2001年 8月 20日 発行

 

日本の機械式計算機の歴史(3)             門倉克矩

前号(会報 3号) の内容

4. 1923年から1945(第二次世界大戦の終わり)まで。

 

4.2 日本計算器(1928年)

日本計算器は元タイガー計算器の販売代理店だった塚口氏と、タイガーの技術者だった藤井氏などが1928年に大阪に設立しました。タイガーとの間でいくつかの特許係争がありました。この会社の詳細は不明です。ある本によりますと、「ノーリツ」というブランドの計算機を製造したとありますが、筆者は実物を見たことがありません。(ご存知の方はぜひ教えてください)

その後、1945年小島義雄氏によって同名の会社が大阪で設立されます。

4.3 太陽計算器(1934年)

タイガー計算器をやめた越知幾造が1934年に太陽計算器を大阪で設立しました。「アイコク」「タイヨー」「太陽」などのモデルを製造販売しました。

太陽のキャリッジ機構はBritanic計算機(英国)とそっくりです。

越智幾造

太陽計算器

アイコク計算器(玉屋商会)

                 (写真 神山氏提供)

玉屋商店も「太陽」と「アイコク」を販売しました、形は太陽計算器のものと同じでした。玉屋商店のカタログでは自社の工場で製造したと記述されていますが、太陽計算器で製造されたのではないかと思われます。

1937年に、日本政府は多くの種類の設備(事務機械を含む)の輸入を禁止しました。

そのため、輸入業者は国産品の販売に切り替えるところが多くなりました。丸善は太陽計算機を買収し、「マルゼン」ブランドを販売しました。

マルゼン計算機

戦時中、丸善は軍から弾道計算用高速計算機の注文を受けましたが終戦までに間に合いませんでした。

この頃米国では電子計算機(ENIAC)が完成にちかずいていました。

5.1 日本計算器(1945年)

日本計算器は昌和洋行(事務機器販売会社)の社長小島義雄氏他によって1945年に設立されました。同社の会社概要によると、1918年創業となっています。これは昌和洋行の前身である昌和商店の創業の年を日本計算器の創業としているからとのことです。

日本計算器は富士星印計算機を製造販売しました。これはタイガー計算器をやめた平田氏が持っていた富士星の商標を入手したものと思われます。同社は後にSM−1とHL−21型を販売しました。

富士星印計算機

SM−21型

またビジコンというブランドでも若干販売したようです。ビジコンは日本計算器販売会社の後の名前で、1971年にパソコンの中央演算装置(CPU)を米国のインテル社と共同開発したことで有名です。ビジコン社は当初このCPU(i4004)の独占権をもっていましたが、資金繰りのために販売権をインテル社に売ってしまいました。それがパソコン産業の発生のもとになり、インテルを世界最大の半導体会社にする礎となりました。

5.2 太陽計算機(1951年)

丸善が計算機工場を売却したので、越智幾造は太陽計算機を1951年に再興しました。しかし1955年に内田洋行の子会社になりました。独自の販売組織を持っていなかったためでしょう。内田洋行は「タイヨー」のブランドで販売しました、しかしその主力は次第に樫尾のリレー式計算機に移っていきます。

タイヨー計算機

5.3  Blue Star(1951年)

東芝の子会社 東京電気で製造されたBlue Starは当初日本事務器()から販売されました。その後 東京電気、そして、東芝事務機が設立された後は「Toshiba」のブランドで販売されました。この機械はスエーデンのOriginal Odhner計算機を完全にコピーいたものでした。

Blue Star計算機(1951年日本事務器)

Blue Star計算機(1952年 東京電気)

Blue Star計算機(1959年 東芝)

次号以降の目次

5.1945 以降

5.4 Corona計算器 5.5 ニッポー 5.6 Keyber

    1. パイロット

6.電動式計算機 7.エピローグ

機械式計算機の保存・展示を尋ねて(2)

東京農工大学 工学部 西村コレクション

  東京農工大学 繊維博物館

当会の顧問をお願いしております、西村 恕彦先生が東京農工大学工学部 数理情報工学科にいらっしゃられた時(現名誉教授)に関係者の方々と努力されて、「情報機械」の貴重な資料を集められました。

その資料は、手回し計算器・電動式計算機・電卓・電子計算機・同周辺機器等、多方面にわたり、その価値を「西村コレクション」として知られております。

同コレクションでなくては見られない、国宝・重文とも言えるような収蔵品もあり、収蔵品リストも備えられております。

「西村コレクション」の一部が、東京農工大学 繊維博物館の一室で「常設展示」されており、収蔵品の大部分は繊維博物館の別館にあります(展示はされておりません)。

武蔵野の面影 繊維博物館 入口

ブラウン管記憶装置 科学博物館「情報世紀」の主役たち。に出展を強く要請 されるも、輸送中の現状維持が困難のため、取り止めになった貴重な収蔵品。

別館 収蔵庫にて

       手動式計算機の一部 タイガー計算器 250台   


「西村コレクション」についての問合せは

184-8588 東京都小金井市中町 2-24-16

東京農工大学工学部 情報コミニケーション工学科 野瀬

E-Mail nose@cs.tuat.ac.jp FAX 042-385-9747

(注)連絡は、郵便・FaxE-Mail でお願いします(電話はご遠慮 下さい)

「東京農工大学工学部付属 繊維博物館」

184-8588 東京都小金井市中町 2-24-16

TEL/FAX 042-388-7163http://www.tuat.ac.jp/~museum/

東京農工大学 正門近く 最寄駅 JR中央線 東小金井

「西村コレクション」関係の下記の資料が、当会の事務局にあります。必要な方は事務局宛に連絡下さい。

1、東京農工大学における収集・展示――昔の計算機たち―――

2、収蔵品リスト


 お願い

電卓のトップランナーの「ANITA」を良い状態で保存されているものを探しております、情報をお寄せ下さい。


事務局から

今年の東京では、梅雨が空梅雨に終わり、以後記録破りの暑さが続きました。経済は反対に冷え込みを極め、当方の様な零細企業にモロに影響し、毎月の売上は創業以来の「低売上」を更新しております。

「機械式計算機の保存・展示を訪ねて」今回は「西村コレクション」をお訪ねしました。

収蔵品の一部に小生がかって在職した会社の製品が、数多く収蔵されておりました。

また、個人的にも電子計算機の草創期のパーツや端末機の収蔵品に、当時の苦労や新しい技術に触れられた興奮を思い出しました。

今回から、ワタナベ技研のトップページを経由しないで直接「機械式計算機の会」のページにアクセス出来ます。

http://www2.famille.ne.jp/~wata-yuu/m_cal/

事務局担当 渡辺祐三



「機械式計算機の会」のページに