お名前がどうしても思い出せないが、私達の先人で「雪月花の時、最も友を思ふ」との美しい詩語を残した方がいる。どのような芸術であろうと、およそ「日本の」という形容詞が付く限り、この思いは共通であろう。古来、日本人の深層意識には「雪月花」の美意識が、人恋しさの思いを纏い乍ら息づいている。文芸の世界でも、これほど親しまれた主題ほあるまい。作例は多く、新機軸を打ち出そうとしても、蟻の這い出す隙間もないほど、名作が犇いている。 「花」を代名詞とする「桜」もその例外ではない。初花のういういしさ、咲き満ちた華やぎ、散る花への移ろいの思い……、どれを取上げてもいいが、中でも咲き満ちた桜は、華麗なるが故に却って詠みにくい。その点、掲出の句は、新天地を切り妬いている。「時止まれ」の絶叫にも似た措辞、「今」一文宇の勁さ……、無限なる過去と無限なる末来、その間にゆらめく一瞬の「今」。そこには、咲き満ちた華やぎの下で、来るべき移ろいへの跫音を感じとっている作者の姿が見えるではないか。 (有働 亨) |
社団法人俳人協会 俳句文学館396号より |