Choko's noteかわいい魔女ジニーNOTEBOOK



vadimさんJeannie Out of the Bottle 解説



2011年4月5日、バーバラ・イーデンの自叙伝「Jeanie Out of the Bottleが発行されました。
この本は30数枚のバーバラの写真と巻末にはインデックスも付いて詳しく紹介されています。
バーバラ・イーデン、リー・ウェンディ著、Three Rivers Press(Crown Publishing Group)社発行。
アマゾンで購入できます。1500円。Kindle版も発売されています。

DREAMING OF JEANNIEに続きvadimさんにはこの本の解説もして頂きました。



序説 第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 第七章 第八章
第九章 第十章 第十一章 第十二章 第十三章 第十四章


序説

 イントロダクション


    可愛い魔女ジニー、撮影初日 

 
964年12月1日、カリフォルニア州ロサンゼルス、サンセット・ブールバード
 可愛い魔女ジニーのパイロット版、恋の風にのってきました、の初日の撮影を終え、シドニー・シェルダン、ラリー・ハグマン、そして私の3人は、マリブーから
 ハリウッドに戻る30マイルの道のりを、会社のリムジンでブッ飛ばしていました。シドニー・シェルダンはこの番組の原作者であり、プロデューサー兼ライター、
 ラリーはアンソニー・ネルソン大尉を演じていました。

 
の日はネルソン大尉が初めてジニーと出会うシーンを、ズマ・ビーチで一日たっぷりロケ撮影したのですが、まだ透け透けのピンクのシフォンのハーレム・パンツと
 極小のベルベットのボレロを着たままの私は、頭の先から足の先まで震え、自分の茶色の布製コートにすり寄ってテレビ・シリーズ、How to Marry a Millionaire
 (百万長者と結婚する方法)のロコ役で着ていた足までの長いミンクをもらっていいって言われてたらなー、と思いました。リムジンは信号機のところの駐車場に
 滑るように入り、カンサスのナンバー・プレートを付けた栗色のムスタング・コンバーチブルのすぐ隣に止まりました。

 
の車は、初老の男性と彼の中年の妻が乗っていました。突然、ラリーはリムジンの窓をおろし、身を乗り出して、私がまったく驚いたことに、そのカップルに
 叫んだのです。”いつの日が僕はスターになるんだ!いつの日かあなた方は僕が誰か知ることになる!”驚きから立ち直ると、私は思いました。
 ”スター!なぜ彼は地獄の炎のように、スターになりたいのかしら?”


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   【 マリリン・モンローの思い出 

 
年前の1962年4月10日のことです。20世紀フォックスのサウンド・ステージで、私はレッド・バトンズと気球船探検を撮影していて、そのすぐ隣では、サウンド・
 ステージ14で、マリリン・モンローがSomething's Got to Give(1962年、マリリン・モンロー、ディーン・マーティン、シド・チャリシー主演、ジョージ・キューカー監督の
 スクリュー・ボール・コメディで、1940年制作のケーリー・グラント、アイリーン・ダン主演のママのご帰還のリメイクである。モンロー急死のため未完成に終わった。)を
 撮影していました。エヴィー・・・イブリン・モリアティーは、1957年に私が20世紀フォックスに行った時から私のスタンド・インで、マリリンのスタンドインでもありました。
 彼女が、誰にもまねのできない鼻声なまりで言いました。”バーバラ、私のもう一人のスターがあなたに会いたいそうよ!”

 
女がマリリン・モンローのことを言っているのがわかりました。というのは彼女はいつもモンローのことをそういう風に言うからです。私はわくわくして、マリリンに
 ついに会うことに興味を持ちました。エヴィーは何年もマリリンの秘密を私に打ち明けてくれました。それで私が今撮影中の自分の映画のために道化師みたいに
 だぶだぶの縞のパンツと大きな白いシャツを着ているときに、エヴィーが私の手をつかんで私をSomething’s Got to Give のサウンド・ステージに引っ張って
 いったんですが、マリリンはまさに衣裳のテストをするところでした。私は一瞬のためらいもなくエヴィーの後についていきました。

 
時のフォックスのサウンド・ステージの数々はとても大きくて、ひとつの小さな町みたいなものでした。一つのサウンド・ステージは、大きな洞穴って感じで、
 真ん中に小さなライトの輪があります。裏側のトレーラーはマリリンのドレッシング・ルームとして使われていて、そこでは伝説の衣装デザイナー、ジーン・ルイスが
 マリリンのSomething's Got to Give のための衣裳を彼女と作っていました。

 
の後ケネディ大統領のためにマディソン・スクエア・ガーデンで彼女がハピー・バースデーを歌うときに着ることになる、あのセンセーショナルな体にぴったりとした
 衣裳も同じように作られたのです。ですが、もちろん、そのころはまだ私たちの誰もそんなことは何一つ知りませんでした。あるいは、私たちはSomething'sGot to Give が
 マリリンの最後の映画になるということを、夢にも思いませんでした。もし、彼女にこれから起こることがわかっていたら、私たちはその核心にショックを受けていたことでしょう。

 
いうわけで、トレーラーのドアは開いていて、マリリンがセットの中にいました。エヴィーが私の手を引いて、不滅のセリフを言いました。”マリリン、私のもう一人の
 スターにあってほしいの・・・”私のもう一人のスター・・・そうエヴィーは私を紹介しました。昔のバーバラ・ジーン・ホフマンを、マリリン・モンローに!
 私はマリリンと一緒にスポットライトの中に入りました。彼女は私の手を取りました。私たちは会話し、その間、私はエヴィーがマリリンについて私に暴露したこと
 すべてを、きっぱりと頭から追い払おうとしました(それについては後でもっと言及しますが)。そして代わりに、私の前のこの愛らしい眺めにフォーカスを合わせようと
 最大限の努力をしました。そうやって私はそこに立っていたのですが、私は悪いことが起こる日の道化師、ボゾの恰好でした。でも、マリリンは私がいまだかつて
 生きてきて見たものの中で、もっとも美しい姿でした。

 
女はただ光り輝いていました。光の渦巻の何かが、彼女のあたりに、中に、彼女を通り抜けて彼女のまわりにありました。もしアバターの監督、ジェームズ・キャメロンが
 彼女に会っていたら、彼は彼女を彼の特別な人々の一人として配役したことでしょう。彼女はどこをとってもスターでした。が、エヴィーが私にマリリンの秘密を打ち明けた
 後では、私はマリリンに嫉妬しませんでした、これっぽっちも。また、私は私が現在まで出会ったり、一緒に仕事をしたほかのスターの誰一人にも嫉妬はしません。

 
にも、エルヴィス・プレスリーにさえ(彼は私に自分のもろさを打ち明けて私を誘惑しようとしたの。)、ポール・ニューマンにさえ(彼はおかしいくらいたっぷり、自分の
 肉体的外見にコンプレックスを持っていたわ。)、ルシル・ボールにさえ(彼女は事実上毎日みんなによく知られた夫の浮気に耐えることを余儀なくされていました。)。
 それぞれのスターと彼らの全員に対して。それでも、しあわせで満足ですかって?私はそう思うわ。

 
に関して、今まさに私は女優であって、スターではないし、私はそれに満足しています。でも、可愛い魔女ジニーパイロット版撮影初日、ハリウッドへと疾走する
 リムジンの中で、ラリー・ハグマンは、スターになるという灼熱の野望に明らかに燃えており、可愛い魔女ジニーが彼をすぐ、その、スターにする、と情熱的に
 信じていたのです。

 
年ものちにシドニー・シェルダンがラリーの抑制の利かない野望について言いました:”突如、ラリーは自分が番組の中で半分裸の美しい女の子といて、これが彼のショーに
 なる見込みはない、ということを悟ったんだ。僕はいろいろやってみたが、大衆が興味を持つのはいつもジニーだけなんだ。
 そして5シーズンを通して彼は欲求不満でとても怒っていたんだ。”


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   【 母の教え 

 
938年のことでした。私はサンフランシスコの学校にいました。私はその学校で最も貧乏な子供たちの一人で、最もかわいい子の一人、というわけではありませんでした。
 私は少しもおさげ髪が大好き、というのではなかったのだけど、ママがいつも可愛く見えるからと言って私にそれをさせたがりました。母は毎朝きつく編んでくれましたが
 私は決して一度たりとも文句は言いませんでした。学年末の日、二人の男の子が本当に強く何回も何回もおさげを引っ張っていたずらしました・・・たぶん彼らは私の
 ことが嫌いだったのでしょう。もしかしたら私のことをすごく好きだったのかもしれない。とにかく彼らは私をすごく痛がらせたのです。

 
はグイッと引っ張って自分のおさげを取り返し、大泣きしながらうちへ走って帰りました。母は私をひとめ見るなり断言しました、”そんなの乗り越えるのよ、
 バーバラ・ジーン!乗り越えるのよ!”で、私は思いました、乗り越える?乗り越える?私はたった5歳だわ。なんだって、どうやってどんなことでも乗り越えられるって
 いうの?でも、私は母を愛しており信頼していました。それで私は涙をふき、私の弱い者いじめのクラスメイトを乗り越えよう、としました。で、ある種の奇跡によって、
 実際成功したのです。あの時以来、母の”乗り越える”は、消えることなく私のプシュケに刻み込まれることになったのです。

 
れは私自身の個人的信念となり、私が人生を生き、何年にもわたってどんな運命が私に降りかかろうともそれに耐える方法となりました。・・・ハリウッドの契約俳優として
 もがいていた50年代後半から60年代初めにかけてのハングリーな何年間かの間もCiroのサパー・クラブでコーラス・ガールとして生き延びようとしていた、きつい何週間かの
 間も、ライブのテレビで、ジョニー・カーソンのコミック・コーナーの相手役としてやばい瞬間に耐えていた時も、アイ・ラブ・ルーシーでデジ・アーネスの口説きを避けるために
 最大限の努力をしていた日々も、ポール・ニューマンとのドキドキする画面上でのヤマ場の間も、エルヴィス・プレスリーの主演女優としての何週間かの間も。

 
の時は、彼のもろい愛らしさを感じながら何時間もお酒を飲み、結局何年も後に彼はひそかに私と恋愛する計画だったということが、後でわかったわけなんだけど。
 私の母の教えは、ハリウッドのもっとも男性ホルモンを発散している役者たちとのからみの何年間かの間にも、いつも私とともにありました。ウオーレン・ビーティ、
 バール・アイブス、トム・ジョーンズ、トニー・ランダル、トニー・カーティス、O.J.シンプソン、その他。

 
して私の本当に孤独な何年間かも・・・私の最初の息子が死産したのち、今にも自分がダメになってしまいそうだったとき・・・私はラス・ヴェガスで仕事していて、
 ジョージ・バーンズとドレッシング・ルームを共有していて、できる限りベストを尽くして涙の中で微笑んだの。

 
いていの場合、彼女の言葉が私の頭の中で響いて、可愛い魔女ジニーでラリー・ハグマンと仕事していた5シーズンの間もそうでした。あの番組は、時々熱い
 石炭の上を歩いていると思いたくなるような時もありました。でも、私が水晶みたいにはっきりとクリアにしておきたいのは、私はラリー・ハグマンは素晴らしい役者だと
 思っている、ということです。私はいつでも彼とまた共演するし、それは彼の能力故でなく、彼が暖かくて親切な人だからです。


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   【 ラリー・ハグマンの優しさ 

 
者の皆さんのために、ある例を、お見せしますね。私たちは番組に、あるゲストのディレクターを招いたことがありました。彼の名前はありがたいことに私の
 記憶から消えているんですけれども、それは単に、彼についての記憶がすごく不快だったからです。彼は、昔の時代の映画の監督さんで、スタジオの大物の誰かの
 親戚でした。彼の監督としての全盛期は当の昔に過ぎていて、たぶんリタイアするべきだったのです。なぜなら彼はもうぼける寸前でした。

 
ころが実際、彼は一緒に仕事をするには極端にイライラする人で、シーンをおぜん立てするとき自分の意思をはっきりせず、そのために私たちの誰一人、
 自分たちがどこに立つべきで何をするべきか、わからないありさまでした。その結果、私たちは何時間もスタジオで働いたのに、缶に収めるべきフィルムはない、と
 いった状態でした。ある日、こんなことがありました:

   
カメラマン:カット!
   
ディレクター:誰がカットといった?
   
カメラマン:私です、監督!
   
ディレクター:なんで君がカットというんだ?君はカットという役ではない!
   
カメラマン:僕がカットといったのは、誰かがカメラの前を横切ったからです、監督。
   
ディレクター:誰が横切ったんだ?誰だ?誰であろうと、そんなことをする奴は首だ!
   
カメラマン:でも、それはあなたです、監督!

 
その可愛い魔女ジニーの監督は、アーウィン・アレン監督より進歩がなかったと私は思います。アーウィン・アレン監督は私が2本の映画で仕事をした監督さんです
 (地球の危機、および気球船探検)、その当時私は全然そんなことはわからなかったんですが。アーウィンはぼけてもいなかったし、ただ荒々しく変わっていて、
 自分がセシル・B・デミルなのだと、思い描いていたのです。カットとわめく代わりに、彼は空中に銃をぶっ放していたわ。)

 
のぼけた監督と可愛い魔女ジニーを撮っているその日の終わりに向かうにつれて、暴君の老いた映画監督は私たちにひっきりなしに馬鹿げた命令を怒鳴りまくって
 いた。私は泣きそうだった。で、撮影の短い合間に、私はセットから走って行って、舞台装置の一部の後ろに隠れて、すべての活動からずーっと離れ、そこで、
 できるだけ静かにむせび泣いていた。私のメイクはほほに流れ落ち、クルーとキャスト全員が私を探して走り回っていた。

 もちろん、ラリーが、いろんな意味で賢い男性よ、彼がついに隠れ場所にいる私を見つけたの。彼は私の周りにやさしく腕を回していった、”泣かないで、バーバラ。
 あれは僕の行動だよ!”彼のハートに祝福を!私は感動すると同時に驚きました・・・ラリーがとても私にやさしいということに感動すると同時に、彼が自分のもともとの
 神経衰弱について正直であるということに驚いた。彼は時々実際彼の中で頂点に達し、私たちみんなの前で叫んだりしたの。


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   【 ライオン、シムとラリーの思い出 】

 
も、可愛い魔女ジニーはドラマや人間関係のただの温床ではなかった。それはコメディでもあり、ラリーと私はずーっと面白いことをたくさんやりもしたのです。
 語り草になっているラリーの話は、私たち二人とシムという名前のライオンについてです。

 シムはアダムスのお化け一家に出演したベテランで”お嫁においででないよ”というタイトルのエピソードで私たちと出演したのです。筋書きは、ジニーがネルソン大尉に
 彼女の前のペットを家に持ってきてもいいかどうか頼むのです。ジニーが言ってるペットがどんな種類のものか知らずに、彼はいいよ、と言って、十分成長したオスの
 アフリカ・ライオンにいきなりご対面するわけです。

 
のシーンの裏で本当に何が起こったのか。運よく、私はフォックスの2本の映画の前にライオンと仕事したことがありました。なので、今自分はまあライオンに
 ついてはエキスパートだと思っていて、私たちがライオンとのシーンを撮る前に、私はラリーを傍らに連れて行って、ライオンとお友達になる方法を彼にアドバイスしました。
 どうやってやるか、説明したのです。

 
じっとしていてライオンにあなたのにおいをかがせるの。で、彼がにおいをかいだら、とっても、とーっても用心深く彼の方に体を傾けて、彼をできるだけやさしくなでるの。
 そうよ、それで彼はあなたのことがわかって、で、すべてうまくいくの。”と私は助け船を出すように言いました。
 ラリーの反応は?”何寝ぼけたこといってるの、バーバラ。僕は友達にはならないよ、どんな・・・・ライオンとも!”彼は大股で自分のドレッシング・ルームに戻って
 しまいました。

 
の時、ライオンのトレーナーがそのライオンをセットに引っ張ってきました。ラリーと私は長椅子に座っていることになっていて、台本ではある時点で、そのライオンが
 長椅子の背もたれに彼の大きな前足をかけることになっていました。

 
ーンが組まれ、支柱が配置されている間、私は私の毎日のライオンとの心のふれあいを行いました。私は彼に私の指のにおいをかがせ、手をなめさせて、それから
 ゆっくりと、本当にゆっくりと、私は彼の顎の下をなでました。彼は私を横目で見て、目に見えてリラックスしていました。そして私はこの新しい暖かい友情を自分ひとりで
 静かに喜んでいました。

 
イオンはその長椅子から向こうへ連れていかれました。2,3分後、ラリーがセットに戻り、私の隣に座りました。監督は私たちの間に生のお肉を一切れ置きました。
 ライオンが長椅子に連れてこられ、ラリーをひとめ見て、全能のうなり声をあげました。ラリーはセットを逃げ出して、スタジオを出て、通りに出るとすぐ、クルーが彼を
 追いかけて走っていきました。おびえていたわ。一方私はひざの上に、幸せそうにのどをゴロゴロ鳴らしている、900ポンドのライオンを乗せて、セットに一人残されていました。


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    ラリーの驚くべき性格 

 
リーが、可愛い魔女ジニーの長年の間、麻薬を常用し、お酒を飲みすぎていたことや、それがどんなに彼に影響を与えたかについて彼が後悔している、ということに
 ついては、彼自身何の隠し事もしていません。そして、私は、ほかの誰よりも、麻薬の魅力や麻薬を常用することの恐ろしい影響について、性急に批判することは
 できないことは、わかっています。

 
も、これは可愛い魔女ジニーを撮影していた時の、私のラリーについてのもっと驚くべき思い出の一つです。サリー・フィールドが隣のサウンド・ステージで、
 いたずら天使を撮影していました。ある朝、ひとグループの年配の尼さんたちがセットを訪問し、可愛い魔女ジニーのセットも訪問することにして、やってきました。
 10人ばかりの、思いやりのある、優しい、慎み深い人たちで、白と黒の修道衣を着て、手を組んで、期待で目を輝かせていました。

 
リーはその尼さんたちをひとめ見るなり、斧を握り(それは小道具係の一人が、その日たまたまスタジオに持ってきていた)、それを頭の上であまりにもどう猛に
 振り回したので、簡単に誰かを殺せそうでした。斧を振り回しながら、彼は、すべての一つ一つの野卑な罵り言葉を含む言葉を発していました。
 それは私が聞いたことある言葉もあれば、聞いたことない言葉もありました。それを、愕然としている尼さんたちの顔に向かって、叫んでいたのです。

 
らに彼はケーブルを熱狂的にたたき切りはじめ、誰かが斧をつかみ、ラリーを無理やり歩かせてセットから追い出すまで続いたのです。その後、動揺した尼さんたちは
 付き添われて、建物から外に出ました。可愛い魔女ジニーのセットにその後二度と誰も訪問が許されなかったのは、そういうわけでした。

 
ドニー・シェルダンがラリーをセラピストに合わせることを提案し、彼も賛同して、可愛い魔女ジニーを撮影している間、セラピストが、万が一必要な時のために、
 しばしばセットにいました。でも、彼さえラリーを抑えられるようには見えませんでした。

 
の結果として、ラリーのドラマチックな振る舞いはエスカレートし、…私たちのは成人年齢向けですけれども・・・それ自体が、すごいコメディ、という感じになって
 いったのです。実際、サミー・デービス・ジュニアが”サミーが二人”でゲスト出演して、最終的にラリーを今にも殺しそうになったときのことで、1本エピソードを作れますし、
 また、”ダイヤモンドに目がくらみ”をハワイでミルトン・バールと撮影したときのことでも、もう1ピソード作れる、といった具合です。

 
も、実際今日でも放送できるとは私には思えないエピソードが一つあります。それは、ラリーが見なしたこの番組の欠点や、彼の役、トニー・ネルソン少佐の、
 二番目の地位、というものに対し落胆し怒り狂ったラリーは、可愛い魔女ジニーのセットのすべてに排尿したのです。

 
かにももっと多くのラリーの癇癪がありました。でも、ラリーと働いたことはそれでもなお、何年にもわたって私に起こったほかの多くのことと比べれば、公園を
 散歩するくらい簡単なことだったのです。特に私のプライベートで・・・私の死産した息子、2回の離婚、そしてマシューの死、私のたった一人の子供でした。彼は
 35歳のとき、まさに結婚直前でした。また、私の最愛の母を失ったこと。

 
のすべてを通して、私の母の声はいつも私の心に木霊しました:乗り越えるのよ、バーバラ・ジーン、乗り越えるのよ!私はできる限り一生懸命そうしようとしました。
 時には私は勝利し、人生が私に投げつけたことは何でも突破しました。でも、みじめに失敗し、もがき苦しんで、すっかり無力になったこともありました。これは
 そういったすべての物語であり、良いときも悪いときも、もっと良いときももっと悪いときも、まさにそれらがどういう風に起こり、まさにどういう風に私が対処し、
 また、対処できなかったか、についての物語です。





序説 第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 第七章 第八章
第九章 第十章 第十一章 第十二章 第十三章 第十四章




情報提供 vadimさん

                                                                                                                                                                                       


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