高校1年か2年の時に友人が死んだ。
夏目雅子さんの病気と同じだったと思う。
でも、その時はそれほどの思いはなかった。中高一貫で1学年200人の学校だったので
もちろん知ってはいたが、せいぜい顔見知り程度だったと言うこともあるが、それ以上に
まだまだ、自分は若く、死は他人事だったから。
90年の12月天皇誕生日に友達が死んだ。
祝日でテニスをしていて、「ちょっと休憩」とベンチに腰掛けたら隣の人にもたれかかって
来て、ふと隣の人が見たら死んでいた、と後日別の友達から聞いた。(俺は、語学研修で
パリにいた。)
その時は結構ショックだった。
27才。まだ若い、と言えば若かったけど、
「俺ももうじき30才。いつどこで死ぬかわからんわなあ。
いつ死んでも後悔しないように生きよう」と思った。
「これをやれへんかって、後悔せえへんか」「これを言うのをこらえて後悔せえへんか」
元々ひとさまのことを気にして行動を制御するのが苦手な性向ではあったが、磨きが
かかったと思う。というか、確信犯になった。
自己紹介のページに書いてある「迷ったら進む」「進まずに後悔するよりは進んで後悔しよう」
である。
2000年1月9日、保科さんが亡くなった。
大きな後悔が残った。
年末にクリスマスカードを出そうとしていたのに、バタバタしていて出さなかった。
逆に休暇前に保科さんからカードが届いた。「健康に気をつけて」とあった。
休暇で年末パリに行ったときも、最初は出そうと思っていたのに、休暇の楽しさですっかり
忘れてしまっていた。
年末にカードを出していたら、 家族の写真と一緒に送っていたら、
保科さんが亡くなられる前にきっと見ていただくことは出来たと思う。
挽回できない後悔が残った。
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