
| 関西本線桑名駅にほど近い西桑名駅から阿下喜までを結ぶ北勢線。三岐鉄道に経営が移管されて貴重なナローの電車が残された。いつか訪れてみたいと地図を見ていてふと気がついた。JRと近鉄の桑名駅に対して僅かに南にあるにもかかわらずなぜかその始発駅は西桑名駅。調べてみるとかつて西桑名駅は一度移転している。でも、その位置は桑名駅から見ると南東の位置。謎は深まるばかり。さらに調べるとそこには路線の歴史が秘められていた。 |
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| 現在の北勢線の大山田(現:西桑名)~楚原間を北勢軽便鉄道が開通させたのは大正3年(1914)4月5日。その後、桑名の街の中心へ乗り入れるため今回のテーマとなる西桑名〜桑名町間0.7キロが開通したのは大正4(1915)年8月5日の事だった(関西鉄道として開業し国有化された関西線の桑名駅は桑名の市街地の外れに位置していた。同じような成り立ちで桑名駅前〜本町間の僅か1.1kmを結んでいた軌道の桑名電軌も昭和19年(1944)1月まで存在した。)。大正5年8月5日楚原~阿下喜東(現:六石)間4.6キロが開通、昭和6年7月8日阿下喜東~阿下喜間1.4キロが開通し桑名町~阿下喜間が全線電化されて現在の北勢線の路線形態が完成した。その後戦時下の昭和19年2月11日陸上交通調整法で北勢鉄道など5社が合併して三重交通の北勢線となる。昭和20年7月19日には空襲の被害で桑名町~西桑名間の運転が休止されるが、桑名町を桑名京橋に改称し昭和23年9月23日桑名京橋~西桑名間が営業再開されている。桑名京橋~西桑名が廃止されたのは高度成長期にさしかかる昭和36年11月1日、国道1号線との平面交差を解消するためだった。その後、昭和39年2月1日北勢線は三重交通から分離三重電気鉄道に改称され、翌昭和40年(1965)4月1日には近畿日本鉄道と合併している。昭和52年5月11日には桑名駅前整備のため西桑名駅が現在の位置に移転している。近年になり近畿日本鉄道が平成12年7月3日勢線事業廃止表明、地元自治体などが存続へ向けて協議し三岐鉄道が協力する形で平成15年4月1日から三岐鉄道北勢線となっている。 | ||
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| 名古屋駅で乗り換えて快速みえに乗り、軽快にすぎてゆく車窓に近鉄名古屋線の木曽川橋梁の付け替え跡を確認しているとあっという間に桑名駅に到着した。バスターミナルJRの線路に沿った一角に目指す西桑名駅はあった。線路の終端側から見るとナローの線路と相まってこぢんまりとして見えるが駅舎はファーストフードの店などもあってターミナル駅の風格を備えている。かつての西桑名駅は現在の駅の手前からカーブを描きバスターミナルを横切った先にあった。まずは駅舎を通り越してかつての路線が現在の路線から分かれていた辺りへ。ちょうど踏切の音が遠くから聞こえて軽便サイズのかわいい電車が新生の三岐鉄道のイエローカラーも鮮やかにやってきた。残念ながらこの辺りから旧西桑名駅にかけてはすっかり新しい街の区画になってしまって路線跡を感じさせるものは残っていない。バスターミナルの向こう三重交通のホテルが建つ裏手あたりの旧西桑名駅跡は駐車場になっている。斜めに区分けされた区画にやその敷地の広がりに車庫なども備えた当時のターミナル駅の痕跡を残していた。ここからは短縮された路線跡を桑名京橋駅跡へ向けて歩いてみる。西桑名駅跡をを抜けた先は程なく路線廃止のきっかけとなった国道1号線を渡る。3車線の立派な道路の横断歩道で渡りながら、やっぱり小さな電車に勝ち目はないな…などと考える。国道1号線を渡った先は路線跡は道路になっている。ショッピングセンターに沿った道路を歩いてゆくが廃線跡の雰囲気は感じられない。市民ホールの手前で道が僅かにクランク状になって、どうやらここからはホールの敷地の道路側が路線跡ではないかと思われる。通りを一つ渡るとすっかり辺りは住宅街の雰囲気になる。おそらく道路に沿った家並みが路線跡だろうと思いながら進むと桑名京橋駅跡にたどり着いた。駅跡の敷地は駐車場になっているようだ。街のはずれに設けられた関西本線の桑名駅に対してこの辺りが古くからの桑名の街の中心に近いらしい、駅跡のほど近くにアーケード街の入り口が見えている。どこか機能的だけれど閑散とした感じの桑名駅前よりも辺りの雰囲気は生活感を感じさせる。最後に南に在るのに西桑名駅ののなぞ解きを。かつてここにあった桑名京橋駅に対して西に在るための西桑名駅が基準となった場所を失ってその名前にかつての路線の成り立ちの歴史を秘めていたという事だった。 |
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