病気で死ぬ前日の朝、自ら死の予告をし本当に帰らぬ人となってしまった可
愛い弟と、母との実際の会話です。その日午後から同級生が何度かのお見舞い
に来てくれました。彼が誰であるか理解出来る程の意識が有りましたが故に、
苦しさ痛さは半端では無かった筈です。蚊の鳴く様な声でその友達に「おー」
と言い、ただじっと見つめているだけの姿は痩せ衰え、無惨としか云いようの
ないものでした。余命3ヶ月と宣告され6ヶ月もの間病魔と闘い、日増に悪化
する自身の死を予感し男泣きした日もありましたが、この日は淡々と語ったの
です。
昭和44年8月4日
(弟から始まります。) (母)
「明日の午後に行くよ。(逝く?)」「そんな事言わないで元気になって平井
に帰ろう。」「ううん、もう迎えに来るって言うから駄目なんだよ、だから白
いパンツに履き替えさせて。」と直後「パンツで無くて腰巻きが良いや、そし
て一旦地下室に行くんだ。」これが弟と母の会話です。母自身が生と死の境を
経験した事の有る人ですから、かけがえのない命の灯火が永遠に消えてしまう
事を察知した様子でした。母も私達も涙がとめどなく流れ、涙って枯れる事が
無いのかと思う程でした。交通事故の様に急を要する状態ではなく、猶予期間
があるにも関わらず治癒しない救ってあげられないもどかしさ悔しさで一杯で
した。
昭和44年8月5日
体を触ると冷たいのに暑い暑いを繰り返し、水も喉を通らず氷を小さく砕いて
は舐めさせていました。この日はあまり欲しがらず眼を閉じている事が多く今
日一日が何事もなく終わる事を願っていましたが、突然呼吸が乱れたので慌て
てナースコールをすると、主治医と看護婦さんが来て下さり脈拍・瞳孔等を診
て「お気の毒ですがご臨終です。」とおっしゃり一礼して主治医は病室を後に
され、残った看護婦さんの言葉に驚愕しました。「腐敗しない様ドライアイス
を詰めますので、ネルの腰巻きを買って来て下さい。」と母に言ったのです。
女性にしても腰巻きなんて身に付ける時代では無いですし、まして男には全く
といって必要の無い代物です。然も、弟の《奇妙な言葉》を看護婦さんは聞い
てはいないのです。私は全身に鳥肌が立ちました。きっと迎えに来た人?の指
示だったのではないでしょうか。
体を綺麗に拭いて棺の中に遺体を入れ、その周りや腰巻きの中にもドライアイ
スを敷き詰め、地下室に向かいまた唖然そこは何と霊安室だったのです。単な
る偶然なのでしょうか、私達ですら地下に霊安室が有る事など想像もしていま
せんでしたし、まして歩く事すら出来ない本人が知る由も無い事なのです。霊
安室までの事を頭に入れて看病している肉親はおりません。何故って、死ぬと
いう事を考えていませんから。何としてでも主治医に助けて頂きたい、生かし
てあげたいとの思いが強いからです。絶対殺してなるものかと藁をもつかむ思
いで、色々な情報を聞いては良いといわれる物を買いあさってみても、結局無
駄に終わってしまいましたが、それは結果であり尽くしてあげる事は出来たの
です。
午後2時52分、この世と決別し遠い世界へと旅立ちました。誰が迎えに来
たかは解らずじまいですが、霊界というものが在っても不思議のない出来事で
した。くしくもこの年の1月に私達の結婚式を終えた頃に発病し、開腹手術を
受けたが既に手遅れとなっていたのです。弟18才私達が22才の時の悲しい
出来事でした。※お断りこれ以外の霊体験シリーズは削除させて頂きました。
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