利尻岳 Part3
<山頂へのファイナルアプローチ>
親不知・子不知を過ぎるとザレた斜面の急登。非常に歩きにくい。ここを登り切ると鴛泊コースと合流する。ここからいよいよファイナルアプローチだ。上を見上げるとフィックスロープが掛かっている斜面が100m以上続いており、数人の登山者が悪戦苦闘しているのが見える。地面は赤茶けたザレた砂礫でいかにも登りにくそうだ。ロープを片手にゆっくり登り始める。「ズリッ、ズリッ」3歩進むと1歩ザレるようなかんじで標高差1300m近く上がってきた身には最後の試練だ。砂礫がザラザラっと下に落ちていく。百名山ブームもあって利尻岳も大勢の登山者が訪れる。その人たちが全員ここを通るわけだから道もどんどん削られてしまうのだろう。斜面を過ぎるといかにも「削られた」と思わせるような場所がある。そこからまたザレた斜面。上を見上げると岩塊が見える。一気に登ったスーさんがそこから手を振っている。山頂だろうか。
ざれた斜面を、もがき登る |
26年前の夢があともう一息で現実になる。下山している人がザレた斜面で転んだ。大丈夫そうだ。また転んだ。もう自分は上しか見ていない。一歩一歩が太ももの付け根にこたえる。立ち止まって後ろを振り返る。鴛泊方面の青い海がまぶしい。沓形方面は雲海が広がっている。また上を見上げて登りだす。吸水力が限界に達したバンダナから汗がしたたり落ちる。
岩塊にたどり着いた。雲の上だ。頂上の祠が見える。5分後そこにもたどり着いた。時計は11時を少し過ぎていた。利尻岳山頂(北峰)、到達。
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<山頂にて>
「いつかきっと登る」と26年前に心に言い聞かせ九州に戻ったものの、「いったいいつになるのか」想像もつかなかったあの頃。まさか本当に実現するとは。きっと伯母がここまで導いてくれたに違いないのだ。伯母は昨年亡くなった。思わず合掌。
南峰とローソク岩とスーさん |
ガスは正面がきれいに晴れており、素晴らしい絶景。長官山、まるで模型を見ているかのような稜線や谷、ポン山、鴛泊の町、ペシ岬、そして何よりも美しいのがはるかに青く、どこまでも青く、彼方まで続いている大海原だ。これは展望とか景観とかという言葉をとっくに通り越し、まるでスペースシャトルから地球を観察しているかのような錯覚をおこす。サハリンもはっきり確認できる。
山頂では例の女性二人組が待っていてくれた。山頂でローソク岩、南峰(利尻岳の最高点で北峰より2m高い。現在は通行禁止)、など写真を撮りまくっていると「お先に〜」と下山していった。明日我々と同じ時間のフェリーで礼文に行くという。「じゃあフェリーターミナルで!」
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山頂では例によってのんびり時間を過ごす。すぐ下山するのがもったいない。1時間半も長居する。おかげでいろんな人とお話ができた。若い20歳前後のスノーボーダー仲間の女の子3人組となぜか意気投合。そのうちの一人は鴛泊の民宿で長期バイトをやっていて、あとの二人は彼女を訪ねて利尻に遊びに来たらしい。ちょっとしたハイキングのつもりでスニーカーで山頂まで登ってきたという。「こんなにつらいとは思わなかった」「でも頂上まで来れて最高!!キャッキャ」「わあ〜雲海きれいキャッキャ」「ねえねえ写真撮ろ撮ろキャッキャ」携帯のデジカメでバシバシ写真をとりまくり。う〜んこっちは26年間の感慨にふける暇もないぞ。おじさん二人組みも便乗して写真を撮ったり撮られたり。。。。。結局下山が一緒になった(一人はなぜか他のパーティと先に下山)。
<北稜(鴛泊コース)を下山、これが長い>
9合目までの下りは緊張の連続。気を抜くとズルっと転倒するのが明らか。本当に滑りやすい。登るときよりも多くの砂礫が下に落ちていく。この山の将来が本当に心配だ。女の子たちも緊張の面持ち。しかしこの9合目〜山頂まではずいぶん距離があって厳しいなあ〜。「9合目に着いたらもう山頂が本当に近く見えて、あ〜もうすぐだ〜、と思ったらとんでもなかった」とは彼女たちの弁。ほうほうの体で9合目に着いて後ろを振り向くと、なるほどこれは山頂がすぐそこに見える。一気に頑張ったら10分か15分で到着できそうな錯覚さえおこす見え方だ。
9合目からは山頂がすぐに見える |
8合目の長官山までは緩やかな道。沓形コースと違い雄大な稜線や沢の緑色が伸びやかで美しい。初夏は一面の高山植物劇場となるのだろう。長官山から見上げる利尻岳は、沓形コースの三眺山からの荒々しさとは違って、颯爽として凛々しい。もう山頂には雲が掛かってはいない。
8合目の長官山にて(利尻が凛々しい) |
稚内方面が見える。 26年前ここに登ろうと誓った場所はあの海岸線あたりだろうか。 今、だれかが同じ思いで列車の窓からこの山を見ているかも知れない。 心にズキーンと衝撃を受け、 息を呑んでこちらを見つめている若者が今あの場所にいるかも知れない。 ひょっとすると利尻と稚内の海岸線の間に不思議な時間軸のずれが存在していて、 今自分が眺めているのは26年前の海岸線なのかもしれない。 とするとそこに走っている列車の窓には自分がいる。 唖然としてこちらを見つめている自分がいる。 26年前自分はあの場所、宗谷本線の列車の中で利尻岳を見つめていた. その山は逆に26年後の山の姿で、稜線には自分が立っていたのかも知れない。 ここに自分がいることはあちらの若者には知る由もない。 あちらにはあちらの時間が存在し流れていく。 時間軸のずれ・・・・・ |
長官山からは急激な下り道が延々と続く。彼女たちはペチャクチャ喋りながら下山する。気が紛れてWelcomeだ。かえるのようなペシ岬やポン山がなかなか近づいてくれない。7合目、6合目と過ぎて、もういい加減にしでぐで〜と思う頃にやっと道が緩やかになる。しかしここまでの長い下りで膝の上の筋肉が悲鳴を上げ始めた。ヨボヨボと老人のように更に下る。いい加減この緩やかな道も飽きてくる。本当に飽きてくる。マジ飽きてくる。4合目付近で先に下山を開始していた女の子と合流。後ろからついてきていた子はなぜか休憩をとらずに先に進んでいく。「わたし一回座っちゃうと、また歩けるかどうかわかんな〜い」と幽霊のようにひとり森の中に消えていった。
なかなか近づかないポン山と町 |
<登山口に到着>
道の脇でリスを見つけたりしながら(当然彼女たちは「キャーカワイイィィィ〜」の連発)森林帯を進み、ようやく甘露泉水に到着、そこからほどなく登山口のキャンプ場に着いた。時間は17:00、4時間半よう下ったのお〜。発狂しそうな長い下りだったが、彼女たちのおしゃべりがなかったらもっとつらかっただろう。感謝。山に一礼、我々はここからタクシーで宿に向かう。彼女たちはなんとヒッチハイク!スキー場での再会を約してここでお別れ。いい一日だったね!
昨日、沓形まで送ってくれたことに宿のご主人に改めて御礼を言い、部屋に入る。窓からは正面に利尻岳がよく見える。ここから眺める利尻岳は簡単にすぐ登れそうな裏山のように見える。夕食はまたもや豪華な海鮮メニュー、スーさんはご飯を「利尻盛り」にしている。宿の送り迎えで「利尻富士温泉」に行ったあと、ほどなく安らかな眠りに着いた。窓から入ってくる風はなんて清々しく優しいのだろう。
ペシ岬とペンション「みさき」 (真ん中の建物) |
<エピローグ>
翌朝4;00頃目が覚める。窓が開いていたが寒くはなかった。カモメの泣き声が朝の静粛の中に響き渡る。うっすらと薄紫色に明けそうになる空に利尻岳が美しい。5:00登山者を乗せた車が宿を出発していく。彼らのために今日も良いお天気でありますように。元気なスーさんはペシ岬まで散歩に行くらしい。その後我々はコンビニで簡単な買い物をしたあと、礼文島に渡るべくフェリーターミナルに向かった。
ここで例の女性二人組みと再会、やがてフェリーは鴛泊港を出港した。
フェリーがペシ岬の横を通過し、ゆっくりと島を離れる頃、じっと利尻岳を見つめる私は、やはり深田久弥のあの有名な一節を思い出していた。
『翌日の午後、私たちは利尻島を離れた。きれいに晴れた秋空であった。・・・・船が遠ざかるにつれて、それはもう一つの陸地ではなく、一つの山になった。海の上に大きく浮かんだ山であった。左右に伸び伸びと稜線を引いた美しい山であった。利尻島はそのまま利尻岳であった。』(日本百名山・利尻岳の頁)
礼文島に渡るフェリーより |
利尻岳おわり
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