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雲の上まで高くそびえている筑波の山は、頂きのふたつの峰のうち、西の方は特別けし く高く鋭いので男の神といわれて、登ることを禁止されている。それに反して東の峰は、 まわりが広く安定がよい。 登り降りだけは、西の峰に劣らないけわしさであるが、その近くからは泉が噴き出し、 その清水は年中かれることがないので、登山の人々に疲労回復の力水となってくれてい る。 この山を目ざして集まる男女は引きもきれず。または秋の紅葉が山々をまっかに彩るこ ろになると、 「おめえとふたりでどこかで会うべか」 「そうたこと、筑波にきまってるだ」 たちまち人の列でつながってしまう。歩くということに抵抗を感じない古代の人々は、山 へ登るくらい物の数ではなかったろう。 息の合ったカップルもあれば、単身孤独の若者から、中年の夫婦者。ひとり者、ふたり 者三人者。それらの人々のざわめきで。山はたちまち活気づく。 種をまき芽をふかせ、花を咲かせて実らせた綿から作った木綿の着物。麻の服。中に は、手作りの繭糸から織り出した一帳羅。山登りだからといって、そこはそれ、互いに目 当てのある同士。我と我が身のつくろいにもそれなりの気が配られようというもの。 手塩をかけた野菜に、あま味から煮しめた手料理。中には鳥やけもの丸焼きに、川魚の 干物も交ざったろう。ミカン、モモの自家製に、山ぶどう、アケビ、栗、シイノミの野の 果物に至るまで、デザート用には事欠かない。木の根、岩の間、芝の上。思い思いの場所 を選んで、広いカシワの葉を広げられ、持ち寄りの料理が盛り上げられる。 「サア、いっぺぇ・・・・」 と、竹筒からこぼれる酒を、竹コップにつぎ分けていく。 飲むはどに声も高くなり、歌もでる。のど自慢、かくし芸、フラダンス。 日も落ちる頃になると、広場の中央に火がつけられる。それまで別々に分かれていたグ ループが解消して、大きな輪が出来る。火を中心にして手を連らね、抱き合い、 筑波よいとこ、いつでもおいで・・・・・・・ といった意味の合唱をしながら踊りだす。 底抜けに明るく、こだわりがない。無限の空に接触している山頂の広場のように、見栄 も飾りも、いつわりもない。あるがまま、感情の流れるまま、溶け合うままに、てをつな ぎ朗らかに楽しみあう。 文化という人工に縛られない、自然人の姿である。自然に生まれ、自然に育ち、自然に くらし楽しむ人々の、いつわりのないよろこびがこの山にこだました。 そこには、社会的な制約、拘束といったものは、ことごとく姿を消していた。古代人 も、自分たちの生活を維持し向上させるためには、互いに守らなければならないルールと いうものの必要なことを知っていた。 数多いルールが作り上げられた。その契約を守り合うことによって、平和と繁栄が招来 できることも考えていた。そしてそれを実行し着々と人間社会という独特な世界をこの世 に創り上げてきた。 そんな反面彼等は、フッと、自分たちの作ったルールがわずらわしくなることがあっ た。ルールが必要なことは解っていながら、どこかに窮屈な、檻のような感じがしてなら なかった。 「ルールを外した世界だって、あっていいんじゃないか!」 「その場所、それは筑波さ・・・・・」 ルールの存在を認めながら、それを無視しようとする。今も昔も通ずる矛盾を体内に深 く内在している人間の宿命なのだろうか。 参考文献筑波風土記より |