郎はチェリーの表情が引き締まっているのを見た。そこに一郎に対する怒りはなかった。

 フィビーも同様だった。ただ、フィビーの方は少し興奮したように顔を赤くしていた。

 一郎は重たい口を開いた。

「奴らは、ワールドマスターの腹心の部下だ」

 フィビーは一郎の迷いが消えていることを知った。ウィズやコンプをまとめて「奴ら」と言い換えるなどがその証左だった。

「奴らが圧倒的な力を見せるのは、それなりの理由がある。奴らはワールドマスターに絶対服従を誓う代わりに、ワールドマスターの力の一部を分け与えられているんだ。同じことはチャレンジャーの剣でもできる。というよりチャレンジャーの剣で行うのがすべての始まりになる。チャレンジャーは七人の部下と七つの宝石を集めないとワールドマスターに挑むことができない」

 チェリーはすぐに聞いた。

「で、具体的にはどうすればいいの?」

「ま、待ってくれ、チェリー」

「言わなくてもいいわよ。どうせ但し書きがついてくるんでしょ。ただイチ・ローの言うことを聞くだけで奴らに勝てるとは思わないわよ」

「わたし、母から聞いたことがあります」

 フィビーはあることを思い出して、一郎の辛そうな表情の意味が分かった。

「チャレンジャーの部下になった者は、チャレンジャーと運命を共にする。すなわち、チャレンジャーの死は自分の死に繋がる。イチ・ロー様に万一のことがあれば、わたしたちも死ぬ」

 フィビーの言葉に一郎は黙ってうなずいた。

「で、ほかには?」

 チェリーの口調は料理の追加オーダーを聞いているように聞こえた。

 一郎は不思議そうにチェリーを見た。

「なによ。それくらい、当たり前でしょう。イチ・ローのモノになるんだから、イチ・ローが死んだら自分も死ぬぐらいの覚悟はあって当然よ」

 フィビーはそれに賛同したようにうなずいた。それから、一郎をじっと見つめて言った。

「イチ・ロー様、ほかには、何か、条件があるんですか」

 一郎は小さくうなずいて、話を続けた。

「部下にするためには、『刻印』を与えなければならない。だから、そういった直属の部下は『刻印を持つ者』と呼ばれている。その刻印を与える作業が一番大変なんだ」

 一郎はいったん言葉を区切った。少し息が苦しくなってきたような気がしたからだ。

 フィビーとチェリーを見たが二人の呼吸はまだそれほど荒くなってはいなかった。

 一郎は気を取り直して話を続けた。

「かなりの激痛が伴う。場合によっては死に至ることもある。なにより、成功しても元のままの姿でいられる保証はない」

 二人が息をのむのが一郎に判った。

「コンプとウィズの二人の姿を見ただろ。元はパンコムとヴィジーという姿だったのかもしれない。それが今ではあの姿だ」

「それで?」

 チェリーはにっこりと笑って一郎の顔をのぞき込んだ。

「イチ・ローはどうしたいの?」

「生きてほしい。自分のために誰かが死ぬなんて、嫌だ」

 フィビーもにっこりと笑ってイチ・ローの顔をのぞき込んだ。

 フィビーはさらに顔を近づけ、イチ・ローの額に自分の額をくっつけた。

「イチ・ロー様、それと同じことを、わたしも考えていたんです。それを解ってください」

 フィビーの甘い息が一郎の口にかかった。一瞬、一郎の身体は痺れを覚えた。

「あたしだって」

 チェリーも一郎の額に自分の額を付けようとした。すでにフィビーという先客がいたので、それは、三人が額を寄せ合うような格好になった。

「イチ・ローに、死んで欲しくなんかない。だから、三人そろって死ぬか、三人そろって生き残るか、どちらかしかないのよ」

「わかった」

 一郎は力強くそう言った。迷いを振り切った顔をしていた。

 

         7,

 

「二人とも、右手を出して」

 フィビーとチェリーは額を離すと、それぞれ服の袖を巻き上げた。

 一郎は立ち上がって剣を両手に持ち直した。

「フィビー姫からいきますよ」

 剣を静かにフィビーの腕の上にかざすと、一郎は呪文を唱えた。

「我が前に控えし、我に忠誠を誓いし者よ。汝に我が力の一部と刻印を授ける」

 剣の一部分が光った。それは、一郎がパソコンの画面で見た円の中に正七角形が描かれた記号だった。

〔わたし、とうとうイチ・ロー様のモノになるのだわ〕

 フィビーの胸の中が熱いものでいっぱいになった。小さい頃から母フィルーに教えられ待ち続けた瞬間がついに訪れたのだから。

 記号は白く輝くと、熔け出すようにぽとりとフィビーの腕の上に落ちた。同時にジュッと腕が焼けるような音がした。

 白い輝きを残したまま、刻印は白い煙を発していった。

 それだけならただの火傷でフィビーも堪えることができた。やがて腕の骨が砕けていく感覚が伝わり、全身の骨が粉々に砕けていく感覚に代わっていった。

 フィビーは全身をびくんと震わせると地面に身体を投げ出すように転がった。そして、激痛に堪えきれず、フィビーは鳥が鳴くような悲鳴を上げた。

「ハッ、アア、アーッ!」

 それは全身を無数のハンマーが叩きつぶそうとしているような激痛だった。フィビーは釣り上げられた魚のように全身を激しく震わせた。

「フィビー姫!」

「フィビー姫」

 一郎はたまらずフィビーの身体を抱き起こした。

 一郎の腕の中でフィビーはまだけいれんを続けていた。全身からは汗が噴き出し、顔は紙のように白く、口は半開きで、目はうつろだった。

「フィビー姫、しっかりしてください」

「イチ・ローを、信じてるんじゃなかったの?」

 チェリーの言葉に、フィビーは身体を震わせながら、右手を宙に伸ばした。右腕の内側には火傷のあとのように、『刻印』と数字の1が光っていた。

 小刻みに震えるその手を一郎が握ったとき、フィビーの震えが止まった。

 やがて、フィビーは落ち着きを取り戻していった。息は荒いが、一郎の腕の中から立ち上がって、一郎に向かって微笑みかけることができるようになった。

「気分はどうです」

「もう大丈夫です」

 一郎は立ち上がってフィビーを抱きしめた。

「よかった」

 みるみるフィビーの顔に血色が戻ってきた。

 チェリーはうらやましそうにその光景を眺めていた。はっと我に返ったチェリーは、一郎の肩をぽんぽんと叩いた。

「次はあたしの番よ」

〔お姫様にできたんだから、あたしにできないはずはない〕

 一郎はぱっとフィビーの身体を離すと、チェリーを振り返った。

 チェリーは袖をまくった手を一郎の目の前に差し出した。

 一郎が剣をその上にかざすと、チェリーは注文を付けた。

「できたら、手を握っててくれる」

「わかった」

 一郎は剣を片手で持つと空いた手でチェリーの差し出した手を握った。

「いくよ」

 一郎の合図にチェリーは目を閉じた。

〔これであたしも、お父さんと同じ道を進むことになるのね。でも、あたしは不幸なんかじゃない。あたしのチャレンジャーはあたしが一番好きな人だから〕

 一郎は呪文を唱えた。

「我が前に控えし、我に忠誠を誓いし者よ。汝に我が力の一部と刻印を授ける」

 再び剣の一部が光った。光ったものはそのままチェリーの腕の上に落ちた。

 チェリーの腕の上で、ジュッという音とともに刻印が煙を上げた。

「うぐっ」

 チェリーは苦痛に顔を歪めながら、一郎の手をぎゅっと握った。

 チェリーの中では、苦痛よりも手を通して伝わってくる温もりに神経が集中していた。

〔お姫様に我慢できたんだから、あたしだってできるはず〕

 フィビーと同じようにチェリーは右腕が粉々に砕けるような激痛を感じていた。さすがに顔が歪み、額に油汗が浮かんだが、チェリーは一言も発さずじっと堪えていた。

〔お姫様なんかに負けるもんですか〕

 そのチェリーの心を見抜いたようにフィビーが声をかけた。

「イチ・ロー様を信じて。イチ・ロー様のことだけを考えて」

〔大丈夫。分かってるわよ〕

 そう返事をしようとチェリーは声を出そうとした。しかし、出なかった。

 チェリーにはフィビーとは全く別の感覚が襲いかかった。ある瞬間から、右腕に感じていた激痛がぴたりと止んだ。

〔何だ。もう終わりなの〕

 そう思っていた矢先、右手の感覚が全くなくなった。一郎の手の感触が消えた。

〔あれ〕

 チェリーが不思議に思っていると、全身が、まるで裸にされてぬるま湯に浸っているような感覚に包まれた。

 次にすべての音が消え、静寂が訪れた。

〔どうなったの〕

 チェリーは舌がしびれて声が出せなかった。

 チェリーは一郎に助けを求める視線を向けようとした。それと同時に、チェリーの目の前に暗闇が広がった。

〔うそ〕

 チェリーは目の前の一郎の姿が消えて、周囲を見渡そうとした。

 首が動かなかった。手も指も動かせなかった。瞬きさえできなくなった。

 チェリーの持っていたあらゆる感覚が奪われた。自分が息をしているのか、心臓が動いているか、それすら判らなかった。

 ひょっとして自分は死んだのでは、という不吉な思いが頭の中をよぎった。

〔死ぬこともあるって、イチ・ローが言ってたっけ〕

 不意に誰かに突き飛ばされたような気がした。身体が後ろに向かって滑るように移動していく感覚がした。時間の感覚もなくしていたチェリーは無限に落ちていくような気がした。

〔あたし、死んじゃうのかな〕

「イチ・ロー様を信じて」

 フィビーの言葉が頭をよぎった。

〔分かってるわよ〕

 チェリーは一郎の顔を思い浮かべた。そして、ふとあることに気づいた。

〔そうか。あたし、イチ・ローのモノになるんだ〕

 しかし、思い浮かべたどの顔もチェリーが一郎をはり倒したときの驚いたような表情だった。

〔ははっ、なんて顔してんのよ〕

「ごめんね、イチ・ロー」

 チェリーはそう声を出すことができた。

 チェリーの周囲の世界が一気に元に戻った。目の前には心配そうに覗き込む一郎の顔があった。

 気がつくとチェリーは一郎の腕の中に抱かれていた。

「よかった」

 一郎の声は、絞りきったあとのかすれたような声だった。一郎の目が真っ赤になっているのが分かった。

「イチ・ロー、泣いてるの?」

「死んじゃったのかと思った」

「え?」

 不思議そうに一郎を見つめるチェリーに、フィビーが答えた。

「チェリーさん、息もしてないし、心臓も止まってたんですよ」

「うそ!」

 チェリーは一郎の腕の中からすっと起きあがった。軽く体を動かしてみたがどこにもぎくしゃくしたところはなかった。ただ、右腕の内側には火傷のあとのように、『刻印』と数字の2が残っていた。

 一郎は立ち上がると、フィビーとチェリーを交互に見て言った。

「二人とも、どこか痛いところはない?」

「ないわ」

「もう、ありません」

 一郎は一瞬目を伏せて視線を戻してから言った。

「それじゃ、いくぞ。反撃だ」

 

         8,

 

 炎の柱の外で十五分の時間が過ぎた。

 ウィズはすっかり待ちくたびれて、欠伸が出るようになった。

「ウィズ、不謹慎だぞ」

「だって、もう十五分も立ってるのよ。そろそろ空気も切れるだろうし、やっぱり、窒息する方を選んだのね」

 ウィズはその場で背伸びをした。

「中の様子はわからないの?」

「ああ、さっきから耳を澄ませてはいるんだが、なにも聞こえない」

 そのとき、二人の目の前で炎の柱が消滅した。

「な!」

「わたし、なにもしてない!」

 一郎とフィビー、チェリーの姿が炎の中から現れた。

 一郎がバリアを解いた瞬間、ウィズはすかさず呪文を唱えた。

「ラ・ディ・コン」

 ウィズは手を一郎に向かってかざしたが、なにも起こらなかった。

「まさか、消魔結界」

 それは、防御魔法の中でも高度な魔法の部類に入る、一切の魔法を封じる術だった。

 ウィズは一瞬倒れているフィルーの方を振り返った。しかし、フィルーは倒れたままで、呪文を唱えた様子はなかった。

〔じゃ、いったい誰が〕

「ぬう」

 コンプの六本の義手が、一郎に襲いかかった。そのとき、チェリーが一郎の前に出た。

「奥義、真空拳!」

 見た目には宙に向かって一度拳を突き出したように見えるが、それは超高速で繰り出された、無数の打撃だった。

 パキパキッと乾いた音が連続した。コンマ何秒か遅れて、コンプの義手の先端がすべて砕け散った。

 信じられない光景にウィズは呆然とした。ウィズの視界の中で一郎が動いた。

「コンプ!」

 ウィズはコンプに警告しようとした。次の瞬間、チャレンジャーの剣がコンプに襲いかかった。

 ベンデスのときと同じように、チャレンジャーの剣は剣だけが勝手に伸びた。しかも、それを防ごうとするコンプの義手を、まるで生き物のようにくねくねと曲がりながらさけて進んだ。そして、コンプの黒い球体の中に吸い込まれていった。

「ぐおおっ」

 黒い球体の中から、コンプの叫び声が響いた。

 チャレンジャーの剣は確かな手応えを感じさせて元の長さに戻った。

「コンプ!」

 ウィズがコンプに気を取られたとき、チェリーが迫った。

「おじいちゃんの仇!」

 チェリーの繰り出した右拳がウィズの顔面に迫った。辛うじてかわしたウィズの頬をチェリーの拳がかすめた。

 空気がウィズの頬を切り裂いた。ごく浅い傷だったがウィズの頬から血が流れた。

「くっ」

 チェリーの左拳が続けてウィズに襲いかかった。

〔まずい〕

 ウィズは思わず目をつむった。

 しかし、チェリーの左拳は空を切った。

 寸前でコンプの折れた義手がウィズの身体を横からさらった。

「コンプ! 無事なの」

 義手に抱き寄せられたウィズは、黒い球体にそう聞いた。

「ああ。だが、もう、我々だけでは勝てない」

「いったい、急に、どうして」

「刻印の力だ」

 コンプに指摘されてウィズは初めて気がついた。フィビーとチェリーの右腕には刻印が淡く白い光を放っていた。

〔じゃ、消魔結界は、あのお姫様なの〕

「ここは退くぞ」

 ウィズは短く舌打ちをした。

「仕方ないわね」

 ウィズを抱えてコンプの黒い球体が空高く舞い上がった。

「あ、まて!」

 チェリーは二人の後を追うように、真空拳を放った。

 それは届かなかったらしい。直後にウィズの声がどこからか響きわたった。

「チャレンジャーの坊や、また、会いましょう。今度は手加減しないからね」

 一陣の風が吹き抜け、そして、静寂が訪れた。

 

         9,

 

 チェリーはカンボジのところへ駆け出した。

「おじいちゃん!」

 それを合図に、フィビーはフィルーのところに、一郎はリーアンのところに駆け寄った。

「お母様」

 一郎はチャレンジャーの剣を地面に突き立てた。

「リーアン王子」

 一郎は倒れているリーアンの側にかがんで、頬に触れてみた。まだ温もりがあった。

 次に脈を調べた。

〔脈がある〕

「生きてる。王子は生きてるよ」

 一郎は歓声を上げた。振り返ると、フィビーは微動だにせず、フィルーの側でひざまずいていた。

 チェリーは、カンボジの身体を繰り返し揺すっていた。

「おじいちゃん、起きてよ。おじいちゃん」

 その声は弱々しくかすれていた。

 一郎はチェリーの側に駆け寄った。そして、カンボジを揺するチェリーの腕を静かに押さえた。はっとなったチェリーがカンボジから手を離した。

 一郎は、カンボジの手をとって脈を診た。結果は絶望だった。自分の顔から血の気が失せていくのが判った。

 一郎はチェリーの顔を見るのが辛かった。

「イチ・ロー、おじいちゃんは?」

 チェリーはすがるように一郎を見つめた。

 一郎は口元を引き締め、奥歯をぐっとかむと、静かに首を横に振った。

「うそ」

 ぽつりとチェリーがつぶやいた。

「うそよ」

 チェリーは再びカンボジの身体を揺すり始めた。

「おじいちゃん、起きてよ」

「チェリー、もう、止めるんだ」

 一郎はチェリーの手を押さえた。

 とたんにチェリーの目から涙がこぼれだした。

 それを見て一郎の目からも涙がこぼれた。

〔老師、最後まで、俺なんかのために〕

 カンボジが一郎の背中を叩いて送り出してくれたのはほんの数時間前のことだった。それがはるか昔の出来事のように感じられた。

 一郎の閉じた瞼が細かく震えた。

 その一郎の肩を、フィビーがぽんと叩いた。

 振り返ると思い詰めた表情をしたフィビーが立っていた。

 一郎は自分の涙を拭って立ち上がった。

「フィビー姫、王様と王妃様は」

 フィビーは力無く首を振った。

「そうですか。残念です」

 フィビーは意を決して言った。

「イチ・ロー様、お力をお貸しください」

 フィビーの緊張した雰囲気が伝わってきた。

 一郎は熱くなった胸を何とか鎮めた。

「なにをするんですか」

「母の遺言です」

 一郎はその意味が分からなかった。

 フィビーは一郎の手を引いて歩き出した。

 フィビーに連れられた場所は、フィルーの倒れているところだった。

 ウィズの攻撃魔法に身体を貫かれたフィルーは血溜まりの上に横たわっていた。不思議に満足そうな笑みを浮かべていた。

「これを、見てください」

 フィビーの指さした地面に、文字が書かれていた。一郎の知らない単語だった。

 地面の上の太い文字は、フィルーが息絶える直前に書き残したものであることは明白だった。

「これは?」

「ヴィ・ラ・リヴァ。復活の呪文です」

「復活の呪文、って、まさか」

「ええ、死んだ者をも全快させる、究極の神聖魔法です」

「そんなことが、できるんですか、フィビー姫」

「ええ、母は使えます。以前、母はそれで国を伝染病から救いました」

 一郎は一筋の光明を見出した気がした。

 だが、フィビーの表情はこわばっていた。その少し青ざめた表情は、自信のなさを物語っている。

「でも、わたし、そんな高度な魔法、一度もやったことがないんです」

「でも、やり方というか、呪文の唱え方は知ってるんですね」

「はい」

「なにが心配なんです」

「力の制御が分からないんです。もし、暴走させたら、みんな、生きている人でさえ死んでしまうかも。反対に、力が足りなかったらもう二度と同じ呪文は使えなくなります」

 本当はそれだけではない。成功したあと、母フィルーが生死の境をさまよい続けたことを、フィビーはあえて言わなかった。

「わかりました。僕はなにをすればいいんです」

「わたしの力を制御して欲しいんです。チャレンジャーの剣ならそれができるはずです」

 一郎はうなずいて、地面に刺さったチャレンジャーの剣のところへ向かった。

 フィビーはその後に付いてきた。

「イチ・ロー様、そのまま剣に両手を添えてください」

 一郎は言われるままにチャレンジャーの剣の柄を握った。

 フィビーは一郎の正面に向かい合うように立った。一郎の両手首をフィビーは軽く握るように手を添えた。

 フィビーは一郎を見つめて寂しそうな表情をした。

〔どうしたのかな〕

「大丈夫ですよ。フィビー姫ならきっとできます」

 フィビーは一郎のその一言を待っていた。

 こくりとうなずくとフィビーは呪文の詠唱を始めた。

「大地の始まりより有りし理(ことわり)の今一度の許しを願う。天の父、大地の母よ。我が願いを聞き入れ、我に力を」

 フィビーは静かに目を閉じた。

「ヴィ・ラ・リヴァ!」

 フィビーの手が一郎の手に吸い付くように張り付いた。そのとたん、一郎は吸い付いたところから、血の気が失せていくような感覚を覚えた。

 反対にフィビーの方にはエネルギーが流れ込んでいくようだった。

 フィビーの刻印が金色に輝き始めた。

 その輝きは、次第に力を増し、フィビーの右手から全身を包んでいった。

〔まさか、暴走したのか〕

 次の瞬間、フィビーの全身を包んでいた光が弾けた。

 まるで雪か火の粉が降るように、光の粒が静かに辺りに降り注いだ。

 

         10,

 

 チェリーは横たわるカンボジの脇で涙が止まらなかった。

 そのとき、チェリーの目の前に光の粒が降ってきた。

〔雪? 火の粉かしら?〕

 その光の粒はカンボジの胸に静かに消えていった。

 静かな水面に滴を一滴垂らすように、光の波紋がカンボジの身体に広がっていった。その後を追うようにカンボジの身体に生気が広がっていった。

 チェリーははっと息をのんだ。

 カンボジの顔色が元に戻っただけでなく、まぶたが微かに動き始めたのだ。

 チェリーは一郎の姿を探した。

 一郎はフィビーの身体を抱き留めていた。

 その一郎がチェリーに気づいてにっこりと微笑んで見せた。反対にフィビーは息も荒く脂汗を額に浮かべていた。

 チェリーはフィビーがかなり高度な魔法を使ったことを察した。

「チェリー」

 カンボジの声がチェリーを呼んだ。

 振り向いたチェリーにカンボジはいつも通り白い歯を見せて笑って見せた。

「おじいちゃん!」

「おお、チェリー。無事じゃったか」

「うん」

 チェリーはカンボジの身体を抱き起こすとしっかりと抱きしめた。

 リーアンは起きあがると不思議そうに自分の身体を調べた。

 カンパミ王もフィルーも立ち上がった。

 炭の塊と化していた兵士たちも元の姿に戻った。

「お母様」

 立ち上がったフィルーの前にフィビーが、一郎に支えられて歩み寄ってきた。

 一郎は手にチャレンジャーの剣を持ち、フィビーの右手には刻印が刻まれていた。

 フィルーはすべてを了解した。

「なにがあったのだ」

 カンパミ王の問いにフィルーは静かに答えた。

「フィビーが、私たちを救ってくれたのです」

 フィルーが両手を広げると、フィビーがその中に飛び込んだ。

「よくやりましたね、フィビー」

 フィビーの頭を優しく撫でながら、フィルーはそっとフィビーを抱きしめた。

「イチ・ロー様のおかげです。わたし一人ではきっと失敗していました」

 そして、ベンデス大臣も起きあがった。だが、バネコバにかけられた暗示は消えていた。

「陛下、王妃様、私はいったいどうしてここにいるのでしょう」

 カンパミ王はフィルーと顔を見合わせて、何事もなかったように笑顔を見せた。

「ベンデス、気にすることはない。控え室で休んでおれ」

 カンパミ王はリーアンを呼んだ。

「ベンデス大臣を控え室に、ご案内しろ」

「分かりました、父上」

「そんな、王子のお手を煩わせなくとも、一人で歩けます」

「いや、リーアンから詳しい話を聞いてくれ」

 カンパミ王にそう言われてはベンデスはうなずくしかなかった。ベンデスはバネコバに暗示をかけられた時点からの記憶を全くなくしていた。

「叔父上、こちらです」

 リーアンを先頭にベンデスの周囲を兵士が固めて、城の中に入っていった。

 一郎はむき出しのチャレンジャーの剣をどうしようか考えた。そのとき、また言葉が頭の中に浮かんだ。

〔剣の柄の尻、グリップエンドに当たるところに、宝石が三つはめ込まれているから、それを三本の指で同時に触れる〕

 その通り実行すると、一郎の手の中からチャレンジャーの剣が消えた。代わりに、一郎の中指に金色の指輪がはめられた。

「おお」

 おもわず一郎は驚きの声を上げた。

 その一郎の手をカンパミ王が握った。

「チャレンジャー様、ありがとうございました。おかげで、この国は救われました」

 カンパミ王は深々と頭を下げた。

 一郎は恐縮して、あわてた。

「王様、わたしは別になにもしておりません。すべて、王女様とカンボジ老師のお孫さんのお力です」

「相変わらず、謙虚な方ですな。我が、マルカム王国はチャレンジャー様を全面的にご支援申し上げます。何なりとお申し付けください。まずは、チャレンジャー様の誕生を祝って大宴会といたしましょう」

〔おいしいものが食べられるのはいいんだけど、お酒はちょっと〕

 一郎はそう言いたいのをこらえて黙ってうなずいた。

 カンパミ王がよく通る声で振り返って言った。

「皆のもの、十年に一度の、チャレンジャー様の誕生祝いじゃ。盛大な宴を開こうぞ」

 兵士の間から、わっと歓声が上がった。

 

         ○

 

 喜びに沸くマルカム王国から遙か遠く、広い海の真ん中にワールドマスターの住む島、『マスター・アイランド』がある。

 島の中央にはその居城の『世界城』がある。

 そこに傷ついたウィズとコンプが戻ってきた。

 城の入り口でなんと報告するか悩んでいる二人の前に、金髪の男が現れた。

「マスター!」

「ご主人様!」

 ウィズとコンプの目の前の男は、顔をすべて仮面で覆い、深い紺色のマントで全身を覆っていた。

 二人はすぐさまその場で跪いた。

「二人とも、ご苦労だったな。結果を聞こうか」

 黒い球体からパンコムの姿に戻ったコンプは額ずいた。

「申し訳ありません。異界の少年をチャレンジャーにするところまでは良かったのですが、少年がすぐ側にいた少女二人に刻印を与え失敗しました」

「そうか。少年一人にはできなかったのか。いや、それより、おまえたちが不覚をとるほどだ。どちらもただの少女ではあるまい」

「はい」

 ウィズが報告した。

「一人はマルカムの第一王女で、神聖術士です。この少女の母は、あの『白の塔のファジー』の姉でした」

「もう一人は、マルカム王国武術師範カンボジの孫娘で、先のチャレンジャーズの一人、『鉄拳ワンタイ』の娘です」

「そうか。いや、ご苦労だった。部屋に帰ってゆっくりと休むが良い」

 二人ははっと顔を上げた。

「お咎めはないのですか」

「ご主人様の計画を遂行できなかった罪、いかような罰でもお受けするつもりでした」

「そうか」

 ワールドマスターは、しばらく考えて言った。

「では、ウィズ、今宵は私と過ごしてもらおう。久しぶりにおまえと酒を飲みたい」

 ウィズはぽっと顔を赤らめた。

「は、はい」

「コンプ、キュアなら、東の庭だ。早く傷の手当をしてもらえ」

「はい」

 ワールドマスターは体を翻すと城の門の中に入っていった。

「さすがは、我らがマスターね。お心が広いわ」

 ウィズは立ち上がって服の埃を払った。

 コンプもゆっくりと立ち上がった。

「そうだな」

「なによ、気のない返事をしちゃって」

「いや、私もマスターのことずっと信頼してきた。チャレンジャーのころから、な」

「なにが言いたいの」

「今回のこと、我らが失敗することを、どうもご承知だったのでは」

「馬鹿なことを。私たちがマスターを疑ったら、おしまいよ。たとえそうだとしても、マスターのことだもの、きっと深いお考えがあるのよ」

「ふむ」

「それより、早く傷の手当をしなきゃ」

「ああ」

 二人はワールドマスターから遅れて城の中に入った。

 


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