考えるかめいし



12、シェラトンのサービスとマニュアル(09,03,98)


シェラトンがとうとうアジスでオープンしたことは私も妻も書きました。(如何に私たちが
嬉しがりかと言うこととが出てしまいました。)

アジス便りにシェラトンを書いてから、妻から聞いた話で思ったことを少し。

私がアジスにいない間に、妻が2才の娘と他の駐在員の奥様とでシェラトンのイタリアンレストランに
行ったときのこと。

妻のオーダーしたスープを娘に取り分けると判るや、取り皿を持ってきて、「お子さま用には
冷たい皿にしました」との説明。
また、パスタもシェアすると判るや、娘用には小さなフォークを持ってきた由。

「さすが」だと思った。

残念ながらこれはエチオピア人のサービスではない。
どこかのシェラトンから一時的に派遣された白人によるもの。
彼らは「サービスとは何か」を知っている。 だから、応用が利く。

勝手な推測で、エチオピア人には申し訳ないが、彼らだと多分こうはいかないと思う。
自分のオフィスで働く従業員や、取引先の従業員を見てそう思う。(もちろん中には
そうでない人もいる。)
本質が何か、を理解できていれば応用ができるはずである。

いろいろな新聞記事などを見ていると日本人も偉そうには言えない状況であることは
十分理解でき、悲しい限りである。

あるマニュアルで「Aの時にはBしなさい」とあったとする。
なぜ、AのときにBするのか、という根元的なこと(C)が理解できていれば、たとえ
Aの時でもある時にはCを満たすために、Bをすべきではないときがある、と判るはず。

最近読んだ朝日新聞の天声人語にもエレベーターで片方に並ぶ習慣が普及してきたが、
その必要がないような状況でもひたすら片方に並ぶ人たちもいるようなことが書いてあった。

「本質が何か」が判っていないのと、「自分で判断して行動する」ことができない人たちが多い。









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