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山国の桜は、四月の終わりぐらいからやっと咲き出し、ゴールデンウィークのころが見頃である。芽吹山のとりどりの緑のなかに、淡いピンク色が混じって、夢のような眺めになる。春になった喜びは、私たちとは比べようもないだろう。 まるでその喜びを象徴するかのように、花びらが中空にいつまでも漂っている。峰々に囲まれた空である。冬の山で、よくひとかたまりの枯葉がなかなか下に落ちずに生きもののように飛んでいるのを見るが、花びらもあんなふうに、きらきらと輝きながらひとかたまりになって漂うのだろう。 桜が好きだという作者の心もまた、山国の空にあそんでいる。 「游」という字には「あそぶ」という意味のほかに、「およぐ、足をつけずにゆらゆらと水面に浮かぶ。定着せずにゆらゆら動く」という意味がある。「遊」の字をつかった場合とは意味が異なる。擬人化された表現ではない。しかし、単純な写生でもない。そんな微妙さに思わず舌巻くのである。 (石田郷子) |
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社団法人俳人協会 俳句文学館384号より |