有田焼が伊万里焼とも呼ばれるのは、製品の多くが有田とは離れた伊万里港から積み出されたため。「古伊万里」とは、ふつう、赤絵や金襴手に代表される江戸中期の伊万里焼をいう。 作者はかつて運輸・倉庫業を自営し、有田の窯元の東京における倉庫を預かっていた。有田へも幾度となく通った。とくに古窯を訪ね歩き、江戸から現代までの陶磁器に精通するようになった。故安東次男氏を案内して、吉陶片を拾い歩いたこともあるという。 この句、そのころ手に入れたお気に入りの古伊万里を飾って、正月気分を満喫しているのであろう。「喜色満面」など顔色を表すことが多い「喜色」を、赤絵の色彩を表現する言葉として活用することで、いかにも三ヶ日らしい気分の横溢する作品となった。「作句の喜びは自分の言葉の発見である」という、作者の持論通りの句といえるかもしれない。自註に「古伊万里は初期よりも黄金期のものがよい。この赤絵は正月にふさわしい彩」とある。 昭和五十一年作。第三句集『板谷』所収。 (池内けい吾) |
社団法人俳人協会 俳句文学館393号より |