第28回 エリトリアとの紛争2(09,06,98)



アジス便り27同様に、
記録ではなく、記憶に基づいての記述です。 また、情報はエチオピアで入手
したもの、つまり、エチオピア政府発表、エチオピアの新聞(政府のバイアスがかかって
いる)、エチオピア人のうわさ、などが情報源です。
そして、ほとんど何も知らない(であろう)日本人を対象としたもので、面倒なところはか
なり端折ります。(きちんと書くほど知識がないと言うこともありますが。)


<今回の紛争の背景>

本来は歴史から始めないといけないのですが、ごめんなさい、昔のことはよく知りません。

93年エチオピアから独立。

エチオピアが前政権(メンギスツ社会主義政権)を倒すときに今のエチオピアの政権の
人たちと協力して闘っています。
民族的にはエチオピアの現政権であるチグレ族と近い。

と言うことで、私も含めて多くの人はエチオピアとエリトリアは仲がいい、と理解していました。

また、実際に独立以来昨年11月までは良好な関係でした。(今回の紛争関連の報道
でエリトリアの独立以来、国境線を巡っては論争があったようですが、少なくとも紛争で
はありませんでした。)

独立しているにも関わらず、エリトリアはそれまでと同じくエチオピアの通貨を使い続け
ていました。
従って、経済的にはエリトリアとエチオピアはあたかも一つの国でした。

そして、97年11月。
エリトリアが独自の通貨(NAKFA)を発行します。
違う国なのだから、当たり前と言えば当たり前。
しかし、エリトリアは独自通貨発行後もエチオピアとの貿易にはこれまで通りHARD
CURRENCYではなく、BirrもしくはNAKFAで出来るものと信じていました。
が、おっとどっこい、エチオピアは「別の通貨にしたんやから他の国と一緒でこれから
はドル決済じゃ」と言いました。

困ったのはエリトリア。
食糧を含めてかなりの部分をエチオピアから輸入しています。
それでなくても外貨がないのに、テフ(主食インジャラの原料。エチオピアぐらいしか生
産していない。)でもなんでも買うには外貨が要ります。

どうも、このあたりから関係がこじれだしたらしい。

それでも、この紛争は謎だらけ。
確かに、以前からもめてはいたらしい。

けど、なんで今? なんで武力?

みんなわからない。










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