エチオピア旅行情報

7、旅行記



=ハラルはいいよぉ=
ということで十日ほどアジスを留守にして、くぼさとこと二人でハラルへ旅行してきました。
ハラルについてはオデッセイさんの「その(5)」がふれているので、みなさんそっちを見てね。

かんたんに印象だけ言うと、アジスとは全然違う雰囲気で、町そのものに面白みがあると
言うか。
複雑に入り組んだ街路とか、白く塗られた壁とか、そういう感じがエーゲ海の小島を思い出
させます。とくに城壁で囲まれた中心部が面白いので、途中から町のど真ん中の広場に面
したホテルに移りました。人々は夜中まで賑やかだし、バーの音楽もどしどし響くし、早朝から
教会とモスクがスピーカーをみしみし言わせるしで、静かな旅行とはいきませんでしたけど。

さとこはヘンナ(って知ってる? ムスリムの女性が手とか足に模様をかくやつです)をやって
もらって喜んでます。

とにかく、いままでエチオピアは南部しか知らなかったので、驚きの連続でした。
途中のディレダワという町もヨーロッパみたいな町並みがきれいで、とくに何もないところなのに
なんとなく気にいってしまいました。

>オデッセイさん
まさにグッドタイミングでハラルあたりのことを書いてくださったので、一読して「そうそう」と
納得してしまいました。
でも僕らの乗った飛行機はけっこう時間に正確でしたよ。
とくにアジスから乗った便は「十分のディレイ」をわびたりして。
南部の交通事情に泣かされてきた私達には、そりゃあもう、天国。

>ボーゼンくん
行ってきましたぜ。ハラル。
ボーゼンくんが五年前にえらく感動してきたハラルですよ。
六泊しましたが、後半の三日間はチャット漬けでした。
たしかに頭はスッキリする。さとこは歯の痛みがおさまったと言ってます。
「酩酊する聖地」・・・いま振り返っても、かっこいいフレーズでしたね。

投稿日 8月20日(木)  投稿者現地大使 さん



=エチオピア駆け足一人旅<後編、バハルダール>=

山合の村、ラリベラと比べれば、バハルダールはずいぶん「都会」です。

しかし、ガイドブックに書いてあったから覚悟していたものの、ずいぶん観光客ずれし
ているのにはちょっと閉口しました。(乗り物料金をめぐって、2度ほど大げんか!)

ここでのお目当ては、ブルーナイルの水源、タナ湖。エリトリアを失った今、タナ湖はエ
チオピア人にとって唯一の水場?、わたしが泊まった宿(アッバイミンチホテル、シング
ル一泊50ブル)には休日を楽しむエチオピア人の家族連れの姿も見られました。

この宿、新しくてこぎれい、湖に面したコテージ風とのうわさで実際悪くなかったです
が、街のはずれにあるので、短期滞在者にはちょっと不便かも。連泊予定なら、ブル払
いでレイクサイドは貴重と思われるので、おすすめです。その場合、足はレンタサイクル。
近所の少年たちと走るのもまた楽し、でした。

初日はまず、湖の小島めぐり。数時間かけてめぐる周遊ツアーはギオンホテルなどから
出ています。
が、前日、弱いくせにラリベラ特産のアルコールを飲んでちょっとくたびれていた私は、
近場の島だけをのんびりめぐってくれるボートを交渉しました。
町の名前の「バハル」はアラビア語で「海」。同じ意味でしょうか、ボートに揺られている
と、海へ続く湾にしか見えず、さすがナイルの水源、大きな湖でした。

岸から続く小道を、腰丈ほどの草をかいくぐってぐんぐん歩いていくと、民家より一回り
大きいサイズの藁ぶき屋根の上にこれまた控えめな十字架がきらり。
素朴な教会は、ひなびた島の風景にすっぽり溶けこんで、旅愁を誘います。

湖に沈む夕日を眺めた後、自転車屋を紹介したお兄ちゃんにパンクの文句をいった
ら、なぜかホテルのマネージャーのおっちゃんが夕ご飯をおごってくれました。

そうそう、エチオピアの人は、「アンボ」(炭酸入りミネラルウォーター)でコーラやファン
タを「割る」んですよね。なんだか貧乏クサイ飲み方だけど、甘さが調整されて、慣れる
となかなかおいしかったです。

一夜明け//ないうちに早朝5時起きで青ナイル滝へ。前述の通り、町のはずれのホ
テルだったためてくてくと30分くらい歩いてバス停へ向かっていたら///ぎょっ。
まだ薄暗い通りのあちこちに、ずいぶんたくさん人がいるのです。
大きな葉っぱをほうきにして掃除するおばさん、ジャージのお兄さんは道路の真ん中
でウデタテ有名なマラソン選手をほうふつとさせるジョギングおじさん、などなど。妙に
にぎやかな朝の通りで、それでもやはり外人は目立ったのでしょう、通勤途中のおじさ
んがバスステーションまで乗せてくれました。

滝行きのローカルバスの始発をつかまえ、お尻が少し痛いのをがまんしながら一眠り。
迷いようのない一本道を歩くと滝へのチケット売り場があって、引き返して村を抜けな
がらビューポイントへ向かいました。途中、エリトリア在住というカナダ人一家5人と道連
れになり、一緒にトレッキング。山を上り始めるとほどなく、ごうごうと水音が。
私の手にぶらさがっていた3歳の女の子が「Rainbows!」と指差す先には、なんと、たっ
ぷりと水をたたえた川が数ヵ所に分かれ、それぞれが滝となって豪快に落ちる上に、い
くつもの虹が掛かっているのでした。乾期であれだけの迫力なら、雨期の水量ならもっ
と豪快な光景でしょうね。虹が撮りたくて数枚試みたら、一枚だけですが、ばっちりと写
っていました。

その後は、滝とその向こうに続く平原を眺めながら1時間半ほど歩くと、ぐるっと回って
元の村に戻りました。笛吹き少年のうら寂しい音を聞きながら待ち時間の暇をつぶして
いると、小型の乗りあいバスがやってきました。

バハルダールの町の病院へ行くという人が4人もいたけれど、なかなか発車せず。
結局、一人目の乗客である私が乗り込んでから45分後に無事、出発。

バスの中ではバナナやら豆やらが回ってきて、村人と一緒に束の間の遠足気分でした。

おわりに///

「エチオピア」は、たしか「日焼けした顔」という意味のギリシャ語だったはず。
カイロから旅行に来た私には、初めはただひなびた国にしか見えなかったけれど、強
い日差しを浴びて自分もちょっぴり「エチオピア」顔になるうちに、彼等の顔が、当然な
がらいろいろに見えてきました。たとえば、言葉を例にとれば、アジスでアムハリを話し
ている人達も、聞けばいろんな地方の出身だったりして、それぞれの母族語をアイデ
ンティティとして大切に抱えている感じ。

有名なミイラの「ルーシー」はご存じの通りビートルズの歌にちなんで、あちこちで流暢
な英語を聞いたのもさることながら、社会主義政権時代のキューバ留学生同士知り合
ったというカップルは時折スペイン語まじりの会話を交し、観光で稼いで将来はこの国
に本当のマスメディアを築くのが夢というお兄さんは、フランス語を勉強中でした。

1週間の駆け足一人旅を追える頃には、出会ったたくさんの旅仲間がたびたび口にし
ていた言葉、「Ethiopia is one of the most beautiful country in Africa」を、「ほんまやな
あ」と感じるようになっていました。

そして、もしこんどチャンスがあったならセミエン山脈1週間のトレッキングツアーに参加
して、ハンンコックの「神々の刻印」を読んでおいてアークの眠るアクスムに行って//
/と、まだ少し「旅足りない」感じです。

これからエチオピア旅行をお考えのみなさん、いろんなハプニングもろとも、たっぷりア
フリカの太陽で「エチオピア」になってください!

<番外編/エリトリア>
首都アスマラ在住の友人を訪ねて、3日ばかり立ち寄りました。
私は紅海の港町マッサウに1泊しに行く時間しかなかったのですが、高地から海抜0の
海へ下るバス道だけでも、めちゃめちゃ良かったです。
裸眼でバードウォッチングが楽しめるし、植生がみるみる移り変わる様子は壮観です。
ビーチはまあまあといったところでしたが、新鮮な魚は舌鼓もの。細い一本道でつなが
る港は朝の散歩に最適だったし。

アスマラの町そのものもとてもきれいで、目抜き通りや住宅街はイタリア風でおしゃれ!
と目を奪われます。独立戦争で活躍した戦車や、壊れかけの建物は、このきれいな小
国の平和な「戦後」がまだ始まったばかり、ということを物語っているけれど、人々の「犠
牲も大きかったが、何より得難いものを得た」と独立の気風に、心打たれます。ナチュラ
リスト志向なら、ケレンなど、見どころは多いとのこと。

今や通貨もちゃんと「独立」したエリトリアは、エチオピアまで行く方にはぜひぜひ、少
し足を延ばしていくことをおすすめします。

(投稿日 98年5月25日  投稿者 鯛治さん)

=エチオピア駆け足一人旅<中編・ラリベラ>=

今日はラリベラとバハルダールを後編にしようとおもっていたのに、ラリベラでタイムアッ
プになってしまいました。

次回、木曜日にエリトリア編まで行き着くつもりです。
ちょろちょろと小出しですみません・・。

<中編・>
4月7日、早朝発の国内線でラリベラヘ。時間の都合上、アクスムとの2択に迷っていた
のですが、前述のスイス人が「断然ラリベラ!あの遺跡はすごいらしいぞ」。
旅通の彼のその一言で行くことにしたものの、空港に降り立ったとたん、「ラリベラって、
手配なしにどうやって回るんだ?」(編集長・談)のせりふにおののいてNTO(国営旅行社)
の手配を頼んどいてよかった、としみじみ・・・。
いや、わたしもいろんな地方空港を見てきましたが、モンゴルでプロペラ機が着陸した
草原に匹敵する、シンプルな空港でした。手配なしのバッグパッカーはイギリス人のお
姉さんたち2人組だけ、その彼らも結局、村のふもとのローハホテルのバス運転手にし
こたまバス代払ってましたが、ドル手配よりは安く付いたでしょう。一人旅っじゃなきゃ、
私もそうしたのでしょうが・・。

ラリベラは、山の急斜面に広がるこじんまりした「村」。私がこの旅で一番くやしかったの
は時間がなくて遠距離バス移動ができないことでしたが、ここの空港から村までの道の
りは、ますますその悔しさをかきたてる牧歌的なすばらしい風景で、いつまでも見てい
たい気持ちになることうけあいです。

ここのプライベートホテルは、水・電気はないとのうわさ。土埃の遺跡を見た跡は、お風
呂も入りたい。

この日だけはガイドの手配もしたし、「今日だけはお嬢様旅行よ」と、思い切って政府
系ホテル「セブン・オリーブス」に泊まってみました。
ツアー客もイギリス人のお姉さんたちもみんなふもとのローハホテルで降りたので、たっ
た一人、頂上近くまで文字通りバスに「揺られて」いる間はちょっぴり不安でしたが、着
いたとたん、「こっちにしてよかったあ」とにんまり。村全体を見下ろすレストラン前のテ
ラスに座るだけでも、36ドル払った甲斐がありました。ここに宿泊しない旅行者のみなさ
んも、ぜひお茶だけでも飲みにいってみてください。特に、夕暮れがおすすめ。
あんなに大きくて溶けそうな太陽をみたのは久しぶりでした。

政府の観光キャッチフレーズの「13MONTHS OF SUNSHINE」を納得させるような・・・。
カラスの鳴き声がこだまする中、煮炊きの煙が登るわらぶき屋根の茶色がだんだんに
赤く染まっていって、稜線の向こうにすっと消えていく瞬間までじっと眺めていると、頭
の中が空っぽになりました。

気分はまるで、小さな惑星の上で椅子をずらしながら何度も何度も夕焼けを見ている
「星の王子様」。

12世紀の王国の人々も、この夕日を見ながら、24年間も教会を掘り続けたんだろうな
あ・・なとど浸っていると、ここが人類発祥の大地といわれるのもうなづける気がしてきま
した。

夕日のことばかり書きました。もちろん、遺跡はすばらしかった。でもこれは多くのガイド
ブックが語っている通りです。私も昨夏訪れた、今は悲しい諍いが繰り返されるエルサ
レム。
あの聖地恋しさに造られた教会の石の床はひんやりと心地いいのに、どこか人の温も
りを感じました。

エジプトのオールド・カイロを訪れたことのある人は、あのヘビ(龍)退治で有名な白馬
にまたがった聖人、セント・ジョージの絵を、ここでもたくさん見ることができます。わたし
は縦・横同じ長さのこのコプトの十字架の形がとても好きなのですが、12世紀からそれ
ぞれの教会に一つずつ受け継がれているという重厚なクロスは、どれもこれも素敵な
ザイン。観光客が訪れたとたん、あわてて村人のなりの上に衣装をかぶり神妙な面持
ちで迎えてくれるおちゃめな修道士さんたちが見せてくれます。

さて、特筆すべきは例のセブン・オリーブスホテルのごはんです。旅行人にも「ここのは
うまい」と書いてあるスパゲッティ、これは本当にアルデンテで、塩気が少ない以外は、
エチオピア国内のどんなスパゲッティとも比べ物にならないうまさでした。ただ、大量な
のでコースで頼むとお腹がはちきれそうになりますが、おそらくここ唯一のメニューと思
われる(つまり)連泊客はいない)
チキンピカタも、朝ご飯のスクランブルエッグ(黄味が多い!)も絶品でした。
ぎゅうぎゅうブロイラーで育つストレスだらけの日本の鶏との味の格差は、そこらを駆け
回っている健康そうなにわとりさんたちを見れば、一目瞭然といったところですが。食
べた後、1ブル払って中を見せてもらった農家の子どもたちの簡素な食事を見て、ちょ
っと気がひけたごちそうでした。

(投稿日 98年5月20日  投稿者 鯛治さん)


=エチオピア駆け足一人旅<前編・アジスアベバ>=

皆さんはじめまして。カイロ在住留学生の鯛治裕子です。

4月初め、大学の休みを利用して、念願のエチオピア旅行に行ってきました。

私がエチオピアに行きたいなあ、と思ったのは5年前。

イエメン旅行中、港町モカからインド洋沿いのアデンへ向かいながら、アラブとアフリカ
の入り交じった不思議な空気を味わい、紅海対岸に思いを馳せたのでした。今回、晴
れて一人旅となった訳ですが、日本人だけでなく、スーダンを隔ててお隣のエジプト人
でさえ、「エチオピアって・・・飢餓でしょ」(黒柳さんか!)「絵葉書くれるって?そんなも
んないんじゃない」(いっぱいあったぞ)と偏見ぞろぞろ、しまいには「ゾウがいっぱいい
るとこだろ、あっちでは食うらしいな」(・・・)
誤情報が飛び交う中(?)、たった10日間でしたがたっぷり楽しんできました。
すでに旅を計画中の方、「どうしよっかなあ」と迷っている方の参考になれば幸いです。

私が春の砂嵐吹き荒れるカイロを脱出したのは、4月2日。
イスラムの犠牲祭でほふられる予定の羊さんたちの群れを文字通りくぐりぬけ、真夜
中、超ダッシュで空港に向かったはいいものの・・・。
ボード上はオンタイムエチオピア航空機は、「遅れる」の鉄則をかたくなに守ってか、な
ぜか乗客全員を積み込んだままカイロ空港の滑走路上で2時間静止。
状況を説明するアナウンス一つないまま、飛び立ったのでした。

当然ながら2時間遅れで3日午前9時ごろアジスアベバ着。
ブルなんて持ってないから銀行窓口に直行、ところが係員が「外人がいっぱいで両替
する金が足りん」と取りに行ったまま帰ってこない。(最終的にはチェックが使えて便利だった)
まあこんなもんか、と列に並んでいる間に、スイス人の旅行者と立ち話。
聞くとこのおじさん、なんと一年のうち5ヶ月はガイドブックの出版社に勤め、のこり7ヶ月
は世界中を旅している、といううらやましい人生。
意気投合してベンツタクシー(めっちゃ高くて50ブルくらい)をシェア、おじさんのガイド
ブックお勧めの「バロホテル」 ヘ向かいました。
(*注、安宿の多いピアッサへは乗合バスがたくさんあります、1ブル=20円ほど)

アジスアベバは名前の通り花の街。高地の涼しい空気を吸い込むとブーゲンビリアの
甘い香りで胸がいっぱいになって、すっかり南国気分。ホテルも安宿にしては50ブル
と高めですが、くつろげるカフェテラスが素敵だしお湯シャワーも(私の部屋は)ちゃん
と出ました。
出たといえば旅につきもののお布団の虫もいたようで・・・。
清潔でサービスもいいし、何より安全なのでお勧めですが、始めにシュっと一吹き、殺
虫剤を忘れないようにしないと私のように両足水玉になりますのでご注意。

国内線の手配にエチオピア航空のオフィスに行くと、長い長いお昼休み中(2時前まで
閉まってた)。暇つぶしに入ったカフェの紅茶が・・・シナモンの香りが何ともいえずお
いしくて、ついお代わり。コーヒーしか期待していなかっただけに、感激でした。

ホテルに花の香りに包まれてついつい昼寝。その後、本誌編集長と対面、シェラトン
へ。確かに別世界としか言いようのない「お城」でした。(さすがサウジ趣味。詳しくは
アジス便りでどうぞ)

バッグパッカーには本来無縁の、極上イタリアンに舌なめずりでした。

明けて土曜日、ホテルのカフェで従業員頭のフェレケ(いいやつ)に日本語の手ほどき
をしていたら、ミキ(悪いやつ)と名乗るおっちゃんが来て、マルカートに行くというから
連れていってもらいました。一番にぎわう土曜と期待してたけれど、カイロのハンハリを
想像していた私には正直、ちょっと拍子抜け。でもお目当ての民族衣装、民芸品を(値
切ったつもりで)買い、ほくほくして帰ろうとした時にこのおっちゃん、「突然、買い物を
思い出した」。

エチオピア人さえ「エチオピア人はうそつき」というそうですが、さんざんガイドとしてこき
使ったのであきらめたつもりで貸したけど、やっぱりやつは返しに来ませんでした。(後
日、町中で別の外人旅行者に声をかけているやつをめざとく見つけ、群集の前で「うそ
つき」とののしっておきましたが)。

観光客にたむろする人種は、世界共通のようで・・・。
宿で私の憤慨を効いてくれたドイツ人のお兄さんとそういう結論に達し、アジスの夕焼
けを見ながらビールで乾杯。しかし、続いて食べたスパゲテイは、「ほんまにイタリア植
民地やったんかいな」と首をかしげてしまう、謎の柔らかさ、関西人の私にとってさえう
す味。茹でるときも味つけにも、「塩使ってえええ」とは、同じ宿で出くわした日本人の
女の子も言っておりました。

その後馴れて、インジェラに飽きたら平気で食べてたけど。(そうそう、インジェラは魚か
肉のワット(煮込み)で食べた方がいいみたいです。私はベジタリアン系嗜好なのです
が、野菜ワットだとどっちもすっぱいのでイマイチでした )

さて、インジェラを試した後は音楽が気になりました。ホテルのテラスで聞こえるラジオ
ニュースの合間にも、街中の八百屋さんにも、南国風の陽気なエチオピアン・ミュージ
ックが終日、控えめのボリュームで(ここがエジプトと違うところ)流れているのです。

本場の(?)レゲエで踊ろう、というのでイスラエル人の女の子たちと夜のディスコへ。

かくして、アジスアベバの夜はふけていくのでした・・・。

余談ですが、アジスの治安は決して良くはないようです。まあ、夜中や早朝に一人で
歩くな、とlか安全な宿を確保しろ、という程度なんですが。(ちなみにカイロはいたって
平穏なので・・・もちろんテロをのぞいて)

私のアジス滞在4日中にも、すぐ裏のホテルでイギリス?人の女の子が鍵をかけていた
のに夜中に強盗にしのびこまれ、有り金すべて差し出して命は無事、という事件が発
生。

ホテルも警察も「何もされなくてよかったじゃないか」という態度だったそうです。ただ、
アジスにはナイロビからやってきた旅行者が多くて、「ナイロビだったらそこで銃が出て
くるもんな」と恐ろしい話をしていました、あと、(あんまり観光客はいかないと思うけれ
ど)南部は危ない・・・けれど冒険か自然目当てか、以外と旅行者は多いようです。

知り合った日本人の写真家の一行も、前述のドイツ人のお兄さんとともに四駆チャータ
ーで向かっていきました。有名な、あの、なんて言う名前ですっけ、女性が口にお皿を
いれる部族に会いに行くといって・・・。(そのドイツ人に聞いた話ですが、最近ドイツ人
旅行者が南部で殺されたそうです。

ケニア国境に近いから銃?と思いきや、なんと死因は「毒矢」。旅行者の皆さん、気を
つけましょう)

今日は力尽きました。

あす、<後編・バハルダール&ラリベラ><番外編・エリトリア>を書いて送ります。
(投稿日 98年5月19日  投稿者 鯛治さん)


=無事帰国しました=
どうも、いろいろとお尋ねしてた、きごです。
一昨日、無事エチオピアより帰国しました。皆さんの情報のおかげで、スムーズに旅行
してくる事ができました。
ありがとうございました。
結局、ゴンダールへは行きませんでしたが、それ以外のバハルダール、ラリベラ、アク
スムは予定通りまわる事ができました。国内線の予約も現地で簡単に入り、飛行機は
すべて定刻どおり。
水は出るし、停電もあまりなくて、英語も観光地では驚くほど通じ、思った以上に簡単
に事が運びました。
ただ、どこも自称?ガイドが多くて、アジスアベバ以外では1人で静かに歩くのが難し
いほど。1人旅にはさびしくなくていいけど、ちょっとうっとうしく感じる時もありました。
きっと、相当多くのツーリストが入ってるんでしょうね。
ラリベラでは、「ようこそ、ラリベラ」って日本語で、そこら中で声をかけられました。日本
人もいっぱい行ってるんでしょう。
食事も堪能してきました。インジュラ・カイワットが基本ですね。あと、ティブス。ドロワット
を置いている店は見つかりませんでした。ほんとは、ワット・バイナイヤット(ですか?い
ろんなのを1つのインジュラにかけてくれるやつ)が食べたかったんですが、いつ行っ
ても売り切れでした。
気候は、ちょうど雨季の始まりでした。でも夕方かせいぜい夜中降るくらいで、旅行に
特に支障はありませんでした。
とにかく、エチオピアは他のどことも違う、独特の文化があると感じました。今度は、セミ
エンとか自然を見に行ってみたいです。(投稿日 513()  投稿者きごさん )

=ぶつかりスリ?=
治安に関してですが、特に問題ないなと思ってましたが、帰国前日、スリにやられました。
駅からスタジアム方向に歩いている途中で、ぶつかりスリ(1人がぶつかってきて、エク
スキューズミー、とかいいながら妙に強い力で両肩を押さえている間に、別のやつがポ
ケットから金を抜いていく)にあって、27ブル(540)ほどすられてしまいました。
治安が悪いとわかっていて、そういう場所を歩いていたのが良くないのですが、やっぱ
り、いるところにはいるんですね。でも、それ以外は全く問題なかったです。 (投稿日
5
13() 投稿者きごさん)




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