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人は高きものに尊厳と憧憬を覚え、低きものに身に添うような親しさを覚えるものなのであろう。作者もタづく山を前にして、この親しさを覚えているのだ。 決して標高何千メートルという高山ではあるまい。しかし青空へ向い屹立する真昼間の山には、仰ぎ見る偉容がある。いま暮れなずむ西日を負うて山が座る。その山を「夕さりの山低くなる」と、把握する作者には、已が齢への淡い郷愁が往き来していたのであろうか。 夕べとは、人の心を遠くへと運ぶ刻でもある。ここに置かれた「月見草」の季語が、作者の位置と夕暮れの時間の推移を如実に打ち出している。 「俳句はその場所を詠わず、その場所で詠え」と、氏は事あるごとに説かれている。いっさいの知識を捨て、いま一日の眠りに付く山に対う作者。その山への親しさが、作者の己に還る優しさの漂泊である。 静かに漂い始める夕闇の中、いちめんの月見草の野に佇つ痩身の作者像が、ふと人恋しげに甦える作品である。 (増成案人) |
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夕さりの山低くなる月見草 吉田鴻司 |
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社団法人俳人協会 俳句文学館399号より |