忘年キャンプ
 

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□□  97年12月27日

 また富士すそ野キャンプ場に行った。今年最後の忘年キャンプである。

忘年キャンプの記念写真

 明日はキャンプだというその前日、わがおかーさんがを出した。39度もある。ううむこれは一大事である。今はもう子どもは冬休みに入っている。娘は高1の冬休みだからアルバイトがしたいと郵便局に通っていて、長男は塾の冬期講習に行っている。次男はポケモンにはまっている。

 我が家は地方からでてきたサラリーマン家族である。したがって、ぼくかおかーさん(とくにこのおかーさんの方)が風邪で寝込んだりすると我が一家の戦力はたちまち低下する。機動力をなくす。一気に溜まる洗濯物。食器。そして充満する腹減ったコールに対処していくには、百戦錬磨の母の体力と処理能力をもってかからなければ、定常状態の維持がとたんに難しくなるのだ。

 とにかく、今の状態ではいかんともしがたい。予定していた今年最後のキャンプに行けなくなってしまうではないか。まず起き上がれるようになってもらわないと、食事もとれないような彼女を家に残し、のこのことキャンプになどとても行けない。とにかく看病。やっぱり看病

 翌日(というかキャンプの当日)、おかーさんの額に手を当てると熱は幾分下がってはいたが、まだとても起きられる状態ではない。
 暮れの忙しいときだ。炊事、洗濯、掃除、年賀状書き、買い物、なんでこんなにすることがあるのかと思うほど雑事雑用が多い。おまけに灯油も切れた。
 日も暮れかかるころ、子どものためにカレーを作った。うちの子どもはカレーを作っておけば一日くらいはだまって食べている。

 ようやく起き上がれるようになった我がおかーさんの面倒を見るように娘に頼み、うるさくするなと息子をたしなめ、ぼくは蕎麦打ちの道具を持ってキャンプに出かけることにした。すでにあたりは暗くなってきている。

 出かけようとしたらエンジンがかからない。バッテリーがあがっている。焦る気持ちを押さえつつ、近所の後輩に頼んでバッテリー直結でエンジンオン。気持ちは焦るが事態はなかなか進展しない。
 幸いなことに東名高速は順調に動いていた。すそ野インターで降りてキャンプ場までまっしぐら。

 ロッジの前に子どもの影。ぼくの車を見つけたのかバラバラと駆け寄ってくる。町田のキャンパー、テールウォークこと沢田さんちのわんぱくヤンマー兄弟と最近八王子に住まいを移したキャンプの鉄人渡部さんちのシゲルである。ぼくの車にマサキとタクヤの姿がないと見るとまたすぐに暗闇に散っていってしまった。
 受け付けで青木さんと話をし、我が友人たちのコロニーに向かった。

STの3連結  おなじみのSTが温室化されて3連結になっている。そとで手を振っている人が見える。近づくと、キャンプ日誌の師匠エルビス氏、町田のテールウォーク氏、相模原の了仁氏、そして鉄人渡部氏である。この一年、この人たちとはキャンプをしたり、酒を飲んだりして遊んだ。一年の締めくくりにふさわしいメンツである。
 ちょうどファイアースタンドでたき火をしようとしているところだった。ぼくもさっそく輪に加わる。
 STの中ではママ達がおしゃべりをしている。ご挨拶をすると早速手料理を差し出してくれる。テール氏の作った手作り豆腐の冷やっこは格別な味。さすらうキャンプの料理人とは彼のことだ。
 下ネタをふってくるのはテール氏の妻えっちゃん。見ようによっては高橋由美子に似ているえっちゃんは下町出身。ゆえに物怖じしない。これまで使った街中のラブホテルの話などがポンポンと出てくる。笑える。
 それらの状況をつぶさにビデオに記録し、明日のキャンプ日誌の糧にせんと自らをキャンプ日誌の巨匠と呼ぶエルビス氏がわれわれの周りを徘徊。または軽妙にして真実をするどく追究。ついに了仁君も鉄人渡部氏も、奥さんとの愛の交渉はもはや記憶にないほど以前のことであることが判明してしまったのであった。悲しい。
 ちなみにぼくの場合は、我が妻とはいつもいっしょの布団で仲良く寝ていることも解き明かされてしまったのだった。愛は永久に。

ママ達  ぼくは持ってきた一升瓶入りの樽酒をほとんどひとりで飲んでいったが、いつもに増して今日はピッチが早く、夜空にキラキラと星が見えるころにはすでにかなり酔っ払ってしまっていた。
 長泉町のキャンプ暦17年、すでに孫までいる「きゃんぱ」こと増田さんがやってきたので、バーボンをもらって飲んでいるうちに、ひとりまたひとりとメンバーが暗闇に消えていった。
 STにもどると、テール氏が芝の上に寝っ転がっている。ぼくは了仁君と二人でテール氏を蹴っ飛ばしたりするのであるがすでに虫の息。それでも起き上がるとなんとか自力でテントに消える。
 ぼくはまだまだ元気なママさん達と辛い辛いキムチ鍋にもっと辛い東南アジアの激辛調味料を加え、酔いの勢いでぜんぜん辛くない辛くないなどといいながら、バーボンをさらに更に飲んでいったのである。何を話していたのかまるでよく覚えていない。ただ、周りをママさんに取り囲まれて詰問されていたような記憶があるのみである。きっとぼくと妻かおりさんの愛の日々について赤裸々に語っていたに違いない。

 翌朝目が覚めると車の中だった。
 シュラフを2枚重ねにして寝ていたためにまったく寒さは感じなかった。一瞬ここはどこか判らなかったが、頭がズキズキしているために昨夜の事を思い出し、そして次にここがキャンプ場であることを思い出すというようなありさまだった。
 STに戻るとみんなすでに起きていて朝食も済んでしまっていた。大阪へ帰省途中のSHIMAさん家族も来ていた。ぼくはSHIMAさんのママ手作りのケーキをいただきコーヒーを入れてもらい飲んだ。
 顔を洗うとようやく元気がでてきた。約束の蕎麦を打つことにした。
 今日のキャンプはぼくの手打ち蕎麦とテール氏の手作り豆腐の競演会でもあったのである。
 蕎麦は2回に分けて打った。1回目はうまくできたと思ったのだが茹で上げると短く切れてしまった。最長でも7〜8センチ程度である。どうも延べてから切り分ける際に折れが生じたと考えられる。
 そこで2回目は手延べ工程を慎重に行った。どうにか長さ15〜20センチ程度の麺がとれた。
 茹で上げると子供たちが群がるように食べて行く。大人も競争だ。蕎麦湯がまた美味しい。

 最後のキャンプは年忘れキャンプにふさわしく楽しくて暖かいものだった。さて来年はどんなキャンプをしましょうか。

 


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