【鑑賞】 永遠の美しさ 坂本宮尾 『露団々』所収。東京、杉並区の雑草園と呼ばれる自宅庭での吟。「ここは青邨の創作工房というべき空間で、牡丹・紅粉花などが植えられ、玉虫が好む樺や槐もあった。青邨は庭で句を詠み、清廉な人柄がにじみ出た名随筆を書いた。 自然界には驚くほど美しく輝く色が存在する。玉虫の羽もその一つで、金属のような光沢は構造色という光の波長による発光現象である。色素による発色ではないため紫外線で褪色しない。玉虫は死んでも輝きを失わないのである。作者は偶然に見つけた匹の虫の骸から、法隆寺に伝来する玉虫厨子へ思いを馳せた。日本最初の女帝の時代に作られた宝物である。下五のきっぱりとした断定が、作品を引き締めている。句が切り取っ時空はじつに豊かで、大きい。 玉虫は昔から吉兆とされ、箪笥に入れておくと衣裳が増えると信じられてきた。青邨は日本の伝承を愛し、自註には、この玉虫は「今も家内の箪笥の小箱の中にちゃんとしまってある」と記している。東京帝国大学工学部教授であった青邨は、自然科学者の目で玉虫を観察し、詩人の心でその不思議な美に驚嘆し、句にした。昭和十七年、戦争も激しくなってきた時期の作品である。 【思い出】 「雑草園」の夏 斎藤夏風 五月十日は青邨先生の誕生日。夏の始まりでもある。杉並区堀の内、「雑草園」と称した庭、名草も雑草も庭に生えたものは大切に扱った。自宅では年を通して着物姿。夏は藍のちぢみに兵児帯。庭仕事もこの姿のまま、暑いときは時々袖をたくし上げる。東北武士の血を引く頑丈な骨格だった。五月の庭は牡丹が中心、自らの手で丹精した花に、朝晩立ち続けた。亡くなられる前年の句 手裏剣の如く蜂飛ぶ牡丹の前 は九五歳とは思えぬ勢いだ。六月は紅粉花の季節。紅花とは書かない。尾花沢の種だ。 母の忌の五月つごもり紅粉の花 幼くして亡くなった母への思慕へ繋がる。花を所望すれば誰にでも快く剪ってくれた。門下の若手女流に「紅粉花の会」なる会が出来た。青邨夫妻は一日厨を解放、彼女らが作った料理を食べたりして遊んだ。そんな中軒先では熟した杏の実が、ぽたぽた落ちる。夫人の杏ジャム作りの時節到来だ。おすそ分けの黄金の艶に豊かさを感じた。 七月、秋田蕗が大葉を広げ、茄子が実をつける。蚊も力をつける。特に客には激しく襲う。「年寄には刺しません」と笑い乍ら蚊取線呑を焚いてくれた。 八月は夏休、例会はじめ殆どの句会は休む。仕事や「夏草」の遅刊解消を進めようという思いはあるのだが、丁度野球シーズン、大の巨人贔屓で、テレビ観戦。勝っても負けても仕事は進まない。結局「夏草」の遅れも戻らなかった。そして八月十五日、戦争中庭で消し止めた焼夷弾筒を花筒にして庭の向日葵を剪り床の間に飾る。人知れず修する終戦記念日だ。こうして雑草園の夏は終わるのだった。 |
社団法人俳人協会 俳句文学館423号より |