●知的障害児(者)施設での実習感想文●今となっては昔話

 小田急線の箱根のほうが東京より近い、みかんとお茶畑の多い秦野市の東海大学駅で下車し、てくてく歩いて丘を上っていくと高い建物に出くわした。私は大舎に対して偏見を持っているので、「大舎だな、どういう処遇になっているのだろう。」というのが第1印象であった。

 しかし16の生活クラス、18の日課クラスの運営処遇の内容は、小舎制であり、建物の立体化、集約化で良い面もあり、工夫されているなと感心した。そして施設の外観だけを見て判断するのは愚かなことで、運営内容が先ず第1義的だとつくづく感じた。

 さて玄関を入って職員がニコニコされており、雰囲気が良く、施設全体の躍動を感じ、石原登の次の言葉を思い浮かべた。
 「植物を育てる時、植物そのものにあれこれと、直接手を加えるより、植物の生育に適した土地、環境に植えることが、良く育つための最大の力となる。教護院はそういう土地、環境であることが第1だと思う。児童の情性が養育されるのに適した教護院はケ−スワ−カ−やセラピストである職員が児童を単に教育したり治療しようとするのでなく、その中で生活していると、誰でもが自然に情性が成長し、豊かになるようなものを持っている、人的・物的雰囲気の環境であることが必要である。」

 弘済学園の中で生活して、職員(調理場、事務、出入りの業者すべて)の生き生きとした姿。とても73才間近に見えない顧問、関西弁で機関銃のようにまくしたてる課長。小動物園に職員が自分の子どもを連れてきている光景。父母とともにという施設の姿勢、こういう方向へ持っていった施設の力。園生、父母、環境、すべてが1つの有機体となった施設の力を感じ、施設は究極的には分野が異なってもこの形態に収斂されるのかと感銘を受けた。

 そして顧問の話を伺っている中で、石原登と親交があったと聞き、さらに近江学園をつくるとき、養護施設、教護院を手本としたと聞いて、驚いた。近江学園からの顧問の哲学が施設に息づいていると思う。

 弘済学園の職員は、この中に観る楽しさを味わっていると、直接処遇にかかわる職員の、園生とかかわる姿勢、話の中に感じた。また弘済学園が人(園生、職員、父母すべて)を宝として扱う姿勢を感じた。

 実習中よく尋ねられたことは教護院ではどのくらいで退院させるかということで、平均1年2か月と答えると皆一同短いと感じて驚かれていた。ここでは10年をスパンとして処遇を考えると伺った。一貫教育の中で社会へ復帰させるシステムに順を追って実習させて頂き、この年数に納得した。そして保護者の実習、さまざまな保護者との会での社会自立への具体的示唆、施設外での教育、多くの実習生の受け入れ。さまざまな場面で、社会的自立を施設の専門性を生かしてはかっていることが伝わってきた。

 さてここでの2本柱である生活学習と作業学習の場となる、生活クラスと日課クラスについて述べたい。
 生活クラスは、1番基礎となるものだが、常識的、普遍的(平凡な言葉であるが含蓄のあることばであると思う)であったの1語で済ませてしまいたい。

 次に日課クラスであるが、それぞれのクラスのプログラムの内容は、日課担当職員が、公の場で発表されて活字になっているので、紙面から省きたい。さて日課プログラムの1番の特徴は、養護学校が施設訪問教育を行なっていて、施設の職員が主体で、日課の職員は生活を経験しないとなれないことである。養護学校へ生徒を送り出さずに施設側が教育を行なっている。 何人もの職員から、何回も同じことを伺った。私が、何の感心も示さないので、相手の自負心を満足させることができなかったが、24時間体制でないと、難しい子は困難という感覚が教護院生活で身に付いてしまったので、これであたりまえだと思ったからである。職員ならではの、生活クラスの経験を生かした、一人一人に適した手作りの教材、個別指導など、教育的配慮に満ちていた。

 10年をスパンとする処遇で私はわずか1週間の実習で1断点をかいま見ただけであり、わかったつもりになっていい加減なことはいえないが、胸の琴線に響く力を感じた。そしてここにも教育の原点が残っていることに感動を覚えた有意義な実習だった。


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