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大磯の地福寺の木造りの門の引戸を開けると、梅若葉の匂う様な青さが目の前に広がった。七、八本のあまり太くない梅の木の枝は低く触れ合う程に寺苑の片側の空を占め、一行四五名一度に入れるかと一瞬思う。一同梅の下を身を低く潜り、藤村のお墓に詣でた。 大磯にて「東方の門」の原稿を、夫人が朗読するのを聞いている最中脳溢血で倒れ死去(七一歳)。遺言通り地福寺に埋葬され眠って居られる。梅若葉の小指ほどの実梅を抱く葉洩れ日の静謐な光りの中、藤村の楚々とした墓標、夫人の墓標が低く寄り添う様に。その前に佇つ時おのづと敬虔な思いを抱いた。 俳句は、ふつふつと湧いて来て出来るものであると教えられている。掲上の句こそ、藤村に対する真摯な畏敬の念があってこそ、思わずに出来た句であり、作者の人柄そのものである。静かな言葉のリフレインによって、前書がなくも味わい深い。昭和五十二年作。第二句集『破魔矢』所収。 (小屋照子) |
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梅若葉低くわれらも身を低く 村田 脩 |
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社団法人俳人協会 俳句文学館397号より |