●感情の学習●


 人間生まれてから、最も重要な学習領域の1つは、感情です。生まれたままで人との交渉なしに育ったとすれば、少なくとも人間の立場から見る限り、粗く未分化な段階に止どまるだろうということは、いわゆる「狼に育てられた子」、すなわち何かの理由で人との接触がきわめてわずかな条件のもとで生育したと考えられる子どもに関する若干の報告からも推察できます。

 感情の学習は教科学習よりも広く深く、個人の生涯の福祉に影響します。感情の社会化は、社会文化への適応の必要条件であり、学校教育への適応や意欲とも深い関係をもちます。

 感情の模倣学習は、親との関係だけには限りません。多少とも依存・同一化の対象となる人、たとえば教師や年長児、さらには同輩との感情生活は、何らかの形で子どもにとりいれられることが多いものです。

 教育の重要な仕事のひとつがより高くより充足した人間性の達成である限り、このような感情の育成もまた学習指導の視野にとどめなければならないでしょう。

 児童自立支援施設では、この感情の学習が重要な目的のひとつです。教護院運営要領技術編に詳細が記されているので紹介します。

 「心の接触は、積極的の好ましい感情転移である。人間はだれしも、過去に他の事情のもとで発生した感情を相手に移すものであるが、教護児童は、多くは、虐待され、放置され、叱責され、満たされなかった悲惨な過去をもっているから、初めから積極的な好ましい感情転移を起こすことはほとんどない。

 消極的な転移すなわち憎悪を、意識的無意識的に抱くか、また固い殻に入って、表面だけ良好な人間関係を示すかが常である。

 前者は、フテブテしい態度、逃走、規則無視、不信、乱暴等職員を挑発刺激するような行動にでる。これに対して、職員が立腹したり、罰を加えたりすれば、これは彼らの思う壷であり、彼らの憎悪に正当な根拠を与え、永久に暖かい心の接触を来すことは困難となろう。

 また後者の一見好ましい人間関係は、実は、固い殻の表面を覆う防御であるから、職員の努力は一向に、真の影響力をもたず、失望して、叱責、懲罰等の手段にでがちであるが、その有害なることは前者と同じである。

 職員の側における反対攻撃性が、厳に、否定されるのは、この為である。職員は、常に、楽天的な明るい態度で、安定した情緒をもち、いかなる時も、児童の側にたち、彼らと共にある態度で、気長に、積極的な感情転移が起こるのを待たねばならない。

 元来教護児童は、情緒が発育不全であり、人格構造が均衡して出来上がっていない。原子的な未分化な欲求が盛んであり、自我の制御力は弱く、超自我が確立していない。この状態を、潜在的反社会性といい、顕在的反社会性の前提をなすものであるから、この人格構造自体の改善強化が教護の目標となる。

 そして、このような未発達は、遺伝素質の為も若干あろうが、主として、幼少児、殊に5才までの家庭内の好ましくない人間関係の結果とみられている。そして、職員に対して積極的感情転移の状態に入った児童は、満たされなかった幼少児に帰って職員の影響力を浮け、次第に原始的な欲望はおきかえられ、反応形勢、昇華等の経緯をだどり、自我は強められ、超自我は広く深く形成され、ついには現実に適応した社会性を獲得するようになる。

 その経緯は、まず模倣から始まり、次に職員の意志、希望と同一化して、それらを自分のものとし、最後には、職員の全人格と同一化してこれを取り入れ、かくして彼らの人格構造が作り上げられてゆくのである。

 彼らが変化するというのは職員と同一化する為である。この点、職員のありかたそのものが教護の技術といわれるゆえんである。これはすべて積極的感情転移があって初めて起こる心理的現象であるから、いかにしてその状態に児童をもってくるかは、実にすべての技術の基であるといわなければならない。

 また、その技術は、要は職員の理解と、心構えと、人格構造そのものであるから、その意味では、技術以前の技術であり、本来技術の安定法、修正法等はすべて、自我を強化し原始的欲望を順化し、超自我を完成させるための、いわば実際具体的の方法である。

 原則として、社会的及び心理的原因によるものの大部分は、この感情転移と同一化が有効である。」


戻る