先日、4月17日に会社を休んで、長男宙継の一回忌の法要をした。
仏壇はお友達から頂いた沢山の花に囲まれている。
気を遣って心に留めてくださった方々には本当にありがとうを言いたい。
宙継を忘れないでいてくれてありがとう
この一年、本当に長く感じた。一日一日が苦しく長く夜になって泥のように眠ると、次の朝には息子のいない部屋に目覚める。この繰り返しで過ごしてきた、会社に向かう足は重く、目に入る景色は自分と関係ない世界のよう気がしてならない。
一年経てば悲しみは落ち着いているか・・・それは全く違う。声に出してさえ泣かなくなったものの宙継を失った喪失感は全くなくならない、彼が逝ってしまった瞬間にふと引き戻されることは毎日のようにある。(「悲しみ」と文字に出来るが、文字ではその真意を今は表現できない)
いまでは会社に向かい、机に向かって仕事をしている。妻もなんとか家事をしたり子供の行事で学校に行ったりしている。もう周りから見たらあんな不幸があったようには見えないだろう、乗り越えたように見えるだろう。でも全然そうじゃない。
仕事場にいても魂はどこかに行ってしまっている。どこかどうでも良いような気がする。その反面がんばっているそぶりを見せようとしている自分が嫌いになる。どんなに頑張ったて、良いことをしてみたり他人に優しくしたって神なんかいやしない、そんな風に考えてしまう。宙継が生きていた頃とは全く別人になってしまった。
現実を受け入れざる得ない状況を1年間強制され、疲れ切って型どおりのそぶりをしているに過ぎない。
なぜこんな暗く重い話をここに書いているのか、自分にしまっておけないのか?本当のところ自分にもわからない。
一年経ってしまった、本当に長い一年だった。たぶんこれからもそうであるような気がする。
白髪と抜け毛が増えちゃってこまっている。これも現実だ
1つだけ言えることは、こんな悲しみは誰にもわかって欲しくない。わかるわけがない。わかる状況にならないのが一番だ・・・
気分を害してしまった方がいらっしゃったら、素直に謝罪します。でもこれが今の精神状態です。こまったものです。