大 山 (弥山1711m)


「山陰・山陽へ名山探しに行った私は、結局この地では大山一つしか推し得なかった。
しかしこの一つは誇るべき一つであった。」(深田久弥)



大山(だいせん)とRIKIは縁が深い。

小学校の頃、ご多分に洩れず、切手を集めていた。その中に「国立公園シリーズ」というのがあって、大山・隠岐国立公園の1枚は、この大山の姿を描いたものだった。「へぇ〜富士山にそっくりだな〜」と強く印象に残った。「山陰の地に大山あり」と小学低学年の頃から身近な存在に感じていた。

生まれて初めてスキーという当時では高尚なるスポーツを行ったのも、場所は大山スキー場であった。当時は九重や広島にはスキー場は無く、博多っ子が行くスキー場といえば、もっぱら大山に行くのが常だった。バスで一晩走り、ようやく早朝に到着する、まことにご苦労な時代であった。

仕事で縁あって、その大山スキー場には何度も足を運んだ。一緒に仕事をした地元の人たちはとても素朴で良い人たちだった。しかしこれまでは一度も、その秀麗な姿から「出雲富士」「伯耆富士」と呼ばれるこの名山に、登る機会は一度も無かった。



2004年6月13日(日)

(交通)
西宮から車

(コース)
大山寺(5:15) ⇒ (行者谷ルート) ⇒ (7:45)弥山 ⇒
(夏山登山道) ⇒ (僧兵コース) ⇒ 大山寺

(標高差)
1000m(累積)くらい。



「土日はメチャメチャ暇」な会社のO君とまたもや良からぬ事を考える。「大山に登って、皆生温泉で祝宴だぁ〜!」。O君が車を持っているおかげで、行動範囲がかなり広がり、最近調子に乗ってしまっている。九州まで車で行ってしまいそうな勢いだ。天気の関係で当初の予定を変更、12日(土)に皆生温泉に泊まり、翌13日(日)に早朝からアタックすることにした。

12日は12時過ぎに西宮を出発。中国道・米子道をぶっ飛ばし、米子・皆生温泉(かいけおんせん いっぺん来たかったんだな〜これが)には16:00過ぎに到着。ひと風呂浴びて極楽気分で近くの寿司屋に海鮮三昧。クエ・岩ガキ・オコゼ・ノドクロ、山陰の海の幸を肴に酒がすすむ。気分よすぎて、正直山登りなんかどうでも良くなってくる二人なのであった。

しかし世の中はそんなに甘くは無い。翌日は4:00出発。
この日の絶好の気圧配置に大展望を確信した我が隊は、早朝のすがすがしい空気に、さらにはるか遠くまで見渡せる期待を抱いたのである。大山寺のほんの近くまで車で夜襲をかけ、5:15、厳かに出発した。


大山寺から奥宮への参道 奥宮。なかなか立派な造りであった。



皆生温泉を出発した時からなんとなく気にはなっていたが、大山の上部は雲に覆われている。「あれ〜おかしいなあ、気圧配置では風は無いはずなのになあ?」 海ぎわの高峰は風が吹くと雲がわく。木々の合間から時折見える山頂部はガスがかかったり、はれたりしている。奥宮からの登山道はよく整備されているが、ところどころ木の枝を手で払いのける箇所も。くもの巣が手にかかるので、この道の本日の一番乗りを確信。

やがて元谷に到着。突然開けた大迫力の光景に息を呑む。大山の北壁の大崩落が目に飛び込む。


元谷。これがかの有名な「大山の大崩落」
ここは絶好のキャンプ適地(ダメだろうけど)

「大山がそれ以上に私を感嘆させたのは、その頂上のみごとな崩壊ぶりであった。」(深田久弥)



元谷でしばし休憩の後、行者谷の(向かって)右尾根に伸びる登山道を登る。このコースで一番のがんばりどころ、かなりの急登。大山には、ところどころに楽しげな絵が書いてあるコース案内の看板が設置してあるが、頂上まで登りっぱなしのこの山は、決して初めて山を登る人は連れてきてはいけない。大山や日光男体山などの富士山型の山は、「山はつらく、がまんするもの」という間違った認識を植えつけるだけ。



行者谷の急坂の道 あえぎ登って夏山登山道と合流



夏山登山道に入ったら多少は楽になるかな〜、なんて思ったけど大間違い。斜度は多少はゆるくなったものの、木道の階段や「ふとんかご」(=金網の中に岩をつめたもの)で歩幅が決められてしまい、相変わらず喘ぎ登る。中国地方で唯一の百名山だけに余計な整備がされている。ここから人が多くなってくる。休憩していると中高年の団体が追い抜いていった。O君のペースが落ちてきた。


休憩の後、ダッシュで団体を抜き返す。この団体、みんな背中を曲げ、うつむき加減に、下ばかり見て登っている。まるで肺病患者。もっと楽しく登れよな〜、との思いで、おもわず「みなさん!下ばかり見てたらアカン!胸はって上をしっかり見て登らなバテてまうで〜」と関西弁で叱咤激励。みな、苦笑いだ。


六合目の休憩地点では休憩はパスしてさらにグングン登る。グングン稼げる標高に、だんだん興奮してきた。やがて森林限界を超え、ガスの合間に山頂部の崩落や、下界が見下ろせるようになってきた。


ガスにまみれた北壁崩落 森林限界を超えると気分もGood


まもなく弥山山頂というあたりは、広大な草原地帯になっている。木道の周回コースもあるようだ。地図には「ダイセンキャラボク純林」と記載してある。陽が差す瞬間はとてもきれい。ハイジが飛び跳ねていそうな雰囲気。なんとなく気分がハイになり、思わず木道を駆け出す。「ラリラリラリホー♪」。。。アホか。


右手に弥山頂上小屋をやり過ごし、弥山山頂に到着した。時は7:45。山陰の名山ここにゲットす!


「ダイセンキャラボク純林」だって。 弥山山頂にて(三角点は少し先)



警告
大山の最高峰は剣ヶ峰であるが、そこまで行くには、両側が激しく崩壊した「か細い」稜線を辿る。が、あまりに危険なため現在は通行禁止となっている。点線ルート(=難路)でもなく、バリエーションルートでもない、単なる危険地帯なのだ。こういうルートは、ある意味ザイル無しのロッククライミングよりリスクが高いと言える(突風、めまい、もろい土質、その他による)。いくら「スリル大好き」のRIKIでも、さすがに自重した。命あっての登山である。命あっての冒険なのだ。


ガスが次々に下から山頂に向かって襲ってくる。チラチラと下界や日本海は見えるのだが、すぐにガスに隠れてしまう。「太陽がもう少し上がってきたら、そのうちガスも消えるさ」と、小屋に戻ってメシを食べることにする。ガスバーナーでお湯を沸かし、あまりお腹は減っていなかったが、カップラーメンを作る。小屋の中は4,5名の先客。中はかなり広い。


 ←弥山山頂から


ラーメンをすすっていると、さっきの団体が到着し、賑やかになってきた。その後から次々に登山者が登ってくる。8:30という早い時間にもかかわらず、どんどん登山者が沸いてくる。さすがに百名山。
そろそろガスも晴れたかな〜と思って再び山頂まで行くが、あんまし状況は変わっていない。「しゃーない」と下山開始する。


急坂の道を一気にグングン下る。「しまったなあ〜ストックは必需品だったな〜」、と思ったのもつかの間、久しぶりに左ひざの外側が痛くなってきた。書き忘れたが、山頂は6℃だった。風が強い中、ずっとガスが晴れるのを待っていたため、身体が冷め切っているうちにピョンピョン下ってしまい、オーバーワークもあって、腱が悲鳴を上げたのだ。
帰宅して調べたところ、どうやら「ランナーズ・ニー、腸脛靱帯炎」とのこと。原因はやはりoveruse overwork。


だましだまし下るしかない。そうしているうちに気がつくと、ガスが全く山頂にかかっていないのを発見。「あちゃ〜もう少し山頂で粘ってれば良かったな〜」 後の祭りであった。
しかし、下山中にはあの北壁の崩落ぶりや、遠く日本海、弓ヶ浜がはっきり見え、なかなか満足!


下山開始後にガスが完全に晴れた。 米子方面。日本海が美しい。弓ヶ浜がわかる?


ひざの痛みを我慢して、下山を続ける。行者谷の分岐はそのまままっすぐ夏山登山道を下る。やがて道がゆるやかになり、僧兵コースに入り常行谷を横断するように大山寺に戻る。11時前に到着。


大山寺で無事帰還のお礼参りを済ませ、参道にあるお店で「大山ソバ」を食す。温泉に浸かろうと大山ロイヤルホテルに行ったが、風呂は14:00からとのこと、しょうがないので車を走らせ淀江町の温泉施設でゆっくり疲れを癒す。

途中で望んだ高原からの大山は「伯耆富士」「出雲富士」の名に恥じない、秀麗な姿で我々を見送ってくれた。まさに「誇るべき一つ」であった。


「私は大山を、松江の城から、出雲大社から、三瓶山の頂から、望んだ。
いつも一と目でわかる、秀でた円錐形で立っていた。」(深田久弥)




おわり


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