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メキシコに行くんだよ
やっとこさ
メキシコに行くんだよ
三度目の正直さ
長かった 本当に
17年
待ってた甲斐があったよね
ついにこの日が来るなんて
今でも信じられないよ
待ってておくれ メキシコよ
俺ら 今から行くからさ
待ってておくれ セニョリータ
もう少しで 逢えるからさ
メキシコに行くんだよ
麗しの
メキシコに行くんだよ
「なぜメキシコなのか?」と問われても明確な答えはないのですが、とにかくメキシコに魅せられています。
メキシコを意識し出したのは、小学6年生ぐらいの頃からです。当時NHKでやっていた「未来への遺産」という番組で歴史に興味を持ち、父親に「アステカ文明展」へ連れて行ってもらったことが決定的でした。これで、将来は大学でアステカ史を勉強しようと決めたのですから……。しかしまぁ、大学で勉強したことは、社会人になった今では何の役にもたっていませんねぇ(笑)。
ちなみに、この写真はソチミルコで船遊びをした時のものです。
交差点の角で
信号待ちの車の前で
ポリタンクを片手に
彼は火を吹く
妻と子を養うために
自分自身が生きるために
彼は火を吹く
癌になる恐怖を抑え込みながら
「これしか仕事がないんだ」
子供の頃は車の窓拭き
今は大道芸で日銭を稼ぐ
命を賭けて
今日を生きる
明日は見えない
メキシコは貧富の差が激しい国です。
メキシコ・シティのソナ・ロッサ地区(東京で言えば銀座に相当するところです)を歩いていても、物乞いをしている人に何人も遭遇します。しかも,それが3〜4歳ぐらいの女の子だったりするので、ものすごくやりきれない思いがしました。
また、道路で信号待ちをしている車めがけて、窓拭きの少年達がむらがってきます。この詩のように、火を噴く大道芸を見せている若い男もいます。
かれらはみんな、インディヘナです。白人系は一人もいませんでした。これが、メキシコの現実です。
失われた神殿のそばに立ち
石彫りの蛇と玉蜀黍を眺め見て
人の想いの不可思議を
今一度 考えて
微風よ吹け
陽の光 燦々と
草原の匂い あおあおと
もういない人々よ
何処へ消え去っていったのか
塗り込められた千年の
歴史の重さに耐え続け
独り立ち続ける神殿よ
神に見捨てられたというのに
Quo Vadis,Domine?
祭祀する人もなく
祭祀される神もなく
時空の狭間に ただ
微風よ吹け
テオティワカン(Teotihuacn)遺跡にある「ケツァルコアトルの神殿(Templo de Quezalcoatl)」の側面は、ヘビとトウモロコシのレリーフで飾られています。
でも、なぜヘビとトウモロコシなんでしょうねぇ?
ちなみに、この写真はケツァルコアトルの神殿のタブレロ"髪飾りにリボンを結んだ神”と蛇頭を撮したものです。
どろどろでんでん
どろどろでんでん
骸骨の葬列が
一本道をのろのろと
色とりどりの旗がぱたぱた
朱い太鼓の音色が
どろどろでんでん
どろどろでんでん
*
うろうろきょろきょろ
うろうろきょろきょろ
土産物屋の隊列が
一本道をぞろぞろと
いろんなガラクタを手にとって
「1円。1ドル。安いよ!」
うろうろきょろきょろ
うろうろきょろきょろ
なぜそのような名前がついたのかは知りませんが、テオティワカン遺跡のメイン・ストリートには「死者の道(La Calla de los Muertos)」という名前がついています。
この写真は、「死者の道」の突き当たりにある「月のピラミッド(Pirámide de la Luna)」と、向かって右手にある「太陽のピラミッド(Pirámide del Sol)」を撮したものです。
写真では人気がありませんが、実はまことに怪しげな土産物屋のおっちゃん達がたくさんたむろしています。で、これがまたしつこいのなんの。(^◇^; いくら「いらない!」って片言のスペイン語で言っても、「1円。1ドル。安いよ!」と日本語で(!)せまってくる訳です(実話)。まぁ、誰も買わないんですが、マジで1円玉を出してやろうかと思いました(笑)。
見上げるばかりの
pirámideの石段を
一歩一歩
ゆっくりと登りつめ
鳥になるため
神になるため
頂上から飛び降りる
テオティワカンの「太陽のピラミッド」では人身供儀(要するに人身御供ですね)が行われ、供えられた人は「神」になったとか。
右の写真は、「月のピラミッド」の頂上から「死者の道」と「太陽のピラミッド」を望んだところです。まぁ、どこにでも見られるある種「有名な」アングルですが、テオティワカンの全景を撮ろうと思うとこのアングルが一番なんですよね(笑)。
ちなみに、私はこの「月のピラミッド」に上った後、「太陽のピラミッド」のてっぺんに登ったところで、酸欠状態になってへたりこみました。(^^ゝ
だって、標高が2,000m以上あるところなんですよ、テオティワカンって。
満天の 星明かり
青い河 瞬いて
一面の 街明かり
白い河 煌めいて
幾百万の 人の溜息
翼の下に 抱え込み
幾千万の 人の悲しみ
闇の中に 溶け込んで
全てを振り捨てるために
友よ こんなに遠くまで
旅する僕を 笑うがいい
点描されたこの街の
輪郭すらも定かではなく
唯 忘却の彼方へ消え行くのみ
メキシコ・シティは排気ガスの街です。しかし、飛行機の窓から見る夜景は、何とも言えない美しいものでした。
この写真は、パレンケ(Palenque)遺跡の「葉の十字架の神殿(Templo de la Cruz Foliada)」の上から「太陽の神殿(Templo del Sol)」(左)「14号神殿」(中央)「宮殿(El Palacio)」(左)を撮したものです。
密林の大樹海の中より現れる
神殿群を垣間見て
私の心は打ち震える
「ついに来た。ついに見た」
私の内にこだまする叫び声
1月だというのに
真夏の陽射しを浴びながら
石灰岩質の神殿の
急勾配の石段をよじ登る
頂上で汗を拭いながら
深緑色の地平線と
蒼穹に浮かぶ積乱雲を
眺め見るこの快感
その昔 神官達は
金星の運行を観測し
暦を決めたという
あふれんばかりの銀河の下で
この一大パノラマでは
確かにそうかもしれない
私は神官の幻を見たようだ
マヤ文明では、天文学が発達していました。
なぜそんなに天文学が発達したのか? それはピラミッドの頂上に立てば答えが出てくるかもしれません。樹海の上に広がる蒼穹を見上げれば、夜ともなれば満天の星空が広がるであろう事は、容易に想像がつきます。
この写真は、パレンケ遺跡の「碑銘の神殿(Templo de Las Inscripciones)」を撮したものです。
いつの日か夢見てた
異国の街をあてもなく旅をする
きみとふたりで
いつかまた逢えるよね
約束しても
蒼い空にはばたく鳥は答えない
旅の重さをはかるように
胸の痛み かすかに
いつのまにか消えていった
夢のかけら 探しながら
流れ行く白い雲 茜色に染めて
遠き夢 遥かな想いの彼方へ
めぐり逢い別れ行く 季節の中で
駆け足で走ってく きみとぼくだね
淋しげに微笑んで さよなら言った
河の流れ 静かに
時は戻らない
風に揺れる木々の梢
夏の光 輝き
煌めく星 銀河の下で
ぼくはひとり さまよい歩く
めくるめく時の中で
夢見た数だけ
裏切られ 傷ついて
あふれるきみの涙
私が初めて行った外国がメキシコです。
もちろん、子供の頃からあこがれていた国ということもありますが、この時は、センチメンタル・ジャーニーでもありました。(^^;
驟雨に濡れし石畳
カテドラルの影 ほのかに映えて
街角に流るる ラジオの歌声
古き街並み 人の姿もなく
遠くに聞こゆ 潮騒の調べ
遥か異国の懐旧の情
港町の賑やかさも
今はただ寝静まり
夜の静寂に映る星影
海賊の姿 今はなく
過ぎ去りし幻
ただ うたかたの夢
カンペチェ(Campeche)はメキシコ湾に面した植民地時代の名残が色濃く残る港町です。
カリブ海を荒らし回った海賊に備えて作られた砦が、この町の「観光名所」といったところでしょうか。この写真はカンペチェの旧市街の夜景です。
ぢりぢりと
夏の陽射しを背に受けて
尼僧院の中庭に
立ち尽くす
いつかしら
ガイドの声も溶け失せて
古の風の詩に
耳をかす
複雑怪奇な石彫りの前
ただ声もなく
じっと見つめる
白亜の神殿の中
青光る蜥蜴
顔を出す
メキシコはとても不思議な国です。
先コロンブス期と植民地期と現代の三つの文化が、入り交じり、連続し、断絶しながら存在しています。
いつかまた、この地を訪れたいと思っています。
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