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昭和二十七年、青梅雨の上高地吟行での一句である。当時高原派として台頭、余暇はことごとく俳句に投じ、憑かれたように堀口星眠との競吟を重ねていた。掲句の俳景でも二人は未明の塩尻駅で落ち合っている。 塩尻駅ホームに降り立つと、薄明の西空に思いがけず浮ぶ残雪の穂高、直ちに一句、と自註にある。が、駅というのは作者にとって目的地の出発点だけではない、とふと思う。 氏は学生時代からダイヤグラムに精通しておられ、あの綱目のような列車運行表をみるのが実に楽しいと仰しゃる。恐らく当時もそれを調べている段階ですでに胸が昂り、作句へのスタートダッシュがなされていたに違いない。 従って駅頭、暁闇の穂高にまみえた瞬間「短夜の夢」とも「夢にはあらぬ」とも半信半疑の打ち消しがすぐに初々しい感動となった。快心の第一打、高原派の旗手としてのヒットが次々と出た。高原への執念は青春の純粋な気塊に溢れ、今にみても瑞瑞しい。 (山下喜子) |
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短夜の夢にはあらぬ穂高見ゆ 大島民郎 |
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社団法人俳人協会 俳句文学館398号より |