2004年5月4日

18年ぶりの道東(WEBLOGからの転載)

18年ぶりに道東に降り立った。道東とは読んで字のごとく北海道の東側のことである
学生の時、僕はヤマハのバイクに乗っていた
夏になると夏休みの前半をアルバイトで過ごし、貯めたお金で北海道にツーリングに行っていた。
大学1年から3年まで連続で道東を走っていた。
そんなことは会社に入って16年、全く記憶のすみに追いやられて大して思い出すこともなかったのだが、今回仕事で道東を訪れた。まさに18年ぶりのことである。
人間の記憶とは驚く物で、まさに当時走った道を通った際に脳裏によぎったのは、当時乗っていたバイクの排気音、振動、風邪切り音、空気の臭いが、バババっと浮かんできたことだ!

なんという衝撃、一番多感で、一番敏感で、感受性が豊かな自由な時間を過ごした時代の記憶が自分の引き出しに残っていたことが純粋に驚きとうれしさとで、しばらく言葉が出なかった。あまりの衝撃に涙さえ出そうになる。

僕は本当に道東が気に入っていた。まっすぐな道、道の両側にはどこまでも続く牧場、ロールされた牧草が転々としている風景、層雲峡から東に向かい、雄阿寒雌阿寒の麓の小さな沼のオンネトーの時間によって七色に色が変わる神秘に驚き、サロマ湖で泊まった船長の家では多くのライダーの友達が出来たり(そのうちの一人とはまだ年賀状のやりとりをしていたりする)、野付岬での夕日の色に呆然と立ちつくしたり、誰もいない一人のキャンプ場で寂しさに震えたり、腕まくりして走っていたからグローブと肘までの間だけ綺麗な組んだ空気を透過した日差しで日に焼けで黒くなっていたヘルメットを被っていたので髪の毛がバサバサの大学生の自分が、時を越えてそこにいた。たしかにいた。
写真は北海道ではないけど、愛車のXJ750Eだ!

今考えてみると自分はそのすばらしい体験をさせてもらっていたんだなと、両親に感謝をしなければ
そう、思った。僕も子供たちに旅のすばらしさを教えられるだろうか・・・娘たちだから心配して出したがらないかもしれないけど(笑)

低気圧の通過で青空こそ見ることができなかったが、本当に久しぶりに訪れた道東はあのころと同じ雰囲気を持っていた。
家族を連れてきて見せてやりたいと本当に思った。

A320で北海道を背に、右手にまぶしい雲上の太陽を見ながら機体は滑らかに羽田に向かっている。
後ろ髪を引かれながら僕は横浜に戻る。