●明日の社会福祉施設を考えるための20章●


(やまのうちとよのり氏の「明日の社会福祉施設を考えるための20章から)

〇開かれた社会福祉施設
・必ずしも物理的に開放されていることではない。
・施設活動が地域住民に納得されており、地域社会の精神的な共有財産。
・運営態度が地域社会に向かって開かれている。

〇地域社会に開かれた施設の恩恵
・広く支えられる(物心両面の援助、住民の理解のネットワーク)
・施設職員の仕事に対する理解。
・入所者に対する理解。

〇手段
 施設広報紙、地域社会向けの広報活動。
 施設が備えている機能や情報が、地域住民の生活に役立ち、地域社会の福祉を高める施策の企画や実施に力を発揮。
 地域社会に存在するものとしての社会性。施設長、職員の地元付き合い。

〇施設機能の地域社会への拡大についての留意点
 1 施設の社会化は、その施設なりその職員なりの社会的態度が地域住民に受容されていないかぎり決して成功しない。施設の運営自体が、地域社会のいわば共有の財産となっていなければ、社会福祉施設の社会化の志向はからまわり。
 2 入所者や利用者の処遇に何らかの形で貢献しないような地域社会へのサービスは避けるべきではないか。入所者に対する処遇の厚みをふやす可能性のないプログラムは成功しない。
 3 各種の専門機関、ボランティア活動を含めた地域の技術資源との提携の条件。
 一方「長い歴史を通じて、ひたすら入所者の処遇に徹することによって、その人たちの健康な生活の姿を住民に知ってもらい、ただそのことによってのみ、他に追随を許さない社会性を発揮してきている施設がある。」(newemon 教護院の足の裏の哲学のことですかね)

〇人材を育てる施設
 与えられた処遇、与えられた研究、与えられた身分制度だけで実現するか。
 施設が職員を育てる最も効果的な場であることの自覚を持つことが大切。
 施設のせまい職場だけですべての修練が達成できるわけにはいかない。
 社会福祉の仕事や技術というものを、とかく知識の体裁や学問の趣向でとらえがち。
 「制度」としての研修や「知識」としての技術によって高めるという発想にとらわれすぎている。
 職員を人材として育てることを施設の役割として自覚し、それにふさわしい体制を考える。

〇仕事を造る社会福祉施設
 かつて福祉の法制もなく、まして財政支弁の裏付けなど求めようがなかった時代に、社会福祉の仕事を自ら創り、自ら苦しい道を切り開いてきた先達者に比べれば、無鉄砲な挑戦ではない。



●福祉の仕事を考える●

もう一冊やまのうちとよのり氏の「福祉の仕事を考える」から

〇戦後の福祉政策が、社会福祉の技術的な条件づくりでする人の養成にまで手をまわすことができなかった理由。
1社会状況
 多くの国民が要援護者として巷にあふれていた時代に、社会福祉に働く人の養成より、必要な生活援護のためのカネとモノの確保に熱心になるのは当然。
2社会福祉を行政制度そのものであると観念する発想。技術的な仕事として理解することが少ない。

〇「社会福祉」
 いろいろの領域や、その技術の様々な専門性の区別をほとんど念頭に置かないでこの言葉を使うことに慣れてしまっている。それぞれの領域の仕事の多様性が正しく理解されていない。技術的専門性が理解されていない。
 社会福祉の仕事について悪い評判があまり立たないのは、福祉の仕事の失敗というものが世間に目立たない。医療や教育に対する厳しい目と高い期待をかけていない。(newemon 利害関係がない。情報源が少ない。学校のように教育の資質をとうことが少ない)

〇児・者処遇の違い
 治療教育は、理論体系化の起点を児童期に置いていた。しかし援護のプログラムまでが治療教育の理論で安易に語られる場合が少なくない。知的障害の障害を負って成長した人々と、知的障害児に対する取組は異なる。実践家は、青年期以降の生活課題に積極的に問題意識を持たなかった。子供は心身に天賦の発育の営みが備わっている時期だから指導。
 職員の専門性
・児童期 生活能力の発達を援助する訓練指導の技術
・青年期以降 日常生活を営む暮しの技術  文化活動の技量(個性の活動)
       訓練的指導技術

「知恵遅れの子が一生懸命働いて」という自慢はあってもよい。しかし、だからといって質が落ちてはいけない。専門家の指導を受けるべき。
(newemon 「・・・君は」など、施設が知的障害者イメージをまいている。知的障害者だからという、施設の甘え。関係者にとっては感慨深い、意味のあるものであるが、それが他人にも通用するという独善性。)

〇福祉の仕事
・医療教育と異なり、人間を全体としてとらえ、人間の生活を全体として調整することで問題の解決をはかる。
・多くの人の協力が必要。
・分担化の余地は狭い。子供の生活を全体としてとらえる。

〇人材の適正基準 相手本人にとって悲劇 
・人間に対する関心、興味
・福祉の仕事にはそれほどの能力が要らないという思い込みが意外に世間にある。
・ボランティアにも福祉の仕事を安易に思い込む偏見。
・仕事が人をつくりあげていく。
・優れた人材でありながら、強調性に乏しいとか、自信過剰から生じる職場に対する不満から役割を高められない人。熱意を持続できない。
・社会理解の感覚 復帰すべき社会なりその生活を正しく理解。
・専門職業人としての判断・評価。
・日常の雰囲気 老人が子ども扱い。知恵遅れの成人が生徒扱い。

〇福祉の仕事の技術養成
・「社会福祉系大学」 福祉の現場で働く実践家の技能養成の場でない。社会福祉を政策や理念の課題としてとらえた人文科学的な知識の取得の場として組み立てられている。
・技術性、実践性に対応した養成体制、カリキュラム。
・若い世代をひきつける養成。
・技術習得には、徹底した現場教育、実地修練のための実践的なシステム。
・志願者一人一人の職業的適性と資質を厳しく評価する社会環境の確立。

〇ボランティア活動
・奉仕の気持ちさえあれば誰にでもできる活動ではなく、技能に基づいて一定の規律のもとで営まれる活動。職業人としての技能ではない。福祉の現場へ行けば、だれでも役立つことができるという安易な思い込み。
・施設に洗濯もしない古着を送りつけたり、一般市販ができないような食料品を寄付するといった古い慈善の観念と同じ次元。
・一般家庭を手伝って喜んでもらえる程度の技能。(newemon 先ず自分の家庭でやれ)
・ボランティア活動の現状は、福祉の仕事の現場を知るための機会という程度でしか社会的効用を発揮していない。(大西 職業予備軍としてのボランティア)
・カルチャー講座で福祉の講座があるか。(newemon 今は結構あって、家庭相談員なんかカルチャー講座でカウンセリングを勉強して児童相談所の職員より詳しい人が多いんですよね。)
・福祉の仕事に対する敬意 現場に規律ある態度で臨む、働く人への礼儀をわきまえる。
・ボランティアであろうと、人の一生に取り返しのつかない痛手、重荷を与えかねない。



●福祉の国のアリス●

さらにもう一冊。「福祉の国のアリス」から  八重岳書房 1992年12月5日  2,000 円

 暖かい偏見=憐憫の行為

 根強く浸透している「指導」と「保護」の理論。

 救済を目的とする保護(救護)
 援助を目的とする保護(援護)
 養育を目的とする保護(養護)
 教育を目的とする保護(教護)


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