処女句集『月明の樫』所収。昭和54年作。『自註・鈴木貞雄集』には、「どこの千手観音か記憶にさだかではない。雪解のころには、観音様の千の御手もゆるむかに思われた」とある。 旅先でのことと想像するが、たまたま機会を得て目のあたりにした千手観音像の表情が見事に捉えられた作品。まず「雪解や」により、柔らかくなってきた日差し、周辺に融け残る雪や廂の雫など、寺の情景が思い浮かぶ。そして「千手ゆるみし」ではなく、「ゆるめし」と詠むことにより観音像に血を通わせた。 千手観音は、その慈手・慈眼をもって衆生を済度するという。一見穏やかな表情には、厳しさが内包されているともいえよう。早春の光に包まれ、整然と揃った千手がふと力を抜いたように感じたこと、すなわちそれは観音像と時空を共有し得たことに他ならない。「くわんぜおん」の響きが、作品に余情をもたせている。 「俳句の詩型と自分を生かすこと」の大切さを説かれる先生の下、「若葉」は通巻950号を迎えた。(辰巳奈優美) |
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雪解や千手ゆるめし観世音 鈴木貞雄 |
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社団法人俳人協会 俳句文学館454号より |