第一句集『母国』所収。有馬朗人は世界的な原子核物理学者としての多忙な学究生活のなかで、俳句への情熱も燃やし続けてきた。二十九歳でシカゴのアルゴンヌ研究所から招聘を受けて渡米。シカゴ滞在中に、キリスト教とユダヤ教、とくにキリストの生き方に関心を抱くようになったという。以来、聖書は中国と日本の古典、歴史書とともに作者の精神世界を構築する重要な要素になった。 掲句は帰国後間もない昭和三十六年の吟。「イエスより軽く」という意表を突く措辞は、十字架から下ろされるイエスの姿、また若いイエスの亡骸を膝に抱く嘆きの聖母像からの発想であろうか。礫刑に処せられた救世主の体の重さは人間の罪の重さでもある。そして鮟鱇の肉、皮、内臓のすべてを食らいつくす人間の営為。吊し切りの情景から十字架のキリストを想起する作者の詩的想像力は躍動している。 西欧と日本を自在に結ぶ心象の斬新さ、そこに立ち上がる硬質の抒情は朗人俳句の魅力のひとつである。 (坂本宮尾) |
社団法人俳人協会 俳句文学館392号より |