2004.1.10 土曜日
なんだかレトロ・江戸東京たてもの園
三連休一日目。暮れとお正月、どこにも行かなかったから、おでかけしようという事になった。Disney・Seaにも行きたかったけど、前から行ってみたかった「江戸東京たてもの園」に行ってみる事にした。本当は、麦的には「ジブリ美術館」とセットで出かけたかった場所なんだけど、ジブリのチケットはなかなか取れないので、単発だけど仕方ない。

小金井市桜町というところにある「江戸東京たてもの園」。我が家からは約70キロくらい。TDRはちょうど90キロ。距離的には近いけど、小金井に行くには、東名町田を降りてずっと下道なので時間がかかる〜!しかも、八王子方面に行く道路は、たいていの場合渋滞してるの。今日も二時間半かかった〜。

入場料が大人400円、小学生はタダだった!うれしい!
ここは、いたる所に「ボランティア」という腕章をつけた人がいて、地図など広げて見ていると声をかけてくれる。だいたいが老人で(多分65歳とか超えてる感じ)楽しそうに仕事をしているような感じ。
入り口はこんな感じ。この建物の前もすごーく広くて、この手前右側には桜の大木がたっくさんありました。もちろん今は葉も落ちてさびしいけど、春にはすごくきれいだと思う。桜の季節にはきっと大混雑なんだと思うな。駐車場もとても広くて使いやすい。
この建物は「ビジターセンター」。ここでお金を払います。ミュージアム・ショップなどもあり楽しいよ。
旧光華園という建物で、昭和15年に皇居前の広場に建てられて、紀元2600年記念式典り会場として使われ、翌年16年には、現在の場所に移転されたんだって。すごいね。たった5日間の式典のために建てたみたい。
まずは地図をもらってビジターセンターの裏手から外に出る。「たてもの園」というだけあって、広い敷地に歴史ある建物が移転されている。東部ワールドスクエアみたいに何分の一かの模型ではなくて、そのままの形で移転されているの。ビジターセンターから外に出ると、大きくわけて右と左にエリアがある。地図を見てたらすぐにボランティアのおじさんが近寄ってきてくれて、今日は右の方のエリアで「はらっぱ」という催しをやっている事をおしえてくれた。「お子さんが飽きてしまうようなら、先にイベント会場に行った方がいいかも・・・」とアドバイスされた。だけど、さくらの場合、先にそこへ行ってしまうと「まだ遊ぶ〜」と言って、その場からきっと離れないので、そっちは後回しにする。我が家の単純娘は、そこへ連れて行ってもらいたいので、前半の見学をいい子で過ごすわかりやすいヤツなのである。

まずは、農家エリアへ。麦の実家は農業もやっていたので、麦が生まれた頃はこんな感じだった。囲炉裏はなかったけど、堀古達だったし、縁側もあった。土間もあったし、汲取り式のトイレだった。
「ねこがいたら、きっとここでお昼寝しちゃうよ。」とさくら。 休日なので囲炉裏に火が入っていました。火って落ち着くよね。 このかまどと、上の神棚みたいなのがいい雰囲気。
そうそう、こんなわらぶき屋根、あったあった!DASH村みたい。 おばあちゃんの部屋はこんなだったよ。このたんすもあったよ。 現在の麦の実家の床の間にそっくり!家かと思っちゃった。
さすがに、便器は木じゃなかったけど、なんかこんな感じのトイレだったよ。「ぼったん便所」って呼んでなかった? これなんだと思う?上のタンクに水を入れておいて手を洗うもの。
農家の裏庭と、梅の木がいい感じ。日差しもやわらかい。 これは三井八郎衛門邸の玄関の扉。木をくり抜いてあってかわいい♪ものすごく大きな土蔵がある。 これは「常盤台写真場」のスタジオ。自然光を取り込むため、すりガラスが入っています。
常盤台写真場は昭和12年の建物。板橋区の常盤台という場所は東武鉄道初の宅地開発が行われた地区なんだって。都市計画に沿って道路網や駅、公園を作ったんだって。そんな早くにすごいね。この写真屋さんのお家もとっても現代的でした。

三井八郎衛門邸はお庭も広くて、いかにもお金持ちの邸宅って感じ。母屋に繋がって隣に3階建ての土蔵があった。いろんなものをいっぱい保管できただろう。二階の廊下の天井はシャンデリアを飾るために湾曲して作ってあるの。ボランティアのおばさんの話だと、ここに飾ってあるシャンデリアは「小」の方で(けっこう大きくて豪華なんだよ)「大」の方は、どこに行ったかわからないそうです。和室にテーブルと椅子を置いた客間なんかがあって豪華でした。昭和27年の建物。土蔵は明治7年だってさ!港区西麻布にあった建物だそうです。

さて、下の6枚の写真は「今度家を建てる時はこんな風にしたい」と思った家。「田園調布の家(大川邸)」と言う名前の家。一般住宅らしい。大正14年に田園調布に建てられた家。ぜんぜん現在に建っていても違和感のない造りです。クリーム色のサイディングと白いパーゴラ、窓枠がとっても素敵。クリスマスツリーみたいな木が家の前にあった。台所の隣には女中さんの小さなお部屋がありました。土台の換気口にもすごくステキな金具がはめ込まれていました。何度も言うけど大正時代だよー。すごいねー。
外観も現在の建物と変わりない。 二方が窓で、その下が作りつけのソファ。その下は収納になっています。 寝室から出ると、このパーゴラ。白いベンチがステキです。薔薇の枝がからんでいました。
当時の住所のプレートがそのまま残っていました。 なんとも言えないかわいいオーブン。大正時代にこんなの使っていたなんて!すごい♪ きつつきみたいな鳥さんのくちばしに外灯がついています。ステキなデザインだよね。
←このかわいいキッチンは前川國男邸のもの。なんてかわいいの?白いタイル張りってすごく好き。前川國男という人は建築家だそうです。昭和17年に建てた自宅なんだって。この家は、なんていうのかなー?三角のスキー場のロッジみたいな感じで天井が高いの。さくらは、入るなり「すごーい!リフォームの匠が作ったお家みたい〜」と言っていました。このキッチンの左側には、開口部があり、カウンターとして、お料理をダイニングに出せるようになっていました。オイルヒーターみたいな形のラジエーターの暖房が各部屋に設置されていました。言っとくけど、昭和17年って戦争中だよ。品川にあった家だそうです。
さて、これで、左側はだいたい見終わりました。右側に移動し、ニ.ニ六事件で殺された橋是清邸に行きました。ここは住居として展示もされているんだけど「お休み処」にもなっています。ここでおそばを食べて一休みしました。今日はすごく寒くて、家を見て回るとき、靴を脱いで上がるのですが、すごーく床が冷たくて〜っっっ!ここは、南に面した縁側のある和室でしばしあったまりました。ガラスが昔のガラスであんまりなめらかではなくて、景色がかげろうみたいに少しゆがんで見えるの。そういうガラス好き。そういうガラスのグラスあるでしょー?気泡が入ってたり、すこーしゆがんでたりする・・。色がうすーいグリーンだったりして。そういうガラス窓いいな〜。今度家を建てる時。

さて、やっとの事で「千と千尋の神隠し」のモデルになった街並のある「東ゾーン」へやって来ました。
カオナシと千尋が「沼の底」と言う六番目の駅まで行ったみたいな電車。昭和37年に造られた都電。 スピードを調節する?ハンドルに興味を示すぶんちゃん。 村上精華堂という化粧品屋さん。昭和3年。裏に化粧品を造っていた仕事場がありました。
丸ニ商店という荒物屋が麦のツボにはまる。昭和初期に千代田区にあったんだって。かわいいものがいっぱいある!ボランティアのおじいちゃんが、さくらに「これ何に使うものかわかるー?」なんて聞いたりする。それはねずみ捕り。それは炭を消す壷。楽しいものがいっぱいあった。
このブリキの箱かわいい♪この下の箱がなんともかわいいの。 はい、下の箱をUPにして、上向にしてみたよ!
おろし金や、わらじなんかが売ってる。このわらじの鼻緒がいい色なの。 竹の籠ってなんか心惹かれるよね。麦の家の近くに、今もこの背負い籠売ってる店があるんだよ。 このお鍋のディスプレイかわいい♪昔、蒸し器って四角だったような気がしない?
かわいい路地。麦の家は田舎だから、こんな狭い路地はないけど。 東京の下町って感じするよね。 路地ってわくわくする。用もないのに曲がってみたくなるの。
これはお花屋さんのウィンドウ。昭和3年なのにおしゃれだね。看板には右から「ハナ」って書いてある。 これは武居三省堂という文具屋さん。筆なんかを売っていたらしい。右の写真の引き出し、「千と千尋の神隠し」で釜じいが薬草を出していた引き出しにそっくりでしょ?ここでは筆がしまってあるんだって。
ここは、港区白金の「小寺醤油店」お酒とか缶詰も売っています。白いキャニスターがかわいいと思いませんか?この中に味噌が入っていて量り売りしていたそうです。 これが「千と千尋の神隠し」の油屋のモデルになった「子宝湯」です。
中に「子宝湯」で実際に使われていたのれん、と展示してあったもの。むちゃむちゃ、原田治の絵じゃん!と思った〜。どういう事〜?何年ごろの建物なの?と思ったら、昭和4年に建てられて、1988年まで足立区千住元町で営業してたんだって。
こっちは男湯。側面には弁慶のお話の絵が描いてありました。 こっちは女湯。側面は猿蟹合戦の絵が描いてありました。 やせっぽちさくら、体重を測ってみました。
さて、やっとさくらが行きたがった「はらっぱ」−夕暮れまで遊んだ頃・・・というイベント会場にたどり着きました。ここは昔の空き地が再現されています。竹馬や、竹で作った缶ぽっくり(竹だから「缶」ぽっくりじゃないけどさー)えと、車輪を棒で転がすヤツとか、コマとか、いろんな昔のものがあります。大中小の土管もおいてあってなんだかなつかしいです。さくらも思いっきり遊びました。こんな遊び場があるなら、白いズボンはかせて来るんじゃなかった・・・ま、いいか!後は帰るだけだしね。私達が子どもの頃の竹馬は、おじいちゃんが、本当に竹で作ってくれたよ。妹たちの時代になると「たんたんたけうま、カラーたけうま」って言うのが出来て、竹馬って売ってたの。棒の先端に鈴が入ってて歩くと「りんりん♪」って音がしたの。室内にも「はらっぱ」の展示がありここも懐かしさいっぱい。「はらっぱ」という絵本を元にした世界が広がっています。もちろん絵本好きの麦はこの絵本を買って来たよ。同じ原っぱの朝と昼、時代がいろいろと変わる。戦争で焼け野原になったり、盆踊りが行われていたり、細かい絵をひとつひとつ見ていくのが本当に楽しいです。
おじいちゃんが作ってくれたのはこういう竹馬。 土管を飛び移って楽しそうに遊ぶさくら。 新聞紙に包んでくれる焼いも。黄色くてほくほくだった。100円。
今、「昭和」がブームになってるでしょー?なんだか懐かしくてレトロな感じで。私達は懐かしいけど、さくらはつまんないか?って言うと、そうでもないんだよね。すごくおもしろがって、「昔はこんなだったのー?」「昔のトイレ寒そうー」「山田のおうち(麦の実家)に似てる〜」「こんなとこで遊びたかったなー」とか楽しんでいました。入園料も安くて、一日楽しめて、すごくよかった!
ボランティアのおじいさんによる紙芝居。 あったあった!こんな三輪トラック〜。
昔の子どもの遊びを体験できる催しなんかが時々行われているみたいです。ボランティアの方々が、ほんとに気さくに声をかけてくださいます。「焼いも食べた?」とか「ほら、みてごらん、これ。なんかに似てると思わない?釜じいの引き出しだよー。」とか・・・。紙芝居のおじさんも、本人がとっても楽しそうだった。後ろに椅子みたいに座れる台があるんだけど、子ども達には銀色のシートを敷いて「前に座っていいよー」と言ってくれる。さくらは、すぐにそこに知らない子と座って始まるまで焼いも食べながら待ってた。後から入って来る子にも「子ども達は前に座っていいよー」と声をかけるんだけど、なかなか知らない子の中に入って行けない子もいるんだね。紙芝居する前に「とんとんとん、ひげじいさん」(知ってる?幼稚園でやったやつ)など手遊びをして、子どもの心をわしづかみ。さくらは誰よりも大きな声で笑っていたよ。おじさんの紙芝居は最初小さい子向きのやつを1つやって、次にちょっと怖い「鬼のつば」前編って言うのをやったの。そして「後編は明日やるので、明日またここに来てね」と言いました。で、私も「まじかよー?」と心で思った〜。そしたら見ていた子が「おじさん、僕、明日空手だから来れないよー。」と言った。おじさんは「安心してね、この後、すぐに後編をやるからさ。おじさんたちが子どもの頃は『続きはまた明日ここで』って言われるとさ、わくわくして5円玉握りしめてまたそこへ行ったもんさ。」なんて話してくれた。私は小さいころ外で紙芝居を見た事はないんだけど、私より5歳上の先輩のゆみちゃんは、よく見たんだって。こういうのもさー、今の子や、若い親達は知らないじゃん。知らないからいけないってわけじゃないけどね、お話だけでも知ってたら楽しいと思うの〜。

ミュージアムショップに、このたてもの園の説明がくわしく描かれたパンフが子供用のが200円、大人用の詳しいものが300円で売っていました。それから「はらっぱ」の絵本も買いました。一度行けば充分だけど、パンフを読んだらまた行きたくなりました。よく読んで、また何年後かに、違うイベントやっている時に行きたいなと思いましたわ。いっぱい遊んだので、駐車場で1時間昼寝をしてから帰りました。近くにペンタくんがあるので寄って帰る事にしました。楽しかったです〜。皆様も機会があったら「江戸東京たてもの園」行ってみてね!