卓球の練習試合で、生徒を引き連れ中学校へ行った。キャラバンに乗り込む前、生徒にトイレに行く人は行ってきなさいと言った。
数人が行った。すぐI君が戻ってきて「先生、トイレに一緒についてきて」「何で」「トイレに変なやつがいる」「変なやつってどんなやつだ」「トイレでかつあげやってる」「なにー、変なやつっていうけど、おまえは国立の教護院に来た非行のエリートだぞ、おまえのほうがよっぽど変なやつだぞ」「でもけんかになるとやだから、ついてきてよ、早くー」「しょうがないなー」
そしてうちら変な集団がトイレへ、先にいた変なやつ、二人で一人をかつあげしていたようだ。
用をすまして、キャラバン乗り込んで車を出す。先程の変なやつがこっちに「ガン」を飛ばしてくる。生徒みんな笑いだす。「ばかじゃん」。うちの生徒は「ざこ」を相手にしないのか、それとも成長したのか。
H君いわく「あの子助かったじゃん、おれっちがトイレに行ったからかつあげされずにすんだんだよ。あれは殴られてるぜ。目の回りが赤くなってたから。」
そうか、殴られてたのか、私は全然わからなかった。
卓球の関東大会があった。大会が終わって、部員全員で写真を撮った。現像してみたら、「唖然」、みんな前を向いていない。ななめに構えている。そして微妙に顔もななめで上目づかい。
「この写真、なんかおかしいぞ。なんでみんながんたれてんだ。ちゃんと前向いているのは俺とS先生だけじゃないか。全員がんたれてどうすんだ。まるで非行少年みたいだぞ。」
「ほんとだ。しょうがないよ、くせだから。」
市の卓球大会で優勝した中学校に練習試合に行った。
相手の監督は、負けた選手を正座をさせて報告させている。それを見ていたうちの部員が勝ったのに、私の前で正座した。
私「なにやってんの。」
生徒「もっと威厳を示しなよ、先生。向こうは正座させてるんだよ。」
私「あっそ。正座したけりゃ、していいよ。」
この後、生徒はおもしろがって、戻ってくるたびに正座をするのであった。
私「なんだ、負けちゃったのか。相手のスマッシュを結構カットで返していたのに、残念だったな。でもいい試合だった。」
生徒「いいや、勝ったよ。」
私「まぎらわしいことするんじゃないよ。」
それは、東京都の教護院に練習試合に行った帰りの車での出来事であった。
信号待ちをしていると、なんか周りに緑の水がしみ出ている。どこかのホースが破れてラジエターから冷却水が全部なくなって、車は動かない。近くの自動車工場で見てもらうも、今日中には動かないというので、車を置いて電車で帰ることにした。
折しも夕方のラッシュ時。「いいか、4つ目の駅で乗り換えるから、そこで降りるんだぞ。」
電車の扉に分散してみんな乗り込む。乗り換えの駅で「おーい、みんないるか?」「みんないるよ。先生、逃げると思った?」「逃げるとは思わなかったけど、大会が近いのに、今でもぎりぎりの人数なんだぞ。誰か逃げたらどうしようかと思ったよ。」
目的地の駅でも、「みんないるよ」
それは、社会見学に出かける朝であった。「生徒、全員います」とのことで、マイクロバスが出発した。しばらくして何か足りないことに気がついた。行事担当のO教官がバスに乗っていない。M運転手「戻りますか。」、職員一同「いいよ、このまま行っちゃえ。」
後でO教官「ほんとにもう、信じられないよ。何で行事担当者を置いていくんだよ。」
皆、生徒のことばかり気にかけていて、職員のことまで気が回らなかった。以外な盲点であった。
生徒は愛情に飢えているのか、社会見学でビール・ジュース工場に行くと、試供品をがぶ飲みする。あれ、職員と研究生も愛情に飢えているのか?誰だ、試供品をがぶ飲みしているのは。
私の最初のボーナスはスキー道具に消えた。行事でスキーに行くので必需品なのだ。ということで私は初心者、生徒は運動神経がいいのですぐ上達する。リフト券はそれぞれのグループを引率している職員がもっているので、全員そろっていないとリフトに乗れない。
生徒はリフトから降りると、脱兎のごとく滑り降り、下で待っている。「先生、遅いよ。さあ、リフトに乗ろう。」「休憩させてくれ。」「あまいよ」どちらが引率者だか。
中には雪を見たことのない生徒もいて、はしゃぎ回っている。しばらくして、その生徒の
股間に霜が張っている。何でもトイレに行くのが間に合わず、ゲレンデで漏らしてしまったらしい。
他の生徒は、トイレにまではたどり着いたものの、手がかじかんでチャックがおろせず、便器を目の前にしながら、漏らしてしまった。
非行のエリートだったから、こんな話は地元に帰ってできないだろうな。
行きたくない、これはもちろんだが、家庭裁判所の審判で、教護院送致になることを嫌がり、少年院へ行きたがる。少年院送致を望む子が多い。
なぜなら、教護院は自由に逃げられるから、何回も逃げると、それだけ退院が遅くなる。それなら、逃げることのできない少年院だと早く退院できるから少年院へ行きたいと答える子の何と多いことか。
少年院の短期処遇が始まった時、教護院経験者は短期処遇をしないという申し合わせがあるのだが。さて、審判の抗告の申し立てをする子が年間数人いるが、教護院送致を取り消してほしいというのではなく、少年院送致にしてほしいと申し立てるのである。これも少年院のほうが早く退院できると思ったからだと後で聞いた話である。
ある日、O教官と日曜日に授業の教材を買いに、歩行者天国を歩いていた時である。その日は祭の日であった。突然、テキヤのにいちゃんが、「おい、待て」と追いかけてきた。
O教官曰く「おい! 何したんだ。」 私「何もしてない。知らない。」
二人で、すたこら逃げるも「おい、待て」と追いかけてくる。二人逃げるも遂に追いつかれる。
するとテキヤのにいちゃん、「何で逃げるんだよ、先生」という。何と、退院生であった。
急に私たち二人は態度がでかくなる。「何だ、お前か。あせらせるんじゃないよ。なにやってんだ。」
「とりあえずテキヤやってんだ。寮長先生には内緒にしといてよ。みんな元気?」「おー。元気だ。」
知らないことほど怖いことはない。
生徒が無断外出した。親が乗り込んできた。調査課長と調査指導係の私で応対した。何やら日本刀を持っている。「何で俺の生徒を逃がしたんだ」「逃がしたんじゃなくて、逃げたんです。」こんなやりとりを繰り返して、最後に「色々言ったけどな、自分の子どもはまっとうな道を歩んでほしいんだ。よろしくたのむよな、先生方。」と言って、日本酒を二本置いていった。
後で調査課長「小指がなかったな。えんこされたんだな。」「気がつきませんでした。」冷静沈着な調査課長であった。
また、こんなこともあった。生徒が親から手紙が来たと言って、うれしそうに見せてくれた。「お父さんは今遠いところにいて面会に行けないけど、がんばるんだぞ。お父さんもがんばっているから。」消印や便箋の紋からして刑務所からの手紙であった。
年末になると、生徒のそれぞれの出身地から歳末見舞金ということで寄付金の配分とお手紙が来る。遊び道具や正月用のお菓子を買ったり、退院時に持たせたり、有意義に活用させてもらっている。
ある日こんな照会があった。「村議会で、何で非行少年にまで金を配るんだ。おかしいんじゃないか、と言われているんですけど、どうなんですか。」
教護院は児童福祉法に基づく児童福祉施設です。全くおかしくありません、と言って、配分を受けることができた。
女子教護院で実習中のできごとだった。夕食にりんごがついていた。私はおもむろに包丁を使ってリンゴの皮をむきだした。
すると、周りの非行少女が「先生、すーごいー。」と言う。周りを見渡してみると、リンゴの皮付きをかじっている人、包丁で4つ切りにしている人、2つに切っている人様々で、皮むきをしている生徒は少ない。特に新入生は包丁をうまく扱えないようで、4つ切りにする手元もおぼつかない。
私は皮むきが終わり、「どうだ、全部つながっているぞ、並べると「何ですかマーク」が2つ、ひっついているかたちになるんだ。」
生徒「ほんとー、すごい」
一緒に実習していたO研究生「何で、リンゴの皮むきぐらいで感心されるんだよ。おれだって包丁ぐらいは使えるんだ」と言い、皮をむき出したが、2番せんじのためか生徒に無視され、さらにひがむのであった。
生徒は調理実習を行うが、こういう機会でもないと料理をするということはあまりないか、パックものを買うのだろう。
寮舎で誕生日会があった。テーブルの上にはろうそくがたったケーキやコーラ、お菓子などが並んでいる。クリスマスじゃあるまいし、とんがり帽子をかぶっている子もいる。
今日が誕生日というその子に、寮母が「みんなにあいさつして」と促した。
「今日は、僕のために誕生会を・・・(いきなり涙声)。僕は誕生日を祝ってもらったのはこれがはじめてです・・・。(わんわん泣き出した)。」
私はびっくりした。このA君はケース記録を読む限り、相当なワルである。そのワルがね、誕生日を祝ってもらってうれし泣き、またはこれまで誕生日をいわってもらったことがなかったことが悲しくてか、泣いているのだ。
生徒一同、みんなシーンとしてしまった。皆も胸に去来するものがあるのだろう。
こんなささいなことだと思いがちなことであっても、A君のこれからの人生では思い出のひとこまになるであろう。そして自分の子どもの誕生会をしてあげるだろうな、誕生会の連鎖が続けばなと思った。
寮母「みんな、なにしんみりしているの。ローソクの火を消して」A君がふーと消して、みんな拍手喝采。この後、楽しい誕生会がつづくのであった。
畑仕事で、へちまの種を蒔いている時の出来事だった。寮長夫妻が作業中にへちまの種の蒔きかたで夫婦げんかを始めた。寮母「あなた、だめよ。そんなまきかたは。」寮長「いいんだ、これで。」だんだんエスカレートする。
生徒が不思議がっている。実習生の私が生徒に聞いた「何か、不思議か」
「だって、殴り合いしてないよ。」
私はびっくりした。この子にとっては夫婦喧嘩というのは、殴り合いになるものだと思いこんでいるのだ。殴り合いにならない夫婦喧嘩もあるんだということを知ったこの子にとっては、大きな成長であろう。
寮担当の夫妻が自分の生活を生徒の前にさらけ出すことが、意外に子どもたちにとってはアダルトチルドレンへの防波堤の一助になっているようである。
無断外出した子の話を聞くと、みょうに感心することがある。
「検問はどうやって突破したんだ。」「何か胸騒ぎがしたんで、車を乗り捨てたら検問やってた。だから歩いて突破して、また車盗った。」本当に小学生がやることか。
「パトカーの中からどうやって逃げたんだ?」「先生、知ってる? パトカーって、中から開かないけど、外からは開くんだよね。窓があいていたから外に手を出して、ドアをあけたんだ。」
無断外出した子を迎えに行くときは、日帰りである。沖縄にも日帰りで2回行った。このうちの1回は、本当にとんぼ返りで、児童相談所の職員に空港まで子どもを連れてきていただき、帰りの飛行機は客室アテンダントも同じ人で、不思議な顔をされたのを覚えている。 児童相談所の職員の方が、気を遣っていただいて、「せっかく沖縄にきたんですから、沖縄の空気でも吸ってください。」というので、空港ビルの外に出て、深呼吸を2、3回して、「沖縄の空気は暖かいですね。」といって、帰って来た。
今度は青森にM教官と子どもを2名引き取りに行った。警察はすぐ引き取りに来てくれと言っていたのに、なかなか引き渡してくれない。弘前児相の職員「取り調べが長引いているようで、今日中には渡せないそうです。一時保護所が空いていますがいかがですか。」
「お願いします。」
一時保護所に泊まるという貴重な経験をしたのであった(この一時保護所は中央児相の一時保護所に統合されて今はないが)。翌朝、青森から浦和まで東北自動車道を給油1回のみのストップで帰ってきたのであった。
弘前児相の職員には本当にお世話になった。
子どもたちにとって、最初に厳しいと思うことは2つある。
ひとつは規則正しい生活である。シンナーを吸っていれば空腹感を感じない。だから食事も気まま。夜に活動して朝は寝ている。不規則な生活を規則正しくおくっていたのが、3度3度の食事など、規則正しい生活に一変してしまう。
もうひとつは少年院と異なり、塀がないこと(塀のない少年院も多いが)、つまり逃げようと思えばいつでも逃げられることだ。だから子ども一人一人が自分で心に柵を持たないといけない。新入生は、この心の柵が低い子がいる。しかし、段々と自覚し成長するに従って、心の柵もしっかりしてくる。
考えようによっては、児童自立支援施設(教護院)は、少年院より子どもたちにとって厳しいところかもしれない。
1週間に1回、講堂集会で交替で職員が30分、研究生が30分、生徒に話をする。これが職員にとって非常な苦痛。なにが苦痛かというと、順番表を見て、自分の番が近づくとまずなにを話そうか悩み、話す内容を決めて準備するのも一苦労。
内容を決めても、この話は生徒にうまくわかってもらえるだろうか、よくわかってもらうにはどのように話をもっていけばいいのか。冗談がうけるだろうか。
講堂集会でしらーとした雰囲気になるのが一番恐ろしい。いかに生徒に興味をもって聞いてもらえるか、この気苦労は大変なものだ。つまらない話だと、職員、生徒、研究生全員にとって苦痛だ。研究生がつまらない話をすると、思わず寝てしまう職員(すみません、私も寝てしまったことがあります)、席をはずしてしまう職員もいる。
生徒にはちょっと難しくて理解されにくい話だったりすると、その日の授業に尾を引いてしまい、先生の話、つまらなかったコールに見舞われてしまう。
話がうまくいけば、講堂集会は一方通行で質問できないので、授業の時に「なんで、なんで」「本当か、本当か」「おせーて、おせーて」コールで1時間つぶれる。
最後の5分間に今日やるはずだった授業をやって「しまった、また無駄話ばかりしてしまった。次の時間はこの続きをちゃんとやるからな。」と残念がってみせる。内心は「やったぜ。これで今度の授業の準備をしなくてもよくなった」とほくそ笑む。