鏡餅の飾りつけは橙を載せておわる。昆布、裏白、串柿などで飾っても、橙を載せないと様にならない。葉のついた橙なら益々けっこうである。 私など瀬戸内で育った者には橙は今も懐かしい。瀬戸内で蟹といえばワタリガニだが、真赤に茹であがった蟹には必ず橙が添えられたものだ。橙のついた蟹の一匹付けは、それだけでめでたい気分になった。 ダイダイは代々と読みかえてめでたい果実。またこの果実は一度目の冬に橙色になっても、そのまま木に置けば夏にはまた青色にもどる、といった回青現象を示す。橙には不思議な生命力がある。 掲句は「橙を飾り」のあとの微妙な余韻をまず味わうべきであろう。新年を迎えるにあたり、橙の生命力を身に受けるのである。そして、餅米を育み、飾り付けのそれぞれを生み育てた山河を、海を思う。山河に生かされている自らを思う。それが「山河をこゝろにす」である。作者の胸は、山河に、造化に開かれているのである。 (川崎展宏) |
社団法人俳人協会 俳句文学館381号より |