歩荷
山行記 二日目 |
◆今日は下の廊下の核心部に入る。道は水平歩道より厳しいらしい。一番の問題は、雪渓の状態だ。この雪渓のせいで年に1,2ヶ月しか通行できないのだ。
昨日小屋のおやじさん曰く「場所は黒部別山谷。雪渓の上は通れないから一度川まで降りて。そこから雪渓の下をくぐってまた道まで上がれるようにロープ
フィックスしといたから」と写真を見せながら解説。ふむふむなるほど〜…「で、雪渓の下は大丈夫なんすかね〜?崩落の危険はないっすかあ〜?」
「なあに、心配ないよ。崩れるときは、バリッ!とかメリッ!とか音がするからわかるよ、ハハハ」
「…………」
◆5:30にメシを食らい、6:00に出発。昨日汗でぐっしょりのウェアは外に干したけど湿度が高いせいで全く乾いてない。ウェアはこれしかないのでしょうがなくまた
着たが、冷たくて気持ちわり〜(涙) でも、小屋前から水平歩道までの急登で汗が噴出したのでどうせ一緒なのである。
今日の天気予報は曇りのち雨だが、幸い青空がのぞいている。 晴れ男、、健在。
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阿曽原小屋を出発→登って水平歩道→再び急降下(RIKIはこれが苦手)で人見平に出る。ここは関西電力の立派な宿舎がある。建物の中では厨房で賄いさんが食事を作っていた。前方に大きな滝が見える。その向こうの山は仙人山か? | この宿舎から仙人ダムまでは関電の通路が通じている。ルートとしてはこの通路に入れてもらい、ダムの上を通過することになる。写真はその通路。この先しばらく進むと鉄道の線路に出会うが、それは欅平からここまで通じている「関西電力黒部専用鉄道」である。有名な小説「高熱隧道」の舞台でもある。 | 仙人ダムの上を渡る。このダムの水が欅平の黒部第3発電所まで送られる。尚、今までの道を「水平歩道」と呼んでいたが、ここから黒部ダムまでは「旧日電歩道」と名称を変える。日電とはかつての日本電力。 |
<お勉強>´▽`
仙人谷ダムをつくるには、専用敷道を欅平からさらに6km先の仙人谷ダム地点まで延長する必要があった。この仙人谷ダムの建設に伴って行なわれたトンネル工事は、地底において摂氏150度を越える高熱の岩盤を掘り進むという過酷なものとなった。劣悪な労働環境、地熱によるダイナマイトの自然発火事故、物資輸送中の峡谷での転落事故、泡雪崩による宿舎の全壊事故などの被害が重なり、全工区で朝鮮人労働者を含む300人以上が犠牲となっている(ちなみに黒部ダム建設の殉職者は171人)。昭和14年8月困難を極めた高熱地帯のトンネルが貫通、15年11月仙人谷ダムは完成した。小説「高熱隧道」(吉村昭)の舞台でもあり、映画「黒部の太陽」の伏線ともなっている |
仙人ダム湖の風景。 おびただしい犠牲者の魂を静める。 |
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ダムを渡ると車道を歩くようになる。トンネルを出るとごらんのような人工物とつり橋が。この人工物は黒部第4発電所(地下にある)からの送電線の出口である。このつり橋で再度黒部の左岸に渡り、旧日電歩道を行くことになる。 | この橋「東谷吊橋」と呼ぶ。黒部の水面からメチャ高い所にかけてあり、下を覗き込むと頭がクラクラする。かといって前ばかり見ていると足を踏み外してあの世行きになる。RIKIは決して高所恐怖症ではないが、初めて吊橋で恐怖感を覚えた。 |
吊橋を渡ると水平歩道以上に断崖絶壁なので地図を見る余裕がなく気がつかなかったが、このあたりがS字峡と思われる。水流が右に左に蛇行して激しく飛沫をあげている。峡谷はせばまりいよいよ下の廊下の核心部に突入した感がある。この写真、崖に近寄っておそるおそる撮ったもの。 | S字峡を過ぎると半月峡と呼ばれるところがあるらしいが、区別がよくわからなかった。黒部ダムの観光放水が行われるのが8:30からとのことで、水の色が青く美しい。(放水が行われると濁ったグリーン色になる)。阿曽原のおやじさんによると、この美しい水流を見られるのが、こちらからのコースの良いところだそうだ。 |
<お勉強>´▽`
旧日電歩道 : 黒部川の上流域に設けられた歩行者専用道(登山道)である。日本電力が水力発電所の建設に備えた調査を行うために開削したことからその名が付けられた。1925年に着工し、1929年に開通した。仙人平(上部軌道の当初の終点)から黒部ダムまで、延長16.6Km。黒部川の断崖絶壁にわずかな隙間をうがつような形で建設され、当初は最も狭いところで幅が50cmしかなかったという。文字通り命がけでの作業であった。 戦後、関西電力が黒部ダム建設の条件として、水平歩道を含めて登山道を毎年整備することが義務づけられたため、今日まで維持管理されている。ただし、その整備とは通行可能な必要最小限にとどめられており、建設当時に比べてよくなったとはいえ、木材を数本渡しただけの桟道も多く、道幅は最狭部で80cmであり、数十メートル上下する木の梯子などもあり、熟練登山者でなければ容易に通行できない。また、残雪がある程度消えてから整備を開始する関係から、一年の中で通行可能なのは夏の終わりから秋にかけての1〜2ヶ月のみであり、残雪が多い場合には数週間しか通行できない年や、まったく通行できない年もある。 |
という旧日電歩道。。。やっぱコワイネ ´▽` 矢印がK隊長とO氏です。(半月沢付近) どんだけ〜 |
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黒部のモクズポイント3 |
というわけで阿曽原小屋から3時間ほどで 十字峡に到着した。写真の吊橋は剣沢に かかる橋。右の写真は橋の上から撮った 十字峡。ここでしばし休憩。。 |
十字峡でレーション補給した後、さらに奥に向かって出発。しばらくは広河原と呼ばれる平和な区間を歩いていく。途中には写真のように崖から水が滴り落ちているところを通過したり(シャワーを浴びてしまった。雨の日は全ルートこうなるらしい)、小さな沢や谷をやり過ごしていく。あちらこちらに小さな滝も見られる。黒部にはこのように千以上もの枝沢が合流している。春には世界一の豪雪地帯の雪解け水が想像絶する水量となって黒部峡谷に集中、猛り狂う。 |
さてさて、いよいよこの先我が一行は、白竜峡の大へつりと雪渓に遭遇する。。。