以下、98年7月にエチオピアを旅行されたオデッセイさんが掲示板(みんなの「場」)に
書いて下さった旅行記です。
非常に詳しい事前調査をされており、また、非常に詳細な旅行記になっています。
これからエチオピアを訪れる方の参考になると思います。
でも、あくまでも1旅行者の観察、感想であることは肝に銘じておきましょう。






         パ−フェクト−ツア−インエチオピア

 

エチオピアは東アフリカの内陸国で、アフリカ最古の国と言われる。近代エチオピアは
アクスム帝国に源を発し、ゼッゲ王朝、回教とキリスト教戦争、ゴンダ−ル時代、テオド
ロス2世皇帝、ヨハネス4世皇帝、メネリク2世皇帝、ハイレセラシェ皇帝の台頭、イタリ
ア統治、ハイレセラシェ皇帝、メンギスツ首相の時代を経て現在はメネス首相の時代と
なっている。エチオピアへは陸路と空路から入れるが、日本からの旅行者はよほど暇
人でない限り空路ではいることになる。首都のアジスアベバへはエチオピア航空の他、
アリタリア、ルフトハンザ、アエロフロ−ト、ケニア、エジプト航空が運行しているが、価
格と便利さからエチオピア航空に軍配が上がる。同航空は南ア航空と並んでアフリカ
の優等航空会社でネットワ−ク、運行頻度、技術力、スタッフの充実度ではアフリカの
他の航空会社より抜きんでている。アジスとインドのムンバイへは昔から就航していた
が、バンコックにも就航されることになって一段と便利になった。日本からバンコックへ
は星の数ほどの航空会社がある。タイ航空が最大手であるが、価格の面で大韓航空
を利用することにした。価格はエチオピア航空が1年のオ−プンで119,000円、大韓
航空が60日のフィックスで43,000円、エチオピア航空の国内線5セクタ−が23,000
円で合計185,000円である。大阪、アジス間の距離を考えれば決して高い運賃では
ない。この価格で「アフリカの秘境」にいけるのだから。むしろ破格の値段と考えるべき
である。ええ加減なスケジュ−ルでしか運行できないアエロフロ−ト、価格の高いアリタ
リア、ルフトハンザに比べればエチオピア航空がいかに優れものかは、旅行を経験し
た人なら誰でも気づくし、納得の価格である。同航空オフィスが東京にあり、前述のバ
ンコックに就航したことも今回のエチオピア旅行への便宜を増したことが強力な武器と
なった。更にエチオピア航空の国内線は驚異的に安く、道路が未整備のこの国にあっ
て暇のない日本人旅行者にはまたとない最高のすぐれものであり、乗らなきゃそんとい
うことになる。国内線は国際線チケットのように制約のあるディカウントチケットでなく、ノ
−マルチケットなので変更、キャンセルなどし放題の便利この上ないチケットである。
大韓4本、エチオピアが7本の合計11本のフライトを乗りつぶすダイナミックでスケ−ル
の大きい旅行となった。

 エチオピア入国にはビザが必要で、東京に大使館があり、3ヶ月間有効のシングルビ
ザをくれる。申請には往復航空券、旅程、誓約書、イエロ−カ−ド、の書類を取りそろ
えねばならず、結構面倒くさい。幸い郵便申請を受け付けてくれるので旅行代理店に
頼まなくてすみ、実費6,930円で発給される。

エチオピアのメンギスツの時代はなかなか観光旅行が容易でなくメネスになってから
やっと門戸を外国に開き始めたという経緯がある。日本ではガイドブックがないに等し
い。唯一旅行人が「アフリカ」を出版しており、その中にエチオピアの記述があるが、エ
チオピアを完璧に旅行するには物足りない。記述に間違いはないが、内容が乏しすぎ
て使いものにならない。こうなったからには海外版に文献を求めねばならない。幸いか
めいしさんのホ−ムペ−ジでBradt社のGuide to Ethiopiaを紹介されたのは強力な
武器となった。イギリスの出版社からの書物である。著者のフィリップ・ブリッグスは南ア
の旅行家で実に詳細に記述している。英語であるが高校の英語を学んだ者なら誰で
も理解できる易しい内容となっている。幸いBradt社は1998年に第2版を出したの
で、最新のデ−タに基づいて行動することができる。旭屋、三省堂、紀ノ国屋、丸善に
購入を試みたが、3ヶ月以上を要すると言われ全く話にならない。こうなるとホ−ムペ−
ジでネットサ−フィンして探し回ると、米、英の書籍店に行き当たった。電子メ−ルで英
国のTravelbookshopに問い合わせすると即刻送るという返事があった。数回のメ−
ルのやりとりを通じて航空運賃混みで4,000円程であり、貴重な情報がこの価格で手
に入り、今回のエチオピア旅行の成功がほぼ約束されたも同然である。海外物では日
本でも有名なロンプラ社が出回っているが、エチオピアに焦点を当てたものでなく、ア
フリカの記述の一部であり、内容に間違いはないが、古い記述で充実度がいまいちで
ある。やはりBradt社の右にでる書はないであろう。

 入念に計画していたエチオピア旅行に思わぬアクシデントが生じた。6月にエリトリア
がエチオピア北部のチグレ州に空爆をし、エチオピアはこれに対抗してアスマラ空港
に報復爆撃をし両国地上軍が国境付近に集結し、緊張が高まったというのである。エ
リトリアがイタリア占領時代の古い国境線の話なんかぶり返してワシの領土やなんて言
い出したのである。外国人の私にとってどうでもええ話で、とにかく旅行に支障がでな
いことを祈るばかりである。日本国外務省は己の保身のためから早速退避勧告、観光
旅行自粛勧告を発出してしまった。出発までに一ヶ月しかない。解除されるなんてまず
あり得ない。こうなれば外電に頼るしか方法がない。インタ−ネットで共同通信、ワシン
トンポスト、ロイタ−、CNNを見る毎日が始まった。報道は似たり寄ったりで。記者が実
際に現地に行ったかどうかも疑わしい。航空券の締め切りが近づいてきて旅行代理店
は紛争地域にあえて好んでいくのだから、万一事故にあっても当社は責任をとりませ
んからと誓約書を書かされる始末であった。厭も糞もない。言うとおりにしてやった。こう
なると後はエチオピア大使館、外国航空会社に聞くしか方法がない。ビザの発給停
止、フライトの運休があるのかを聞くのだ。答えはいずれもノ−であった。もちろんアエ
ロフロ−トにも聞いた。もう一つはアジスのかめいしさんの意見を聞くことだ。結論はで
た。予定通り出発である。旅行者の全く知らないところで事件が起こって、海外旅行の
実施か否かの決断を迫られるなんて迷惑千万だ。金輪際エリトリアなんて行くものか。
誰にも心の中を打ち明けられず、唯一海外旅行保険に多めの支払いをしてなにやら
悲壮感めいた旅立ちではあった。

            エチオピアの概況

面積1,104,000km2
人口60,000,000人
首都アジスアベバ
通貨ブル1ブル=22円
言語アムハラ語
英語可

7月10日
 関空1535KE726は定刻通りソウル金浦空港に到着。エアバス360を使っており
機内は広い。金浦空港はずいぶん古く汚らしく感じる。搭乗アナウンスがうるさいしラウ
ンジもゆっくりくつろげない。仁川に新空港を建設中と聞くが早く完成させるべし。関空
が別荘なら金浦は糞だめだ。バンコック行き19:45KE653744を使っており大きい
がほぼ満席である。バンコック着は2315で2時間の時差があり、5時間半のフライトで
ある。飛行機が珍しいときは機内サ−ビスがうれしかったが、狭いエコノミ−クラスに鰯
の缶詰のように詰め込まれると早く解放されたい感じ。飛行機が大衆化された今、酒、
食事、茶が1回しかこない。せわしくなったものだ。バンコック空港は第2タ−ミナルビ
ルを新築してシンガポ−ルのチャンギ空港なみに立派である。24時間営業の免税店
がずらりと並びショッピング街を形成している。帰りの大韓のリコンファ−ムをする。フィ
ックのチケットでキャンセルされたらたまったものではない。座席のOKがでているのに
リコンファ−ムさせるなんて航空会社の横暴以外何ものでもない。最も安いチケットをも
つ乗客はそれなりの制約を受けることになるわけである。

7月12日
 バンコック発エチオピア航空ET661アヂスアベバ行きは5:30である。6時間ほど時間
をつぶさなければならない。ホテルに泊まるわけにも行かず空港内の椅子で体を横た
えるしか方法がない。チェックインは2時間前なので、時間の経過はやたらと長い。うっ
かり眠ってしまったら飛行機がでてしまうので緊張を強いられる。しんどいことである。
結局一睡もできずにふらふらになりながらチェックインカウンタ−に向かう。アジアの空
港の中のアフリカの航空会社ということでチェックインカウンタ−の客層にぎょっとす
る。恐怖感すら覚える。白は善、黒は悪という偏見を持つ日本人の私は後込みしてし
まう。ニュ−ヨ−クのタイムズスクエアから地下鉄に乗って居眠りをしてしまってハ−レ
ムに知らずに迷い込んでしまってかのようである。モヒカン刈りの大男や、スカ−フを頭
に巻いた肥満の大女がカウンタ−にずらりと並んでいる。アジア人が一人混ざってい
てほっとする。エチオピア航空は遅れるという噂はどこ吹く風、763の機体は定刻通り
出発、機内は定員の3分の1程度で拍子抜けする。乗務員は全てエチオピア人でエキ
ゾチックなム−ド。簡単なスナックがでて、3人掛けの椅子に横になってリラックスする。
4時間程でインドのムンバイに着く。機外にでることができず退屈する。しばらくすると
乗客がどっと乗り込んできて完全に満席になってしまった。インドとアフリカの強い結び
つきに思いを巡らせる。いやが上にもエキゾチックム−ドが高まり、アヂスアベバに向
かっての5時間のフライトの始まりである。胸騒ぎが起こる。

 西に向かって進んでいるので夜がなかなか明けない。満席の機内でエチオピア人、
インド人に囲まれていると何となく疲労がたまる感じ。朝食がでて定刻通りアジスアベ
バボレ空港に11:30に到着。さすがにアフリカの優等航空会社のことだけあって時間
は正確である。生まれて初めての空港であり緊張する。入国カ−ドを書きビザを見せ
て入国スタンプをもらう。黙ってスタンプを押してくれ拍子抜けした。銀行で両替をす
る。1ブル22円のレ−トである。日本円を支払うとエチオピアブルが買えた。かめいしさ
んの言うとおりである。税関に向い荷物検査である。何も見ずにパスする。この時にマ
ネ−フォ−ムを渡される。所持金を記入しなさいと言うことである。コピ−をもらって外
にでる。ブルを少額ズボンのポケットに入れ残りを貴重品袋に格納する。結果的にこの
措置が正しかった。なぜこのようにしたかしらない。海外旅行の癖でこのようにしたとし
か説明のしようがない。乗り継ぎのバハルダ−ル行きET112は16:00出発であり4時
間ほどあるので一度市内に出てみることにした。市内までは4KMで乗り合いミニバス
が75セントで市内と結んでいる。Bradtガイドの著者はこのミニバスに100回乗ったが
一度も被害にあったことはないとの安全宣言を信用して乗車する。アジスアベバはナイ
ロビに比べて凶悪犯罪のないところでスリやかっぱらいに注意すべしとのことである。
ボレ通りの両側には大使館の建物があり閑静な感じ。かめいしさんもこのあたりに住ん
でいるのだろう。私の隣に座った男が窓を開けてくれと言うのでそうする。しばらくする
と閉めてくれというのでそうする。その時は何も思わなかった。後になって考えるとエチ
オピア人はどんなに暑くてもバスの窓を開けないと言うことをすっかり忘れていた。おま
けに彼は新聞を持っていた。新聞はある行為をするのにカモフラ−ジュする必須の道
具である。ボレ通りから市の中心地に出るところがアビオットスクエア−であり、ツ−リス
トインフォメ−ションがあり、旅行代理店が集中している。彼氏は親切にも着きましたよ
と言ってくれ礼を言ってバスから降りる。ツ−リストインフォメ−ションに向かって歩き出
してズボンのポケットにさわってみる。確か少額紙幣を入れといたのにない。しまった。
車内でスりにあったのだ。彼に間違いない。新聞を持っていたのも、窓の開閉をしつこ
く迫ったのもスリの行為の一連の動作なのである。私がうかつであった。
私に気づかれずに目的を達した彼の手並みをほめるべきなのか。最初の日にやられ
たのが幸いした。その後は一銭もスラれないように一切の金品を貴重品袋に収納した
のはいうまでもない。スラれた金額は33ブル、安い授業料である。ツ−リストインフォメ
−ションセンタ−は土曜日のためあいにく休み。隣のス−パ−マ−ケットに入り、36枚
フィルムを買う。18ブル、ただしASA100のコダックでいささか古い感じ。旅行代理店数
件に寄ってみるがさしたる収穫なし。靴磨きの少年がうるさく声をかけるのと、通行人が
チャイナ、コリアと冷やかしやがる。 国内線のチェックインに充分余裕を持ってミニバ
ス停留所に向かう。車掌はしきりにボレボレ、或いはブリブリというものだから、ボレ空港
に行くものと勘違いしてしまう。さあ乗った乗ったという意味らしい。空港に行くことを確
認してから乗車する。75セントを支払って空港に着き建物に入ろうとすると兵士が行く
手を遮る。パスポ−トとチケットを見せなければならない。機関銃を持っている。偉い
物々しい警戒ぶりである。バハルダ−ル行きET1121600発なので2時間ばかり余
裕がある。2階のレストランに行って昼食をとることにする。インジェラを注文する。灰色
のパンケ−キを円筒状に丸めてある。酸味が強い。ワットというカレ−と食べる。マトン
のカレ−の辛さとインジェラの酸味が強烈で食べられたものではない。エチオピアの名
物料理故我慢して食べ続ける。ついにビ−ルを注文する。エチオピアはうれしいことに
ビ−ルの種類は豊富である。ハラ−ル、セントジョ−ンズ、メタ何でもある。300mlの小
瓶が80円程度。インジェラを半分残してチェックインカウンタ−へ。切符を見せる。意
外にもET112は出発してしまったという。時刻は1430である。出発までに1時間30
もあるのに今日はフライトは終わりということである。腹の虫が治まらない。時刻表を見
せて「おまえとこが作った時刻表を守らないなんていったい何を考えてんねん。」
「おまえの言っていることは正しい。だけど飛行機は出てしまったから今日は乗れな
い。」
「他の乗客はどうして1時間半も前に出発することを知ることができたのか。」
「エチオピア航空の今日のフライトは時刻表通りでない。乗客は搭乗に当たっては必
ずリコンファ−ムして確認している。」
「誰が運行計画を勝手に変更したのか。善良な乗客の私が迷惑を被っている。責任者
でてこい。」
「カウンタ−の今日の業務はおわり。空港内のオフィスの係員に聞いてくれ。」
「そうする。」
「確かにあなたが言われるとおりET112は時刻を守らなかった。しかし次の便は、明
朝、あなたが乗れる保証はない。市内のオフィスに行ってブッキングをやり直してもらっ
てくれ。青いミニバスに乗れば75セントでいける。善は急げ、ハリアップ」
 スリにやられるかと思えば気が重い。貴重品袋に全財産を放り込んでミニバスにのり
込む。大きな雑誌を持った男がいる。やばい感じ。ポケットを押さえる。運転助手の席
が空いた。すぐに移動する。運転手がスリであるはずがない。ミニバスは見慣れたボレ
通りからアビオットスクエアに入り、チャ−チル通りからピアッツァにつく。ピアッツァなん
てイタリアの名前じゃないかと考えていたら、イタリア統治時代に命名されたそうな。な
るほど。ピアッツァは下町の雰囲気でタクシ−、バス、商店が雑然と配置されている。
治安は必ずしもよくないようで、インテリおじさんを捜してさっさとエチオピア航空のオフ
ィスに直行する。カウンタ−嬢とブッキングのやり直しである。空港でのトラブルを蒸し
返しても仕方がない。幸い翌日の815発のET110のバハルダ−ル行きを予約しても
らい、続いて翌々日のゴンダ−ル行きも予約してもらう。切符に小さなステッカ−を張
ってもらう。ついでに国際線のかえりのET670のリコンファ−ムをしてもらう。往きのムン
バイからの混雑から考えて、帰りのムンバイまでは満席に決まっている。リコンファ−ム
をしなければ平気で席を売ってしまいそうな気がする。何事も完璧にする必要がある。
今日は飛行機に乗れないのでホテルをさがさなければならない。ピアッツァからチャ−
チル通りを歩いていると声がかかる。それもたかりに決まっている。どこへ行くのか。靴
磨きをさせろとかである。Bradt社は言う。
「道でやたらと声をかける奴は外国人から金をかすめ取るためである。彼らは必ずエチ
ピアは好きかと聞く。普通の人は外国人から声をかけられない限り決して話しかけな
い。」案の定エチオピアは好きかときた。絶対に相手にしない。無視する。それでも着
いてくる。視線と足音を感じると疲れる。ついにむかついて切れた。大通りを横断して
反対側に移り、ミニバスにのりこんだ。目指すホテルはHarambeeGhionホテル系
の政府ホテルである。エチオピアのホテルは、国際系、政府系、民間系と別れており
政府系は日本のビジネスホテルの少し上等と言ったところである。ドア−を開けるとガ
−ドマンが恭しく招き入れてくれる。無用の者はつまみ出される。シングルル−ムで24
ドル、ベッドとシャワ−とトイレだけの簡素な部屋に通される。1800になっており外に
でる気がしないし、でる気もない。外国の夜は気を付けなければならない。日が暮れて
からはタクシ−以外の外出はさけるのが賢明である。レストランに行く。インジェラはもう
結構だ。洋食にする。ス−プがでた。氷のように冷たいス−プである。2400mの高地に
あるアジスアベバは冷える。よく冷えたビ−ルも腹に染みわたる。ステ−キがきた。冷た
かったらどうしょう。完全に腹をこわしてしまう。フライドポテトをおそるおそる食う。生暖
かい感じ。少し恐怖感が走る。いよいよステ−キにかぶりつく。幸い冷たくはない。ほっ
とする。当たり前のことが当たり前でないのが外国旅行。ステ−キがさめないうちにぱく
ぱくと食べてしまおう。ウエイタ−がしきりにビ−ルを薦めるがこんな寒い部屋で追加な
んかできるか。ステ−キの焼き具合は頃合いでキノコをあしらったソ−スは抜群におい
しかった。10%のサ−ビス料、5%の税金を入れて600円くらいのディナ−であった。部
屋に戻る。窓を開けると吐く息が白い。明日は6時に空港に行かなければならず早々
とベッドに潜り込む。

7月28日(火)15時34分投稿者オデッセイ




=エチオピア旅行記(その2)=
7月12日
昨晩猛烈な雨が降った。雷が鳴り、雨足が部屋の窓を激しくたたいているのが聞こえ
た。5時に目が覚める。外は暗い。衣類など全て持ち物をバッグに詰め込んで出発の
用意をする。7月はアジスは雨期の真っ最中。激しい雨だとフライトがキャンセルするこ
ともある。どうか予定通りとんでくれますように。フライトは8:15発であるが、6時までに空
港に来るように口を酸っぱくして言われている。1時間前にも出発することも充分あり得
る。何しろここはエチオピアなのだ。今朝のフライトを逃すと旅程が滅茶苦茶になってし
まう。玄関ではガ−ドマンが眠っている。たたき起こすと起きてきてドア−を開けてくれ
る。外は真っ暗。このときはミニバスで行くかタクシ−で行くか決めていなかった。ミニ
バス乗り場は道路の向こう側にある。バスがすぐくるのか、動いているのか分からない。
うまい具合に玄関にタクシ−が客待ちしている。早速運チャンに空港まで頼む。料金
交渉である。これをきっちりしないと後でぼったくられても文句は言えない。30ブルとき
た。20ブルにしろと迫る。運チャン納得しない。25ブルなら行ってやるという。20ブルに
しろという。運チャン厭だと首を振るので去る態度をする。ついに20ブルでよいという。
乗車すると運チャン盛んに文句を言っている。外は真っ暗闇。アジスの早朝は必ずし
も安全でない。あのときタクシ−に乗らずミニバスを待っている自分を思ったらぞっとす
る。運チャンは神様だ。ランニングをしている一団に出会う。運チャン、空港は遠いよ。
この値段では安いと文句を言っている。運チャンごめんね。安全と時間を提供してくれ
てありがとう。検問所で1ブルを払い、パスポ−トとチケットのチェックを受け建物内へ。
やっと明るくなりかけたようだ。兵士の皆様ご苦労様です。おかげで空港内は平和が
保たれています。6時前なのにチェックインはもう始まっている。昨日のエチオピア航空
の職員の言うとおりにしてよかった。ET110は8;15発である。空港税10ブルを払う。セ
キュリティチェックを受けて待合室にはいる。滑走路は雨で煙っている。どうぞフライト
がキャンセルになりませんように。7時頃になり待合室がほぼ満席になった。ET110は
F50のプロペラ機である。滑走路にスタンバイしている。相変わらず外はガスがかかっ
ている。荷物を運んでいる。どうやら運行は間違いないようだ。衛星放送のテレビが
CNNを放送している。英語オンリでラジオの教育番組と偉い違いである。語彙が豊富
なのとスピ−ドが早いので圧倒されてしまう。英語のことで思い出したが、ここエチオピ
アは英語が完璧に通用する。中国やインドのようなくせのある英語でなく、米英のよう
な気取った、鼻にかかった英語でない。カセットテ−プで聞く教科書通りのきれいな英
語である。辛抱してNHKの英語放送を継続していてよかった。努力はいつかは報われ
る。エチオピア人でアムハラ語しか話せぬ人も多いが、ホテル、旅行代理店、空港、イ
ンテリエチオピア人は完璧に英語を話す。旅行で使う英語は難しい言葉は一つもな
い。キ−ワ−ドは世界共通だし、エチオピアに関する固有名詞を押さえておけばよい。
ミニバスの乗務員に複雑な英語は無理だ。行き先、料金だけで充分ではないか。兵
士、警察官もパスポ−ト、チケット等職務に関係する英語は話す。Harambee hotelの掃
除のおばさんは駄目だったが、ドア−マン、フロントは完璧だった。エチオピアは未開
国だという私の考えは完全に的外れであった。いよいよ滑走路に通じるドア−が開い
て空港職員が何か言っている。アムハラ語で分からぬ。乗客が動き出す。次に英語
だ。私のために言ってくれている。バハルダ−ル行きの搭乗ですとのこと。ええ? 待て
よ。7時15分ではないか。タラップを上がって全員着席すると離陸した。7:30である。時
刻表によれば8:15発の筈なのに。6時にチェックインしてよかった。ジェット機でないの
で下界がよく見える。緑の絨毯だ。畑がうねうねと波を打っている。
北に行くにつれて天気が回復してきた。ラッキ−である。昨夜の雨の影響か所々煙っ
てはいるが、日が射してきている。低い丘の連なりで高い山はない。360度の景観を楽
しめる。乗務員のおじさんがお菓子パンとコ−ラをくれる。空はいよいよ青く、太陽がま
ぶしい。大きな水たまりが眼下に広がっている。タナ湖だ。水たまりが泥水となって土
地を冠水している。タナ湖は泥の海だ。テラピア、ナイルパ−チ、ナマズの宝庫らしい
が本当かな。機体は泥沼に向かって降下する。つっこんだら一巻の終わりだ。バハル
ダ−ル空港への到着である。アスファルトで完璧に舗装されていない砂利舗装の滑走
路に水しぶきをあげ猛然と着地する。バハルダ−ルはアジスより標高が低く1800m位
である。タ−ミナルの外に出るとマイクロバスが待ちかまえている。10ブルで市内に行く
とのこと。ガイドブックの通りである。バハルダ−ルでの訪問先はブル−ナイル瀑布、タ
ナ湖の半島の修道院群である。瀑布の基地ティスアベイへのバスの時刻は、6:00、9:
00、12:00、13:00であるから、12:00のバスに乗れるはずである。小型バスはどうやら
旅行代理店の車であるらしく、客引き気がどこへ行くかと聞く。市内バス乗り場までと言
ったらティスアベイかと聞く。そうだというとバスは6:00、7:00、7:30で今日はない。瀑
布へは俺が案内するときた。どうも客引きはぼるので厭だったが、バスが出たのは本当
のような気がするし、見知らぬ土地でバス乗り場を探すのもしんどい。時間のロスがい
ちばん心配だ。客引きに任せるのも悪くない。3時間を要し300ブルときた。
とても払えないので同乗者を捜してくれと言う。約束通り2人つれてきた。100ブルでつ
れていってくれることになった。結果的にこれが正解であった。ホテルはどうすると矢継
ぎ早に聞いてくる。大阪流に言えば、「なんぼや」と聞いた。ギオンホテルを50ブルで
斡旋するという。悪くない。アジスの同ホテルは100ドルだし、バハルダ−ルのギオンホ
テルは正規料金は40ドルである。もっともBradt社はオフシ−ズンには交渉で20ドルま
で下げられるとは言っているが。ツア−に100ブルとられてもホテルが50ブルなら十分
に採算がとれる。これもOKした。3人を乗せたマイクロバスは空港から市内への道を進
む。道は穴だらけで整備が悪い。驚いたのは人々の服装がアジスとは全然違うのだ。
エチオピアの白の民族衣装を着た人が多い。バハルダ−ルにきてよかった。エチピア
の原風景に出会えたのだ。靴を履いている人なんて誰もいない。雪駄もどきを履いて
いる。白頭巾を頭からすっぽりかぶってそれはそれはこんな世界があったのかとカル
チャ−ショックを受けてしまう。市内にマイクロバスが入ったようで、自転車に乗っている
人や、白装束の人、背広の人が渾然一体となってきた。ギオンホテルはタナ湖を借景
に広大な庭を持つ政府系ホテルで、これに50ブルで泊れるなんて最高のもてなしであ
り感激してしまう。強制的にチェックインさせられて部屋に通される。客引きにキックバ
ックがはいるのだろう。チェックインは10時であるが早めにさせてくれた。客引きは航空
機のリコンファ−ムをするから便名と名前を言えという。エチオピア航空のポリシ−を熟
知しているので快く応じた。マイクロバスはバハルダ−ル最高のタナホテルに向かう。
70ドルはする高級ホテルだ。

メイン道路に牛飼い屋、百姓、商人やらが歩くものだからマイクバスは警笛をならしっ
ぱなしである。キット睨む人もいれば、平気でやり過ごす人もいる。タナホテルの門から
ロビ−へのアプロ−チは見事なもので、ガ−ドマンのチェックを受けて植え込みを抜け
て着く。歩いている人なんて誰もいない。現地のエチオピア人なんてよほど金持ちでな
い限り入場を許されない。待つこと10数分で2人が乗ってきてティスアベイに向かって
出発である。市内から30kmの道程である。舗装はされていない。牛飼い少年が棒き
れを持って動物たちを誘導している。運転手なんか牛が横断するのを辛抱づよく停車
して待っている。何ともいえない牧歌的雰囲気である。ディスアベイからのバスとすれ
違う。ものすごいぼろバスだ。このバスに乗らなくて良かった。単なる動く箱である。村
にさしかかった。英語表記は一つもない。アムハラ語ばっかりでさっぱり訳が分から
ぬ。村民すべて白装束でバスケットを持った少女が歩いている。インジェラを運んでい
るのだろう。大きな水瓶を頭に乗せた子供たちが井戸に向かっている。井戸には10数
人の子供が群がっている。未だこんなところが地球にあったのか。井戸の水質検査を
やっているのか。病原菌でも入ったら村民皆殺しである。水道を早く引くべきだ。電気
もなさそうだ。ガスなんてあるわけがない。その証拠におじさんが大八車に炭の束を満
載して運んでいるではないか。泥と水と土で道はぐちゃぐちゃだ。ようやく村から抜け
出してバスは止まった。いよいよ瀑布へと向かう料金所のところについたのである。入
場料15ブルを払う。ブル−ナイルがその名にふさわしくない色で泥水となって流れて
いる。前夜雨が降ったのだろう。道は泥だらけだ。靴も汚れっぱなしだ。足場が悪いの
には閉口する。ポルトガル橋をすぎてからいっそう道は悪くなった。アップダウンの道
が岩だらけである。捻挫でもしたら一巻の終わりである。慎重に敏速に行動する。2人
連れも難儀している。女の人が遅れがちである。地元エチオピア人かもしれない。ガイ
ドと雑談しながら瀑布に向かう。後ろから兵士が機関銃を担いで追い抜いていった。警
備なのか、訓練なのか走らない。エチオピア屈指の観光地故そそうなきようにとのこと
なのか。西洋人に出会った。おそらくあのぼろバスで来たのであろう。御苦労さん。太
陽がまともに照りつける。第三世界に旅行して思うのは、健康特に足が強くなければ目
的を達成できないと言うことである。道が整備されていることは期待できないし、バリア
フリ−なんてことはいっさいない。体力と気力が求められる。旅は体が丈夫なときにい
っとけという先人の言葉が身にしみる。岩だらけの道を歩くこと30分で水音が聞こえて
きた。小さな土の広場の展望台に出た。眼下にタナ湖から泥流が40mほどまっすぐに
落下している。下の流れは川となり青ナイルの誕生である。自然のなせる壮大なドラマ
にうっとりとする。この川はビクトリア湖から生まれた白ナイル川とハルツ−ムで合流して
ナイル川となりエジプトを貫流して地中海に注ぎ込むのだ。ビクトリア、イグアス、に比
べようもないが原始林に忽然と現れた瀑布は虹を放って神々しい。雨期の中の晴天で
これ以上望めない迫力である。写真を撮って証拠にする。一人旅だと写真を撮るのに
苦労するが。ガイドに頼んで自分の姿を入れることができる。泥水を多量にたたえた川
は汚く見えるが、工場排水なんかはないので生物の生息には支障がない。十分に景
色を堪能して帰ることになった。外国人は私一人だけらしく兵士が見るものだから気持
ちの良いものではない。それに銃を持っているのでいやな気がする。そのうち年輩の
兵士がガイドと口論を始めた。わたしの方を見ているので想像はつく。いちゃもんを付
けて金をせびろうという魂胆であろう。バスポ−トを見せるのが決まりとか言っているよう
だ。ガイドは大切なお客様だから万一のことがあれば責任問題だし、パスポ−トはホテ
ルに預けることになっていると言っているようだ。兵士は納得せず見せろと言っている。
とんだ言いがかりだ。ガイドに任せる。ついに兵士は渋々引き下がったようである。逃
げたり変なそぶりは禁物である。兵士が興奮して私にしゃべるかもしれない。堂々たる
態度で平静を装うのが最善である。兵士も外人に対する嫉妬、猜疑心があれば、暴走
することだってある。変なことになって旅行に支障を来せば困る。ガイドと一緒で良かっ
た。
兵士が引き下がり帰途につく。
「兵士はなにを要っていたのですか。」
「あなたのパスポ−トを見せろと要っていたのです。」
「それで?」
「パスポ−トはホテルに預けてあるからないと言ったのです。」
「それで?」
「しぶしぶひきさがりました。」
「なるほど。」
「お客様と兵士が直接しゃべることはさけなければなりませんからね。」
「そうですね。」
「こんなことはしょっちゅうあるのです。」
「ほっとしました。」
「ところで東京からですか。」
「そういったところです。」
「何のお仕事ですか。」
「会社に勤めてます。」
「そうですか。」
「ところで少しエチオピアの北部のことをお聞きしたいのですが。」
「どうぞ。」
「ゴンダ−ルからバスでチグレ州に入りシレを経てアクスムにいけるのですか。」
「私はこの地区のガイドですので他の州のことはよく知りません。個人的見解としては
エリトリアとの戦闘状態になっている地域です。なにも好んでいく必要がないじゃない
ですか。」
「貴重な忠告有り難うございます。」
「私のとおりされといたら間違いはありませんよ。」
「ツ−リズムの景気はどうですか。」
「日本の方はよくいらっしゃいますよ。」
「ほう。」
「ヨ−ロッパ、南米からもお客様は来られます。」
「そうですか。」
「ガイドの仕事はお金をもらうことですが、お客様に満足していただけるのが一番と考
えています。」
「なるほど。」
「いい評判がたつと他のお客様を紹介していただけますし。」
「口コミということですね。」
 2人連れとガイドと私は、ポルトガル橋を渡りマイクロバスに乗り帰途につく。バハルダ
−ルは小さい町、メ−ンストリ−トがタナ湖に沿ってあり、数本の道が交差している。タ
ナホテルで二人連れをおろしギオンホテルに向かう。午後は14:30に修道院ツア−を
約束して部屋に戻る。料金は同じ100ブルである。時刻は12:30。部屋は平屋のテラ
スハウスの一角の広大な庭に面して、タナ湖が見える。よく手入れされた庭の芝生と原
色の花がまぶしい。レストランに行く。ハラ−ルビ−ルで喉を潤す。ワットとインジェラを
食べねばなるまい。ドロワットというチキンと卵のカレ−である。インジェラは程良い温
度、ワットはややぬるい。食べてみる。昨日の空港でのランチよりはおいしい。インジェ
ラの酸味とワットの辛さは相変わらずである。好きになれない。何でも食いの大食いの
私がそういうのだから、えり好みの食の細い人は耐えられないだろう。もう一本ビ−ルを
注文する。トウモロコシビ−ルのテッラはないとのこと。最後はエチオピアコ−ヒのブン
ナ。デミカップに入ったトルココ−ヒの味だ。それにしてもこの蠅の多いのはどうしたこと
か。野外レストランだからだろうか。追い払っても追い払っても顔にくっつく。私の蠅を
追っ払う仕草がおもしろいのかウエイタ−がにやにやして見物している。蠅まみれにな
って勘定を払う。400円程度である。ロビ−にツア−会社の広告があり見る。テラスの
下に張り出したコ−ヒショップは運転手のたまり場。ジャパン、ジャパンと冷やかす。部
屋でシャワ−を浴び14:30にロビ−に行く。

午前中の客引きがきて2人連れがキャンセルしたので、ゼッゲの修道院にいけない、
1人で行くなら350ブル払って下さいという。とても払えないので、他のコ−スを回ること
にする。タナ湖遊覧と島の修道院の見物である。200ブルで妥協する。ギオンホテル
の裏には船着き場があり、船外モ−タつきヤマハグラスボ−トでガイドとドライバ−の3
人でタナ湖に繰り出す。いわゆる貸し切りという形態である。今度のガイドは学生のア
ルバイトである。歴史を専攻しており、元気がいい。いきなり自己紹介のあと喋りだし
て、止まることを知らない。少し相づちを打ってハイレセラシェ、メンギスツとかの単語を
言うと待ってましたと説明をする。ここは彼のしゃべりを聞くことに決めた。英語のことわ
ざに言う。「会話上手は聞き上手。」
「あなたは幸せな人だ。」
「?」
「今日はカバがみれそうです。」
「それで?」
「カバは臆病だがどう猛でなかなかみれない。」
「うまくみれればいいのですが。」
「ほら10m先に口を開けてるでしょう。」
「ほう。」
「3匹見えますね、威嚇しているのです。近寄りましょう。」
「カバはバカ力がありますから近寄らないで下さい。」
「気にしないで。」
「大きな口を開けてこちらをにらんでいるではありませんか。」
「いやいや。」
「船に体当たりしてひっくり返されたら偉いことになりますから、もう引き下がりましょう。」
「そうですか、ではブル−ナイルの誕生をお見せしましょう。」
 船はスピ−ドをあげてタナ湖の末端につき、その後島に着岸する。目指す修道院は
ケブラン・ガブリエル、ゼッゲ半島にあるキダンミヒレットににているそうな。電気はな
い。管理人を呼び鍵を開けてもらって15ブルを払ってはいる。まず書物を見せられ
る。山羊の皮にギ−ズ語がびっしり書いてある。カ−テンををあけて壁画を見せてくれ
る。イエスキリスト、聖母マリア、召使い、弟子など見事な色彩で描かれてある。すばら
しい宗教画だ。これがオリジナルとすると見事な物だ。当修道院は定期的に行事を行
っているようで、楽器、杖、装飾品を見せられる。院内は暗いので懐中電灯で案内して
くれる。タナ湖の観光はドル箱になっているらしく、ツア−の船しかいけないことになっ
ている。ゼッゲに公共の船が行くらしいが、観光には向いていない。バハルダ−ルとゴ
ンダ−ルの近くのゴルゴラを結ぶフェリ−が外国人にも開放されたらしいが、時間がか
かり使い物にならない。ゼッゲ半島にもっとも安く行く方法は自転車であるらしいが、カ
ンカン照りの中を20kmもこいでいったら体が持たない。修道院にはいるにもガイドが
いないと難しいだろう。やはり出す物は出すべきである。修道院の外に子供たちが数
人遊んでいる。人なつっこい。ハロ−というと返事が返ってくる。ものすごい数の蠅が彼
らの顔を攻撃している。蠅か顔かわからないくらいだ。子供はどこへ行ってもかわいら
しい。こっそりと写真を撮った。帰途猛烈な勢いで空が真っ暗になり始め、雨と風がお
そってきた。グラスボ−トは大急ぎでギオンホテルにむかう。ガイドはこんな中でも熱弁
を振るっている。聞き上手に徹するのも楽じゃない。こちらの方が聞き料をいただきた
い。桟橋で客引きは傘を持って待ちかまえている。200ブルを徴収するためだ。ガイド
は名物料理店があるから行きましょうという。これ以上金を払う気はないので、一つだけ
お願いした。テッジという蜂蜜から作った酒とは何なのかを質問した。ワインの一種で
黄色の甘い液体であるとのこと。これで十分だ。ガイドと別れてロビ−に行くと客引きが
待っている。用はないはずと思ったが、リコンファ−メションをしましたとスリップを渡す。
ついでにチップを要求する。5か10か迷ったが5ブルにした。スリップを見て驚いた。7
月13日のET102はバハルダ−ル9:20発ゴンダ−ル10:40着となっている。時刻表に
よればET102はラリベラに行くはずであり、ET180がバハルダ−ル9:35発ゴンダ−ル
10:00着となっている。頭が完全に混乱してきた。バハルダ−ル、ゴンダ−ル間は20
分に決まっている。なぜ1時間20分もかかるのか。結論はコンファ−メ−ションスリップ
の通りに動くことである。おそらくコンピュ−タへの入力ミスだろう。エチオピア航空は何
でもありだ。着替えを済ませて洗濯をしてシャワ−を浴びてテッジを探しに外出する。
ホテルの前にたかりがいるが無視する。町にはコ−ヒ−ハウス、バ−等店屋は結構あ
る。まずコ−ヒ−ハウスでブンナをいっぱい。ウエイトレスが雪駄を履いて持ってきてく
れる。グラスに入った濃いコ−ヒだ。椅子の配置がおもしろい。椅子は壁を背にしてお
り、座ると客は店の中央に面する。従って店の様子がよく見える。客は男ばっかりで女
は誰一人いない。不思議な店だ。客同士じろじろ見合う。親しめるようであり、気持ち
悪くもある。1ブル払って出る。バ−にはいっていってテッジという。「なに言うてんね
ん。」と冷たく追っ払われる。困りに困って雑貨屋さんに飛び込んだ。雑貨屋さんにワイ
ンなんて見当違いも甚だしい。おじいさんと少年がいる。おじいさんテッジという単語は
解したみたいだ。少年としきりに相談している。一生懸命偉い長いこと相談している。
警察へでも突き出そうかという相談だったら偉いことになりそうだ。話し合いの結果が出
たようだ。少年がテッジハウスにつれていってあげるという。しかも完璧な英語だ。この
子はきっと優等生の子供だ。大通りを曲がって地道に入り、真っ暗な田舎風の小屋に
到着した。これがテッジハウスという。土間みたいなところで男の人が数人、たばこ、イ
ンジェラ、酒を楽しんでいる。ウエイトレスは子供を背中にくくりつけたお母さん。少年
がお母さんに一言。やかんと200mlのメスフラスコを持ってきて、ジョビジョビと注ぐ。黄
色い液体だ。メスフラスコで飲むのかなと思案していると少年がお母さんに一言。ガラ
スコップが出た。やれやれ。客の男たちじろじろ見ている。エチオピア人の少年と日本
人のおっさんの組み合わせていったいなんのこっちゃと言った表情である。お母さん
の背中のはな垂れ小僧がぎゃ−ぎゃ−泣き出した。お母さん大慌て。少年に一杯ど
やと進めたが、そんな物飲めるかと即座に断られる。客に監視されてしずしずと黄色い
液体を喉に流し込む。決してうまい酒ではない。熱めのかんにするか、冷やにするか、
オンザロックはどやろ。アルコ−ル度は濁り酒なら20%、ワインなら15%といったとこ
ろ。酔っぱらったら恥をかくので、1ブル払って店を出る。少年の言うことがすばらしい。
「また飲みたくなったら、ちゃんと道を教えてあげたからくることができるね。」だって。こ
の子どもはどこまで賢いのだろう。チップを上げるのは失礼に当たるので黙って分かれ
た。何かほのぼのとしたようなバハルダ−ルの夜でした。

投稿日 7月31日(金)  投稿者オデッセイ




=エチオピア旅行記(その3)=

7月13日

昨晩はものすごい雨が降った。起きてみると庭は濡れているが、雨はやんでいる。アジ
スよりも低い所にあるがやはり涼しい。この旅行はついている。天気には恵まれている
からだ。8:30にマイクロバスが迎えにきて空港に向かう。10ブルである。途中空港に
働く人が乗ってくる。空港近くで兵士のパスポ−トとチケットのチェックを受ける。銃は
持っていないがセキュリティは徹底している。アジスの空港と違ってチェックインカウン
タ−は行き先表示もなければ、端末機もない。予約とリコンファ−ムのあった乗客の名
簿を見ながらチケットを切り取り搭乗券を渡していく。金属探知器が敏感で何回通って
も警報を鳴らす。コイン、ベルトまでとる。靴に金具か靴底の土に金属が紛れ込んでい
るようだ。靴だけ入れるとピ−と鳴る。ようやく通れた。先日一緒だった二人連れに合
う。飛行機は昨日と同じF−50でアジスからきているようだ。先客が残っている。時刻
表通りだとツィンオッタ−の18人乗りだがF−50は50人乗りで大きい。予定時刻よりも
20分ばかり早く出発しタナ湖の上を飛んでいる。ツインオッタ−よりも速そうだ。18分
でゴンダ−ルについてしまった。バハルダ−ルよりも小さい町らしくタ−ミナルビル否
小屋に乗客は向かう。タクシ−が待っており市内まで60ブルという。別にふっかけてい
ない。Bradtの言うとおりである。20kmあり妥当な運賃である。一人で払うのはもったい
ないから2人連れに同乗を頼む。一人20ブルの勘定である。先日顔見知りになったお
かげでいいめができる。タクシ−は全く舗装されていない道を走りだし、水たまりを巧
みによけながら進む。途中バハルダ−ル、アジスへの道が分かれているが地道であ
る。わずか200kmの距離を6時間以上かかるのが理解できる。頭を天井にぶつけ、腰
と尻が痛くなるハ−ドなバスの旅となろう。飛行機があるのはありがたい。木造の住宅
群をすぎる。軍隊とその家族の家だという。迷彩服に身を固めた兵士が歩いている。い
ずれも銃を担いでいる。まさかエリトリアに行くわけでもないだろうに。住宅群をすぎると
白装束に身を固めた老若男女に出会う。厳粛な表情で白いハンカチで顔を拭ってい
るのできっと葬式の行列だろう。製めん工場がある。エチオピアの綿は有名だそうな。
ガソリン、軽油のロ−リ−のたまり場をすぎる。軍隊、市民生活に欠かせない燃料であ
る。人の集まる建物がある。病院だ。さらに行くと子供、女の人が並んでいる。難民セン
タ−であるとのこと。エチオピアの飢餓は聞いたことはあるが、アジス以来その気配は
みじんもなかった。途中峠にさしかかる。ゴンダ−ルの町が一望できる。山に囲まれて
絵のように美しい。煙が煙突から立ち上り、風がなく絶好の天気である。市内に入りサ
ッカ−場にさしかかる。牛が遊んでいる。まさか牛がサッカ−をするわけではあるまい
し。2人連れはゴ−ハホテルに泊まるようだ。市内から離れているが、丘の上にあって
市内を一望できるギオンホテル系の超一流ホテルだ。60ドルはする。ツ−リストインフ
ォメ−ションセンタ−でおろしてもらい、20ブル支払う。時刻は10時。ゴンダ−ルの見
所とチグレ州の状況を聞く。チグレ州に接するゴンダ−ルのこの案内所はさすがに詳
しい。完璧に説明してくれる。ゴンダ−ルからシレを経てアクスムに至るバスは運行し
ている。途中シレで一泊である。アクスムからアディグラットを経てメケレに至るバス、メ
ケレからワルディアを経てアジスに至るバスもある。ワルディアからラリベラにはバスが
ある。ただしどの経路も1日以上かかる。メケレには飛行機がきているがアクスムへは
運行していない。保険会社がエリトリア戦争に絡んで飛行機に事故があると保険金を
払わなければならず。契約を拒否しているとのことである。エチオピア航空だけではと
ても応じきれないので運行を見合わせざるを得ないと言うことである。

シミエン山脈国立公園を通るバスの旅は、すばらしい景色の連続らしいが時間がかか
りすぎる。エリトリアとの戦争はチグレ州のすべてではなく、アクスムにも影響かなく、国
境地帯のごく狭い地域と言うことである。日本で仕入れてきた情報と変わらない。これ
からの海外旅行は情報化時代にうまく乗ることも必要である。戦争がなければアクスム
に行くのにも問題はないし、エリトリアに行くにも問題のあろうはずがない。案内所の人
の説明は日本でインプットしておいた情報の確認といったところである。

ゴンダ−ルの名所巡りは忠告に従ってタクシ−を雇うことに決定。エチオピア航空に行
きリコンファ−ムする事、銀行に生き両替えをすることの仕事があるからである。市内4
カ所と明日の空港への運搬という条件で依頼した。結果的にこの作戦は成功であった
と思う。おまけに市内のファシルホテルを紹介してもらった。案内所の言うとおりにする
必要がないが、うまく利用するのも旅の知恵と言うべきか。ホテルに行きチェックインす
る。宿泊料は案内所の言うとおり40ブル、大きな宿帳に書く。地元エチオピア人が圧
倒的に多いが、外国人の名前もある。さすがに日本人は見つからなかった。Bradt社
は、ファシルは良心的なホテルとあり、爪楊枝を加えた女主人が部屋に案内してくれ
る。トイレは共同、シャワ−はあるようなないような。ベッドとクロゼットだけの素っ気ない
部屋。蚊の攻撃が心配だ。ゴンダ−ルはアジスよりも高地だから蚊はいないはずであ
る。エチオピア航空に行く。ラリベラへのフライトのリコンファ−ムである。当初のブッキ
ングはET18212:15発でその後変更で、ET103 13:00発となっている。ゴンダ−ルはバ
ハルダ−ルよりも小さい町、銀行、旅行代理店、ホテルがかたまっており、エチオピア
航空はすぐわかった。コンファ−メションスリップをもらう。。10:00発となっている。リコ
ンファ−ムをしなかったらどうなっていることやら。やれやれいつもいつも用事を作るエ
チオピア航空である。時刻表とはいったい何なのか、運行スケヂュ−ルは前日、もしく
は当日に思いつきで作る物なのか。ほとほと困り果てた会社だ。

次のラリベラ発もきっと変更があるに違いない。銀行に行く。13:00に開くとのことでき
っちり行く。ボディチェックを受ける。カメラなど所持品は一時預かり。米ドルのTCであ
るので問題はない。パスポ−トの提示を求められる。ホテルに預けていたら戻らねばな
らないところ。なにをするにしても辛抱は必要である。タイプライタ−で書類を作るので
非常にスロ−モ−である。日本では自動両替機があるというのに。機械を導入すると
失業者が出る。書類を作る人、運ぶ人、渡す人が皆別々なのだ。案内所に向かう。ガ
イドが待っている。王城、離宮、教会、宮殿を見せるという。

まずは王城へ。入場料は50ブルでこの国にとっては高額だ。専属のガイドが待ちかま
えている。雇ったガイドは車の中で知らん顔。チップを渡さねばならないだろう。5つの
城が敷地内にあり、ファシル、ヨハネス、マイヤス、メンタブ、バカファ等の王の名前が
ででくる。ファシルの城の壁にはダビデの星ににた模様があり、ユダヤ教との結びつき
を連想させる。礼拝の間、接見の間、宴会場などを見せてくれる。古文書館などがあ
り、市民の図書館として使われているそうな。火山の噴火によってできた岩を使って建
造しており、軽くて丈夫とのこと。修復作業は随時。

次は離宮へ。空港からゴンダ−ルに入る際に牛が遊んでいたサッカ−場の近くにあ
る。ファシルの水浴場というそうな。毎年の1月のチムカット祭の会場であり、2階建ての
ファシル王の離宮と水浴場がある。チムカット祭では高位の聖職者がベランダに出て
洗礼の儀式をし、子供たちが水に飛び込むそうな。女の子は恥ずかしいから建物の中
で水浴するとのことである。平常は水を張っておらず大きな掘り割りが地面を見せてい
た。周囲の大木は数百年の樹齢のあるような年代物で、露出した根が見事である。

デブレ・ビルハン・セラシ−教会へ行く。15ブルを払い入る。ゴンダ−ルには44の教
会があり、ファシル王当時の教会もあったが、ス−ダンとの戦争の際に殆ど破壊されて
しまって、このデブレ・ビルハン・セラシ−教会だけになってしまったとのことである。こ
の教会が難を逃れたのは、蜂の大群が敵を追っ払ったからだそうな。エチオピアの教
会の中でもっとも美しい教会である。天井画と壁のフレスコは実に美しい。エチオピア
観光案内に必ず登場し、旅行者必見の芸術作である。80の天使を描いた天井画はう
っとりとさせる。いずれも天国を見ており、色彩の取り合わせが何ともいえない。エチオ
ピア教会の絵画の最高傑作である。これを見るために世界のツ−リストがはるばる訪
れてくるのである。ちょうど儀式が行われており、多数の信者が教会内を埋め尽くしガ
イドとともにわずかな空間を見つけて鑑賞した。

最後はクスクアム宮殿に行く。あまりにも多くの歴史的建造物、作品しかも宗教関係の
物ばっかりだったので、宗教心のない私は最初に見たところと最後のそれと区別がつ
かなくなってしまった。天使やら聖職者の名前を言われても頭がついていかない。

 ガイドの英語は悪くないが発音が不正確で少し困ったこともある。
「あそこにアコシ−の樹がありますね。」
「?」
「棘のある樹ですよ。」
「アケイシアですか。」
「フィッチの樹がありますね。」
「見当がつきません。」
「甘い実のなる樹ですよ。」
「フィッグじゃないですか。」
植物の英語表記は難しい。学校では習わないし、相当教養のある人でも理解が困難
である。それをでたらめな発音でやられると混乱に輪をかける。

ゴンダ−ルの名所巡りをしている間ワ−ルドカップの話になった。
「ブラジルが優勝しましたか。」
「フランスです。」
「?」
「フランスがゴ−ルをしっかりかためたのです。」
「ブラジルには強力なストライカ−のロナウドがいるじゃないですか。」
「フランスが完璧にマ−クしてました。」
「誰が功労者ですか。」
「ジダンですよ。」
「テレビで見ると頭がはげているから年輩なのでしょう。ようやりますね。」
「かれは20代です。」
「え?ヘディングばかりするからはげになるわけですね。」
「そんなこと知りません。」
「エチオピアはなぜフランスに行かないのですか。」
「ケニヤ、エジプトなんかが強いからです。」
「次回の開催国は日本ですから、エチオピアがこれることを希望します。」
「そうありたいものです。」
エチオピアのマラソンのことになり、アベベ、マモなどの名が出たがどうしても思い出せ
ない女の選手がいた。
ちょうどロバが道に飛び出してきた。
「ドンキ−は日本語でロバというのです。」
「?」
「ロバはオリンピックで優勝しましたね。」
「彼女はエチオピア南部の出身です。」
「ドンキ−が現れなかったらロバの名前は思い出せなかったのです。」
「?」
「アメリカ人なんて日本語を解さないから、ドンキ−とロバの結びつきをわかりようがない
のです。」
「はあ。」
ロバという日本語とエチオピアの偉大なランナ−が同じ発音であることはわかってもら
えたと思う。

名所巡りのあと明朝8:30に迎えにきてもらうことにしてホテルにはいる。部屋に入った
が水が出ないので得意の洗濯ができない。仕方なしに町に繰り出す。高地にあるため
風がさわやかでジャカランダの花が見事である。

はなみずきのピンク版と言ったらよいのだろうか。太陽が西に向かい始め、散歩にもっ
てこいである。ゴンダ−ルの町は大きな道は1本。100メ−トルも歩けば終わり。昼食に
ファシルホテルのマトンカレ−、温野菜、ライスを食ったのでこってりした食事はもうい
やだ。魚料理を食いたい。タナ湖でとれたのを。女の人も子供も仰山歩いているので
治安面も問題はなかろう。スナックタナと言うおあつらえ向きの魚レストランに出会っ
た。子供とお父さんが一生懸命働いている。健康食を売り物にしているのでアルコ−
ルみたいな汚らわしい飲料はない。ベジタリアンレストランである。白身の魚のフライと
温野菜のつけあわせに塩を振りかけて食べる。骨もばりばりと食ってしまう。淡泊で胃
に優しい食事だ。パンは皿に山盛りで食いきれない。ス−プが欲しいがメニュ−にな
い。ホットミルクに次いで紅茶を飲む。向かいのテ−ブルで食べている食事がおいしそ
うだ。お父さんを呼ぶ。英語が分かるので重宝する。ベジタブルス−プ−なんだそう
な。注文する。小麦団子と野菜の取り合わせが絶妙でエチオピアにきてから最高の味
だ。十分に食べて、勘定を見て驚いた。10ブルではないか。もっと請求してくれ。だけ
ど支払いは請求書通り10ブルにした。子供たちの表情が明るくこれまたうれしい。英
語を勉強して教養ある大人になって欲しいと思ったことである。

外はすっかり暗くなったが、ファシルホテルまでは数分の距離であり、帰途に見たバ−
のピンクの明かりがなまめかしい。調子に乗って入っていったりすると、とんだ落とし穴
が待ちかまえているかもしれないし、タナスナックのム−ドが壊れるのでホテルに帰る。
フロントのようなところで相変わらず爪楊枝をくわえている女主人からキ−を受け取る。
昼食を運んできたときも爪楊枝をくわえていたっけ。外見は厳ついが以外と親切で、水
が必要なら厨房の蛇口を使いなさいと言う。部屋に1Lの瓶がおいてあり、身体を拭く
のと歯を磨くのに使えと言うことなのだろう。トイレを流すにはパスタブにある水を容器
ですくえと言うことらしい。登山で泊まった日本の山小屋よりもずっと立派だ。蚊の猛攻
撃はなく、涼しくて湿気がなくて快適な夜である。ホテルの部屋から見るゴンダ−ルの
町は、民家の明かりが大通りを照らし、時々通る大型車の轟音にびっくりさせられる平
和なたたずまいでした。

投稿日 8月6日(木) 投稿者 オデッセイさん





=エチオピア旅行記(その4)=
7月14日
昨日の野菜ス−プの味が忘れられず、タナスナックに向かう。幸い店は開いている。勤
め人の朝食場所になっているのだろう。結構客の出入りがある。お父さんが顔を覚え
ていて会釈をする。顔はエチオピア人と言うよりもアラブ人である。髪の毛が長く、ちょ
び髭など蓄えている。ス−プを頼むがないらしい。魚のフライはできるので、レモンの
輪切りを絞って塩を振りかけて食べる。にわかベジタリアンだけど体の調子はよい。勘
定は昨日と同じで嘘みたいに安い。かっちりと朝食を食いホテルに帰る。8:30に車が
くるので、貴重品の水で洗顔をすまし、荷物をまとめて外で待つ。体は洗ってないが空
気が乾燥しているので、不潔なことはない。日本の夏の方がいやらしい。時間通り車が
くる。英語の話せない運転手だけだ。交差点で警官が乗り込んできて検問だ。エチオ
ピアでは町にはいるときと出るときに検問がある。密輸品か、凶器の検査かは知らぬ。
ぼこぼこ道に大きな街路樹が出現する。オ−ストラリアから持ってきたユ−カリの樹で
ある。ユ−カリは動物にたとえれば、どう猛な肉食獣で環境の養分を食べ尽くして在来
種を絶滅させるという生命力の強い樹である。樹は太古の時代から環境に適した種を
作り上げてきたので、むやみに外来種を持ち込むのは考え物である。エチオピア政府
はアセスメントをやっていると思うが、工業による環境汚染と違って、生態系の破壊は
遅いのでなかなかその牙を見せない。何でもかんでも植林、井戸掘りはよくアセスメン
トを行ってから実施すべきである。おんぼろ飛行場に近づいた頃、広大な平坦地がみ
え、トラックが行き交っている。新空港の建設であるという。バハルダ−ルに近く、アクス
ム、シレ、シミエン国立公園への基地としてのゴンダ−ルの重要性は、新空港の完成と
ともに増すであろう。チェックインは、乗客名簿を見ながら手書きの搭乗券を渡してい
く。時刻は9時、予定は10時出発であるが、9時1分に出ることもあるから油断できない。

Bradtの本を読んでいると昨日の2人連れがきた。
「エチオピアの方ですか。」
「南アからです。」
「どの経路でこられましたか。」
「エチオピア航空でジンバブエのハラレ経由です。」
「南アと日本は近くなりましたね。」
「韓国、台湾、中国からビジネスマンが目白押しです。」
「日本企業はどうですか。」
「仰山あって数え切れない。」
「どこにお住まいですか。」
「ダ−バンです。不動産を少しばかり買いまして1エ−カ−の敷地にすんでいます。」
「南アは金とダイヤモンドで有名ですね。」
「金は新しい鉱山を見つけると言うより、過去に掘り返した残土から金を抽出しています。」
「ほう。」
「技術レベルがあがったので、化学物質を使って残土から回収しています。」
「ほう。」
「貧しい職人から大金持ちになった人の話をしましょう。」
「彼は毎日弁当箱を持って工場にきます。弁当箱には食べ物ではなく、鳩が入ってい
ます。」
「?」
「鳩は訓練すると持ち主の家に帰りますね。」
「それで?」
「かれは弁当箱から鳩を取り出すと、金塊を脚にくくりつけて放つのです。」
「家に帰ったら家族の人が金塊を鳩の脚からはずすのですか。」
「そのとおり。数ヶ月のうちにその人は、大金持ちになったのです。」
「今も鳩使いはいますか。」
「会社もついにトリックに気がついて、鳩を見ると銃で撃ち落としています。」
「ダイヤモンドはどうですか。」
「南アの旧植民地のナミビアの海岸にはダイヤモンドの鉱床があります。」
「それで?」
「あまりにも豊富にある物ですから、政府は値下がりをおそれて海岸をコンクリ−トで固
めてしまったのです。」
「もったいない話です。」
「人間の欲は何でも可能にします。」
「色盲の人は、ダイヤモンドから出る妖しい光を見分けることができます。」
「ほう。」
「正常な人は妖しい光を見ることはできませんので、長期にわたって彼はゆっくりとダイ
ヤモンドを採掘したというわけです。」
「どうもおもしろい話を有り難うございます。」

案の定飛行機は9:45に出発した。
30分のフライトの後ラリベラについた。空港建物は鶏小屋と言った雰囲気、西洋人、
南アの2人連れ、エチオピア人数人と私が降りた。ワゴンが止まっており30ブルで村ま
で行くという。ぼったくりではない。黒金太郎の運転手の車に乗り込む。ラリベラは飛行
場以外平坦なところのない僻地である。よくぞ飛行機がきてくれました。
しかもオッタ−ズでなくてF−50である。バスはゴンダ−ルから2日、ワルディアから1
日かかる。飛行機がなければ一生訪れることのできない土地だ。文明の利器に感謝す
る。黒金太郎はラリベラ最高のロハホテルで南アの2人連れをおろした。ロハホテルは
地の利が悪そう。私は村の第2番目のセブンオリ−ブスホテルに向かう。村の中を通っ
ていく。ついた同ホテルは高台にあって、村や山々がよく見える。ギオンホテル系で36
ドルを29ドルにしてもらう。ブンナペットや民営ホテルがあるが、昨夜のゴンダ−ルのホ
テルがあまりにもお粗末だったし、水に苦労したので、温水シャワ−がふんだんに出る
このホテルにした。バスタブはないが2630メ−トルの寒冷の土地で温水が出るのは最
高の幸せである。黒金太郎に30ブル払っていないので、支配人に聞くと当ホテルの
従業員だから、いつでも良いという返事である。岩窟教会巡りについて聞く。入場料は
100ブルで14時から再開門する。一人でいけなくもないがガイドを雇った方がよい。
50ブル。時刻は正午前。ラリベラはテッジのふるさと、テッジを飲まねばラリベラにきた
ことにならない。ホテルを出る。大人、子供がうるさくつきまとう。ジャパン、コリア、チャイ
ナ、チップという単語だけを繰り返す。蠅のごとくつきまとうので切れそうになり、むかつ
きそうになるが、そうなるとこちらの負け。どこかの中学生のようにはベテランの旅人は
ならない。人生無駄に飯を食っていない。子供二人を引き連れて、テッジハウスに繰り
出す。村の細い道にはいる。エチオピア人がじろじろ見る。こんなところで強盗にあっ
たら一巻の終わり。貴重品をホテルに預けてあるので少しは気が楽だ。テッジハウスに
入っていく。少年2人はチップをもらわねばならぬから一生懸命だ。バハルダ−ルと同
じく子供を背中にくくりつけたお母さんが大、中、小のいづれにするかと聞いたようだ。
容量を聞きたかったが、細かい会話は不可能なので中と言っておいた。やかんと400
mlのメスフラスコをもってきて、ジョビジョビと注いでくれる。ガラスコップも持ってきてく
れる。なま温かい黄色い液体を喉に流し込む。蒸留酒でないからアルコ−ル度は低
い。精製はきっちりとしていないようだから、不純物は混入していることは考えられる。
味わいながらじっくり飲む。日本酒に比べてにおいが少ない。向かいの客がインジェラ
を食っている。客がテッジはどうかと聞いた。グラスを持ち上げてすばらしいと言ってや
った。2ブルを払って出る。軽い酒で炭水化物と水分をとったので昼食は要らない。

部屋に戻る。1時間ほど自由時間がある。昨晩のホテルで汚れきった体を心ゆくまで
洗う。洗濯もして部屋中につるす。1人旅の気楽さである。酔いが回って30分眠ったよ
うだ。門の所でブラハムと言うガイドが待っている。

彼はBradtの著者のBriggsと知り合いだそうである。アルゼンチン、ブラジルのお客さん
と一緒である。ホテルの立地条件はすこぶる良く、教会へ歩いていける。エチオピアの
伝統的な2階建ての石造りの家が急斜面の土地にたっており、エキゾチックな感じ。ラ
リベラという名前は12世紀の王の名前に由来し、元々はこの土地はロハと呼ばれてい
たらしい。伝説によればラリベラが小さいとき彼の体が蜂に覆われているのを見て、母
がこの子はきっと王になるに違いないと思ったそうな。ちなみにラリベラとは「蜂が主権
を認める」という意味だそうな。ラリベラは岩を切った岩窟教会が有名で、西教会群、東
教会群、聖ジョ−ジ教会からなる。

ガイドと旅行者が教会を目指す。

ジ「こんにちわ。」
ア「ブエノスタルデス」
ブ「ボンタルジ」
エ「テナイストリン」
あいさつして入場券を買う。100ブルである。エチオピアでは破格の値段である。ラリ
ベラがいかに観光に収入を頼っているかがわかろうというものである。東教会群から見
物する。この教会群は岩の表面から掘り始め、できた教会群は庭や掘り割りで囲まれ
ている。完全な1本の石碑となっており、高さは10mぐらいはある。一枚の岩から建造
されており、根気と労力にため息が出る。西教会群に向かう。既存の岩の裂け目や、
洞窟を利用して垂直面で削っていったそうな。最後の聖ジョ−ジ教会に向かう。導入
路はどこにあるのだろうか。地上から見る。ラリベラの案内に必ず登場する完璧な一本
の石碑が対になった教会である。四角の石碑が地下から垂直に立ち上がっており、美
しさと壮大さに目を奪われる。よくぞ削ったものだ。見物を終えての会話。

エ「郊外に岩窟教会のナクタ・ララブ、アシェトン・マリアム、ガナタ・マリアムがあります
  が、明日行かれますか。」
ジ「エチオピア航空は朝令暮改だから約束はできない。」
ア「ガイドなしで単独でいけますか。」
ブ「ロバの背中に乗っていくのも楽しいじゃないの。」
エ・ア「何の本をお持ちですか。」
ジ「Bradt社のガイドブックです。」
ア「エチオピアの南部を知りたいのです。」
ブ「私たちもう1月以上エチオピアを旅行しています。」
ジ「この本は最新版でロンドンから取り寄せました。」
エ・ア「ホテルまでの間読ませて下さい。」
ブ「私はホテルに帰っています。」

アルゼンチンとエチオピアは一生懸命読んでいる。歩きながら交互に読んでいる。よっ
ぽど気に入ったらしい。別れ際に明日の郊外への教会見物は断っておいた。結果的
にこの判断は正しかった。ガイドにチップを含めて55ブル支払う。テッジも飲んだし、
教会も見たし、残る仕事はただ1つ。夕食をセブンオリ−ブスで食べることである。ここ
のスパゲッティはエチオピア一らしいから楽しみである。

西の空に沈みゆく太陽を見ながら、ホテルのレストランでビ−ルをちびりちびりやりなが
ら、スパゲッティを待つ。注文してから30分は経過している。よほど手の込んだ料理な
のだろう。なにしろイタリア料理音痴の私なんか、ゆでてざるにあげて、缶詰のミ−トソ
−スをぶっかけで10分以内と言うことしか知らないのである。注文してから45分たって
ついに出てきました。暖かい大盛りの肉が一杯のスパゲッティを期待しよう。しばし目そう。

目を開けてみる。いったいこれは何だ。悲惨な光景だ。冷たい少量のスパゲッティが皿
の上に、ミ−トソ−スがステンレスの容器に鎮座している。ソ−スをかけて食す。悲しい
かな、ソ−スのエントロピ−が小さすぎる。冷やしスパゲッティミ−トソ−スが見るも無惨
にできあがった。エチオピアは何でもありだ。ウエ−トレスが盛んにビ−ルのお代りを言
うてくるが、腹が立つのを通り越してあきれかえってしまう。勘定は23ブルである。わざ
と100ブル紙幣を出して釣りをくれと言ってやった。彼女ないという。当たり前だ。こん
なレストランに来る客なんてよっぽど間抜けだ。こちらはあくまでも釣りをくれと突っぱね
る。彼女ついにホテルのフロントに行って持ってきた。1ブル紙幣が37枚、10ブル紙
幣が4枚である。冷やしスパゲッティも素晴らしいなら、お釣りの出し方も素晴らしい。
エチオピア旅行の記念すべきディナ−である。昼食を抜いたので腹が減っている。
Bradt社の指示に従ってブル−ラルレストランに行く。夜空に満天の星。こんなにも星
があったのか。いい眺めだ。冷やしスパゲッティさん有り難う。レストランにはいるとあの
黒金太郎がインジェラを食っている。見事な手さばきだ。陽気な男でベジタブルス−プ
はうまいから食っていけという。その通りにする。出されたス−プはタナスナックには劣
るが、とにかく体は温まった。女主人がきて明日アジスに行きますと言う。意地悪く出発
時刻を聞いてみる。彼女正午前後という。たびたび時刻が変わるなんて全然気がつい
ていないみたいだ。明日のリコンファ−ムの状況を気にしつつホテルに帰り床につく。

投稿日 8月7日(金) 投稿者オデッセイさん





エチオピア旅行記(その5)
7月15日

昨日の指示通り8時にリコンファ−ムする。なんと驚いた。アジス行きは9時出発とのこと。
時刻表では12:40であり、変更後13:50となり、今日の変更である。ゆっくりラリベラで
休憩できると思っていたが大違い。よくぞ電話したものだ。乗り損なうとスタンバイで待た
ねばならぬし、ゴンダ−ル、バハルダ−ルと寄っていくためまず席は確保できないであろう。
エチオピア航空には振り回されどうしで、腹が立つのを通り越して感動する。与えられた時間は
1時間、大急ぎでチェックアウトすると黒金太郎がやってきて、ロハホテルから客を拾ってきて
すぐ戻りそれから空港に行くから待っているようにとの指示である。門のところで待っていると、
ガイドや野次馬がくる。もう彼らに用はない。昨日ガイドに郊外のツア−を断っておいて良かった。
忘れ物がないかとチケットを見て驚いた。ラリベラ発アジス行きのチケットがないのだ。大慌てで
フロントに行く。マスタ−涼しい顔で「切り取りました。チケットは航空会社がもっています。」
という。ラリベラではチケットを予め切り取っておくというかめいしさんのホ−ムペ−ジの記事を
すっかり忘れていた。黒金太郎の運転するバスが戻ってきた。バスには昨日のブル−ラル
レストランの女主人がいる。どのようにして時間変更を知ったのだろう。それに南アの2人連れも
いる。山間にさしかかるとアルゼンチン、ブラジルが歩いているのに出会う。単独で教会に
行くようだ。バスが止まる。2人連れがおりた。女の人が窓をたたく。2度とくることのない別れ。
黒金太郎はスピ−ドをあげ空港を目指す。遙かに見える山並み、何者もとおらない道、もう
2度とくることのないラリベラを思い一人センチメンタルな気分になる。かわいらしい鶏小屋に
つき無事60ブルを受け取っていただく。デスクには既に乗客名簿、チケット、搭乗券が
並べられており、空港税を払って滑走路へ。予定通りF−50は出発。ゴンダ−ルへは30分
でつく。もっとも時刻表ではゴンダ−ルには行かないことになっているが。パイロットは褐色の
肌をした、にがみばしったいい男。サングラスが決まっている。空港職員がリヤカ−で
荷物を運んでいる。ロ−カル空港の良いところだ。

20分ほどでバハルダ−ルに到着。客の入れ替わりがある。満席になった。アジスまでは
約1時間、機内でパンとコ−ラをとり作戦を考える。次のチケットは明日のET216アジス7:45
ディレダワ行きである。いま搭乗しているET103は12時前にはアジスに着く。ディレダワ行き
は日に2便あり、次は14:45であり十分間に合う。問題は席があるどうかでスタンバイしよう。
エチオピアピア航空が朝令暮改なら、こちらも対抗しなけりゃ。明日7:45に間に合うには、
朝5時起きだ。それに兵士のチェックを受けねばならない。このまま乗り継ごうという結論に
達した。一人旅の気安さ。ET103は無事アジスに到着。出発まで3時間ある。チェックインは
始まっていない。

油断はできない。既に飛び立っているかもしれない。ディレダワ行きに空席があるか聞く。
あいにく本日は満席とのこと。スタンバイで待つのはかまわない。

エチオピア航空の職員が覚えていて、先週の土曜日に見たジャパンじゃないかという。
そうだとあいさつする。搭乗予定の人と雑談する。ディレダワには飛行機の他に、汽車、
バスがあり途中アワシュ、ナザレなどいいところがあるとのこと。14時になりチェックインが
締め切られる。スタンバイのお客に搭乗券が渡される。やっと乗れそうである。セキュリティ
チェックを受けて待合室へ。ほぼ満席のようである。CNNのテレビをやっている。14:45に
なっても離陸しない。慣れっこになっているので腹も立たないし、乗客も行儀がよい。16時
頃にやっと離陸。予定時刻ではなく予定日に出発したことを感謝。人間という動物はすぐ
環境に順応する。ここエチオピアでは腹を立てる、辛抱をする、あきらめる、感動すると言う
のが短時間で経験できる、これこそ海外旅行の醍醐味、精神修養ではないか。切れる人は
学校の先生に相談しないで、エチオピア航空に乗りましょう。

飛行機からみる下界は、緑の絨毯の中に川が見え、緑の大地が褐色の大地に変わっていく。
高地から低地に移動しているようだ。1時間ほどで到着。観光でエチオピアに来る日本人は
すくないし、ディレダワくんだりまでくる変わり者の日本人はまずいない。乗客は地元の人の
他に外国人は私だけだと思われる。ディレダワはエチオピア第2の都市。特別市として指定
されており、アジスと同等のステ−タスを有している。太陽ぎらぎらの熱帯空港、れっきとした
国際空港である。隣国ジブチとの間に国際便があるのだ。真新しいタ−ミナルビルを出て
タクシ−へ。10ブルでハラル行きバス乗り場に行く。タクシ−から見るこの町はビジネス
中心でなんにもないようだ。ちょうど大阪みたいだ。タクシ−を降りるとハラル行きミニバスが
発車するところ、乗り込む。一人旅と軽装のなせる技。

西洋のことわざに言う。「楽しい旅は軽装に限る。」ディレダワをすぎると道は上り坂、ぐんぐんと
高度を上げる。ハラルていったいなんだろう。未知への期待と不安が渦巻く。途中マ−ケット
あり、民家ありで経済活動は活発のよう。検問があり警官が床上の荷物をチェックする。湖を
すぎる。付近の大地はアジスよりも乾燥している。1時間でつく。ハラルである。旧市街は
大きな壁で取り囲まれている。メ−ン道路は露天商がいっぱい。イスラム教徒が多い。ツ−
リストホテルを目指す。英語は通じるし、人々の表情は明るい。暗くなったが不安はない。
目指すホテルはすぐ見つかったが、アムハラ語の看板で読めない。ピンクの電灯がなまめ
かしい。入るとウエ−とレスが客と座っていたりして間違った所にきたのではないかと錯覚する。
ホテルは2階にあるとのこと。フロントもなければ、マスタ−もいない。合宿所だ。英語が通じ
ない。やっとマスタ−らしき人を見つける。早速ハイエナについて聞く。今日はだめだ、明日の
朝だという。嘘をつけ。ハイエナは夜行性で夜しかでない。小学生でも知っている。やっと
聞き出したのは、ハイエナショ−は50ブル、ガイド料15ブルと言うことである。ショ−は随時、
善は急げ、時間は20時、ホテルの従業員をガイドにハラル門から中央広場を抜けてファラナ
門へ。ちょうどで西洋人の観光客がおり一緒になる。ハイエナマンが座っている。大きな声を
出す。何もででこない。もう一度声を出す。3頭のハイエナが怖そうにででくる。人間を怖
がっているのだ。見物人も怖がっている。臆病者同士がショ−に参加している。助手が懐中
電灯で照らす。黄色い6つの目が光る。ハイエナマンが肉を与える。へっぴり腰でハイエナが
失敬する。見物人はパチリパチリと写真を撮る。数回ハイエナマンとハイエナのショ−が
繰り返される。15分でショ−は終わり。ガイドとともにホテルに帰る。城壁の中は暗いのに
結構人通りがある。ツ−リストホテルは10ブル、今回の旅行の最低料金だ。レストランは
インジェラのみ。アムハラ語でメニュ−があるようだが皆目見当がつかない。大きなホ−ロ
引きの皿にインジェラとワットが出てくる。手で食べる。辛くて、冷たくて、まずくてこの世の
食べ物とは思われない。もうこうなると食事は楽しみと言うより拷問だ。コ−ラで流し込んで
勘定は1ブル。安いから腹は立たない。部屋には例の1L瓶とテ−ブルとベッドがあるだけ。
他の客が蚊取り線香を持っている。暑い部屋で眠りにはいる。でも眠れない。蚊が耳にきて
うるさくて眠れない。頭から下着をかぶるが眠れない。セ−タ−をかぶっても眠れない。
暑い部屋で蚊対策に無力であるじぶんの馬鹿さかげんに腹をたてつつ、眠れない夜を
いらいらして過ごす。

7月16日
寝不足である。熱帯地方でマラリアにかかる理由がわかった。眠れないのと栄養失調で
体力を消耗する。蚊に刺されると病原菌に勝つ抵抗力をなくし、蚊に刺されると病魔に
犯される。熱帯地方の旅行には日本製の電池蚊取線香がが最強である。ホテルを出て
ハラル門にくる。露天商人は商売を始めている、いろんなものを売っている。ハラル傘な
んかが名産だそうな。荷物が増えるのでパスする。ハラルはエチオピア随一の回教徒の
町で帽子をかぶった白装束の人々、ミナレット、モスクなどエキゾチックな雰囲気。霊廟、
博物館、ランボ−の家などを見る。
ハラル門から城壁を出る。アラビア語で言うとバ−ブ・エル・ハラ−ルである。ミニバスで
ディレダワに戻る。バスタ−ミナルにつく。ディレダワは旧市街と新市街に分かれており、
川が境界となっている。新市街に向かう。エチオピア航空、銀行、鉄道駅に用事がある。
国際線のリコンファ−ムをするためエチオピア航空に行く。アジスで既にリコンファ−ムは
してある。リコンファ−ムのリコンファ−ムなんて聞いたことはない。しかしあえてするのだ。
冷房があって涼しい。

「リコンファ−ムのリコンファ−ムおねがいします。」
「なにいうてんねん。」
「リコンファ−ムをしたつもりですがもう一度お願いします。」
「7月19日アジスET670バンコック行きはリコンファ−ムされてます。」
「出発時刻、日の変更はありますか。」
「?我が社はスケジュ−ル通りに運行する事に誇りを持っています。」
「有り難うございました。これで安心して旅行を続けられます。」
次は銀行だ。一度に換金すればよいのに、根がけちだからできない。ボディチェックを受けて
荷物を預けて行内へ。パスポ−トを要求されて1時間かかった。最後は鉄道駅へ。熱帯の
太陽が頭上からぎらぎら。寝不足も手伝っていらいらしてくる。未知の土地で3つの用事を
こなすのはしんどい。それにアジスほどではないが、たかりや冷やかしが、「ジャパン、コリア、
チャイナ」と言って声をかける。中にはついてくるやつがおる。ええ加減にせんかい。用が
あったらこちらから言うわい。うるさい蠅どもめ。腹が立って疲れてコ−ヒ−ショップに寄って
ブンナを一杯。外に出て冷やかされて、いらいらしてバ−に入りビ−ルを一杯。ぐいっと飲む。
いい味だ。子供が暇なものだから寄ってくる。エチオピア語でぺちゃくちゃやるからちんぷん
かんぷん。マスタ−がにやにや笑っている。どうやら兄弟のようだ。何人兄弟と聞くと、
5人という。全員寄ってきた。暇そうだ。女の子にペンを渡して名前を書いてもらう。アムハラ
文字でさっぱりわからない。そのうち一人が駅までついていってあげると言い出した。チップが
いるのかな。やれやれこれで野次られずにすむ。彼女のあとについて駅の窓口へ。駅舎は
フランス語でジブチ−エチオピア鉄道と書いてある。山田一広(エチオピアの専門家で元
協力隊員、「マスカルの花嫁」等多数著作あり)によるとハイレセラシェ皇帝は、この鉄道の
列車が通る時刻に反体制派を処刑したそうな。列車の轟音が銃声を消してしまうからである。
モダンな建物だ。イタリア占領時代には皇帝はこの鉄道を使って紅海に出、イギリスに亡命
したのである。ともかくエチオピアの唯一の鉄道である。乗らない手はない。しかもエチオピア
の公共交通機関で唯一の夜行交通である。何でも経験である。おそらく一生乗る機会はない
だろう。切符を求める。あいにく1,2等はない。仕方なしに3等を求める。25ブル。信じられ
ない安さだ。発車時刻は17時、15:30に来るようにとのこと。時刻は12時。ディレダワで
済ませる用事はすべて終わった。見知らぬ土地で野次られ、酷熱の太陽の下で仕事を
こなすとへとへとになる。英語の分かる人がいるのと、みんな親切なのが救い。ディレダワの
町はアジスと違って随分明るい感じ。低地にあり、民族がアムハラ族以外にアラブ人、顔の
丸いソマリ族も多い。
回教徒も多く橋を渡ると旧市街でありアラビア文字が見られる。汽車の発車時刻までたっぷり
時間はある。何をすべきか。そうだ朝飯を食っていなかったのだ。豪華昼飯にしよう。駅前に
レストランは多いがいやだ。もっと気の利いたところを探そう。人間ごちそうを食べれる機会
なんてありそうでない。健康、お金、時間が揃ってこそ実現可能だ。絶対にケチってはならない。
Bradtを開く。ディレダワ最高のホテルはラスホテル、残念ながら中心街から離れている。
幸い新市街の道路は碁盤の目状で行きやすい。タクシ−を使えばすぐだが、最低10ブル
はとる。歩いて食事代に使う方がよっぽど身のためである。10分でつく。ボディチェックを受け
てホテルへ。ホテルの中は天国だ。冷房はないが、高い天井からル−フファンが熱風をかき
回して頭の上にぶっかけてくれる。ネクタイを締めたビジネスマンや、白装束の回教徒など客層
はよい、ラフな格好の自分が惨めだ。ウエイタ−が一礼をして注文を聞く。生まれてこの方
レストランで礼なんてされたのは初めてだ。おおように構えよう。おもむろにビ−ルを1本。
料理を選ぶので時間をくれと指示する。ウエイタ−頷く。いい気分だ。飯を食うことは名誉欲、
出世欲よりずっと重要だ。生命、活力の源だ。インジェラはいやだ。クリ−ムス−プ、サラダ、
ビ−フステ−キに決定。しばらくしてス−プが出る。舌の焼けるようなあついス−プ。これで
よろしい。エチオピアにもあついス−プがあるのだ。

次にきゃぺつの千切りとゆで卵のつぶしたのをマヨネ−ズであえたロシア風サラダ。いい
味だ。メインのステ−キはフィレミニオン、焼き加減はウエルダンに近い。王様の気分だ。
気分が乗ったところでビ−ルをもう一本。す−と胃袋に吸い込まれる。王様はゆっくり食う
のだ。付け合わせは、タマネギの細切り炒めのハッシュドオニオン、人参のグラッセ、西洋
料理のレシピ通りだ。日本でもこれだけの料理は出来まい。ハラルの冷たい辛い1ブルの
インジェラを食った人間が今日はこの世のものとは思えない豪華料理を食っている。あまり
にも王様気分に浸ってゆっくり食ったので誰もいなくなってしまった。勘定は素早くしよう。
600円ほど。ええ気分だ。未だ時間はある。コ−ヒショップで休憩だ。炭酸入りミネラルウオ
−タのアンボを注文する。ボ−イが暇なのかむちゃくちゃ話しかけてくる。どこに行くのか、
交通機関は何か、鉄道の旅は素晴らしい、景色も良い、人も良い、値段も安い、ええとこ
だらけという。あまりに喋りすぎるものだから、聴き料としてソファ−にふんぞり返っている
ところをぱちりと写真を撮ってもらった。彼氏ディレダワ、アジスは570kmと言う。嘘つきめ、
473kmなのに。インテリ?ジャパンはだまされないぞ。ともかく時間つぶしとミネラルウオ−タ
のあてにちょうど彼は頃合いであった。結果的にラスホテルで優雅なひとときを過ごしたのは
正解であった。駅に行く。大きな荷物を持ってたくさんの人が広場に座っている。駅員らしき
人がきて、列の先頭に私を連れていく。外国人と言うことで優遇してくれるのかな。女、子供
の集団に放り込まれる。黒装束に顔に入れ墨のあるおばさんがいて、びっくりする。ソマリ族と
思う。改札が始まる。列の先頭なのでスム−スに構内へ。列車はディ−ゼル機関車、1・2等車、
3等車、荷物車である。3等車にはいる。列の先頭だったのになぜか先客が結構いる。彼らは
いったい何なのか。どうも席取りのようだ。鋭い目つきでじろじろ見るから気分の良いもので
はない。優しそうな人の隣に席を取る。まもなく悲鳴とも、叫声ともつかない音とともに乗客が
なだれ込んできた。50年前の日本だ。先客とあとからきた客と喧嘩が始まる。1両しかない
3等車は、すぐ超満員になった。棚の荷物置き場はあふれんばかり。席は公園のベンチと
そっくり、尻が痛くなりそう。旅を楽しむどころではない。1・2等なら少しはましだろう。トイレ
なんていけない。あるかどうかもわからない。列車は混沌と喧噪を乗せて1時間の遅れで
発車した。この国では飛行機と汽車は時間を守らないことをかたくなに守っている。公園の
ベンチは3人掛け。向かいは女性3人、こちらは女性1人、男の老人と私である。怖い男で
なくて良かった。しかしあとになってこの女性たちがとんでもない強者と言うことがわかった。
女は怖い。乗客はエチオピア語オンリ−で何を言っているか、さっぱりわからない。完全に
孤立してしまった。1・2等車なら少しは英語を話す人がいるのに。隣の女性が最初の停車駅で
ものすごい大きなドンゴロスの袋を持ち込んだ。たぶん仲間から受け取ったのだろう。10
個程のバッグに一生懸命に詰め替えている。車内をみればあちこちでドンゴロスを持ち込ん
でいる。中身はすべて衣類である。こんなにも多量の衣類が彼女自身あるいは家族の消費用
ではないことは明らか。国連の横流しか、ジブチからの密輸品かとにかく胡散臭い商品だ。
アジスのメルカ−トに持ち込んで売りさばくのだろう。狭い車内で遠慮せずに我が物顔で
やるからよけいむさ苦しい。彼女たちはプロの担ぎ屋なのだ。担ぎ屋列車に乗ってしまっ
たのだ。親切な英語のわかるおじさんがオレンジを差し出してくれる。欲しいのだが、トイレ
のことを考えると受け取れない。悪いけど固辞した。やがて女4人で晩飯が始まった。大きな
ホ−ロ−引きの皿にインジェラとワットをど−んと乗せる。手で巧みに食い始めあっと言う間に
なくなった。列車は2度目の停車をする。身動きできない車内に銃をもった警官が5人乗り
込んでくる。荷物検査である。中から衣類を引っぱり出す。次々に担ぎ屋のバッグから荷物を
引っぱり出す。やにわにそれらの衣類を汽車の窓から放り投げる。ものすごい量の衣類を
窓から放り投げだした。担ぎ屋の悲鳴、鳴き声で車内は阿鼻叫喚だ。女警官も勢いよく
衣類を放り出す。警官が降りて列車が動き出す。3度列車が停止した。深夜であり、車内灯、
と言っても裸電球が2つだけ、は消えて真っ暗である。警官の出番だ。懐中電灯を持って
またも荷物検査だ。今度は一般乗客の荷物も検査している。徹底的にするようだ。偉い
列車に乗ってしまった。どんどん衣類が車外に放り出される。担ぎ屋の悲鳴に同情する
どころか、傍若無人の振る舞いに辟易しているので胸のすく思いだ。警官もっとやれ。
車掌による検札があり、こん棒と銃を持った警察官が通る。男の声とびしりという音、無賃
乗車の男の子が逃げ回り、警官が征伐を加えている。偉い列車に乗ってしまったものだ。
すし詰めの車内で身動きの出来ない乗客と逃げ回る少年、まるで奴隷列車だ。外も車
内も真っ暗闇の中、担ぎ屋、奴隷列車はのろのろとアジスに向かう。

投稿日 8月13日(木) 投稿者オデッセイさん


エチオピア旅行記(最終)
7月17日
ようやく明かりのついた車内で乗客のほとんどは眠っている。さすがに担ぎ屋も疲れた
のか目を閉じている。相変わらずの満員列車で考えてみる。アフリカの列車は南アの
ブル−トレイン、エジプトのワゴンリ−に乗ったがエチオピアのそれとは、料金、サ−ビス、
スピ−ド、衛生状態で月とすっぽんの差がある。一番の違いは乗客の階層である。ブル−
トレインは白人、ワゴンリ−は白人、金持ちアラブ人が乗客であり、アフリカの列車であり
ながらアフリカの土臭さといった雰囲気はみじんも感じさせない。むしろヨ−ロッパ、アメリカ、
オ−ストラリアの列車である。それに比べればこのエチオの列車はどうだろう。3等車という
こともあるがブラックアフリカンの乗客、桁違いの大きな荷物、乗客の話し声、子供の泣き声、
さらには鶏のコケコッコ−などなんでもありで、人間生活のすべてが凝縮されている。これぞ
アフリカの原風景ではないか。列車は長いこと停車している。アワシュという駅についている。
オレンジを差しだしてくれた英語の分かるおじさんが降りた。誰とも会話ができない。私は疲
れを通り越してあきらめと焦燥のいっぱい、思考回路の切れた物体として列車に存在している。
乗客同士の喧嘩が始まった。男同士だ。迫力がある。恐怖を覚える。外国人の私に飛び
火して難ぐせを付けにきたらどうしよう。3等に乗ったことを後悔する。幸い警官が銃を持って
車内にいる。銃だけが頼りだ。しかし乗客が暴徒と化せば、警官も銃も何の役にもたたない。
いっぺんに略奪されるに決まっている。担ぎ屋、奴隷列車に恐怖列車という名を加えよう。
30分ほど停車して再び動きだした。世界でもいろんな列車があるが、このエチオピア鉄道
ほど遅い、混雑のひどい列車はないのではないか。この列車に乗った記憶は一生消えないし、
誇りにさえ思ってしまう。東の空があけてきた。ゆっくりと走る列車の車窓からみるエチオピア
の大地はあくまでも美しく、人々の服装や家はあくまでも貧しい。人の手が入っていない平野
に人間のすみかとは思えない民家がちらほら見える。空の旅では絶対みれない風景だ。列
車は遅れに遅れてナザレについた。イスラエルのキリストの生誕地ナザレと同じ名前だ。
363kmを15時間かかったことになる。ナザレ駅にはホ−ムがない。正確には3等車にはホ−ム
がない。線路の上に飛び降りる。車外から列車をみる。4両のちっぽけな列車。さようなら。

Bradtを開く。鉄道駅の記述がない。どうやら市内から離れている。一刻も早くホテルに行き汚れ
きった体を洗濯したい。馬車がたくさん待っている。交渉する。運の悪いことに英語が通じない。
あわてずに助け船がくるのを待つ。どうやら向こうの方から助っ人がやってきたようだ。助っ人
を介して5ブルでマコネンホテルに行ってもらう。馬車は自動車道を通るのが禁じられている
ようで、水たまりのある裏道を通る。馬車に乗ったのは初めてで、馬がこんなにも泥を乗客に
ぶっかけるとは思わなかった。御者は英語はだめだが人の良さそうな好男子で、しきりに
泥をかけてすまないといった仕草をする。なあに気にすることはない。ホテルで気の済むまで
洗濯するから。15分ほど乗ったのではなかろうか。予想通り鉄道駅は町の中心にはなかった。
アジスへと向かう国道の前に馬車を止めてくれた。マコネンホテルの前である。チップをあげ
たかったが、けち根性が災いしてあげるチャンスを失った。Bradt推薦のホテルは3階建ての
きれいなたたずまい、レセプションの応対も気持ちよい。スウィ−ト、ダブル、シングルを見せて
くれる。ハラル、列車と2日続けて豚以下の環境で寝たのでここで金をケチっては生きている
値打ちがない。迷わずスウィ−トにする。スウィ−トなんて生まれて始めて、バスタブ、クロゼット、
テレビ、応接セットもついている。バスタブに飛び込む。2回湯を変えてもまだ黒い湯が残っ
ている。
バスタブは黒い垢がこびりついている。3回目にやっと透明な湯になった。よくもこんなに
汚れたものだ。洗濯物を部屋中につるす。着るものはズボンとポロシャツのみ。一仕事終え
るとちょうど昼飯時、レストランに行く。ビ−ル、ス−プ、サラダ、ビフテキを一気に食らう。あま
りに腹が減っていたので山盛りのパンも食ってしまった。ナザレでは疲れ切った体を休める
ことにしていたが貧乏性がでてきた。郊外のソドレが名所なんだそうだ。行くことにしよう。

ナザレの町は簡単だ。アジスとアワシュ、ディダワを結ぶ国道が町を貫いており、ホテル、
商店、市場、バスタ−ミナルが国道沿いに1kmほど存在する。ソドレへ行く道は国道との
交差点から始まる。ホテルからバスタ−ミナルまで歩いて数分。鉄道駅に比べてずっと活
気がある。呼び込みの声、行き先表示、時刻表、切符売り場のないおなじみのタ−ミナル。
舗装されていない地面の上に存在している多くのバスから、目指すバスをみつけるには、
ソドレと叫分ぶ。英語でもアムハラ語でもなく世界に1つしかない固有名詞をはっきりという。
尋ねられた方は指さすボディランゲ−ジ、難しい言葉はいらない。すぐに見つかり乗車する。
満員の乗客を乗せてミニバスは発車する。途中結構客の乗り降りがある。乗客は大概大きな
荷物を持っている。女の人なんか自分で運ぶことができず、車掌がバスから降りて車の屋根
に担ぎ上げている。女の人は手伝うでもなく平然と車内に座っている。彼女が降りるときは再び
荷物をおろさなければならない。車掌は切符を売る以外にこのような重労働をこなさなければ
ならない。乗客はバスに乗るというよりも荷物を運ぶためにバスを利用している。荷物を運ばね
ば客は利用してくれない。しんどい仕事である。彼女たちは当然荷物代は払ってるのだろう。
車内は蒸し風呂。エチオピア人はどんなに暑くても窓を開けない。途中の景色は緑がすく
なく、所々集落がある。集落ごとにバスが止まり、乗客が乗り降りし、これを繰り返して終点の
ソドレにつく。歓迎ア−チをくぐり入場料を払ってはいる。リゾ−ト地と言った雰囲気でナザレ
の町から比べるとずいぶん緑が多い。構内に広い駐車場があり、アジスからの客が多いという。
ホテルがあるが設備が古く値段も高くおすすめできない。蚊の心配があり交通の便利が悪い。
自慢のオリンピックサイズプ−ルの水は汚れている。が結構人は喜んで泳いでいる。エチオピア
では数すくないプ−ルなのだろう。ベルベットモンキ−が餌をねだりに観光客に近づく。尾を
ピント跳ね上げてかわいらしい。鳥の声がさわやかである。アワシュ川が泥水を見せている。岸
辺は若干涼しい。カバ、ワニはいない。帰りのミニバスも窓を開けない蒸し風呂。汗だくで
じっと我慢の子。ソドレからナザレに帰ってくると、この小さな町も都会に思えるから不思議だ。
町の人は外国人だからといってむやみに声をかけてこない。人々の身なりもこざっぱりしていて、
親しげであり、英語が完璧に通じる。アジスよりも雰囲気はよい。弱点はソドレ以外にみると
ころは全くなく、緊張を強いられるアジス訪問の前の心身のリフレッシュに向いている。ナザレ
のバス停の付近の商店でミネラルウオ−タとオレンジをしこたま買う。ホテルの食事だけでは
栄養のバランスがとれない。夕食はビ−ル、スパゲッテイにする。再びバスタブで洗濯だ。
ズボンを洗う。ものすごい黒い汁がでてきて何回も洗う。ホテルの宿泊料は190ブルでもとは
とった。ミネラルウオ−タ−と、オレンジを食う。CNNテレビが訳のわからぬ番組をやっている。
空気は乾燥しており、網戸がしてあり蚊の心配はない。

7月18日
ナザレの町はアジスに比べるとずいぶん乾燥している。この数日雨は降っていないらしい。ホテル
の広場には焼け付くような太陽が降り注いでいる。レセプションの女性はエチオピア人と言うより
インド人である。長い髪の毛、大きな目、高い鼻の整った顔は映画俳優にでもなれそうだ。チェック
アウトする時彼女は貴重品は絶対に見せないようにといい、アジスでは到着後どうするのかと
聞く。タクシ−ですぐホテルに直行するんだと答えると、それでよいと安堵の表情をしめす。ナイ
ロビほど凶悪犯罪は少ないと言われるが、アジスは大都会、彼女の忠告をありがたくちょうだい
するとともに、ひったくり、強盗の危険性が潜んでいることを強く認識する。ここまで無事にこれた
のに事故にあっては笑われる。ホテルを出て勝手知ったるナザレのバスタ−ミナルで、アジス行き
のミニバスを見つけてのる。バスはミニに限る。スピ−ドは速いし、安全だし、定員以上は乗せ
ない。ミニバスは快調にとばす。

国道はエチオピアの首都と第2の都市を結ぶいわゆる日本の1号線である。一応舗装はされ
ている。トラックが多い。時折鉄道に並行して走っている。渋滞箇所があり、警察官が乗ってきて
検問である。列車に比べるとあっけない。アジスに近づくにつれて車の数が増え、踏切をわたっ
たと思ったら終点である。ヒルトンホテルが右前方の小高い丘の中腹に見える。ナザレでの
忠告通りタクシ−を捕まえる。目指すはフィンフィンホテル。温泉がでるホテルだ。ラスメコニン、
チャ−チル通りを北上し、ファランベホテルを左にみてヨハネ通りに入ればすぐだ。おなじみ
のガ−ドマンのボディ−チェックを受けてホテルにはいる。樹木、草花の植え込みが見事で
部屋は庭を囲むように配置されている。温泉は日本のそれとは異なり、大きな細長いタイル
張りの浴槽に蛇口をいっぱいあけて湯を張るのである。集団で裸を見せて共通の浴槽にはいる
野蛮行為をするのは、おそらく日本人だけではなかろうか。宿泊料は140ブルである。昼過ぎで
早速市内観光に向かう。国立博物館へタクシ−を拾う。博物館は大きなキングジョ−ジ通りに
面した重厚な鉄筋の建物で、アフリカ随一の博物館とのことである。1階の正面に350万年前の
女のオ−ストラロピテクス原人のル−シ−という頭蓋骨がありこの博物館の目玉となっている。
1階には考古学展示品、民芸品、2階には宗教画を中心とする絵画がある。外国人がガイド
に連れられて説明を受けている。英語でやっている。フランス語でもやっている。ガイドは
エチオピア語ができるからトリリンガルということになる。博物館を出てキングジョ−ズ通りをわた
ってミニ動物園に行く。アビシニアライオンで有名だそうな。薄汚れたライオンが退屈そうに
あくびをしているだけで、興味はわかない。次に東アフリカ最大のメルカトに向かう。途中本屋を
のぞいてみる。アムハラ語と英語の本がある。本の数が少なくこれで首都の目抜き通りの本屋
なのかと疑問を抱く。アヤトキロからミニバスがでている。このあたりの地理はわかりやすい。絶対
に迷わない。ミニバスはピアッザアを経由してメルカトに行く。道路の両側にあらゆる商店があり、
人やトラックや乗用車で大混雑。ぬかるんでいるので足場が悪い。こういう雑踏ではスリに気を
つけなければならない。百貨店も付近にある。大ショッピングエリアである。

見物後ミニバスを捕まえて再びチャ−チル通りに向かう。車掌は英語が分からないがキ−ワ−ド
だけで十分だ。アジスは小さな町ではないが、主要通り、地名をもを憶えていれば1人で歩くこと
は簡単だ。ボレ、チャ−チル、ラスメコネン、キングジョ−ジ、ヨハネ等の通り名、メルカ−ト、アビ
オット、ピアッサ、アムストキロ、アラットキロ等の地名である。通りなれたチャ−チル通りからハラン
ベホテルを経て、観光案内所の方向に向かう。靴磨きの少年が声をかけてくるので応じる。実は
エチオピアにいる間うるさいほど靴を磨かせろといわれ続けてきたが、すべて無視した。客に値段
を聞く。1ブルだという。少年は手際よく仕事を淡々とこなしていく。1ブルを渡すと拒否される。結局
2ブル払わされた。もう靴磨きの少年からは声はかけられない。歩いているうちに雲行きが怪しくなっ
てきた。何気なく通行人をみていると不思議な光景に出会った。女の人はおしゃれで特に髪の
毛に注意を払っている。きれいにパ−マネントをかけたり長い髪の女性が多いのだ。エチオピアの
人は元々長髪かなと思ってしまう。

雨が降り出すと彼女たちは、ビニ−ルのキャップをかぶってしまうのだ。謎は解けた。彼女たちは
全員カツラをかぶっているのだ。雨が降ってカツラが濡れると髪の毛が縮んでしまって台無しに
なってしまうのだ。彼女たちにとっては雨は禁物なのである。アジス否エチオピアの女の人の悲しい
までの髪の毛に対する思い入れ、執念を図らずもみてしまって、複雑な気持ちになってしまった。

北京大飯店にはいる。インジェラ、ステ−キにはあきた。アジス最後の夜は中華料理だ。ウエ−ト
レスはチャイナドレス、ウエイタ−は黒のス−ツ、決まっている。エチオピア人の着るチャイナドレスに
思わずでる笑いを押し殺してメニュ−をみる。流石に値は高い。英語表記をみる。ロブスタ−、
あわび、フカヒレ、ツバメの巣は高くて食えない。ワンタン、鳥の唐揚げ、魚のトマトソ−ス煮、卵入り
焼きめしを注文する。ウエイタ−が「たまごらいす」と日本語で言う。エチオピアにきて初めて聞く
日本語だ。日本人には誰にもあっていない。あわなくっても困らない。むしろあわない方がよい。
でてきたワンタンは人参、ゴボウ、餃子もどきのワンタンが入ったいとも珍妙な代物。しょうゆの濃い
色とゴボウの味ばかりが気になる。やはり中国、日本に比べると数段落ちる。魚料理は賽の目に
切った白身をフライして、その後ケチャップで煮てありなかなか美味である。唐揚げは大きな骨が
気になったが、しっかりとあげてあり、地鶏ということもありなかなかのものである。熱帯の料理は火を
きっちりと通すことが肝心である。量が多くて食べきれない。ホテルに帰ったら腹が空くに決まって
いる。チャイナドレスにパックを持ってきてもらう。残った料理をきれいに詰めてくれる。勘定は税金、
サ−ビス料混みで2000円程度。エチオピアで最高の値段だ。ウエイタ−にフィンフィンホテルに
歩いていけるのかと聞く。意外な答えが返ってきた。「ハランベホテルからヨハネス通りを歩けば
わけなくいける。時間を考えなさい。この間も暗くなって強盗に襲われた人がいる。タクシ−代は
やすい。ケチって何千ブルをなくすよりもずっとよい。タクシ−代は5ブル、多くても少なくてもいけ
ない。後で利用するエチオピア人のことを考えてくれ。」よくぞ聞いたものだ。歩いていって強盗
に襲われてなきべそをかいている自分を思って、身震いが起こる。アジスの夜は気をつけよう。
外国人が観光旅行で気をつけなければならないのは、金でも、ホテルでも、食べ物でもない。身
の安全なのである。いくら保険をかけてあっても本人にはわたらない。危険を防止する最善、
最大努力義務を遂行しなければならない。特に日本人は危機管理意識は薄い。自己反省しよう。
タクシ−に乗りホテルに帰る。部屋に入り温泉に浸かるため、蛇口をひねって湯を思いっきり
出す。温度は体温よりも少し高め。日本人にはぬるく感じるが、日本の温泉の温度が高すぎる
のだ。アジスの夜は冷える。高温の湯で短期間入浴する風邪を引く。ぬるい湯で長時間入浴す
るのが理にかなっている。透明な炭酸塩をを含んだ気持ちよい湯だ。皮膚に温泉成分がしみこ
んでつるつるになる。入浴を終えると腹が減ってきた。持って帰った中華料理を食う。ル−ム
サ−ビスでビ−ルを頼む。湯上がりのいっぱいはうまいと言われるが、個室でバスタオル1枚で
唐揚げを食い、ビ−ルを飲む雰囲気は最高だ。よくぞ温泉ホテルに泊まったものだ。

7月19日
強烈な雨の音で目が覚める。蛇口をひねって思いっきり湯を出す。今朝は特に冷え込みが
きつい。雨がやんでくれることを願おう。昨日の卵ライスを食べる。窓を開ける。外気が心地
よい。浴槽にはいる。湯の量が多いのと、浴室と浴槽が大きいのでどんな豪華なホテルの
バスル−ムより開放感がある。30分も入ったろうか。ふやけた体でエチオピア航空に電話する。
今日のバンコック行きのフライトの出発日、時刻に変更がないかを聞くのだ。2回リコンファ−ム
したが、信用はしていない。変更はないとの返事をもらう。飛行機で腐るほど食事が出るので、
コンチネンタルブレックファストにする。パン、バタ−、コ−ヒを頼む。食堂もよく冷える。温泉
で暖まった体にはちょうど良い具合だ。ホテルをチェックアウトして荷物すべて持ってチャ−チル
通りに向かって歩く。幸い雨はやんだ。途中小さな川をわたる。ものすごい水量の泥水だ。昨日
の晩と同じ道だが、朝なので危険なことはない。チャ−チル通りから空港行きのミニバスに乗る。
アジスに着いた日にミニバスの中ですられたことを思い出す。ミニバスはアフリカ各国の大使館の
あるボレ通りから日本大使館を経て、空港には出発3時間前についた。早めにつくにこしたことは
ない。エチオピア航空のことだからもう出発していることだってあり得る。西欧人がチェックインが
始まっていないのはなぜですかと聞く、当たり前だ、2時間前に決まってるじゃないか、そこら辺で
待ってたらどうでっかと返答する。さらに北欧の金髪のべっぴんさんが出国手続きは誰もいらっ
しゃらないがなぜですかと聞いてくる。そんなこと知るかい、チェックインが始まって搭乗券を配り
始めてからとちゃいますかと言って軽くさばく。出国税は20ドルで偉い高い。ブルが残っている
ので銀行で両替する。銀行員がおらず長いこと待たされる。

「ブルがあまりました。」
「ブルへの両替証明書を見せてください。」
「はいどうぞ。」
「たった1枚ですか。」
「?」
「誰かスポンサ−になってくれたのですか。」
「いいえ。」
「クレジットカ−ドばかりで支払いをされたのですか。」
「いいえ。」
「だったら両替レシ−トを全部見せてください。」
「(おまえ銀行員やないけ。少額のブル紙幣を両替するのにレシ−ト1枚で十分やないか。銀行員が
税関の職員も兼ねているんか。そうだったら説明せんかい。責任者出てこい。話しつけたる)はあ、
後2枚出させていただきます。」
「これで全部ですね」
「ははい。よろしくお願いします。」

 銀行員に卑屈な態度を見せて40ドルを押し頂く。免税店はこじんまりしており、たばこ、酒を売っ
ている。エチオピアで飲み忘れた白のCrystal、赤のGouderを買う。搭乗したバンコック行きの機内
は予想したとおり満席である。リコンファ−ムしなかったらまず席はなかっただろう。おまけに指定
された席に大きなおばさんがすわっている。乗務員に文句を言ったが、空いた席に座れと愛想が
ない。仕方なしに真ん中の席に座る。丸太ん棒のような彼女の腕がはみでてくる。通路側の男の人
はにやにやしている。搭乗機はムンバイで大量の客を降ろし、バンコックに向かって順調に飛行を
続けている。

オデッセイは酒のために回転の悪くなった頭で旅行を通じて得た貧弱な情報を使って、エチオピアの国を分析している。
観光に関する限り、英語ですべての用件をなし得る。
まれにみる西洋人の旅行者が少ないところである。
インジェラは食えたものではない。西洋料理なんかがあるので食うにはこまら困らない。
野次馬は蠅のようにうるさいが、利用価値もある。
ホテルは整備されている。
列車は外国人にはきつすぎる。
人は親切である。
物価は安い。
安全対策は怠らないようにすべきである。
教会、城、王宮、及び絵画などはみるべきものがある。
自然は美しい。
最貧国の一つである。
子供はかわいい。
女の人は美人である。
人々の英語はわかりやすい。
官憲はエチオピア人には厳格である。

またオデッセイは考える。
エチオピアは日本人にとってエジプト、ケニア、南アのような観光国になりうるか。
答えはノ−である。
エチオピアはあまりにも
遠く、
不便で、
未知で、
あるからだ。
(完)

投稿日 8月28日(金)  投稿者オデッセイさん