俳句カレンダー鑑賞 7月



 台風が過ぎ去ろうとしている晩夏の頃か、作者は一段落して髪を洗っている。空には、夜になってもふわっとした白雲が連れだつように流れている。
 「雲の分身」とはちぎれ雲のこと。作者の目には次々と流れてゆく雲が、まるで命あるかのように映った。分身という言葉にはその思いがあるのであろう。
 「夜も流る」という表現にもそういう勢いが見られる。終止の形をとっているが、勿論、中七の「雲の分身」にかかっている。この詰まった調子が一句にアクセントを与え、雲々が足迅やに流れてゆく夜空の激しさを想像させる。
 この夜空もやがて雲が吹き払われ、風も止んで澄んだ空になっていく。そのような晴天、また明日につながる期待が作者の心の弾みにもなっているに違いない。
 洗髪という日常性が、大きな視界の中に捉えられた清々しい一句。
 作者は、「鹿火屋」前主宰原裕氏の夫人。氏の没後同誌を引き継がれている。
(坂口匡夫)
夜も流る雲の分身髪洗ふ 原 和子
 社団法人俳人協会 俳句文学館399号より

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